夏の夜に黒猫捕獲
「来るなら一言言ってくれれば良かったのに。 びっくりしたわ!」
唯は突然の訪問に驚いた顔をしたが、それでも嬉しそうに笑顔を見せながら駆け寄ってきた彼女を抱き留めて、
「びっくりさせようと思って来たんだからな。 良かったよ、驚いてくれて」
と笑った。 唯は、パッチリした黒目がちな瞳で見上げると、
「意地悪!」
と俺の頬を軽くつねった。
「バイト代貰ったんだ。 今から、何か食べに行かない?」
と誘うと、唯は大きく頷いた。
バスに乗って隣町に行くと、入ったことの無いイタリアンレストランに入った。
予備知識もなく、思い切り背伸びする形で行き当たりバッタリに入った店だったが、なんとか唯の前で恥をかくことは免れた。 店内もオシャレな飾りつけで、堅苦しすぎなかったことが救いだった。 考えてみりゃ俺たち、高校生だからな。
「ワインはいかがなされますか?」
などと尋ねられようものなら、慌てて店を出るところだった。 そして何より、唯の笑顔が絶え間なく見られたことが、俺には幸せで仕方なかった。
「今日はありがとう! 急で驚いたけど、すごく楽しかったわ! また、デートしましょ」
唯を家の前まで送って名残惜しくキスを交わすと、俺は家路についた。
夜とはいえ、暑さは昼間に負けていない。 この日本特有の湿気に富んだ暑さはなんとかならないのだろうか? 唯といるときはすっかり忘れていた暑さに参りながら、俺は足取り重く歩いた。 駅前商店街は大半が店を閉めていて、人もまばらだった。 俺も早く帰ってエアコンの利いた部屋でのんびりしたいと、急ぐことにした。
すると、不意に誰かが俺に声をかけた。
「あれ? 弘志じゃん!」
見ると、谷口が友人二人といた。
「おう!」
手を挙げて返すと、谷口は何かに気付いたようににやりと笑った。
「もしかして、デート帰りか?」
その顔に何故かイラッとした俺は
「そうですけど、何か?」
とぶっきらぼうに返した。 谷口はやっぱりな、と口笛をひとつ吹いて
「仲がおよろしいことで。 俺も今日、給料もらったから、今遊んでたところだ。 キミも一緒にどう?」
と嫌味っぽく言うので
「俺は帰る。 こんな暑い日に、外でフラフラしてるほうがどうかと思うけどな」
と言い返し、谷口の肩を叩いた。
「じゃあな、また学校で!」
そう言ってすれ違った俺に、谷口が思い出したように振り返った。
「そうだ! さっき坂野見たぞ! 一人でフラフラしてた!」
「なんでそれを俺に言うんだよ?」
咄嗟にそう言った俺に、谷口はあぁ、と舌を出した。
「そっか、関係なかったな。 ま、気にするな。 じゃ!」
谷口は笑いながら言うと、手を挙げて友人たちと去っていった。
「なんだあいつ?」
俺も家に帰ろうと歩き始めたが、どうも今の谷口の言葉が気になって仕方なくなった。
「あいつが変なことを言うから……」
と呟きながら汗ばんだ髪の毛をがしがしと掻き毟った。 だが気になるとはいっても、坂野がどこにいるかなど見当が付かない。
でも昼間のこともあるし。 気持ちはなんだか、もやもやしたままだ。 どうしようもない気持ちを引きずったままで、俺は家路に着いた。
「まったく……こんな時間までフラフラしてるって、家族は何も言わないんだろうか? 俺だって、唯の家族が心配しないように、早めに帰したんだぞ」
等とぶつぶつ言いながら歩いていると、なんと坂野の姿を見つけてしまった!
なんたる偶然か。
それでも俺には関係ない話だし、無視して帰ろうと思えば帰れたはずだ。 でも……。
「坂野っ!」
声をかけてしまった……どこまでお人好しなんだ、俺は。
坂野は昼間と同じ格好で、人込みもまばらな商店街の中を、ウィンドウショッピングのようにゆっくりと歩いていた。 たいして驚いた感じもなく、俺に顔を向けた坂野だったが、すぐに何でもなかったかのように歩き始めた。
「おいこら! 今俺の方見ただろ? 気付いただろ?」
「それが何か?」
近寄って詰め寄る俺に冷たく返し、再び歩きだそうとする坂野の腕をつかんだ。 こいつの腕を捕まえるのは、もう何度目になるんだ? でもこうしないと、すぐに姿を消そうとするから仕方ない。
「もう! 何?」
物凄く迷惑そうに眉をしかめる坂野に、俺は深いため息をつき、ゆっくりと言った。
「ま、茶でも飲みながらゆっくり話さないか?」
とはいえ、この時間に開いている店など皆無に等しい。 なんせこんな片田舎じゃあ、夜八時に締まる店が当たり前だからだ。
結局、缶ジュースを手に、あの小さな公園のベンチに座ることになった。
小さな外灯に照らされた遊具や植え込みや数本の木々が静かにたたずみ、時折吹く生暖かい風がわずかに葉を揺らしていた。 その風も体温を奪うほどの力はなく、流れ落ちる汗が頬をくすぐった。
「で、話って?」
坂野は、奢ると言ったのに今回もまた自分の金で買ったジュースを口にしながら、こちらも見ずに言った。
「えっと……こんな時間まで何してたんだ?」
「……」
坂野は、無言で俺を見た。 まるで
『そんなことを聞きたいの?』
とでも言いたげな怪訝な瞳は、俺の胸をぐさりと刺してきた。
「いや、だってさ、この間の奴らがうろついてるかもしれないだろ? 危ないとか怖いとか思わないのか?」
すると坂野はふっと俯いた。
「別に……」
缶ジュースに歯が当たった音が小さく聞こえた。 坂野は、軽く缶の口を噛んでいた。
「でもさ、家族とか心配するだろ? こんな時間まで一人でいたら……」
「家族なんていない」
「えっ?」
俺は聞いちゃいけない事を口にしてしまったかと焦った。 坂野は、缶ジュースの口に唇を付けたまま呟いた。
「家族じゃないし……」
「坂野?」
その時、坂野ははっと我に返ったように目をしばたかせて、ジュースを一気に飲み干した。




