裏切り
「坂野は?」
休憩時間に、谷口に尋ねたが、
「オレを突き飛ばしていったっきり、戻ってこねーよ。 一体何を考えてんだか? カバンも置きっぱなしなんだぜ。 ホントに変なヤツだよな!」
と逆に愚痴を言われた。 仕方がないので、一応放課後まで我慢して、坂野を探すことにした。 カバンも置いて、どこに行ったのか……思い当たる節はいくつかあった。
ノエルサウス。
唯を家まで送り届けたあと、その足でノエルサウスに向かった。
唯にも坂野にぶたれる心当たりはないというし、アイツが何故あんなことをしたのか、本人に聞かなくてはと、それだけだった。
あんなに仲が良かった二人を、坂野は自ら壊したんだ。 唯のショックも大きいようだった。
俺は足早にノエルサウスの扉を開けて、素早く店内を見回したが、坂野らしい人影は見当たらなかった。
「坂野、来てない?」
店長に尋ねたが、首を横に振るだけだった。
「裏に隠してるとか、無いよね?」
「疑いますねえ」
店長はたいして嫌な顔もせず、穏やかに笑った。 こっちが息急き切って走り込んで来てるのに、思い切りマイペースな人だな、全く……。
「本当にいませんよ。 裏にも、どこにも。 何かあったんですか?」
のんびりとカップを拭きながら尋ねる店長に、
「また今度、話します!」
とだけ残すと、急いで店を出た。
「一体どこに行ったんだ?」
そんなことを何度も呟きながら、俺はいつの間にか商店街にいた。
『あ……公園……』
俺はふと思い出して小さな路地を曲がった。 坂野をつけてきた日、偶然見つけた公園。 狭くてわずかな遊具しかない、いつ来ても人の気配もない公園。
「いた……」
俺は逸る気持ちを押さえて公園に入った。 坂野は、あの時と同じようにベンチに座って、野良猫と遊んでいた。
「坂野……」
極めて優しくかけた俺の声に驚いた子猫が、坂野の膝から慌てて飛び降りると植え込みのなかへ消えていった。
「あぁあ……」
坂野は残念そうに手を払いながら、子猫が消えていった植え込みを見つめた。
「『あぁあ』じゃねーよ」
俺は坂野の隣にどっかと座って、彼女のカバンをその膝に乗せた。
「なにもかも放って、何やってんだ? お前のカバン、意外と重いんだな」
坂野は膝に置かれたカバンを見つめ、何も答えなかった。
「一体、何があったんだよ? なんで唯を叩いたりなんかしたんだよ?」
「……」
「ノエルサウスにも居ないし、あちこち走り回って探したんだぞ?」
「何で?」
「えっ?」
「あたしを探して、どうするつもりだったのよ?」
「どうするってそりゃあ--」
「いいわよ、あたしは悪者で!」
そう言い捨てて立ち上がる坂野の手を、すかさず掴んだ。
「待てって。 落ち着けよ」
俺は意外なほど冷静な声を出した。 その様子に坂野は、戸惑ったように俺を見下ろしていた。
「俺はただ、坂野が何を考えているのかを知りたいだけなんだ。 お前しか知らない事だから、お前に聞くしかないだろ? 別に怒ってるわけじゃない」
「唯をぶったのに?」
「お前だって、痛かっただろ?」
坂野の肩がびくりと震え、視線を逸らした。 その首筋に向かって
「友達をぶつって事は、それだけのことがあったって事だろ? 唯も驚いていたと思うけど、坂野だって、気持ち良いもんじゃなかっただろうが?」
「……そんなだから……」
「ん?」
「あんたがそんなだから、唯は……」
一度唇をかんで、坂野は息を吐いた。
「でも、あたしは許せなかったの。 唯はあんたを裏切ってた」
坂野の腕が震えていた。 俺がその手を離すと、静かに背中を向けた。
「裏切ってたって、どういう事だよ?」
俺の声が震えるのが分かった。
「唯が何をしてたって?」
坂野は背中を向けたまま、たどたどしい口調で話した。
俺がそいつを呼び出したのは、翌日の昼のことだった。
朝から唯はいつもどおりだった。 いつものように俺と待ち合わせをして、いつものように他愛無い話をしながら登校した。 昨日のことは何でもなかったかのように、明るい笑顔を見せていた。
でも、俺の心情は穏やかではなかった。
そいつは呼び出された廊下の踊り場で、俺に対して怯えた様子もなく、むしろ腕組みさえして、悠々と立っていた。 そいつは、昨日保健室から出た時にすれ違った男だった。
「俺が何でお前を呼び出したのか、分かるだろ?」
少し凄味を出して言う俺に、そいつはなんと鼻で笑った。 そのことで、俺の感情がひどく高ぶり、思わず拳を握ると、その怒りを言葉に出した。
「唯に近づくな! それだけだ!」
「それだけ?」
そいつ、田中実は、首を傾けて口角を上げていた。 長身だからという理由だけじゃなく、明らかに俺を見下していた。 そしてその異様に吊り上った唇を動かした。
「唯ちゃん、もうあんたに飽きたらしいよ。 夏休みだったかなぁ、あんたがバイトで忙しいからなかなか会ってくれないって寂しがってたから、優しくしてあげたんだ。 そうしたら、『私、実くんが良い!』って--ガフッ!」
俺の拳が田中の頬に直撃した。 のけぞって倒れる田中に馬乗りになってその胸倉を掴むと、俺は思いのままに叫んだ。
「てめぇ! 人の彼女をなんだと思ってんだ!」
「やめて!」
騒ぎを聞き付けた唯が、慌てて階段を駆け降りてきて、俺たちを引き離した。 そして唯は俺の目の前で、あろうことか倒れている田中の肩を、支え上げた。
『なっ……なんで……』
言葉を無くす俺を、唯はすがるような瞳で見上げながら
「ごめんなさい……」
と、一言呟いた。




