波紋
狼たちと離れた雪乃は一人、日本の控室の前に立っていた。そして、ノックをすることもなく扉を開いた。
「初めまして。私は如月雪乃です」
ぺこっと、頭を下げた。顔を上げた雪乃は静かに笑っていた。
「・・・俺に何か用か?」
「随分、冷たいんですね。輝崎君」
その言葉に対しての真紘の言葉はない。無言のままだ。
「そんなに動揺しちゃいました?・・・あの子に会った事?」
「貴様・・・何者だ?」
「うふふふ。私にどうしてそんなこと訊くんですか?おかしいですね・・・」
「何がおかしい?」
「いえ、すごく怖い顔してそんなこと訊くから」
そう言って、雪乃がクスクスと笑う。
その姿を真紘が不愉快そうにみていた
そんな真紘に雪乃が静かに近づく。そして、そっと真紘の手を握った。
「・・・あの子に、負い目でも感じてるんですか?」
「負い目だと?」
「ええ。そうです。輝崎くんは感じてるはずですよ?だって、あなたは・・・
「やめろ!!!」
外にも聞こえるほどの大きな声で、真紘が怒鳴った。
雪乃は一瞬、きょとんとした顔を見せたが、またくすりと笑った。
「これはあなたが選んだことなんですよね?それとも、あなたのお父様が決めたことなのでしょうか?」
真紘は苦虫を噛んだように首を振る。その否定がどちらのものかは言わないが、雪乃にとって、それはどちらでも構わないことだ。
「このまま輝崎君も、貴方の父親のように人殺しにでもなるつもりでしょうか?」
「何?」
真紘が怪訝そうに雪乃を睨みつける。
「父は人殺しなどではない」
「そうですか。まぁ、今はそれでも別に構いません。私は。それに私はあなたを気に入りましたよ」
そう言って、また一歩と真紘へと近づき、雪乃はそのまま真紘の口に自分の口を押し付けた。
「本当に・・・最悪だ」
アリーナの席へと戻った狼はがっくりと肩を落とした。
「まぁまぁ。運が悪かったとしか言いようがないよね」
狼の肩を叩きながら、鳩子が声を上げて笑っている。
「笑いごとじゃないよ。柾三郎先輩たちに付き合ってた所為で、アメリカとイタリアの試合・・・見そびれちゃったんだから」
狼はそう言って、再び深い溜息を吐いた。
アリーナの外で柾三郎に掴まった狼たちは、一時間ほど海外の観客に混じり、忍法芸につき合わされていたため、その間にアメリカとイタリアの試合が終わってしまったのだ。
勝敗はアメリカの圧勝。
試合時間はたったの二十分。どんな試合をしてそんな勝ち方をしたのか。狼はそればかりが気になった。
「誰か、試合の様子を撮ってたりしないかな?」
狼がぼんやりとした声でそう呟くと、隣にいた名莉が口を開いた。
「私が撮ってそうな人、探してくる」
「え、いいよ。なんか申し訳ないし」
「大丈夫」
そう言って、名莉はすっと立ち上がってどこかへ走って行ってしまった。
「なんか、当てでもあるのかしら?」
走り去って行く名莉を見ながら、根津が首を傾げた。
「さぁ。ちょっと僕にもわかんないけど・・・、いつもメイに気を遣わせちゃってて悪い気もする」
狼がそう言って唸ると、季凛がニヤッとした笑みを浮かべて
「あはっ。ねぇ、どうして名莉ちゃんがそんなに一生懸命にやってくれると思う?」
「メイが優しいからじゃないかな。ほら、メイってあんまり表情には出さないけど、仲間思いだし」
狼がそう答えると、季凛がげんなりとした顔をして狼を見た。
「えっ?なんだよ、その顔・・・」
「あはっ。狼くんに発想力っていうのが、芽生えないかなぁ~と思って」
「発想力って、どんな発想力だよ?」
「あはっ。もうこれは論外だね。けっこう末期患者だよ」
冷ややかな笑みを浮かべる季凛にそう言われ、狼は押し黙った。そのくらいの気迫が季凛から出ている。いや、さっきの希沙樹とのやり取りの後から、微妙に季凛の機嫌が悪い気がする。
だからこそ、狼は何も言い返せない。
そこに極め付けの言葉で季凛が、こう言い放った。
「あはっ。狼くんって本当にヘタレだよね」
「うっ」
胸に突き刺された痛みに耐えるように、狼は身を縮こませた。
すると、そこで狼の端末が光った。
メッセージ?
狼がすぐにメッセージを開くと、周からの物だった。
内容は『十分後に選手待合室へと集合』という物だ。そのメッセージの下には待合室へのルートが記載されたデータが添付されている。
「みんな、ごめん。集合が掛かったから、僕もう行くね。メイにもそう言っといて。じゃあ」
そう言って、指定された場所へと狼が向かった。
待合室へと入った狼は、一瞬で顔を引き攣らせた。
お、怒ってる。
言わずとも怒っているのは綾芽だ。綾芽は刃物のような鋭い目つきで、狼を見てきた。
「あの、僕・・・そんなに遅かったですか?」
狼がそう訊ねたが、綾芽は答えず待合室にあるモニターへと視線を移した。
「気にするな。黒樹。九条は未だに戦えていないことに苛々しているだけだ」
そう答えたのは、先ほど散々忍法を披露した柾三郎だ。
「はぁ。・・・あれ?」
狼は部屋を見渡して、疑問を口にした。
部屋を見る限り、真紘の姿が見当たらない。真紘だったら狼よりも早く来ていてもおかしくないはずだ。
「あの、真紘は?」
隣にいる柾三郎に訊ねると、柾三郎は首を傾げた。
「さぁ。奴にしては珍しいが、まぁ来るだろう。きっと奴にも行方から連絡は行っているだろ」
「そうですよね」
そう言って、狼は待合室にあるモニターへと目を向けた。
モニターには、今行われているフランスとエジプトの試合が行われていた。そしてそれを見ながら、綾芽がじれったそうに親指を噛んでいるのも見えた。
綾芽とは少し違うが、狼もモニターを見ながらじれったさを感じていた。
この試合が終われば、二次トーナメントとなり、初戦である日本と先ほどイタリアに圧勝したアメリカだ。
いやが何でも緊張してくる。
するとそこに
「少し遅れちゃったかな?」
と言って、慶吾が入ってきた。
「條逢、時間はきちんと守れ」
平坦な調子でやってきた慶吾に、周が渋い顔をして注意している。
「あはは。ごめん、ごめん。ちょっと頼まれ事しちゃってね」
「まったく」
慶吾の態度に少し呆れながら、周はそれ以上、深くは言及をしなかった。
そしてそれに遅れること十分後、真紘がやってきた。
「あ、真紘。遅かったね」
「ああ・・・、すまない」
少し下を向いている為、真紘の顔は読み取れないが、妙に真紘から流れる空気は重い。
だが、狼はそれ以上ここでは訊かないことにした。
もしかしたら、真紘に何かあったのかもしれないが、ここで訊くことでもないような気がする。
すると、モニターから地味に爽快な音が流れると、色んな語学の言葉が流れ日本語でのアナウンスが流れた「選手の方は、ゲート前へと集合してください」
そのアナウンスを聞き、狼の緊張は一気に高まる。
ついに、自分たちのWVAが始まるんだ。
一唾呑みこむだけでも、力がいる。そんな緊張感が狼の身体を奔っていた。
そして、先ほどまで苛立っていた、綾芽が不適な笑みを浮かべながら
「では、戦場へと参ろうぞ」
そう言って、ゲート前へと足を進めた。




