講習会二日目~校庭・さーちゃんの部屋
「はあああ……」
この二日間で、ほんとうーに、溜息増えたわ、私……。校門に向かって、校庭の端っこを歩く。あちらこちらから、クラブの掛け声が聞こえ、グランドを走る生徒の姿が見えた。左肩に掛けた通学鞄のひもを、持ち直す。
「少し頭痛くって」を振りかざし、なんとか、あの悪魔の巣(!?)から脱出したけど……講習会受けるだけでも目いっぱいなのに、あの人たちの相手って……。
「早く、さーちゃんに元気になってもわらなきゃ」
そう、早く元に戻らなきゃ。そう思った私は……はた、と気がついた。
……でも、そうすると、プリンセスにはさーちゃんになって……映画に出ることになるんだよね。
『えええーっ、私、大勢の人の前で演技なんて無理ーっ!』
……と叫ぶさーちゃんの声が聞こえた気がした。
(人前に立つのが苦手なさーちゃんには、酷……よね……)
やっぱり、私がやるしかないのかなあ……。
(……でもでもでも! どう考えても……)
「……あれ?」
サッカー場の横に来た時、見覚えのある姿を見つけた。
「日向くん?」
キーパーなんだ。眼鏡外してる。背が高い彼の姿は、少し離れた場所からでも良く判った。
ディフェンスを抜けて、男子が一人、ゴールに向かって行く。ゴール隅を狙った勢いのあるボールを、日向くんが難なく両手で受ける。
(あれだけ背が高かったら、有利だよね……)
日向くんが、仲間に声をかける。散らばれって言ってるのかな。
……ふっと、日向くんが私の方を見た。目が合う。
「え、えと……」
日向くんがボールを置いて、「休憩」とメンバーに声をかけ、こちらに走ってきた。
赤い半そでポロシャツに、金色で胸元に校章が刺繍されてる。制服の印象と違う。少しどきどきしながら、目の前に立った日向くんを見上げた。
「今、帰りか?」
「う、うん……」
普段から、理知的でスマートな印象だけど……眼鏡かけてないと、整った顔立ちがはっきりと判る。まつげ長っ……タレントって言っても、通用するんじゃないの??
ふっと日向くんが笑った。その笑顔に、見とれてしまう。
「……ゴール狙ってみるか?」
うぐ。思わずどもった。
「も、もうスカートでは、蹴りませんっ!!」
多分、今、顔赤くなってるよね、私!? 日向くんがまた可笑しそうに笑う。
なんだか胸が痛い……。
「ちゃんとセリフ覚えておけよ。明日から撮影入るぞ」
「えええええっ!?」
そんなイキナリっ!? 私はくらくらする頭に手を当てた。
「そ、その、心の準備ってものが……」
うろたえる私にも、日向くんは平然としていた。
「明日は俺のセリフが多い部分だから、お前は聞いてるだけだぞ?」
だ~か~ら~!! それが、心臓に悪いんだって!!
『甘い言葉を囁かれるわよ~?』
あああ、玉木くん、こんなタイミングで顔出さないでっ!!
私は必死に玉木くんの声を頭から追い出し、日向くんを見上げた。
「あ、あの、日向……くん」
「なんだ?」
き、聞きにくい……。
「ひゅ、日向くんは、あれでいいの? みんなに遊ばれてる感じなのに?」
「……」
じっと黙ったまま、日向くんが私の目を見つめる。眼鏡がないと……綺麗な瞳がそのまま……。
(は、迫力が違っ……!)
頬が熱くなる。絶対日差しのせいじゃない。
内心あたおたしてる私に気がついたみたいに、日向くんの瞳がふっと優しくなった。だ、だめ、心臓が喉から出そう……っ!
「……相手がお前だからな」
……え……?
今……なんて……?
呆然と突っ立っている私に、日向くんがすっと手を伸ばして、眼鏡を取った。
「え……」
「ほら」
日向くんが眼鏡をたたんで、私の右手に載せた。
「度の合わない眼鏡、かけると余計に疲れるぞ」
そう言って、日向くんは、またゴールの方へ走っていった。その場から動けないまま、私は日向くんの後ろ姿を見送った。
……お前だから……そう、言った?
”お前”って……
……私はゆっくりと日向くんから目を逸らした。お前、って……言うのは。
(……さーちゃんの、こと、だよね……)
私の事、さーちゃんだって思ってるから……ああ言ってるんだよね……。
――ずきん
……胸が、痛い。何だろう、これ……。
私は、また歩き始めた。ちょっと俯き加減になって……右手に握ったままの眼鏡を、ブラウスの胸ポケットに入れた。
なんだろ……頭の中が真っ白な感じ……
(疲れてるのかな……)
今日は早く帰って、寝よう……
重い足を動かして、私はとぼとぼと家へと歩いていった。
***
「すごい波乱万丈ストーリーなのねえ……さすが、藤沢くんと玉木くん」
ベッドの上で台本を読んださーちゃんは、感心したように言った。薄いピンク色のトレーナーを着たさーちゃんは、いつもの眼鏡をかけていた。私も、ベットに腰掛けて、さーちゃんと話していた。
「役と本人がシンクロしてるわよね。これだったら、そんなに苦労しなくても、地で演じられるかもよ?」
「……」
「しーちゃんも出番多いけど……きっと日向くんがサポートしてくれるし、大丈夫じゃない?」
「……」
「……しーちゃん?」
さーちゃんの声に、現実に引き戻された。
「ご、ごめん、考え事してた……」
さーちゃんが、探るように私を見た。眼鏡がきらりと光る。
「しーちゃん、様子が変だよ? なにかあったの?」
「な、にも……ないよ」
……そう、なにもない。詩織には。
「ねえ、しーちゃん?」
「なに?」
「もし……」
さーちゃんの言葉が、一旦切れた。
「誰か、しーちゃんを泣かせたら……ちゃんと言ってね? 私がなんとかするから」
「さーちゃん……」
いつになく真剣な顔。心配かけちゃったんだ……。私はさーちゃんに、にこっと笑いかけた。
「ありがと、さーちゃん。大丈夫だよ」
「そう? 大変な事お願いしてるの、こっちだから……ちゃんと言ってね?」
「うん……」
……うん。きっと、大丈夫。
ちゃんと、明日も……『さーちゃん』として、やれるよね……。
――私は、もやもやする気持ちを……心の隅っこに追いやった。