講習会四日目~中庭・生徒会室・さーちゃんの部屋
「……いい加減、覚悟決めたら~?」
どこか楽しげ(で意地悪な)川崎くんの言葉に、私はまだあわあわとしていた。
「そ、そんな事言われてもっ……!」
中庭で、日向くんと扇くんの準備待ちの間、”夕実”(川崎くん)と打ち合わせ……というか、もう、私がどきどきして落ち着かないのを、川崎くんがなだめてくれてるだけかも……。
中庭で撮影するのは、闇の王子が学校を襲い、人間の心を闇に染めてしまうシーン。光の王女に変身した”みなみ”が、初めて闇の王子と対峙する……ところだけど……。
男子部員も呼び戻されて、撮影現場は大所帯になっていた。エキストラの生徒役は演劇部や陸上部の部員達。濃いファンデーションを肌に塗って、どす黒く染まった感じを出してた。
「本当、ひろみのメイクテクはすごいよね~。皆いかにも死にそうに見えるし」
川崎くんが感心したように言うけれど。
「……一番の傑作は川崎くんだと思う……」
私がぽつりと言うと、川崎くんが目を丸くした。
「そーかな? そりゃ自分でも結構かわいいとは思うけど……」
……いえ、結構どころの話じゃないです……
変身後のオレンジがかった髪。上の方で二つにくくって、ピンク色の大きなリボンがついてる。くるんくるんとカールしてる髪に、小さなみつ編みが、ところどころに編み込まれている。緑のカラーコンタクトにピンク色の唇。衣装はピンクのサテン生地に金の刺繍。白のレースで縁取りしてあるところは、私の衣装と同じ。ミニスカートからちら見えする、白レースのペチコートに膝上ブーツ……。
もう、かわいすぎ! このまま、テレビに出てたっておかしくないよ~! 男だって言っても、きっと信じない人がほとんどよね……。
はあ、と溜息をついた私の耳に、玉木くんの声が飛び込んで来た。
「おっまたせ~。闇の王子御一行様の着替えとメイク、終わったわよ~」
ふっと玉木くんの声の方を向いた私の思考は……そのまま停止、した。
……
え……
えええええええっ!?
な、な、なに、あれっ!?
口をぱくぱくさせてる私の隣で、ひゅーと川崎くんが口笛を吹いた。
「きゃああああああーっ!!」
女子部員達の悲鳴に似た歓声が上がる。男子部員も皆、現れた黒ずくめの二人に釘付けになった。
「この衣装、結構暑いな……」
扇くんは、右肩で留めるタイプの黒のマントを見に纏っていた。襟元は詰襟っぽくて、銀色の刺繍が、胸元と袖元にある。ちょっとゆったりめのズボンを膝下のブーツの紐でしばっている。右目に黒の眼帯。頼りになる側近って感じ……。
日向くんは……
……
……本当に、王子様、みたい……
両肩の金の肩章で留められた、裾に金の縁取りがある黒のマント。黒の詰襟の上着に黒のズボン。右肩から左腰にかけて、金の帯を纏ってる。裾には金の刺繍。大きな黒い宝石が真ん中についた、太い金の首飾りをつけてる。派手さはないけど、貴族的な雰囲気を漂わせていて……当然だけど、眼鏡はかけていなかった。
川崎くんが近づいてくる二人に話しかけた。
「二人とも反則だろ~? そんな格好して歩いてたら、女子卒倒するよ」
……今でも、きゃーきゃー言ってる部員の声が聞こえてる……。
「……いや、お前らこそ反則だろ、真悟」
扇くんが私達の一歩手前で立ち止まった。日向くんも……黙ったまま、扇くんの隣で立ち止まった。
な、なんだか、じっと見られてる気が……っ!! うう……は、恥ずかしい……。
ちょっと俯き加減の私に、扇くんが話しかけてきた。
「へえ、金髪碧眼なんだ。沙織ちゃんは」
「そ、そうなの……カラーコンタクト初めてだから、慣れてなくって……」
私は、光の姫君リディアって役だから、ロングの金髪に青い瞳だった。見慣れない自分の姿に落ちつかないけれど……。
「……似合ってると言っただろ」
顔を上げると……真正面の黒王子と目が合った。胸が痛いくらいに……どきどきしてる……。
「日向くん……も、似合ってる……よ」
ちょっと、声が震えてる……。本当に”王子様”だ……。
じっとこちらを見る瞳が……なんだか、熱い。私の頬も熱い。リ、リディアじゃなくても、引き込まれそう……。
(うわ……眼鏡かけてて欲しいっ……!)
目を外せなくて、固まってしまった私と黙っている日向くんの間に、暢気な声が割り込んできた。
「はーい、二人の世界に籠るの、カメラ回してからにしてね~」
「ふ、藤沢くん……」
ふっと日向くんが藤沢くんの方を向いた。私は止めていた息を、大きく吐いた。
(ふ、二人の世界って……っ!?)
何とか立て直した私は、こっちこっち、と手招きする藤沢くんの近くへと移動した。
「はい、皆立ち位置に立って~。あ、そこ、もっと下がって! カメラに映るよ! それじゃあ……アクション!」
――中庭に、ガチンコの音が高らかに響き渡った。
***
「こ、これは……っ!!」
闇の気配を感じて、アリエルと駆け付けた中庭。……大勢の生徒たちが気を失って倒れていた。顔も……手の先までどす黒く染まっている。
「光が消えてる……っ!!」
人間の身体に宿る光が、闇に消されてしまっている。このままじゃ……!!
「リディア! 早く光を! 闇と光のバランスが崩れて、身体が塵になってしまうわっ!」
アリエルの声に私は頷くと、胸元の光の水晶を握り締めた。
「光の王女、リディアの名において命ずる――光の水晶よ、根源の光を今ここに!」
――右手に持った水晶を天にかざす。きらきらと輝く光の粒が、水晶の周りに集まり……そして水晶に取り込まれていった。光が宿った水晶は、強い金色の光を発し始める。
「光の炎よ、闇を焼き払え!」
水晶から、一気に金色の光が溢れだし、周囲は光の炎に呑み込まれた。倒れていた生徒を光炎が包み込み……やがて光は、黒く染まった身体の中に吸収されていった。光が浸透するにつれ、皮膚の色が次第に生気を取り戻す。闇の色は消え……皆普通の顔色に戻った。
私は、ふうっと大きな息を吐いた。――根源の光は、世界全てを創造した元始の光。力も強いけれど……呼び出すと術者の力も奪われる。
足元がふらついた私を、アリエルが後ろから支えてくれた。
「大丈夫? リディア。無理してない?」
「ええ……大丈夫。ありがとう、心配してくれて」
アリエルに微笑みかけた私は、改めてまだ気を失っている生徒達を見た。
「良かった……間に合ったみたいね」
……ほっとしたのも、つかの間だった。
「……さすがは、直系の光の王女。根源の光そのものを呼び出せるとは」
――私とアリエルは、ばっと振り返った。
「何者!?」
アリエルが庇うように私の前に立つ。そこにいたのは――二つの黒い影。
(この人達……っ!)
……この気配。普通の人間じゃない。私は目を大きく見開いた。
「お前達、闇の……っ!」
アリエルが叫ぶのと同時に、そのうちの一人が、私に向かって歩いて来た。
……まるで、蜘蛛の巣に絡まったみたいに、身体が動かない。
「下がってっ……!!」
アリエルが腰から剣を抜き、近づく人物に向かって構える。ひゅ、と風を切る音がしたかと思うと、アリエルの右手に鞭が絡みついていた。
「……お前の相手は、この私だ」
後ろに控えていた隻眼の男が、鞭をぐいと引っ張った。アリエルは一歩よろめいたが、なんとか両足に力を入れ、鞭の力に対抗しようとしていた。
「……っ! 放しなさいっ……!!」
アリエルの動きが封じられている間に、もう一人の影が私に迫ってくる。胸元に飾られた黒曜石の首飾り。そして……その石よりも、もっともっと、深い漆黒の瞳。
力が……でな……。
動けない私の目の前に、背の高い男が立つ。黒ずくめの男は、そっと私の右手を取り、指先に口づけした。唇の触れた指先が……燃える様に熱くなった。
「……初めてお目に掛かります、光の王女リディア=ウィラ=ライディアス。私の名は、グランツ=ディアン=ヴェスタール」
――ヴェスタール。私は声を絞り出した。
「そ、その名前……はっ……!」
ふっと微笑んだその瞳から、私は目が離せなくなった。
「……あなたの祖国、ライディア王国を滅ぼしたヴェスタ皇国の第一皇子です」
「ヴェスタ……の皇子……」
――闇の皇国、ヴェスタ。光の王国を攻め滅ぼした……闇の皇子が何故異世界に!?
呆然と立ち竦む私に、グランツ皇子が手を伸ばしてきた。
――捕らわれる。闇に。動けない。……冷たいのに、優しく甘い闇の触手が、私を捕らえていく。
「あなたに……会いたかった」
優しく低い声。何も考えられなくなる……。
ぼうっとグランツ皇子に向かって踏み出そうとした私を、アリエルの声が押しとどめた。
「リディア……! 目を見ちゃだめ! 闇の力は心を侵食するわ!!」
私ははっと我に返り、グランツ皇子の差し出した右手を振り払った。一歩引いた私を、彼は面白がるような瞳で見ていた。
「何故ヴェスタの王子がこの世界にいるの!?」
グランツ皇子は少し笑った。その笑顔は……どこか寂しげに見えた。
「私の国のように、ここまで滅ぼす気なのっ!?」
いいえ、とグランツ皇子が首を振った。
「私の目的は……人間の光、ではありません」
グランツ王子が再び右手を伸ばし……私の髪に手を触れ、優しく撫ぜた。また身体が動かなくなる。
「あなたですよ、リディア王女」
「……!!」
わた……し?
「全てを創造する光を身に宿せる、唯一の存在。私は、それが欲しい」
グランツ皇子が優しげに笑った。
「これは、契約の証……あなたが私のものになるという」
身体が……動かない。私は目を見開いたまま、グランツ皇子がゆっくりと顔を寄せてくるのを……待っているだけだった。
もう少しで唇が触れ合う――その時、
「リディア!」
アリエルの声が響き、私の呪縛が解けた。なんとか顔を逸らした私の頬に、グランツ皇子の冷たい唇が、当たった。
ふふっとグランツ皇子が笑う。
「……今日はここまでにしておきましょう、私の王女」
グランツ皇子が私から手を放し、「カイザー」と隻眼の男に合図をした。アリエルと闘っていた闇の騎士は、グランツ皇子に頷き、さっとアリエルから鞭を引いた。
「リディア!」
アリエルが私に走り寄り、きっと二人を睨んだ。グランツ皇子はゆったりと微笑み……そして優しく言った。
「では、また……」
グランツ皇子とカイザーと呼ばれた男は、空気に溶けるように姿を消した。
私は茫然としたまま、暫くその場に立ち尽くしていた――。
***
「はい……カーットっ!」
藤沢くんの声に、止まっていた現実の時間が動き出す。
「涼介、お前の鞭さばき、なかなかだったよなあ」
「お前こそ、剣道やってただけあって、なかなかいい構えだったぜ、アリエルちゃん?」
川崎くんと扇くんが感想を言い合う中……私はまだどきどきする心臓を抑えきれていなかった。
な……なんとか、もった……かも。本当にどきどきした。キスシーンも、”したふり”するだけ……だったはず……よね!?
(す、少し、当たった気がするっ……!)
左頬を押さえる。なんだか熱い。
「……お前の演技もなかなかよかったぞ」
びくっと心臓が跳ねる。さっきのシーンみたいに、日向くんが目の前に立っていた。
「あ、ありがと……。日向くんも……」
「俺が、なに?」
そ、そんなに見つめないで。うわ、だめ……マトモに見れない……っ!
「……その、よ、よかった……よ」
思わず俯いて、小声になってしまう。日向くんが「サンキュ」と言う声にも、赤くなってしまう。
「いや~、四人ともすごいよ! 息ぴったり!」
興奮した声を上げた藤沢くんが近寄ってきた。
「カイザーとアリエルの戦いも緊迫感あったし、リディアとグランツも濃密な空気でよかったよ~」
ううう……思い出すと恥ずかしい……。
『あなたが私のものになる』って言われた時……本当に心臓止まったかと……。
頬が熱いまま、顔を上げられない私の耳に、冷静な日向くんの声が聞こえた。
「藤沢、今日の撮影はここまでにしてくれないか。明日小テストがある」
藤沢くんが「OK~」と頷く。
「うちのメンバーにも講習会出てる子多いからね~。了解了解! あとはこっちで編集しとくよ」
止めていた息をふうっと吐いた。ちょ、ちょっと、ほっとした……。
「んじゃ、これで解散~! アニ研部員は片付け後、部室で編集するから残っておいてー」
「「「はい、部長!」」」
日向くんと扇くん、川崎くんが着替えの為に生徒会室の隣にある、物置に行くって言ってる。私は、みのりさんに付き添われて、着替えの為に生徒会室へと向かった。
***
「本当、よかったわよ~。見てて、思わず引き込まれちゃった!」
みのりさんもかなり興奮気味みたいで、ちょっと頬が赤くなってる。
「そ、そうか……な……」
私は脱いだ衣装がしわにならないように、ハンガーにかけた。かつらもカラーコンタクトも外した私は……また”沙織”に戻っていた。
「日向くん、”メガネ王子”って呼ばれてたけど……この映画見たらますます王子様扱いになるわよね~きっと」
みのりさんのセリフに、私も頷いた。
「う、うん。そう思う……」
――だって、本当に王子様だったもの。きっと、今日の女子部員みたいに……皆寄っていくんだろうなあ……
(……あれ?)
私は……ちょっとちくっと痛んだ胸を右手で押さえた。
「でも、日向くんと詩織ちゃん、お似合いだったわよ? 藤沢くんも言ってたけど、息ぴったりで……こちらまでドキドキしたもの」
「……」
もう、演技とかじゃなく、単に日向くんに引きずられてるだけかも……知れない。
ううう、と唸ってる私の後ろで……コンコン、とノックの音がした。
「はーい」
私がドアを開けると……制服姿の日向くんが立っていた。あ、よかった、眼鏡かけてる……。なんかちょっと、ほっとした。
「真田、これ……」
日向くんがノートを差し出した。首を傾げながら、そのまま受け取る。
「明日の小テストの範囲をまとめてある。お前、調子悪くてあまりノートとれてないだろ」
日向くんの言葉に、思わず目を見張った。
「あ、ありがとう……。でも、いいの? 借りちゃって」
「俺はもう覚えてるから。じゃ、また明日」
みのりさんにも軽く頷いて、日向くんはすたすたと立ち去った。
「うわ~。本当に気が利くわねえ、日向くん」
感心したように、後ろからノートを覗きこんだみのりさんが言う。
「うん……」
なんだろ……。すごく気を遣ってもらってるのに……とても悪い事してるみたいで……胸が痛い……。
……だって
日向くんは、『さーちゃん』に親切にしてるつもりなんだよね。
こうやって、優しくしてもらえるのは、本当は『さーちゃん』のはずだったんだよね……。
『私』には……
そんな資格なんか、ないのに……。
ノートの表紙に書かれた、綺麗な文字が少し滲んで見えた。
「どうかした?」
「ううん」
私はみのりさんに首を振って、ノートを自分の気持ちと一緒に…・…鞄にしまい込んだ。
***
「みのりからメールもらったよ。映画の撮影、すっごくよかったって」
さーちゃんが、にこにこ笑う。ベッドに腰掛けた私は、ちょっと目を逸らした。
「う、うん……ありがとう」
「……で、これが貸してくれたノート?」
さーちゃんが日向くんに借りたノートをぺらぺらとめくる。
「うん……今から勉強しようと思ってる」
ノートをぱたん、と閉じて、ふう、とさーちゃんが溜息をついた
「本当、日向くんって几帳面というか、真面目というか……すごくわかりやすく、まとめてあるよ? 多分、先生に細かい範囲聞いたんじゃない?」
そう言われて、教室での一コマを思い出した。
「……田代先生に呼ばれて、職員室に行ってたっけ……」
あの時に? 考え込む私に、さーちゃんがさらっと言った。
「せっかくの親切だし、ありがたく甘えたら? しーちゃんは、ちょっと心苦しく思うかもしれないけど」
「うん……」
私は、さーちゃんからノートを受け取り、腰を上げた。
「じゃあ、部屋で勉強するね。さーちゃんもちゃんと寝てね?」
「うん、私は大丈夫だよ。ずいぶん楽になったし」
――ずきん
少し、胸が痛んだ。
さーちゃんが元気になったら……もう、行く事もないんだよね。
元々、ニ週間だけっていう約束なんだから。こんな風に思うなんて、間違ってるよね……。
――あの中に……もう少し、一緒に、いたいって。
私はノートを胸に抱きかかえたまま、さーちゃんの部屋を後にした。