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KURONEKO  作者: 天猫紅楼
13/19

黒猫の逃走

 翌日、坂野は学校を休んだ。 唯に聞くと、体調が悪いということらしい。

「たいしたことないから、気にしないでって言ってたよ」

と唯はあっけらかんとしていたが、昨日のこともある。 心配になった俺は、放課後になるのを待って、坂野の見舞いに行くことにした。 とはいっても、坂野の家を確実に知っているわけじゃない。 前に送っていったときも、家の前までは行っていないみたいだったし。

『確かここら辺だったな……』

 唯を送った後、なんとか思い出しながらうろ覚えの住宅街をふらふらと歩いていると、どこからか騒がしい足音が聞こえてきた。 なにやら喧嘩しているような怒号に周りを見渡すと、夕刻近い薄暗くなった路地を、全速力で走ってくる人影が見えた。

 やがてそれが近づいてくると、その追い掛けられている人影が坂野だということが分かった。 その途端、俺を悪い予感が襲い、背筋が凍りついた。

『追ってる奴らっていうのは……まさか!』

 俺の推測どおりだった。

 坂野を追っていたのは、以前俺に暴行して傷害で捕まったはずの二人組だった。

「あいつら、全然懲りてないんだな!」

 俺は周りを見渡すと、電信柱の影に身を潜めた。

「待てえぇぇ!」

「てめえは絶対、許さねーぞー!」

 何度も振り返りながら必死で走ってくる坂野が、俺の潜む電信柱の前を走り去った直後、俺はすぐ横に立っていたポリバケツを蹴飛ばした。

「うぉっ!」

「なんだいきなり!」

 男たちはもんどり打って地面に倒れこんだ。 坂野は驚いて振り返ると、荒い息で、地面に転がる男たちに視線を落とした。

「さ、今のうちに!」

「えっ?」

 俺を見て驚く坂野の手を取ると、再び走り始めた。

「てめえら! 覚えとけよー!」

 何やら恨みめいた言葉が聞こえたが、そんなことは気にも止めずに走り続けた。 

 そしてだいぶ距離を取ったところで振り返ると、男たちは追い掛けて来てはいなかった。

「大丈夫か、坂野?」

 膝に手をついて俯き、荒い息で咳き込む坂野を覗き込んで尋ねると、顔を上げた彼女は

「な……なんで、あんなところに?」

と黒い瞳を向けた。 汗ばんだ額を手の甲でぬぐいながら体を起こす坂野に

「まあ、それはいいじゃないか。 取り敢えず身を隠そう。 まだ近くをうろついてるかもしれない」

とどこか入れる店はないかと周りを見ると、そこは偶然にもノエルサウスの近くだった。

 

「ホントに懲りないんですねえ……」

「ごめん、店長、しばらくここに居させて!」

 理由を話すと、店長は俺たちの心情を察したようにいつもの調子で笑顔を見せながら、一番奥の席に案内してくれた。 差し出されたコップの水を一気に飲み干すと、坂野も同じタイミングで空になったコップをテーブルに置いた。 まだ肩で息をする坂野に

「大丈夫か?」

と再び尋ねると、坂野は答えずに

「なんで、あんなところに?」

と逆に尋ねてきた。

 俺は観念して、昨日のこともあって心配だったから顔を見に来たと答えると、坂野はふう……と深い息を吐いた。

「大丈夫」

「え? ああ……そうか」

 さっきの俺への返答か、今の坂野の状態なのか、とにかく大丈夫なのだと、今は安心することにした。

「でもさ、何であいつらと遭遇したんだよ?」

「たまたま外に出たら、いきなり追い掛けてきた。 理由は……分かるけど」

 坂野はおしぼりで手を拭き、腕を拭いた。 店長が水のお代わりを注ぎ入れると、俺は再びコップを空にした。 どれだけ飲んでも足りないくらい、体が渇いていた。

「大丈夫ですか?」

 店長が俺に言った。

「いや、俺じゃなくて、コイツ!」

 そう言いながら坂野を指すと、店長は坂野に心配そうな視線を送った。

「大丈夫です」

 坂野は申し訳なさそうに上目遣いで答えると、コップに口を付けた。

「でも、なんとかしないといけませんねぇ」

と肩を落とす店長。

「やっぱり、私が動きましょうか?」

と言う店長の眉がぴくりと上がった。 俺の背筋が冷たくなった。 何故だかわからないが、身の危険を感じるのだ。

「あっ、いや、本当に大丈夫ですから! 警察も、この間動いてくれたばかりだし、また何かあったら今度はただじゃ済まないって分かってると思うし!」

 そう言う俺を、坂野はじっと見つめていた。

「そうですか……」

 どこか物足りなさそうに肩を落とす店長。 俺は今がチャンスだとばかりに、尋ねてみることにした。

「あの……店長って一体何者なんですか? 裏稼業に精通してるとか……そんなんじゃあないですよね?」

と探り探りで尋ねると、店長はにやりと口角を上げた。

「何かあったら、頼ってくださいね」

と言う店長。 聞かなくてよかったような気がした。

『でも、すごく信じられる人だ』

 そう思った途端やっと安心したのか、何故か胸がくすぐったくなった俺は、思わず吹き出した。

「プッ!」

「フッ!……」

 あろうことか、坂野も同じように吹き出していた。 俺は坂野と顔を合わせると、改めて笑った。 初めて見る、坂野の心を開いた笑顔だった。 笑うと意外に大きくなる口から、大きめの前歯がきらりと見えた。

『可愛い』

 と思った。 そして直後にざわついた胸に、罪悪感という針の先がちくりと刺さった。

 

「送るよ」

という言葉に、坂野は素直に従った。

 まだ恐怖が残っているのだろう。 暗い夜道を、街灯の下を辿りながらゆっくり歩いている。

「親があんなだから……」

 坂野がふと話し始めた。

「余計なお金、使わせたくないんだ……」

 彼女が何を話し始めたのか、俺はすぐに察しがついた。

「だから、スキー研修に行かないなんて言ったのか?」

 坂野は小さく頷いた。

「そうだったのか……」

 心のどこかで『やっぱり』と答えた。

 俺は、暗い夜道に溶けそうな坂野の黒い背中を目で追った。 いつも同じ服なのは、親に甘えてない証拠。 服の一枚も買ってもらえないなんて……。 ちらりと振り返った坂野は、そんな俺の心を読んだかのように

「別に不自由はしてないから。 高校も行かせてもらえてるし」

とわずかな微笑みを見せた。 そして突然立ち止まると、

「じゃ、ここで」

と言うので、俺は男を見せることにした。

「今日は家の前まで送るよ。 心配だし」

 すると

「ここが、あたしの家」

と、指を差した。 見ると、壁の薄そうな所々外壁のペンキがハゲた、二階建の古いアパートがそこにあった。

「ここ……?」

「古いし汚いから、あまり知られたくなくて……。 唯にも教えてないの」

 坂野は少し恥ずかしそうに苦笑した。 俺は思わずその頭を引き寄せると、自分の胸に押しつけた。

「ちょっ!」

 驚いて離れようとする坂野を思い切りギュッと抱き締めると、叫ぶように言った。

「なんか困ったことがあったら、絶対なんとかするから! 一人で抱えんな! 分かったな?」

「……」

 坂野の答えは無かった。 その代わり、肩の震えとひきつる息遣いが、俺の胸に伝わってきた。

「坂野……」

 そっと体を離すと、坂野は俯いて涙を堪えていた。 その頭に軽く手を乗せると

「泣けばいいじゃんか。 我慢したって、良いことなんてねーよ!」

と笑ってみせた。 坂野はぐいっと腕で涙を拭くと

「この……」

「何?」

「この、浮気者ぉーーっ!」

と叫ぶように言うと、弾けるように俺を突き飛ばしてアパートの階段を駆け上がっていった。 そして一番奥の扉の前で俺を見下ろすと、思い切り大げさなジェスチャーでアカンベーをすると、そそくさと部屋へと入っていった。

 あっけに取られて立ち尽くしていた俺は、次第に何だか温かい気持ちになって、閉められた扉に小さくアカンベーを返すと、家へと帰って行った。 俺の腕に、坂野の細い身体の感触がしばらく残っていた。

 

 

「夏芽ちゃん! もう大丈夫なの? 風邪でもひいたの?」

 翌日、学校で一日ぶりに坂野と再会した唯は、ひどく心配げな顔で彼女の額や首元に手を当てたりした。

「ごめん、大丈夫だよ。 ちょっと疲れが出ただけみたい」

「そう? それならいいんだけど……無理しないでね。 スキー研修も近いんだし、体壊して行けなくなったら、つまらないじゃない?」

 唯はホッとした顔で肩の力を落とした。

 俺は坂野の顔を見られず、ひたすらにどこか違う方を見ていた。 勢いとはいえ、坂野を抱き締めてしまった現実は、俺の胸を締め付けていた。 

 そんな俺の気持ちなど知る由もなく、周りはスキー研修に向けて盛り上がりを見せていた。 どうやら、そうと決まったからには、あきらめて楽しんでやろうという士気が生まれたようだ。 かくいう俺も、唯がこの研修でスキーに興味を持ってくれれば、二人でスキー旅行だって夢じゃないと余計な妄想までしてしまっていた。 

 坂野は依然と変わらず愛想の無い態度で、あのことはすっかり忘れているかのように普通に過ごしているようだった。 それを見ているうちに、俺の戸惑いと罪悪感は次第に消えていった。


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