思いがけない入院生活
俺の病室の扉には【面会謝絶】と札が掛かっていたらしい。
誰も見舞いの姿はなかった。 時折、母親から伝え聞く唯や谷口からの伝言に、心が緩んだ。
『俺が悪いわけじゃないけど、皆には心配かけてしまったな……』
動けない身体を恨めしく感じながら、元気になったら何かでお詫びしなくちゃな、と密かに思っていた。
それからしばらく経つと声も普通に出せるようになり、俺の周りはとたんに騒がしくなった。
まず警察が来て、事情聴取というものをされた。
最初から説明するのは結構難しかった。
なにしろ、何時頃どこで誰とと事細かく説明を強いられるのだ。 どうやらあの二人は傷害の容疑で身柄は確保されているらしい。
あの時、偶然通りかかった近くの住人がこっそりと警察へ通報し、二人は逃げる暇もなく捕まえられたらしい。 そして病院に運ばれた、意識の無い俺の財布の中にあった学生証から家に連絡が行き、母親が駆け付けたというわけだ。
「全身に寒気が走ったよ」
と、母親の知らせを聞いて駆け付けた父親も、慌てた様子で入った病院のベッドに寝かされている俺の全身包帯姿に目を丸くしていた。 いつも寡黙な父親も、さすがにあれこれと俺に説明を欲した。
全治三ヵ月。
始業式には到底出られないな。 ま、夏休みがしばらく伸びたと思って、のんびりと構えよう。
九月になっても昼間の太陽は、相変わらず容赦のない強烈な日差しを降り注いでいる。
一般病棟に移動した俺は、まだ動きのぎこちない体でゆっくりとレースのカーテンを閉めた。 ベッドに座り直す俺の視界に、人影が映った。 病室の入口に張りつくようにそっと覗いていたのは、唯だった。
「唯、来てくれたのか!」
俺は思わず声を上げた。 四人部屋の患者たちが、ふっと顔を上げた。
「あ、すみません。 唯、こっち」
小さく手を振って手招きをすると、唯は唇をきゅっと閉じて、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「弘志くん……」
まるで亡霊を見るかのようにオドオドしながら近づいてきた唯を、傍らの椅子に促すと、
「来てくれて嬉しいよ! ありがとう」
と笑顔を見せた。 なにしろ、家族以外の初めて来てくれた見舞いが唯だったことに、嬉しさを感じないわけがない。 だが唯は相変わらず口をつむってじっと俺の顔を見つめている。
「どうしたの?」
と尋ねると、唯はいきなり
「はうんっ!」
と大きな息を吐きだした。 そして涙をボロボロ零しながら
「心配したんだから!」
と擦れた声で言った。
唯の話では、俺の話を聞いた警察が、そのあと唯の家へも行ったらしく、それで知ったらしかった。 面会謝絶の部屋で動けない俺からはしばらく連絡も出来なかったし、わざわざ親に頼むわけにもいかなかったから、今日辺り、ロビーの公衆電話から連絡しようかと思っていたのだ。 正直、唯からの伝言を聞くだけの日々は、すっきりしないものだった。
「ごめんな、びっくりさせちゃったな」
ポンポンと頭をやさしく撫でてやりながら、唯に謝った。
「でも良かった……」
唯は涙を拭きながら、見上げた赤い目で少し微笑んだ。
「手も足も、ちゃんとあって……」
『どんな酷い想像してたんだよ?』
俺は苦笑いをして頷いた。
それからしばらくの時間、唯は居てくれて、それだけでも心が和んだ。
正直、一人で居るのは心細いのだ。 親も帰ってしまったし、まだ充分に動けない俺にとっては、寝るか食うか話すかしかない。 他愛無い話でも、有難いものだった。
やがて外が暗くなった頃、唯は帰っていった。
「また来るから」
その一言が、どれだけ励みになったことか。 唯が彼女で本当に良かった。 隣の年配の男性が、
「彼女ですか?」
と小さく尋ねてきた。 俺は
「はい」
と自慢げに答えると
「病人や怪我人にとって、心の拠り所っていうのは精神的にとても左右するもんなんですよ」
と羨ましそうに語った。 そう言えば、この人に見舞いに来る人って、今日は見ていないな。 だいたい一日か二日置きくらいに、奥さんらしい女の人が花を替えに来るくらいだ。 淋しさを満面に出して、隣の男性はベッドに沈み込んだ。
やがて面会時間も終わりに近づき、今晩も長い夜が始まる。
こんな早い時間から眠れないし、何かをやるにしても手足がままならない俺は、かろうじて窓際の席だったことを感謝した。 ここから見える夜景を見ながら、唯の思い出に浸ろう。 彼女が来てくれたことが、かなりの確率で俺の支えになっていた。
長い夜に備えてトイレにでも行っておこうと、まだ不慣れな松葉杖をついて病室を出ると、節電のためにすでに薄暗い廊下をゆっくりと歩いた。 何人かの看護師や患者たちが歩いている中を、向こうから黒づくめの人影が歩いてきた。 俺は、思わず目を見張った。




