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KURONEKO  作者: 天猫紅楼
16/19

早朝の事件

 翌日、いつもの待ち合わせ場所に唯はいて、いつものように一緒に登校した。 

 これからまた、平凡な生活に戻るのだ。 もうすぐ期末テストも始まる。 学校は、何も変わらない姿でそこに建っている。

「なんだかなぁ~」

 呟きながら校舎を眺めると、唯は不思議そうに俺を見つめていた。

「よぉっ! 相変わらず仲が良いなぁ!」

 谷口が俺の背中を勢いよく叩いて抜かしていく。 少し振り向いた顔からは、坂野のことも吹っ切れたのかと思うほど、悲観的な雰囲気は無かった。 少し安心しながら、谷口の背中に憎まれ口をぶつけてやった。 

 唯と別れて自分の教室に入ると、すでに坂野の姿があった。 スキー研修旅行の前と変わらず、窓際の席で外を眺める坂野に、谷口が何やら話し掛けていた。

 すると突然、坂野は驚いたように顔を上げ、教室の入り口に立つ俺に気付くと、鋭い視線で睨んできた。 谷口のやつ、早速坂野に言ったんだな。 

 黒髪に黒目。 スキー研修旅行で泊まった宿舎にいた黒猫と、同じ匂いがした。 ていうか、怖い……

『やっぱ谷口なんかに、店長と付き合ってるなんて言うんじゃ無かったな』

 坂野は

「マスターに守ってもらう」

とは言ったが、付き合っているとは言っていなかったから。 俺の早とちりだったか。 でも、例え今からそうなってもそれはすごく自然な流れなのだろうし、坂野にとってそれが幸せだというならそれでいい。 一晩経って、そこまで考えられるようになった。 俺も大人になったってことかな。

『後で謝っておこう』

 と軽く思いながら、坂野の視線を頬に感じながら自分の席に着いた。 

 

 色々あってもなくても、授業っていうのは眠いものだ。 激しい眠気と戦いながら、なんとか一日を過ごした。 ホームルームが終わると、坂野はそそくさと教室を出ていこうとするので、俺は思わず呼び止めた。

「何」

 明らかに憮然とした声で言われ、ひるみかけたが、

「あ、あの、朝はごめん」

とかろうじて伝えた。 坂野はじっと睨むように俺を見つめた後、

「別に」

とだけ答えて、振り切るように教室を出ていってしまった。

『怒らせてしまった……一言多いんだな、俺は』

と反省しながら、足早に去っていく坂野の後ろ姿を見送った。

 その日の帰り道。

 俺は唯を送った後、ノエルサウスに寄った。 店内に坂野の姿は無かった。

「今日、彼女は?」

 何気なく聞くと、店長は肩をすくめた。

「もしかして夏芽ちゃんのことですか? 彼女、では無いんですけどね」

 そう言いながら苦笑して、珈琲を差し出した。

「違うんですか?」

 俺は気まずい思いで珈琲に口を付けた。 

『やっぱり思い違いだったんだ。 坂野、怒ったよな』

 店長は俺の顔をしげしげと見つめ、

「心配ですか?」

と尋ねた。 そう聞かれて、俺は、心配でないわけがないと素直に頷いた。 そして

「店長は知ってるんですか? アイツの家のこと」

「家のこと?」

 きょとんとした感じで首を傾げる店長の仕草から、やはり坂野は自分の家の事は話していないんだと伝わってきた。 それでも、店長なら一緒にいて安心だと思ったのか、これから話そうとしているのか。 俺には坂野の考えていることがまるで分からなかった。 何故あの時、あんなことを言ったのか。

「でも、店長なら、安心して任せられる」

と、自分に言い聞かせるように呟いた。 店長は小さく息を吐いたように見えたが、すぐに他の客の接待に向かった。 俺は波立つカップの中をぼんやりと見つめながら、自分の気持ちを落ち着かせることに集中した。

 坂野にとっては、店長はまるで父か兄のような存在なんだろう。 ずっと、家に居ても外にいても一人でいた坂野には、やはり年上の男の方が落ち着けるのかもしれない。 そう納得するのに、しばらくの時間がかかった。

 

 

 学校でも、坂野は相変わらず目立たず、自分の位置をキープしていた。 そこに存在していれば良いというように、息を潜めて生きているように見えた。 それを見るほどに、いつの間にか俺の中に、坂野の存在が大きくなっていた。

 そんなある日のこと。

 いつものように唯と一緒に登校すると、坂野が教室の扉にもたれて立っていた。 そして俺たちに気付くと、つかつかと近づいてきた。 唯が笑顔で

「おはよう、夏芽ちゃん--」

と言い終わるか終わらないうちに、一発の乾いた音が廊下に響いた。

 坂野が、唯の頬をひっぱたいたのだ。

 声もなくふらつく唯を支えながら、

「何するんだ、いきなり?」

と驚いて尋ねると、

「自分の胸に聞きなさいよ!」

と、俺ではなく唯を睨みながら坂野が叫んだ。 廊下を行く生徒たちが何事かと注目し始めた。

 坂野の言葉は、唯に対して発せられたものだった。 俺は、頬に手を当てて呆然としている唯を覗き込むと

「何か、あったのか?」

と尋ねた。 喧嘩をしたとは聞いていない。 今だって、ごく普通に挨拶をしたはずなんだ。 そう思っているうちに、唯はみるみるうちに目に涙をため、俺に抱きつくと肩を揺らして泣き始めた。

「弘志? どうしたんだ? 何があったんだよ?」

 谷口が心配そうに駆け寄ってきた。 すると坂野は、弾かれたようにきびすを返すと谷口を突き飛ばして走り去っていった。

「坂野!」

 俺の叫びも虚しく、坂野は猫のように生徒たちの間を縫い、姿を消した。

「唯、大丈夫か?」

 泣きながら頬を押さえる唯の手をそっとどけると、唯の頬はわずかに赤く腫れていた。

「保健室に行こう」

 俺は唯の肩を抱いて支えながら、注目の的になりながら保健室に向かった。 

 

 保健室のベッドに座ったまま、唯はしばらく呆然としていたが、やがて

「きっと夏芽ちゃんの勘違いよ……」

と呟くように言った。 それは俺に言ったのか、唯が自分に言い聞かせたのかは分からなかったが、二人の間に何があったのか、知らなくてはならないと思っていた。 

 保健医に教室に戻るように言われ、俺は席を立った。 後ろ髪をひかれる思いで保健室の扉を閉め、教室へ戻る道すがら、俺はすれ違いに保健室に入っていく男子生徒に気付いた。

『あれは……』

 俺の記憶にはほとんど名前さえも残っていないが、確かバレー部のキャプテンをしていたような記憶があった。 

『朝練で怪我でもしたかな』

 たいして気にもせずに俺は教室に戻り、堀永先生に説明をして中に入ったが、窓際の席に坂野の姿は無かった。


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