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KURONEKO  作者: 天猫紅楼
9/19

涙と微笑み

『おいおい…… さすがに病院に黒い服は不謹慎だろう……』

 向こうから歩いてきた黒づくめの人物=坂野は、いつもと同じ黒のタンクトップにデニムのジャケットを羽織、黒のミニスカートで黒のショートブーツという出で立ちでゆっくりと歩いてきた。 やがて彼女は、廊下に立ち止まって唖然としている俺に気付くと、少し驚き戸惑う表情をした。 そして声の届くところまで来て立ち止まると

「話……いい?」

と控えめな声で言ったので、俺は丁度近くにあった談話室に促した。

 

 パイプ椅子が数脚と長机、隅っこには血圧計や予備の机などがあり、壁には小さなテレビがついていて、暇を持て余す初老の男性が、端の椅子に座ってぼんやりと見ていた。 長机の一角にあった椅子に座ると、坂野は静かに対面に立った。

「座って」

と前の椅子を指差すと、坂野は少し躊躇しながらゆっくりと腰を下ろした。 さっきからずっと俯いたままの坂野に

「来てくれてありがとう。 もしかして、坂野の所にも警察が……?」

と探り探り尋ねると、坂野は小さく頷いた。

「そっか……ごめんな、余計な心配かけちまったかな?」

 笑うとまだ痛い腹筋を押さえながら、いてて……とおどけながら苦笑いをすると、坂野はゆっくりと顔を上げて俺を見つめた。 眉を寄せて、潤む瞳を揺らしていた。

「ごめんなさい……」

 か細い声で言った。 いつもの、気勢の張った口調とはまるで違っていた。 みると、膝に乗せた両手が小さく震えているのが分かった。

「どうした坂野?」

 その表情をもっと知りたくて覗き込もうとすると、坂野は再び俯いて

「あたしのせいで……こんな怪我を……」

と肩をすぼめて固くなった。 まるで今すぐ殴られる覚悟をしているかのように、歯を食い縛っていた。 俺は小さく息をついた。

「いや、坂野のせいじゃないよ。 俺が勝手に送って--」

「あんな時間までフラフラなんかしてたから……」

「だから違うって……」

 坂野は俯いたまま、激しく首を横に振った。 俺はゆっくりと手を伸ばして、その小さな頭を優しく撫でた。

「えっ!」

 驚いたように顔を上げる坂野に

「気にしなくていいんだ。 坂野のせいじゃない」

と言い聞かせるように言うと、視線を逸らして困惑した顔をした。

『ずっと、自分を責めていたのかもな。 あの時、俺に送ってもらったりしなければ、俺が襲われることもなかったんじゃないかって』

 俺はふと思いついて、

「ちょっと待ってて」

と坂野をそこに待たせたまま談話室を出た。 そしてナースステーションで紙とペンを借りると、自分の携帯電話の番号を書き込んだ。 それを軽く折り畳むと、談話室でおとなしく座っていた坂野に手渡した。

「え……?」

 戸惑い見上げる坂野に、

「ホントにもう気にするな。 それよりさ、何かあったらそこに連絡くれよ。 色々大変なんだろ、家?」

と言うと、彼女は途端に口を押え、見る見るうちに目に涙が滲み出した。

「えっ! おい、俺、何か良くないこと言ったか?」

 慌てる俺に、坂野はかぶりを振ってまた見上げた。

「違うの……違う……」

 坂野は小さくそう言いながら、涙を手のひらですくうように拭くと、立ち上がって俺と向かい合った。 その時

「面会時間、終わりですよ~」

と、看護士の穏やかな声が聞こえた。 それを聞いた坂野は

「じゃ……帰る」

 とまた俯いた。

「今日は、ありがとうな」

 まだ涙を拭いている坂野の様子を伺い見ていると、彼女は少し顔を上げた。 そして小さく

「ありがと」

と言った後、僅かな微笑みを見せた。

『笑っ……た?』

 目を見張る俺からまた視線を逸らすと、小さくお辞儀をするように頭を下げて足早に談話室を出て行った。

 

『あいつ、笑ったよな、確かに……?』

 自問自答しながら自分のベッドに戻り布団に入ると、カーテンで仕切られた隣から声が聞こえた。

「何人も女の子を泣かすのも、どうかと思うけどねえ、男として」

「えっ!」

『オッサン、隠れて見ていたのか?』

 俺は返事のように小さく咳払いをすると、掛け布団をずり上げた。 目を閉じると、さっきの坂野の顔が浮かび上がって仕方がなかった。 まるで瞼の裏に染み込んだように、瞬きをするたびに投影される微笑みに、俺は何故か激しく動揺していた。

 

 

 

 若いってのは、こういうところで発揮されるんだろう。 驚異的な回復力を見せつけた俺は、それから一週間ほどで退院した。 

 そしてしばらく自宅療養したあとに、学校へと足を運んだ。 右足はまだギブスをしているので松葉杖を手放せず、移動もままならない状態だったが、唯や谷口やクラスメイトたちが手を貸してくれた。 こんな状態になって初めて、障害を持つ人の気持ちが痛いほど分かった気がした。 

 だが、飯の時と用を足す時だけは、手助けを拒否した。 面白がって谷口たちが

「はい、弘志くん、あーーん」

とパンをちぎって口の前まで持ってくる。 唯にしてもらうのも照れ臭いのに、汗臭い男どもにやられると食欲が無くなる。 言っておくが、俺はかろうじて両手は動かせるのだ。 

 気付くと俺は、そんな取り巻きの隙間から、坂野の姿を追っていた。 

 坂野は以前と変わらぬ様子で、いつも窓際の席から外を眺めていた。 俺がクラスの有名人のように人だかりが出来ているのとは正反対に、坂野は相変わらず一人で皆の輪から離れていた。 

 

 

 やがて落書きだらけのギブスが外れると、俺はノエルサウスへと足を運んだ。 とりあえず電話で連絡はしていたが、一度会って話をしなくてはと思っていたからだ。 店長も一枚噛んでいたわけだし、彼は何も言わなかったが、もしかしたら店に警察が訪れて店に迷惑をかけていたかもしれない。

『一言謝らなくちゃ』

 ギブスが取れたとはいえ、まだ以前のようにスムーズに動かない足を引きずるようにノエルサウスの前まで来ると、【営業中】の札を確認して、扉を開いた。

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