後悔の果て
アリーナの横に隣接された人工芝生の生えた自然公園がある。そこの周りにはランニングコースもあり、自主トレなどにも使用できる野外設備も充実している。そこには人造湖などもあり、そこの畔でフィデリオは立ち止まった。
「奇遇だね。君がここにいるなんて思わなかった」
フィデリオは前を歩く男子に声を掛けた。
そして声を掛けられた男子は足を止め、フィデリオの方へと向き直った。
「ハーゲンか?俺に何の用だ?」
真紘は少し眉を潜めながら、フィデリオを見てきた。きっとフィデリオの顔が険しい表情を作っているからだろう。だが、フィデリオはそんな訝しんでいる真紘を気にせず、単刀直入に話を切りだした。
「俺と勝負をして欲しい」
フィデリオは乾いた低い声でそう言った。目の前にいる真紘は少し眉を上に上げただけで、それ以上はなにもしない。
そんな真紘の態度にフィデリオは、少し苛つきを感じた。
そして
「セット・アップ」
フィデリオはロングソード型のBRVを復元し、真紘へと刃先を向けた。
勿論、この大会では基本的に選手といえどBRVの試合以外での使用は禁止されている。
だが今のフィデリオにとって、そんなことはどうでも良かった。今は真紘と戦いたいという一心でしかなかった。
「早く武器を取るんだ。君は強いんだろ?」
フィデリオは因子の無形弾を真紘に向けて放つ。無形弾は真紘の顔のスレスレを横切り、街路樹へと被弾し、小規模の爆発が起きる。
だが真紘は、黙ったまま動こうとはしない。
「何故?動かない?」
フィデリオが訝しんで真紘に訊ねると、真紘はさらりと答えた。
「避ける必要がどこにある?」
「・・・俺が当てないとでも思った?」
「ああ、思った。現に当てなかっただろ。それに俺は貴様と戦う気はない」
きっぱりと真紘にそう言われた。
真紘の冷めた態度は、フィデリオをさらに苛々を募らせる。
「だったら・・・」
フィデリオはロングソードに因子を流し込む。そして真紘へと向かって斬撃を放つ。
斬撃は風を切り、大気に熱を発しながら真紘と向かっていく。
真紘は溜息を吐いて、イザナミを復元するとフィデリオの斬撃を受け止めた。
どうしてだ?どうして真紘は自分と戦おうとしない?
自分に対して刃を向けられているというのに、真紘からは戦意というのがまるでない。フィデリオはここに来るまでに、色々と考え、悩んだ。
そして自分は選んだ。
真紘と戦うことを。
それなのに・・・・
「Enttauschung。まさか、こんな弱腰だったなんて」
フィデリオは真紘を挑発するわけでもなく、ただ思った事を口にした。さらにフィデリオは因子を練り上げ、ロングソードへと流し込む。
「はぁあああああああああああああ」
フィデリオから流れ出る因子の熱が空気を揺らす。そしてそのまま真紘へと疾駆し、一気に真紘へと斬り込む。
真紘はそんなフィデリオの斬撃を受け止め流す。だがそれでもフィデリオの勢いは止まらない。そして真紘もフィデリオの攻撃を受け流すだけで、反撃はしない。
「なんでなんだ?どうして反撃してこない?・・・剣を振るう意味がないからか?でも、それじゃあ困る!困るんだ!俺は・・・俺は大切な物を失いたくない!だから戦うんだ」
自分の中にある身勝手な理由を、剣を振るいながら吐き出す。吐き出さずにはいられなかった。自己的な感情で他者を巻き込んでいることくらい自分にだって分かってる。でも止まらない。それくらい自分は見っとも無く、焦っている。
だがそれでも
「それでも俺は、自分を無理に押し込んで、後悔なんてしたくない。絶対にしたくない!!」
ガキンッ。
刃と刃が激しくぶつかる。先ほどまでと同じ動き。けれど次の動きが違った。
ずっと口を閉ざしていた真紘が口を開いた。
「後悔をしたくない?・・・ふざけるなっ!」
真紘がそう怒鳴り、そのままフィデリオをイザナミで振り払う。フィデリオは冷静に自分の体制を整えながら着地し、真紘と見合う。
「少しは本気を出す気になったのかな?でも、あれくらいじゃまだまだだ」
「わかった。貴様から挑まれた勝負、受けてたとう。だが・・・、自分を押し込まず、後悔をしないという生き方が通せるなんて、そんな理想を打ち砕く」
そして真紘とフィデリオの因子が膨れ上がり、お互いが相手へと疾走した。
「あーあ、何か戻りにくいなぁ・・・」
狼はアリーナの外周を一人で歩きながら、そう呟いた。さっきまで一緒にいた万姫は中国の関係者に呼ばれて行ってしまった。
ずっと万姫のよく分からない「新婚生活の男女二人に必要な事」という話を聞かなくていいのは助かるが、すっかり皆の所へ戻るタイミングを失ってしまったのだ。
でも自分の中でどこかほっとしている部分もある。そして、ほっとしているという事に罪悪感もある。
その所為か、狼は自然と胸を掻いた。
胸の辺りに蟠りがある。
狼はその蟠りを外に吐き出す様に息を吐き出したが、それはまったくの無意味だった。
「なにやってんだろ?僕・・・」
自分に嫌悪しながら、狼が何も考えず廊下を進んでいると、いつの間にかゲストルームが並んだ、高級感溢れる場所を歩いていた。
何か、自分とは縁遠い場所に迷い込んでしまった気がする。
まるでテレビなどで紹介される一流ホテルのようだ。
きっとこの大会のゲストが使用しているのだろう。
・・・・もしかして、ここ、入ったらいけない場所だったかな?
狼は少し心配になり、辺りを見回すがガードマンのような人たちは見当たらない。そこは一先ずほっとした。
でも、たまたまいないだけかもしれないし、早めに行き返そう。
そう思い、狼が身を翻すと、ちょうどその時部屋のドアが開くような音が聞こえた。
「こんな所で何をしているのですか?」
厳しい口調で、呼び止められた。
「すみません。ちょっとぼーっとしてたらここに来ちゃっただけなんです。すぐ戻ります」
狼は足早に撤退しようとした矢先、
「待って下さい!」
と呼び止められた。
「え?」
予想外の言葉に狼が後ろを振り返る。狼は一瞬絶句した。
「急に呼び止めてしまい、申し訳ありません。あの、あなたは日本の代表選手の黒樹様ですね?」
「え、あ、はいっ」
狼が緊張のあまり、テンパった声で返事をしたためか、相手はくすりと笑った。
「そんなに緊張なさらないで下さい。初めまして。私は一条結納です。さっそくではありますが、少しお時間を取らせて頂いてもよろしいですか?」
「僕なら、構いません。次の試合まで時間もありますから」
狼たちの二戦目は、午後一からだ。まだどこと当たるかは発表されていないため、戦略を立てるにも立てられない。つまり、午後まで暇だ。
それに、公家である結納からの誘いでは、断れない。
「では、少し外を歩きながらお話をさせて頂いても?」
「はい。・・・わかりました」
それから、狼たちはアリーナの近くの自然公園まで来ていた。それまでの道はどちらも口を開かず、どこか緊張しているような、張りつめた空気があった。
「あの・・・」
狼が空気に耐えられなくなり、声を掛けた。すると結納は狼の方を向き、苦笑気味にはにかんだ。
「すみません。私も少し緊張していて・・・黒樹様にお聞きしたいことはあるんですけど」
「謝らないでください。僕も緊張してるし。それにしても、こんな所を一人で出歩いても平気なんですか?」
「ええ。普段なら一人での外出は許されていません。常に5~6人のSPの方が就いているんですが、今は、私の我が儘を通して、連れてきていません」
「そうだったんですか。でも、常に5~6人の人が就いてるなんて、大変ですね。公家の人は皆さん、そうなんですか?」
「そうですね。家の当主には九卿家の者が就くので、当主以外の公家には基本的にSPが就きます」
「基本的ってことは、例外もあるんですか?」
少し言葉を濁した結納に、狼は首を傾げた。
「例外というのは無いのですが、九条様は、SPをつけていないようですね」
「あっ」
確かに。綾芽は公家であるのにも関わらず、そういったSPの人を見たことがない。
狼は普段、学校で過ごす綾芽を思い返しながら、納得した。
「なんでも、綾芽様の場合は、SPの方を全て蹴散らしてしまったようで。私も詳しくは分からないのですが・・・」
結納は苦笑気味に笑った。
自分を守るためのSPを全員蹴散らしたという綾芽が、目に見えてわかる為、狼も思わず苦笑した。
そして、そのまま街路樹のおかげで日陰が出来た道を歩いていると、結納が立ち止まって、一度深呼吸をした。
「一条様?」
いきなり立ち止まった結納に、狼が振り返ると、結納が真剣な表情で狼を見ていた。
「・・・黒樹様、その一つお聞きしてもよろしいですか?」
「あ、はい。僕に答えられることなら」
「ありがとうございます。では聞きますが、学校で輝崎の当主は、どのように過ごしていますか?」
「え?」
狼は予想外の質問に、面を喰らった気がした。いや、真紘の事だろうとは、薄々予想はしていたが、こんな学校での真紘を聞かれるとは思っていなかった。
「いきなり、こんな質問を申し訳ありません。ですが、私は普段の彼を知らないので」
結納は消えそうな声で、そう付け加えると顔を俯かせてしまった。
「えっと、普段の真紘のことですよね?普段の真紘はそれなりに学校生活を送ってると思います。勉強だって、すごい出来るらしいし、実力も一年の中だと、ずば抜けてるし」
狼が俯いた結納に慌てて答える。すると結納は
「楽しんでいらっしゃいますか?」
と訊ねてきた。
狼はそんな結納の言葉に、少し引っかかる物を感じたが、すぐに首を縦に振った。
「はい。それなりに楽しんでいると思います」
「そうですか。それならよか・・・・ッ」
言葉を切った結納を見て、狼は目を丸くさせた。
何故か目の前にいる結納が目に涙を浮かべ、泣いているからだ。
「どうかしたんですか?気分でも悪いとか?」
結納が泣いている意味が分からず、狼は困惑した。そんな狼に気を遣ってか、結納が首を横に振りながら、無理して笑顔を作ろうとしているのが分かる。
泣いている子に、気を遣わせて僕何やってるんだろ?
自分の不甲斐なさに狼は頭を抱えたくなった。だが、今はそんな事をしていられない。
狼はズボンからハンカチを取り出すと、結納へと手渡した。
「良かったら、どうぞ。それと気を遣わせちゃって、すみません」
「いえ、私が勝手に取り乱しただけですから。黒樹様はどこも悪くありません」
そして、結納は狼から受け取ったハンカチを手で握りしめてから、再び口を開いた。
「私は・・・彼が笑っている姿をあまり見たことがありません。なので、彼が楽しく日々を過ごしているのなら、私はすごく嬉しいです。本当にそう思います」
結納は自分の気持ちを噛み締めるように、ゆっくりと言葉を紡いでいる。その言葉からは結納の真紘への想いが伝わってきた。
「・・・真紘の事、すごく大事に想ってるんですね」
狼がそう言うと、結納はゆっくりと頷いた。
「はい。私にとって彼はすごく大切な人です。私の中ではこの世で唯一と言えるくらい」
すごい愛情だと思った。
この深さは希沙樹にも劣らないのではないのか?不謹慎ながら狼はそんな事を思ってしまった。
「この事は、彼には内緒にしていてくださいね」
結納は、困ったような笑顔を作りながら、口元で人差し指を立てた。
「わかりました。約束します」
「ありがとうございます」
「ふふ。黒樹様が女性の方たちから人気があるのも頷けました」
結納が悪戯っぽく、笑ってきた。
「そんな僕は別に女子からの人気なんてありませんよ」
「そうなのですか?あら?おかしいですね・・・。左京から黒樹様は女性同士の競争倍率がうなぎ昇りのようだと言っていましたが・・・」
左京さんめ、勝手に人の変な噂を流すなよ。
狼は内心で左京を恨んだ。
「それは左京さんが、大袈裟なだけですよ。やっぱり左京さんとか誠さんともお知り合いなんですか?」
「ええ。昔はよく遊んでもらいましたから」
「へぇー。やっぱり、昔からの付き合いなんですね。・・・小さい頃とかに、その、真紘とは?」
「彼とも遊びましたよ。回数自体は少ないですが、あの頃はまだ仲が良かったと思います」
「そうだったんですか」
狼はまずい事を聞いてしまった様な気がして、申し訳なくなった。
そして、そんな会話をしている内に、街路樹で覆われていた視界が一気に広がり、目の前には、公園にある人造湖が視界に広がった。




