谷口と黒猫
「送り狼にならないようにね!」
とからかうように言って、店長は店の前で見送りをした。
俺は唯を、谷口は坂野を送ることになり、谷口は俺に目配せをして、坂野と共に歩いていった。 そんな彼らにしばらく元気に手を振っていた唯も、くるっと振り返ると
「私たちも、帰ろっか!」
と微笑んだ。 俺はその小さな頭をポンと叩いて微笑み返した。 そして再び、谷口と坂野が消えていった暗がりを見つめた。
「夏芽ちゃんなら大丈夫よ!」
「えっ?」
「谷口くんが付いててくれるから、ちゃんと家に帰れるわ」
「あ、ああ、そうだな」
と答えながら、どうしようもない心拍数の増加に襲われていた。
谷口は本気であんなことを言ったんだろうか? そうだよな。 あいつだっていろいろ考えてるんだろうし、坂野の事が気になったからって、俺がどうこう言うことじゃないし。
「なあ、唯?」
「何?」
帰路につき、歩きながら唯に尋ねた。
「坂野ん家って、なんか大変なんだろ?」
「ん? 何のこと?」
きょとんと見上げる唯に、はっとして尋ねた。
「もしかして知らないのか? アイツの家族のこと」
唯は小さく首をかしげて
「だって夏芽ちゃん、自分の事あまり言わないんだもの。 そう言えば前に、『あまり家に帰りたくないんだ』って言ってたわ。 でも、笑いながら冗談ぽく言ってたから、そんなに気にはならなかったけどな」
「そうか……」
「何かあったの?」
「ん? いや、ちょっと小耳に挟んだからさ、気になっただけだよ」
そう言って、唯の肩を抱き寄せた。
そうでもしなきゃ、俺の心が壊れるような気がしていた。 唯は不思議そうに俺の顔を見上げていたが、彼女に納得できる言葉を見つけることは出来なかった。
次の日、教室に入り朝一番に谷口を見たので、その肩をポンと叩いて
「おっす! どうだった、昨日は?」
と明るく聞いてみた。 谷口はゆっくり振り返った。 その顔は明らかに、寒空に佇む子犬のように寂しげなものだった。
「どうした?」
「『ごめんなさい』の一言だった」
「あーあ。 そっか。 ま、きっといいやつが見つかるって! いつまでも引きずってんじゃねーぞ!」
そう言いながら、何故か俺の胸がすっきりしたのを、密かに感じていた。
「あいつ、好きな奴でもいるのかなぁ?」
そう尋ねる声を背中に俺は、すでに自分の席でぼーっと窓の外を見ている坂野の前に立った。 そしてそっとしゃがむと、ぼそっと言った。
「なんで唯の知らないことを、俺だけに話したんだ?」
「え?」
坂野は頬から手を放すと、無表情で俺を見た。
「家のことだよ」
坂野は再び窓の外を見ながら
「しつこかったからよ」
と呟くように言った。
「しつこっ--」
「もういいよ、弘志ぃぃ!」
谷口がいきなり割り込んできて、俺の腕を引っ張って坂野から離した。
「な、なんなんだよ!」
あからさまに迷惑顔を見せる俺に、谷口はくしゃくしゃになって今にも泣きそうな顔を突き付けてきた。
「もういいよ、弘志! 俺は大丈夫だから!」
「はあ?」
「もう坂野に未練とか無いから!」
「え……」
どうやら谷口は、自分をフッた坂野に俺が文句を言いに行ったと勘違いをしているようだった。 俺の両肩にすがりつき、お願いをするような格好で必死に俺を説得している谷口に、なんだか面倒臭くなった俺は、
「そうかそうか、分かったよ」
となだめてやった。
「今度ジュースでも奢ってやるよ」
と頭をポンポンと撫でてやると、谷口は顔を上げて
「ジュースかよ……」
と口を尖らせた。
時間が無かったとはいえ、坂野の答えは曖昧だった。 俺自身、あの時しつこく家のことを尋ねた覚えはない。 ただ、あの場の雰囲気を和らげようと、少し話しかけすぎたところはあったかもしれないが、それでも最後まで無言で通せば良かったはず。 なんであんな重い質問にだけ答えたのか…… まるで俺だけが、坂野の秘密を知ってしまったみたいじゃないか。 俺はもう一度どこかで問いただしてやろうと決めた。 ただ今は、谷口の勘違いに付き合ってやるか……。




