父の面影
狼と根津がドアを開けると、そこでは異様な光景が広がっていた。
それは、椅子ごと後ろに倒れた左京と知らない男の人、そして唖然とした表情をしている季凛と、またもや知らない男女の姿だ。
「これ、どうしたの?」
「さぁ・・・」
二人がそんな会話をしていると、脱力しきった季凛が口を開いた。
「あはっ・・・二人とも元気そうだね」
「いや、そうでもないけど・・・何かあったの?」
狼が恐る恐る季凛に訊ねると・・・季凛が深い深い溜息を吐いた。
何かまずいことでも訊いたかな?
狼は疲れ切った空気を流すために、いつもより戯け口を言った。
「いやぁ、言いたくないんならいいんだ。いや、なんかほら、左京さんと男の人が倒れてるし・・・ていうか、そこにいる人達は誰かなぁ~みたいなさ。はは」
すると意識がある少し太めの女性と、背反する体型をした男性が狼の方を向いてきた。
「望月真里でーす。そこで寝てる勝利様の懐刀でーす」
「細川大志でーす。右に同じく懐刀でーす」
脱力しながらも片手を上げて、自己紹介してきた真里と大志に狼は頭を垂れた。
「あっ、どうも。黒樹狼です」
狼が自分の名前を言うと、大志の方が片眉を吊り上げた。
「クロキ?漢字は?」
「漢字は色の黒に、なんて言ったらいいのかな?・・・あっ、樹液の樹です」
すると大志と真里が目を丸くさせた。
「ということは、君、黒樹の家の子なの?お父さんの名前は?」
真里が少し上半身を前に乗り出して、訊いてきた。
「え・・・黒樹高雄ですけど・・・」
すると真里と大志が何か納得したように、頷いた。それを狼も含め季凛と根津も疑問符を浮かべている。
なんだろう?
父さんの事知ってるのかな?
二人の頷きの意味が分からず、狼は思い切って訊ねてみた。
「あの、父さんの事何か知ってるんですか?」
「知ってるよ。そりゃあ、初代のアストライヤーさんだし、本当だったら九卿家である黒樹の次期当主だもん」
「あの、自意識過剰の黒樹の懐刀・・・思い出しただけでも腹が立つ」
狼は驚愕のあまり、意表を突かれた。勿論、真里の言葉で。
それは狼だけでなく、根津や季凛も同じく一驚している。
「え、ちょっと、いや・・・」
上手く言葉が出てこない。
今どんなリアクションを取ればいいのか、わからない。
「マジ?」
そう言ったのは、椅子に縛られたままの季凛だ。
「え?狼くん知らなかったの?」
あまりにも狼が驚いているため、そこに真里が驚いている。
「はい・・・」
狼は素直に答えた。
「ふーん。理由はどうあれ、黒樹の家らしいと言ったら、らしいかも」
真里が頭の中で誰かを想像するように呟いた。
だが、そんな真里の言葉でさえ狼は受け止められない。
「何かの間違いじゃないですか?もし父さんがその真里さんたちが言う黒樹だったら、なんでわざわざ本島から離れた島で、駄菓子屋なんかやってるんですか?生活だって裕福ってわけじゃないし・・・」
何故か狼の口調が早口になる。
どうして、僕、こんなに焦ってるんだろう?
狼が内心でそう考えていると、根津が呟くように言った。
「でも、狼のお父さんって、理事長と知り合いなのよね?」
「あ・・・・」
的を射る根津の言葉に、狼は短い声を上げた。
そうだ。最初から高雄は豊を知っていた。豊は高雄を友人とさえ言っていた。
そしてあの人たちも・・・・・
「急に黙っちゃったけど、何かセンチメンタル感じちゃった?」
大志がけろっとした顔で訊いてきた。
狼は少し空気を吸い込み、吐き出した。
「いや、なんか、もし父さんがそんな良い家の出だったら、スーパーのチラシを見ながら、やりくりをしてた自分が馬鹿らしくなっちゃって」
頭に手を当てながら、狼は自分の中にある苦い記憶を誤魔化した。
だが、そのことに誰も気づいていない。
大志は「若いうちに苦労してた方が良いって。そう、俺みたいに・・・」と呟いている。
するとそこに、狼達が入ってきた扉から「おお!」という声を上げて、鳩子と名莉がやってきた。
「二人とも大丈夫だった?変な仕掛けがいっぱいあっただろ?」
狼がそう訊ねると、名莉と鳩子は顔を見合わせて首を横に振った。
「なかった」
「え、嘘!?一個も?」
「うん」
そう頷いた名莉の表情は、とても嬉しそうな柔らかい表情だ。その表情は思わず見とれてしまうくらいに可愛い。
「メイ、何か良い事でもあったの?」
「あった。狼と会えたから」
さっきよりも綻んだ表情で名莉が笑い掛けてきて、狼はどきっとしてしまう。いつも綺麗な人形のように、表情を崩さない名莉がここまで笑うのも珍しい。
しかも、それが自分と会えたという理由のため、すごく照れくさい。
「ちょっと、メイっちだけじゃなくて、鳩子ちゃんも会いたかったんだけどなー」
そう言って、鳩子が悪戯っぽい表情で、狼の腕に巻きついてきた。
「あ、ああ。ありがとう。というか、別に腕に巻きつかなくとも・・・」
しどろもどろになりながら、狼が慌てていると、隣にいる根津から足の脛を蹴られた。
「ッ!!」
いきなり足を蹴られた意味が分からず、狼は痛みに悶絶した。
「あはっ。ハーレムしてるとこ悪いんだけど、いい加減、季凛たちを助けてくれない?」
「そうだそうだ。他の男が良い思いしてるところを見たって、こっちはおもしろくないんですけどー。苦情を出したいくらいなんですけどー。ったく最近の高校生は気が利かないなー」
「あー、いいな。高校生!!青春って感じだよねー」
と季凛、大志、真里の順で、言いたいことを言っている。
「あっ、ごめん。・・・今助けるよ。って!変な言い方やめろよ!別にハーレムなんてしてないだろ!!」
「あはっ。季凛ドン引きぃ~」
そう言った季凛の表情は、本当に狼を呆れているような表情だ。
なんで僕、こんな集中砲火を受けてるんだろう?
出そうになる溜息を堪えて、狼はとりあえず、季凛、真里、大志、そして気絶した二人の拘束を解いた。
「ふぅー、やっとこの意味不明な状態から解放されたー」
季凛が腕を上に伸ばしている。
「それにしても、この人たちいつ起きるんだろ?」
そう言って、大志が気絶した二人に近づき、二人の顔を見下ろしている。
すると、大志の気配に気づいたのか、勝利がばちっと目を開けた。
「「うおっ!」」
大志と勝利の声がユニゾンする。
そして数秒の沈黙から、勝利が上半身を起こした。
「おい、大志・・・奴はどこだ?」
「奴?」
「そうだ、奴だ!あの黒髪の・・・」
「ああ、勝利様と輝崎の懐刀が気絶した後、何か何事もなかったように消えちゃったんですよね」
「消えただと?つまり、奴はまだここにいるかもしれないということか?」
勝利の声は低い。
「まぁ、そうなるかと・・・」
「戯け者!!何故奴を野放しにした?奴はまだどこかで潜み、俺たちを狙っているのかもしれないのだぞ!?」
力のない大志の返事に、勝利が怒鳴った。
するとその怒声で隣にいる左京が目を覚ました。
「私は何故、こんなところで・・・・はっ」
左京が何かを思い出したかのように、俊敏に立ち上がるとお札を持ちながら周りを窺っている。
「残念だ、蔵前。この者達は奴を逃がしたらしい」
勝利が無念そうに呟く。
「まさか、そんなことが、ありえていいんでしょうか?」
左京まで悲嘆の色を込めた声で、そんなことを言っている。
そんな二人の会話を聞いた季凛がぼそりと呟いた。
「あはっ。呑気に気絶してた癖によく言うわ」
狼は思わず、季凛と左京たちの顔を交互に見合ってしまう。けれど運よく二人には、季凛の声が聞こえていないようだ。
ほっと狼が胸を撫で下ろす。
すると、再び勝利が口を開いた。
「ここに入る前と、少し顔ぶれが違うようだが?」
「ああ、この子、黒樹の家の子らしいですよ」
勝利の疑問に答えたのは、真里だ。
そして真里の言葉を聞いた勝利が、狼の顔をまじまじと凝視する。
「・・・黒樹?」
「え、あ、はい。黒樹狼です」
狼が返事をすると、勝利はさらに首を捻った。
「いや、黒樹っていうより、その顔は・・・」
勝利がそう言い掛けた所で、部屋の扉が強く開かれた。




