講習会一日目~帰り途・さーちゃんの部屋
「はあああ……」
夕方の風に、重いため息が流されていく。大きな夕日に向かって、川沿いの堤防道を一人、とぼとぼと帰っていた。
すっと眼鏡を外し、ブラウスの胸ポケットに仕舞う。やっぱりこっちの方が目が楽だあ……。
(なにが、どうなって、こんな事に……)
……私はさっきまでの事件? を思い返した。
もう、乗り気の藤沢くんを止めるメンバーは誰もいなくて、この二週間で主要なシーンは撮りだめしようって話になって……。
『シナリオ、私も考えるわ』
『じゃあ、衣装は演劇部やアニ研が持ってるものから選んで……』
『陸上部員もエキストラ役できるぞ?』
『俺も手先器用だから、小道具とか作るの手伝うよ~?』
……みんな、ノリノリだったわよねえ……ほとんど私、オモチャ扱いな気がする……。
(でも、日向くんは……)
あまり発言もせず、黙ってみんなの意見を聞いてただけだった。あの眼鏡の奥で、なに考えてるのか……全然わからない。
(とにかく、帰ってから、さーちゃんとも相談しよう……)
俯き気味だった私の視線の中に、サッカーボールが転がってきた。とっさに、右足で止める。
「すみませーん……」
堤防の下を見ると、サッカー場から小学校高学年ぐらいの男の子が手を振ってる。
私は鞄を後ろに置き、サッカーボールを両手で置いた。
一つ深呼吸をして――
右足を思いっきり振り上げ、ボールの中心を全力で蹴った。
ボールが勢いよく、サッカーゴールに向かって風を切って飛んでいく。ゴール手前でバウンドして、ゴールポストに当たった。
「えええっ、すげえ!」
「あんな離れたところから……」
何人かの男の子から声が上がる。私は男の子達に手を振って、鞄を持ち直した。
あーっ、なんかすっきりした!
思わず、笑ってしまう。サッカーボール、思いっきり蹴ったのって、小学生以来だよね……そう、あの時のゴール……。
思い出に浸っていた私の耳に、低い声が入って来た。
「……すごいキック力だな」
(……え!?)
慌てて後ろを振り向くと……無表情のメガネ王子が二メートルぐらい離れた所に立っていた。
「ひゅ、日向くん!?」
うわ~……まずい……今の、見られた、よね……冷や汗出そう……。
しばらく、俯いた私をじっと見ていた日向くんが、ぽつり、と言った。
「スカートで足、蹴りあげない方がいいぞ」
「!!」
とっさに、両手でばっとスカートの裾を抑えた。
「みっ、見たの!?」
日向くんが右手で眼鏡を少し押さえた。
「俺は道を歩いていただけだ。目の前でスカートめくったのは、お前だろ」
な、なんか、メガネ王子の印象と違うセリフが聞こえたような気が……?
(いやいや、気のせい、きっと)
と、とりあえず、帰らなきゃ。
回れ右で、歩きだした私の隣に……いつの間にか、日向くんが並んで歩いてる。爽やかな風も、夕日も……この気まずさからは救ってくれなかった。
(な、なにか、話した方が……)
「真田」
「は、はい?」
突然声を掛けられて、思わず、声がうわずる。
「お前、眼鏡の度、合ってないだろ」
「!!」
左手をこめかみの辺りにあてる。
(しまった……!! 外したまま……だった……)
じっと、私の瞳を見たまま、日向くんが言葉を続ける。
「今日生徒会室でも、眼鏡外したり、目を細めたりを、ずっと繰り返してただろ」
うっ……さすが、メガネ王子は眼鏡に鋭い……。
「そ、そうなの……」
頬がひきつるのが分かる。頑張れ、私。
「い、いつもの眼鏡、壊れちゃって。前の眼鏡出してきたんだけど……合ってなくて……」
「……」
黙ってこちらを見ている日向くんの圧力がすごい。こ、この威圧感、なんとかして~!!
ちら、と日向くんを見たいたら……彼の口元が少し上がった。
(笑っ……た?)
心臓がピクンと変な動きをした。
「……あのキック力だったら、うちの部に欲しいぐらいだ」
「え……」
「サッカーやってたのか? 習ってないとあの蹴りはできないだろ」
『私』はそうだけど……さーちゃんは、文化系だから……。
「え、あの、直接習ってたわけじゃなくて」
「……」
「あ、姉が小学校の頃、サッカークラブに入ってて、それでキックだけは教えてもらったの」
うん、嘘じゃない。……姉と妹が入れ替わってる事を除けば。
「お姉さん……は、強かったのか?」
「小学校六年生の時、県のサッカー大会で優勝して……」
0対0のまま、PK戦。最後に私がゴールを決めて優勝した。みんなで、抱き合って、大喜びしたっけ。
でも……。
「ははっ……」
いきなり、日向くんが笑いだした。初めて見る、自然な笑顔。また心臓が跳ねた。
……なんか、息苦しい。顔少し赤くなってるんじゃ……私……。
「別に俺は、お前をとって食おうって気はない。そんなに緊張しなくてもいいと思うが」
「……う……」
そう言われても。そりゃ川崎くんみたいなタイプだったら、あまり緊張しないけど……。
「まあ、映画撮影の間に慣れれくれれば、と思ってOKしたんだが」
「え……?」
じゃ、じゃあ、あれって、『私』のため!?
……ほんの少し、胸が、痛くなった。なんだろう……これ。
「じゃあ、俺は、ここで」
土手から降りた十字路で日向くんはそう言い、軽く手を振って左へ曲がっていった。
「……さよなら……」
少しの間、動けずに……後ろ姿を見ていた。背の高い彼の影は、長く前に伸びていた。
「……」
(……いろんな事がありすぎて、なんか、もう、ワケ分からなくなってきた……)
私は、溜息をまた一つついて、家へと歩き始めた。
***
「ふーん……いろいろあったのねえ……」
ふむふむとおじやを食べながら、さーちゃんが呟く。まだ熱っぽいさーちゃんは、ベッドの上。夕ご飯を運んで来た私は、そのまま「今日のデキゴト」を聞いてもらっている。
……全て聞いたさーちゃんの顔は、いたって普通だった。びっくりしたとか、そんな感じじゃない。それとも、熱で鈍くなってるのかなあ……。
「その、生徒会メンバーって、すごく……何ていうか……」
もごもごしている私を見て、さーちゃんが笑った。
「すごく、個性的でしょ? 全員すごいんだから」
さーちゃんがどこか自慢げに話し始めた。
「例えば、玉木くんは……ほら、玉木 坂三郎って知らない?」
「え……あのテレビとかよく出てる、大衆演劇の女形スター?」
「そう。その坂三郎の息子なの」
女形の息子!?
「だから、玉木くんが女の子の格好や、言葉遣いするのって、将来に向けての練習なんだって」
「そう……なんだ……」
私の顔を見て、またさーちゃんが含み笑いした。
「玉木くんはニューハーフさんとかじゃ、ないよ? そういう意味じゃノーマル」
そうだったのね……。ああ見えて、真面目に将来考えてるんだ、玉木くん。すごいなあ……。
「あと、扇くんは短距離走でインターハイに出場したこともある陸上選手だし。運動神経バツグンよ」
あ、それはそんな感じだった。身体の動きにキレがあるっていうか。
「川崎くんは、人懐っこくて、いつも笑顔。誰にでも優しいし。天使ってあだ名がついてるよ」
確かに……。
「日向くんは……」
さーちゃんが、視線を少しそらして黙り込んだ。スプーンで、おじやをすくって、はむっと食べる。
……しばらく、沈黙が続いた。
「……」
(さーちゃん……?)
スプーンをお皿に置いて、さーちゃんがベッドに腰掛けてる私を真っ直ぐに見た。
「日向くんはね……何ていうか……、入学した時から知ってるの」
……うん。
「日向くんは内部進学生だけど、進級テストが私の入試と同点で……二人で新入生の挨拶することになって……」
……。
「二年になってから、特待生クラスで一緒になって」
……。
「お話しするようになったのは、それからかなあ……」
……。
「ちょっと、とっつきにくいけど、責任感強くて、いい生徒会長なのよ?」
……。
……なんだろう……よく、わからないけど……なんだか……。
(胸が……痛い……?)
「ね、ねえ、さーちゃん」
「なあに?」
さーちゃんがくりっとした目を私に向けた。
「さーちゃんは……」
少し、言葉に詰まりながら、聞いた。
「さ、さーちゃんは、平気、なの?」
「なにが?」
「その……『私』と、日向……くんが、映画に出ること」
「……」
さーちゃんは、少し考え込んでから、言った。
「しーちゃん以外の女の子だったら、むむむーってなってたと思うけど……」
むむむーって……なに?
「……しーちゃんだったら、いいよ」
「そう……なの?」
うん、とさーちゃんは頷いた。
「だって、しーちゃんは、私の事傷つけたりしないもん。いつだって、私の味方だし」
「そう……だよね」
そうだよね……私は、さーちゃんの、お姉ちゃんなんだから……。
「うん」
ごちそうさまー、とさーちゃんが手を合わせる。私は食器をトレイに乗せて立ち上がった。
「……じゃあ、下に持ってくね」
「うん、ありがとう」
……あ、そうだ。
「田代先生から、休んでた間の授業のプリント、貰って来たんだけど」
「本当?」
「これ置いたら、持ってくるね」
「じゃあ、1枚だけでもやるから、明日持って行ってくれる?」
「うん、分かった」
……私は、ちょっと引っかかった気持ちを置いたまま、トレイを持って、さーちゃんの部屋を出た。