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KURONEKO  作者: 天猫紅楼
10/19

快気祝い

 カランカランカラン……

 

とカウベルの音が店内に響き、奥から

「いらっしゃいませ」

と落ち着いた低い声が聞こえた。

「こんにちは」

「おや! 弘志くんじゃないですか! もう体の方は良いんですか?」

「はい、やっとギブスも取れました。 あの……」

 突然の訪問に少し驚きながらも優しい笑顔で迎えてくれた店長に、俺はあの事件の後のことをあれこれと尋ねた。

 店長の話では、店に警察官はやってきたが、営業に支障はなかったらしい。 俺の怪我のことは、谷口からも聞いて知っていたらしく

「お見舞いに行けなくてすみませんでした。 でも若いから、回復も早かったんですね。 安心しました」

と申し訳なさそうに眉を寄せた。 そして声を少しひそめ

「なんなら、今からでも私が懲らしめてやりましょうか?」

と、本気とも冗談とも思える口調で囁いた。 その瞳にも、どちらとも取れる輝きが灯っていた。 俺は少し怖くなって

「い、いえ、大丈夫です。 これ以上、この事件については関わりたくないんで」

と愛想笑いで手を小さく上げ、お断りさせてもらった。

「そうですか……」

と少し残念そうな顔をした店長は、じゃあ、もうそのことは忘れましょう、と微笑んだ。

 俺は胸の中でほっと息をつくと、快気祝いだと出してくれた特製珈琲に口をつけた。

 やっぱり店長は不思議な人だ。 温かく穏やかな表情の下に、何を隠しているのか見当もつかない。 でも、何かあった時に頼れるのはこの人だと、なんとなく信じられる。

 

 

 それから数週間もすると、身体のあちこちに残っていたあざもだいぶ消え、動きにも支障が無くなっていた。 通院をするのもこれで最後だ。

「お大事に」

と看護士たちに見送られながら病院を出た。 

 事件の事は、もう気にしないことにした。 どうやら傷害の罪で裁判沙汰にすると、金が掛かるらしいということで、怪我の賠償金だけ払ってもらうことになった。 もうここら辺は大人たちに任せている。 俺自身より、唯や谷口たちの方が熱くなっていることで、俺も若干ひいてしまったところもある。 何はともあれ、俺一人が犠牲になったことで事件は解決したと思っていた。 俺にとったら、唯や坂野に被害が及ばなかったことだけで充分だ。

 帰宅して着替えると、外はオレンジ色の光に包まれていた。 心なしか涼しくなってきた風に吹かれながら、ノエルサウスへ向かった。

 

 今日はどうやら、俺の快気祝いを開いてくれるらしい。 谷口から、わざとらしく汚い字で書かれた招待状を受け取っていた俺は、それを指先でつまみながらため息をついた。

『そこまでやってくれなくてもいいのに』

と思いつつ、やはりその気持ちは嬉しい。 唯も腕を振るって料理を作ると意気込んでいた。 可愛いであろう唯のエプロン姿を想像し、顔を緩ませながら、ノエルサウスの扉を開いた。

 

 カランカランカラン……

 

 カウベルの音が店内に響いた。

 今日は貸し切りだと聞いていたから、他の客は居ないということは知っていたが……

『何故こんなに真っ暗なんだ?』

 俺は、目を凝らしながら中を伺い見た。 カウベルの余韻も消え、静まり返った店内。 

『今日、で、間違いないよな?』

 頭を掻きながら入り口に立ち、動けないでいる俺を、突然破裂音が包んだ。

「うわあっ!」

 同時に、しこたま驚いた俺を照らすように店の明かりが点き、目が眩んだ。

「弘志くん、おかえり~!」

「弘志、祝、復活っ!」

 いろんな声が、俺の耳に届いた。

「お前ら、脅かすなよ!」

 俺は激しい動悸に襲われる胸を押さえながら、顔をしかめた。 悪い冗談だ。 気が付くと、俺の肩や頭に付いたクラッカーの紙テープを取りながら、傍らに唯がいた。 彼女はにこりと微笑むと、

「弘志くん、こっち」

と手を取ってテーブルへと誘った。 促されるままに席に着くと、目の前には数々の料理が並んでいた。

「やっぱり時間ぴったりだな! 弘志、見かけによらず律儀な性格だもんな!」

と、幹事の谷口が満足そうに頷いた。 俺の対面に座った唯の隣には、坂野も気配を消すように静かに座っていた。

「さて、今日は店長の計らいでドリンク飲み放題です~! んでもって、この豪華絢爛な料理は唯ちゃんと坂野さんが作りました~!」

「えっ、坂野も?」

 思わず驚く俺に、坂野はふんっ!と唇を噛んでそっぽを向いた。

「あら、夏芽ちゃんも料理が上手なのよ! どっちがどの料理を作ったのか、当ててみてね」

といたずらっぽくウィンクをした唯。 

 やがて店長も姿を現し、

「今日は、遠慮なくゆっくりしていってくださいね」

と穏やかな笑顔を見せた。

 かくして、谷口のつたない音頭で俺の快気祝いは開かれた。

 

 今日はもうすぐ訪れる秋を意識してか、鶯色の薄地で丈の短いワンピースにカーキ色のジャケットを羽織り、薄茶色のブーツを履いて、勿論生足だ。 髪の毛は軽く二つに結んで前髪を垂らし、少し幼く見えるが、それもまた可愛らしい。

 一方坂野はというと、この服しか持っていないのかと言いたいほど、この夏会うたびに見るのと全く同じ衣装に身を包んでいる。 違うのは黒いタンクトップが黒いタートルネックになったことくらいか。

 前にも谷口が言ったように、まるで黒猫だ。

 そして、たいしてテンションも上げずに、たまに唯に微笑みかけながら食事を楽しんでいる。

『こいつは本当に俺を祝おうとしているのか?』

と訝しんでいると、唯が端と思い出したようにポンと手を叩いた。

「そうだ! 今日は夏芽ちゃんの誕生日なの!」

「あっ! 言わなくていいって言ったのに!」

 坂野は慌てて唯を肘で小突いて、戸惑った顔をした。

「なんだぁ! じゃあ坂野の祝いもしなくちゃな!」

と谷口が言いながら、皆に改めてジュースを注ぎ始めた。 坂野は顔を赤らめ、震えた声を出した。

「あ、あの、ホントにいいってば!」

 こんなにも坂野が困惑する姿を見るのは初めてだ。 意外にこんな表情もするんだなと思っていると、店長が奥からホールのイチゴケーキを運んできた。

「おっ! 寺角さん気が利くじゃん!」

「店長ったら、憎い演出して!」

 谷口と唯が手を叩いて喜んだ。

 そうは言っていても、谷口と唯の表情からして、坂野にもこうしてサプライズを用意していたようだ。 この二人、策略家だな。 坂野は目を丸くして、店長が置いたケーキを凝視している。

「店長、知っていたんですか? 坂野が今日誕生日だったって」

 俺が聞くと、店長は気恥ずかしそうに首を傾げて坂野に微笑んだ。 坂野は、頬を赤らめて俯いた。

「じゃ、坂野の誕生日祝いを仕切り直そうぜ!」

「賛成!」

 谷口の威勢の良い声に、唯も手を叩いて喜んだ。 坂野は相変わらず恥ずかしそうに俯き、肩をすくめていた。 その肩をぎゅっと抱いて、唯が

「おめでとう、夏芽ちゃん!」

と微笑みかけると、坂野はやっと顔を上げて小さく微笑んだ。

 店長が切り分けたケーキと、唯と坂野が作った料理を皆で堪能しながら話は盛り上がると、いつの間にか夜遅くになっていた。

 

「そろそろお開きにしましょうか」

と谷口がまとめた。 各々が食器や店内の掃除を始め、片付け終わる頃、谷口がそっと身を寄せてきた。

「なあ、弘志」

「なんだよ? 寄るなよ暑苦しい!」

と怪訝な視線を送ると、谷口はなお耳元に口を寄せると、囁くように言った。

「俺、坂野に告ろうと思うんだけど」

「えええっっ?」

 いきなり大声を出した俺の口を必死で押さえた谷口は、こっちを見る唯や坂野たちに豪快な愛想笑いをした。

「声がでかい!」

 憤然と囁く谷口にごめんごめん、と苦笑を返し

「いきなりどうしたんだよ? アイツのこと、苦手なんじゃなかったのか? 愛想が悪いとか散々言ってたじゃねーか」

「いやぁ、何か最近気になってさ。 あいつ、本当は良い奴なんじゃないかなぁって。 唯ちゃんのこと、身体張って守ったりさ。 きっとまだ彼氏いないんだろ?」

「そう……かな……?」

 俺の返事を聞くでもなく、谷口は俺の肩口をポンと叩くと、意を決したように唯たちの方へ駆け寄っていった。

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