講習会三日目~校庭・さーちゃんの部屋
なんか、今日も一日で、ものすごーく疲れた気が……する。
校庭の隅にある手洗い場で、ばしゃん、と顔に水を掛けた。日差しはやや傾いて、影が長く伸びていた。
「ふう……」
ちょっとすっきりしたかな……。
職員室での撮影を終えた後、メンバーは解散。藤沢くん率いるアニ研は、この後早速編集するって言って、部室に籠ってしまった。生徒会のメンバー(主に川崎くん)も着替え中。
首にかけたタオルで顔を拭きながら、私はさっきまでの事を思い返してみた。
(だんだん『さーちゃん』じゃ、なくなってる気も……する……)
あっちこっちに振り回されて、『さーちゃん』だったら? なんて考えてるヒマがない。なんとか『みなみ』を演じてるから、ちょっといつもと違う? っぽい感じになって……るかなあ……。
タオルを首から垂らしたまま、手洗い場のでっぱりにちょっと腰を掛け、私はぼーっと空を眺めていた。ところどころオレンジ色に染まった雲が、ふんわりと流れて行く。
――いきなり、ぬっと空が隠れた。私は目をぱちくりさせた。
「……山城くん?」
「……おう」
いつの間にか、目の前に山城くんが立っていた。全然気がついてなかった。私は水飲み場から腰を上げて、山城くんを見上げた。夕日を浴びた山城くんの髪は、金髪に近い色合いになっていた。
「左頬大丈夫? 痛みない?」
山城くんが、湿布に手を当てる
「……まあ、痛てぇけど。だいぶまし」
あー、やっぱりちょっと腫れてきたなあ……。私は山城くんに同情の目を向けた。
「もう、帰ったと思ってた。出番、先に終わったでしょ?」
「……」
山城くんが辺りをきょろきょろと見回す。誰かを探してるような仕草に、私は首を傾げた。
「あいつらは?」
……皆の事?
「藤沢くんやアニ研の人達なら部室だし、川崎くん達は、生徒会室で着替え中よ」
「そうか……」
暫く山城くんは黙ったままだった。動く様子のない山城くんに、ますます『?』マークが私の頭を飛び交った。
……ふいに山城くんが、真剣な目をして……私に言った。
「お前に聞きてーんだけど」
「なにを?」
一瞬、空白が空いた後……山城くんがぽつり、と言った。
「……お前と日向って、付き合ってんのか?」
……え
…………ええ
…………ええええ
「ええええええええええええええええっ!?」
思わず大声が出た。いっ、今、なんて言ったの、山城くんっ!?
(ひゅ、日向くんと……つきあ……っ!?)
驚きのあまり、言葉が出なくて口をぱくぱくさせてる私を見て、山城くんの顔がちょっと緩んだ。
「お前のその顔からいったら、そうじゃねえみたいだな……」
「わ、私、今、どんな顔してるのっ!?」
「『鳩が豆鉄砲食らった』ってゆーコトワザ通りの顔」
豆鉄砲どころか、大砲でも食らった気分よっ!!
「だっ、だっ、だって……いきなりそんな事聞くからでしょーがっ!!」
かあああっと顔に血が上る。一体、何が、どうやって、そんな話にっ!! 私は、あわあわとうろたえる事しかできなかった。
そんな私を尻目に、山城くんが言葉を続けた。
「それじゃ……さ」
山城くんがちょっと構えて……第二弾の爆弾を落とした。
「……日向が告ってきたら、お前、付き合うのか?」
え……
……身体が完全に固まった。心の中で、山城くんの言葉を呆然と繰り返す。
(日向くん、が……こく……っ!?)
ええええええええええええええええっ!?
「む……」
やっとの思いで、言葉を絞り出す。
「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理、絶っっ対、無理っ!!」
掠れた声で叫んだ私は、首をぶんぶんと横に大きく振った。
「すげー拒否りかただなー……」
という山城くんの呟きが聞こえたが、そんな事に構っていられなかった。
「そそそ、そんな事、無理に決まってるじゃない!!」
山城くんは、追及の手を緩めてはくれなかった。
「なんでだ?」
なんで!?
「だっ、だっ、だって……!!」
……絶対心臓が持たないに決まってる……っ!! 今だって、傍にいるだけで、ものすごい圧力感じるのに……っ!!
(……それに)
ふっと、もう一人の『私』が言った。
『もし、日向くんが、私にそういう事、言ったとしても……』
『それは、”私”にじゃない』
『さーちゃんに、だもの』
(……胸、痛い……)
ぎゅっと胸の前で右手を握りしめ、ちょっと黙り込んだ私を見た山城くんは……少しだけ笑った。
「じゃあ、さ」
山城くんの瞳が……真剣な眼差しになる。私は視線を外せなくなった。
「……俺が告ったら、どうする?」
「・……へ?」
一瞬、何を言われてるのか、判らなかった。ぽかん、と口を開けたままの私に、山城くんがゆっくりと言った。
「……お前が好きだって、言ってんだけど」
……
…………
…………え
「えええええええええええええええっ!?」
二度目の大声が上がった。い、今、信じられないようなセリフが聞こえたけどっ!?
真っ赤になった私に、ちょっと照れたようにやや俯いた、山城くんの首筋が妙に印象に残った。
「……いろいろ憎まれ口叩いてたけどよ」
「……」
「……本当は、前から気になってたんだ……お前の事」
「……」
「だけど、とっつきにくいってゆーか、避けられてるってゆーか、そんな感じだったから、マトモに話した事もなかったしな……」
「……」
「俺も絡んでばっかだったし……」
「……」
「でも、これ」
山城くんが左頬の湿布を指差した。
「これ貼ってくれたお前だったら……今なら言えるかもなーって……」
「や、ましろ……くん……」
掠れ声しか出なかった。……私は、彼の前で、深く頭を下げた。
「ごめん……なさい……」
ふう、と山城くんが溜息をついた。
「まあ、どうせそうだろうなーって、思ってたぜ」
山城くんがふりふりと右手を振った。
「ま、気にすんなって。俺が勝手に言った事だしな」
山城くんの言葉が、鋭く胸に突き刺さった。
……ううん、そうじゃない。そうじゃないの。
『私』は、山城くんが、好きな女の子じゃないの。
ちゃんと、言ってくれたのに
打ち明けてくれたのに
本当の事、言えない
心に応えられない
すごく……胸が、痛い。
「……ごめ……ん……」
ぽろぽろと涙が零れ落ちた。ひっく、としゃくりあげる私を見て、山城くんが、慌てたように言った。
「な、泣くなって! べ、別に俺は泣かすつもりじゃ……」
「う、う……」
涙が次から次へ零れ落ちる。ぎゅっと唇を噛んで、なんとか声を出さないようにした。目を瞑っていた私がふっと目を開けた時、おろおろする山城くんが目に入って……ようやく、涙が止まった。
「か、顔洗えよ」
こんなうろたえた山城くんを見るのは初めてだった。ちょっとだけ無理して笑った。
「……うん……」
ごしっと右手で涙を拭い、もう一度、蛇口から水を出して、顔に水を思い切りかけ、タオルで顔をごしごし拭った。
右手でおでこを抑えた山城くんが、小声で言った。
「いや、本当泣くのはカンベンしてくれよ……。俺、日向に殺されるかもしれねーしよ……」
「……え?」
なんで、今、日向くんの名前が?
……疑問符を頭の上に浮かべたままの私の顔を、じーっと見た山城くんは、はああと重い溜息をついた。
「こりゃ、大変だな……あいつも」
「大変って……?」
だから、何が? さっきから話が見えないんですけど。
山城くんが笑った。……笑ったら、結構かわいい顔してたんだ。そんな事を思った。
「教えてやらねー。自分で解いてみるんだな、学年ニ位の秀才さんよ?」
にやっといたずらっぽく笑った山城くんが、こっちにすっと身をかがめてきた。
――え
ふっと左頬に触れた……柔らかい、感触。
「……!!」
我に返った私は、真っ赤になって左頬を抑えた。
「い、い、今っ……!!」
ほっぺたに、唇、当たったよね!? 再び口をぱくぱくさせた私に、また山城くんがにやっと笑った。
「これのお礼」
山城くんが自分の左頬を指差した。
「あっあっ、あの……!!」
インフルエンザにかかった時だって、こんなに顔熱くなかったんじゃない!? 何が何だか、訳が判らない。
山城くんが身を起して、うろたえている私を見ながら、けらけらと笑った。
「こんくらいにしといてやるよ。俺も命が惜しいからな」
じゃーな、と言って、山城くんはグラウンドのネット沿いに校門の方へ歩いて行った。
どのくらい、呆然とその場に突っ立っていたのか……ただただ、熱い左頬を感じていた私の耳に、後ろから低い声が響いて来た。
「……何をしてる」
「ひゃっ!!」
思わず、前に一歩飛びのき、後ろを振り返った。いつの間にか……日向くんが真後ろに立っていた。
「ひゅ、日向くん!? びっくりさせないでよ!」
「……」
……沈黙
うっ……く、空気が重い……。
じっと私の顔を見てた日向くんが、右手をつと伸ばした。大きな手が左頬に触れる。長い指が目元を撫ぜる様に掠めた。
「お前……泣いてたのか?」
「え……」
「……少し、目が赤い」
じっと私を見つめる、眼鏡越しの瞳。視線が、熱い。手のひらも……熱い。
「あ、あの……目が痛くって……」
日向くんの目がすっと細くなった。明らかに疑ってる。
「今日、お前が途中からかけてた眼鏡、度が入ってないだろ」
……ど、どうしよう……誤魔化しきれない……。
私が言葉を探してると、日向くんの顔つきが少し厳しくなった。
「……山城の……せい、か?」
「ち、ちが……っ!!」
日向くんの瞳の色が変わった……気がした。
「あいつ……っ!」
今にも山城くんに殴りかかりそうな雰囲気に、思わず叫んだ。
「ま、待って!」
両手で、目の前の日向くんのシャツをぎゅっと掴む。
「ち、違うよ! 本当に何でもないんだったら!」
夕方の風がさあっと吹く。風になびいた私の髪が、日向くんの腕に触れた。日向くんが、自分の胸元を掴んでいる私の手を見る。日向くんの体温が伝わってくるぐらい、近くに……立ってる。
動けない……
……言葉も……出ない……
――どのくらい、そのままでいたのか、判らない。
……日向くんが黙ったまま……うにっと私の左頬を思い切りつねった。
「にゃ、にゃにふるのようっ!!」
ふん、と横を向いて、日向くんが右手を放した。ちょっとよろけながら、日向くんから離れる私。
「いた……」
左頬を押さえる。思いっ切りつねったわねっ!!
思わず日向くんを睨むと、向こうもこっちに負けじと睨んでいた。
日向くんが、強い視線のまま、ゆっくりと言った。
「……お前、隙があり過ぎだろ」
「な、なによっ! いきなりつねったくせに、隙があるって!!」
はあ、と日向くんが溜息をついた。どこか疲れた様な表情をしてる。
「俺が言ってるのは、そういうことじゃない……」
ぷうと頬を膨らませた私を見た日向くんが、ぽつりと言った。
「さっさと眼鏡とマスク、かけたらどうだ」
彼はそのまま、くるりと踵を返し、校舎の方へと立ち去った。
(一体、なんだったの、今のはっ!?)
単に、ほっぺた、つねりに来ただけ!? なんなのよっ!?
何が何だか、よくわからないまま、私は日向くんの後ろ姿を見送った。
***
「うーん……」
さーちゃんが考え込んでる。私はさーちゃんに謝った。
「ごめん、さーちゃん……。あまり考えずに、山城くんの事……」
ひらひらと、さーちゃんが右手を振って言う。
「ううん、私だったとしても、同じ事言ってたから。気にしないでね、しーちゃん」
さーちゃんの顔色、ずいぶん良くなったみたい。もう熱とかないのかなあ?
「さーちゃん、もしかして、もう大丈夫なの?」
「……」
さーちゃんは、目を瞬き……ゆっくりと言った。
「まあ、熱は下がったみたいだけど……」
ちょっと、こほこほと咳き込む。
「今、無理したらだめだって。完全に咳が取れないと」
「そ、そう……」
さーちゃんの返事を聞いた私は……溜息をついていた。
(……あれ?)
……私、今ちょっと……ほっとした?
(どうして……)
治りきってないさーちゃんが、学校に行くのが心配だから? それとも……
さーちゃんを見ると、ベッドの上で大きな瞳をくりんと回して、むむむ……と考え込んでいた。
白くて細い指。華奢な体つき。さらさらのストレートな黒髪。小さい頃から体の弱かったさーちゃんのこと……本当、絵本に出てくるお姫様みたいだって思ってた。
かわいい、護るべき妹。
そう……
私は、さーちゃんの、おねーちゃんだもの。
だから……
――一瞬背の高い影が、心をよぎった。
――ちくん
「……?」
そっと、胸に右手を当てる。……馴染みのない、感覚。今まで知らなかった……何かが、そこにあった。
さーちゃんが、ベッドに腰掛けて黙り込んだ私を見た。
「……どうしたの? しーちゃん」
私はちょっと頭を横に振った。
「……なんでもないよ……」
……私はそのまま、今日の出来事をさーちゃんに話した。
……山城くんにキスされて……日向くんにつねられた左頬の事は……心の中に置き去りにした、まま。