講習会五日目~2-1教室・生徒会室・保健室・さーちゃんの部屋
「はい、そこまで!」
田代先生の声が教室に響いた。解答用紙に書き込む音がぴたりと止まり、紙を裏返す音があちこちからした。
「じゃあ、後ろから集めて」
順番に、解答用紙が後ろから前へと集められていく。一番前の生徒が集まった解答用紙を束ねて、田代先生の元へと持って行く。
教室が少しざわざわしていた。
……私は、ほけっと椅子に背を預けていた。
……日向くん。あなた、超能力者ですかっ!? 昨日借りたノートで、重点って書いてあった所……ほとんど試験に出たんですけど!?
(おかげで助かった……)
さーちゃんの成績、下げないで済んだし、お礼言わないといけないよね……。
「じゃあ、今日はここまで。来週採点して返すからな」
田代先生の合図で、日直が号令をかける。
「起立、礼」
全員が礼をし、テストは終わった。教室のあちらこちらで、「あーっ、難しかったー」「あそこ、どうだった?」「俺、ばっちりだぜ」等々の声が聞こえる。
「あ」
日向くんの方を見ると、彼がさっさと教室を出て行くのが見えた。何か用事かな……。
(ノート、後で返そう……)
鞄にノートを片づけ、帰る用意をしていると、みのりさんが声をかけてきた。
「ねえ、アニ研行ってみない?」
「え?」
「藤沢くん達、あれから徹夜に近い状態で編集したらしいわよ。ちょっと見てみたいと思うでしょ?」
「う……」
そ、そりゃあ……興味はあるけど……でも、恥ずかしいって気持ちの方が強いかも……。
私はみのりさんに首を振った。
「……やっぱりやめとく。見たら、それに引きずられそうな気がするの」
――本当は……日向くんと一緒のシーン、映ってるの見たら……もう恥ずかしくて、できなくなるかもしれないから。
「そぉお~?」
みのりさんは残念そうな声を出した。
「ま、仕方ないわね……じゃ、私だけでも見てくるね」
「うん、じゃあね」
ばいばい、と手を振って、みのりさんは教室を出て行った。
私も、みのりさんの後を追うように教室を出て、生徒会室に行くために廊下を右へと曲がった。
***
「ふっふっふ……今日もワタシ、絶好調ねっ!」
玉木くんが得意げに笑う。刷毛の動きとかが今日も鮮やかだ。
「ねえ、沙織ちゃん。私、専属のスタイリストになってあげるわよ~?」
「本当……」
鏡の中の自分は、本当に可愛くなってると思う。こんな顔に、自分じゃなれない。
「玉木くんのメイク術って、すごいよ? 私なんかが独占しちゃいけないと思うぐらい」
玉木くんが、驚いたように目を見開いた。私は鏡に映る玉木くんの瞳を見た。
「だって……私、いつもと違うもの。すごく可愛くしてもらってる。……だから、きっと、他の女の子も玉木くんに可愛くしてもらいたいって、思うよ」
「……」
玉木くんが黙った。いつも笑顔なのに……真剣な顔をしてる。私は言葉を続けた。
「ほら、文化祭で、メイク相談室とかやればいいのに。玉木くんが、来てくれた女の子のメイクやヘアスタイルの相談に乗るの……絶対みんな来るよ」
ふっと玉木くんが照れたように笑った。
「……ありがと」
……あれ? 玉木くんの表情が……少し変わった……?
「実は……それ、夢なんだよね」
……玉木くんが、いつもとは違う口調で話し始めた。
「女の子って、本当可愛らしい存在だって思う。女形やってる父親が、女性の美しさを追求してるの見てて……自分も極めてみたいって思って、いろいろ研究して……」
「その結果、”女性って本当に美しい”って結論になった。どんな女の子でも、その子にしかない美しさを持ってる。だから、その美しさを引き出してあげられるような、そんな存在になりたいってずっと思ってた」
玉木くん、偉いなあ。もう自分がなりたいもの、見つけたんだ。
「すごいね、玉木くん。それ、すっごく素敵な夢だと思う」
私は感心して言った。
「玉木くんならなれるよ。シンデレラのおばあさんみたいに、さえない子に魔法をかけて、お姫様に変身させる存在に」
にっこりと玉木くんが笑った。玉木くんも綺麗、だなあ……。ちょっとどきどきする。
「ふふっ……ありがと」
あ、また、元の玉木くんに戻った。やっぱり、こっちの方が安心するかな。
「さっ、行くわよ、みなみ。あなたも私の最高傑作なんだから、そのかわいさを存分にアピールしないと許さないわよ!」
「はい!」
私は立ち上がって、玉木くんに敬礼した。玉木くんとふふっと笑い合った後、二人で揃って生徒会室を出た。
***
……さ……
「……」
……さん……
「ん……?」
ゆっくりと重たい瞼を開ける。誰か……覗き込んでる……?
(あ……)
「藤堂さん?」
「……黒沢……くん?」
あれ? 私……なんだか身体がだるい……。黒沢くんの後ろに、白い衝立が見えた。
「……ここ……保健室?」
ベッド脇のパイプ椅子に座った、黒沢くんが頷いた。
「掃除中に突然倒れたの、覚えてる?」
「……え……」
ぼんやりと思いだす。……根源の光を呼び出した影響は大きくて、今日は朝から身体が重かった。
「う……ん、ぼーっとだけど……」
そう言えば、ほうきで廊下を掃いてて……急に目の前が暗くなって……。
「たまたま俺の目の前で倒れて……保健室連れて来たんだけど、保健の先生留守で。勝手にいろいろ使わせてもらったんだ」
じゃあ、ベッドに寝かせてくれたの……黒沢くん?
「黒沢くん……ついててくれたの?」
「一人にしておけないだろ」
ぼーっとしたまま、黒沢くんに笑いかけた。
「ありがとう……」
黒沢くんがつと目をそらして、右手を私の額にあてた。
「ちょっと熱っぽいぞ」
「うん……」
そっと離そうとした大きな手を、私の右手が掴んでいた。
「黒沢くんの手、冷たくて気持ちいい……」
「……っ……」
黒沢くんが、何か言ったような気がした。でも、なんだか、よくわからない。ひんやりした、優しい感触……それを離したくなくて、そのまま彼の手に頬をすり寄せて、目をつむる。
すごく……安心できる……。
――私の意識は……そのまま、また途切れてしまった。
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「参ったな……」
無防備過ぎる寝顔。安心しきって、微笑んでいるかのように見える口元。眼鏡が少しずれていた。
「これが他の者だったら、とっくに……」
――きっと、捕われていただろう。その方が事は簡単に運ぶ。今、この少女には、なんの力もない……ただの、”藤堂みなみ”にすぎない。
だが……。
彼女の手を離し、右手を額に当てる。まだ、熱い。
……”闇の力”をゆっくりと注ぎ込む。ぴくり、と眉を動かしたが……すぐにまた、眠ってしまった。
「やはりな……」
――根源の光をその身に集めた為に、身体の中で光と闇のバランスが崩れている。体内にほとんど”闇”がない。
「人間の身体で、これは……」
闇のブレーキがない光の力が暴走し、焼け焦げそうになっている状態だ。本来の”光の王女”の姿なら、何とかなったかもしれないが……力を封じたこの姿では……。
”闇の力”が光を中和していく。少しずつ頬の赤みが引いていく。
「う……ん……」
むにゃむにゃと、口元が動く。幸せそうな寝顔。思わず微笑んでしまう。
……熱も下がってきたようだ。もういいだろう。
そっと彼女から手を離し、上掛けを直した時、保健室の扉をノックする音がした。
「失礼しますっ」
ガラガラと扉の開く音。振り向いて見ると……そこにいたのは。
「え……黒沢くん?」
――成瀬 夕実。藤堂みなみの親友……そして、光の剣士、アリエル=ブランディアス。
「廊下で倒れた時に居合わせたんだ。先生もいないから、今までついていた」
俺は席を立った。ちらと彼女の顔を見る。……この顔色なら、もう大丈夫だろう。
「ありがとう、黒沢くん。後は私が……」
「ああ」
俺は成瀬に会釈し、そのまま保健室を出た。……右手にまだ残る、柔らかな感触。ぎゅっと右手を握り締めた。
……らしくない……な。
苦笑いした後、俺は廊下を一人戻っていった。
***
「カーット! よかったよ!」
藤沢くんの声と共に、周囲にざわめきが戻った。
「……なに、隠れてるのさ」
川崎くんが、呆れた様に言った。
「だっだっだって……!」
私は上掛けにくるまって悶えていた。
もう、ほんとーに、恥ずかしかったっ!! 日向くんの顔も近かったし、手まで握ったしっ……!
「本当に可愛かったよ~。あれは闇の王子じゃなくても惚れちゃうな~」
「い、言わないで、川崎くんっ!!」
あああ、もう絶対、顔赤いに決まってる……っ!
「しかし、いい加減慣れてこない、みなみちゃん?」
藤沢くんが溜息交じりに言った。
「演技してる時は結構いけてるのに、終わった途端に真っ赤になるんだよね~」
「そっ、それは、余計な事考えないようにしてるから……っ」
上掛けをいきなりべりっと剥がされた私は、思わずベッドの上で転がった。
「かっ、川崎くんっ?!」
「ほら、行くよ? 翔も待ってるし」
保健室のドアの向こうに、背の高い影が見えた。もう心臓が痛い……。
溜息をついて、私は足を床につき上靴を履いた。廊下に出た私を見て、日向くんがぽつりと言った。
「……顔赤いぞ」
日向くんは、いつもと全く同じ……どうして、こんなに冷静なの!?
「……ごめん……」
俯いた私に、はあ、と日向くんも溜息をついた。
「別に謝る必要はないだろ」
日向くんが、右手で私の頭をくしゃっと軽くかき混ぜる。それだけで、心臓が跳ねた。
「ほら、次に行くぞ」
「う、うん……」
まだどきどきしている胸を押さえながら、私はみんなの後を追った。
***
「みのりから『もう、サイコーっ!』ってメールが飛んできてたよ。あの子、フィルム、見たんでしょ?」
「う、うん……」
「なんか、どんどん話が佳境に入ってきたわねえ……」
結局、あの後も撮影撮影で、日向くんに借りたノート返しそびれちゃった……ちゃんとお礼も言えてない……。
「私じゃきっと、みんなの前で演技できないから……」
さーちゃんが言った。
「しーちゃんで良かったんだよね、その役」
「そ……うかな……」
そう言われて……どこか、ほっとしてる私がいる。何だか、よく判らない……自分の気持ちが。
ぴろろん……
着信音が響いた。さーちゃんは、枕元に置いてたスマホを手に取った。
「……日向くんからメール」
「え!?」
うわ、どきっとした。さーちゃんが私を見て言った。
「撮影に追われて、文化祭の仕事ができてないから……明日の土曜日、昼過ぎから日向くんちに集まって作業するって」
さーちゃんがさっさと操作する。
「了解~って返事しといたよ。じゃあ、行って来てね、しーちゃん」
私は目を丸くした。
「……私が行くの!?」
「当たり前じゃない~。まだ治ってないし。みんなに風邪うつしたくないもん」
「……」
そ、それは……そうなんだけど。日向くんの家って……。
「あ、日向くん、川沿い近くのマンションで一人暮らししてるんだ。だから、生徒会で集まる時って、いっつも日向くんちだよ」
「そうなんだ……」
それで帰り、あの川沿いの道を使ってたんだ。慶蘭高校は全国から生徒が集まってくる学校だから、一人暮らしの生徒も珍しくないのかな……。
「じゃっ、準備しよ? 模擬店の書類、集計するんでしょ?」
「う、うん」
「これくらいだったら、私できるよ?」
「私がやるよ。また、さーちゃんが熱出したら困るもの」
ふふっとさーちゃんが笑う。本当に可愛らしいなあ……。
「明日着て行く服も考えないと、ね?」
「え?」
「しーちゃんは、『私』として行くのよっ! 私の納得する格好じゃなきゃだめじゃない!」
……最近私の周り……スタイリストが増えてない!? 玉木くんの次は、さーちゃん!?
「わ、わかった……さーちゃんに、任せる、から……」
きらり、とさーちゃんの目が光った……気がした。うん、きっと、気のせいだよね……。
――結局、さーちゃんが選んだのは……ノースリーブの白のワンピ。胸元と裾に少しレースがついていて、お嬢様っぽい感じ。これに夏物カーディガンを合わせろって。こういうお嬢様っぽい服、あんまり着たことないし。着こなせるかなあ……。
その後、自分の部屋に戻った私は、頼まれていた集計作業をした。なんやかんやで、集計に小一時間ほどかかってしまった。ちゃんと印刷して、USBにもデータ保存して……これで、明日の準備はOK。あ、そうそう、ノートも持って行かなきゃ……。
日向くんの家にお邪魔する。そう考えただけで……
(……なんだか、どきどきする……)
今日、眠れる……かな……。
――その晩、私はなかなか寝付く事ができなかった。