ハズレ年
やがて時は秋を過ぎ、木枯らしが落ち葉を転がす時期になっていた。
制服も男子は半袖から長袖のブレザー、女子は紺色のベスト姿から一新、セーラー服へ衣替えだ。 リボンを普通に結んでいるだけなのに、何故か可愛らしさに拍車を掛ける唯と、相変わらず無表情で何を考えているのか分からない坂野は、仲良く何やら話している。
坂野のその笑顔は、決して男子には見せない。 誰にでも笑顔を振りまく唯と、どうして馬が合うのか、まったく理解できない。
そう思いながら二人の様子をぼんやりと眺めていると、始業のチャイムが鳴り、唯は坂野の席から離れ、俺に微笑みを送って自分のクラスへと戻っていった。
やがて教室に現れた担任の堀永先生は、ポマードで固めたオールバックの髪をテカつかせながら教壇に立つと、最近目立ってきた腹を揺らしながら、何やら皆に配り始めた。
「もうすぐ修学旅行の時期だな!」
途端に教室の中がどよめく。 堀永先生は少し声を大きくして続けた。
「毎年、九州の長崎に行くのが通例だったが、今年は、試験的に【スキー研修】をすることになった」
「えっ…………」
一瞬の静寂。
次の瞬間、爆弾が破裂したかのように教室が揺れ動いた。 ブーイングの嵐を手で払い除けながら、堀永先生は、静まらせるのに数分を要した。 それ位、生徒たちの怒りと落胆は治まることはなかった。
「なんだよー! 九州に行けるんじゃねーのかよー!」
休み時間。 谷口は口を尖らせて、スキー研修の概要が書かれた紙を、机の上で指でグルグルと滑らせた。 俺も正直あまり嬉しくない。 スキーが出来ないわけじゃないし、嫌いなわけでもない。 子供の頃何度か親に連れていってもらったから、普通に滑れるスキルはある。 ただ、学校の行事に組み込んでまでやらなくちゃいけないことなのか? 堀永先生は、
「チームワークを養う」
だとか
「何事も経験は宝だ」
とか言って納得させようとしたが、九州旅行だって、一生に一度あるかないかの大イベントだ。 それを振ってまで、わざわざ経験したことのあるスキーなぞ楽しめるとは思えない。 それに九州旅行の方が旨いものも食べられるだろうし、温泉にだって入れる。 絶対こっちの方が楽しいと思うのに。
「今年はまさかのハズレ年だな」
俺はふてくされたように肘を付いて憎らしげに、紙面を楽しげに踊る【スキー研修】という文字を睨み付けた。
そして放課後。
「楽しみだなぁ~~!」
そう言いながら、満面に笑みを讃えるのは唯だった。
「楽しみ?」
慌てて顔を上げて、唯に驚きながら聞きなおすと、彼女はうん、と大きく頷いた。
「だって私、スキーやったことないんだもの! それが学校の皆と一緒にできるなんて、すごく楽しみだわ!」
「そ、そう……」
拍子抜けをする俺に、唯は首を傾げた。
「あれ? 弘志くんは、嬉しくないの?」
「ん? いや、そんなことはないよ」
会話に困った俺は、不意に坂野へと話を振った。
「坂野は、スキーやったことあるのか?」
「えっ?」
不意打ちを突かれたのか、坂野はびくっと顔を上げた。 そしてふっと目を伏せると
「無い」
とだけ答えた。
「へえ……案外未経験なヤツが多いんだな!」
「えっ? じゃあ弘志くんはスキーやったこと、あるの?」
「あぁ。 家族が好きだからな。 最近は久しく行ってないけど、昔よく連れていってもらってたんだ」
そう答える俺に、唯は輝く瞳で尊敬の眼差しを送ってきた。 その向こう側から、坂野もちらりと視線を送ってきている。
「い、いや、別に上手いとかじゃなくて、普通に滑れるだけだから」
と手を振って苦笑すると
「それでも凄いわよ! 私、弘志くんに教えてもらお!」
と唯は幸せそうに俺の腕を取った。 その時
「じゃ、ここで」
と坂野が言った。
「あ、夏芽ちゃん、バイバイ!」
唯が振る手に軽く笑って返すと、坂野は俺には視線もくれず、きびすを返して家へと帰っていった。
『そうか。 あいつ、家族が……』
居ないわけじゃないが、この間聞いた坂野の雰囲気からして、きっと子供の頃から家族団らんとかいうものに浸ることも少なかったかも知れない。
「悪いこと言っちまったかな……」
ふと呟いた俺を、唯は不思議そうに見上げていた。
やがてスキー研修の詳細が決まり、グループ分けがされた。
唯と違うクラスなのが痛い……決して同じグループにはなれないからだ。 その代わり……と言ってはなんだが、坂野が同じグループになった。 グループ会議に席を置きながら、坂野はいつもと変わらず無表情で、リーダーになった岡田の鼻息荒い話を聞く彼女に
「坂野、あまり乗り気じゃないみたいだな?」
とそっと尋ねた。 坂野は俺にわずかな視線を送った後、再びそっぽを向いた。 そして
「行かないかも」
と呟いた。
「えっ? 行かないって、どういうことだよ?」
「言ったでしょ。 そのまま」
「坂野?」
「ほらそこっ! 話を聞いているのか?」
いきなり岡田のキンキン声が耳に突き刺さった。
男のくせに金切り声のような声を出す岡田。 怒っていなくても耳につく声だ。 山の中で雪崩でも起こすんじゃないか?というイラつく声に
「はいはい、聞いてますよ」
と手を挙げて面倒臭さ全開で答える俺に、岡田は納得しない顔で睨んだ。 ま、気にしない。 そんなことより坂野だ。 なんで『行かない』なんて言うんだ? そんなにスキーをしたくないのか? 俺はもう一度坂野の顔を見たが、前髪に隠れた表情からは何も感じ取れなかった。
放課後、唯を待って一人で廊下に立っていた坂野に接触した。
「なぁ、なんでさっき、あんなこと言ったんだよ? スキー研修、ホントに行かないつもりなのか?」
坂野はちらりと俺を見た。 そしてそれには答えずに、もたれていた廊下の壁から体を離し、背中の埃を払いながら視線を外すと
「今日私、一人で帰るから、唯に伝えて!」
とつっけんどんに言い、そのまま帰ろうとした。
「ちょっと待て!」
慌ててその腕を取ると、ひどく迷惑そうな顔を向けた。
「あんたには関係ないでしょ!」
「あんなこと聞かされて、関係ない顔なんて出来るかよ!」
坂野は少し唇を噛んだ。
「じゃあ忘れて」
「あのなぁ!」
「お待たせ~!」
二人の険悪な空気には到底似つかわしくない、鈴の転がるような声と共に唯が駆け寄ってきた。 俺が坂野の腕をつかんでいるのを見て
「どうしたの?」
と首を傾げた。 坂野は唯に苦笑しながら、
「今日は私、用事があるから先に帰ろうと思ったのに、こいつが帰らせてくれないんだってば! なんとかしてよ!」
と訴えた。
『おいっ! そりゃないぜ!』
唯は思わず頬をひきつらせる俺を見ると、可愛く睨んだ。
「こら! 夏芽ちゃん、困ってるじゃない! 手を離してあげて!」
「い、いや、これは、その……」
慌てる俺が思わず坂野の腕を離すと、弾けるように腕を引き寄せてさすりながら
「じゃ、ごめんね、唯!」
と笑って手を振ると、早足で帰って行った。
「もう! 人に迷惑かけちゃダメでしょ?」
俺はため息をつきながら、眉を寄せて忠告する唯の頭をなだめるように撫でると、坂野の後ろ姿を見送った。
『まさか本気じゃないよな……?』
不安に思いながらの唯との帰り道で、彼女は相変わらずスキー研修が楽しみで仕方ないかのようにずっと笑っていた。
「唯は本当に、嬉しそうだな」
「うん! でも、弘志くんと一緒に滑れないのが残念だわ。 きっと、違うグループの人と一緒にいることがバレたら、怒られちゃうよね」
少し寂しげな顔をしたのは一瞬だけで、すぐに唯の笑顔は復活した。 その笑顔に、俺まで顔がほころぶ。
「上手く滑れるようになったら、改めて一緒に行こうな!」
「ホントに? じゃあがんばる!」
細い指で拳を作り気合いを込める様子を見ながら、俺はホクホク顔で頷いていた。 別に上手くなくても、唯が『行きたい』と言うならいつでも何度でも連れていってやるよ。




