trap
「まさか、ネズミたちまで来るとは思わなかったなぁ」
「まで?どういう意味よ?あたしたちの他に誰か来てるって言うの?」
根津に訊ね返され、狼は少し戸惑った。
トゥレイターであるイレブンスがここに来ている事を、どう説明すればいいか?
うーん。ネズミに本当の事言ったら、「アンタ、何、敵と親しく話してんのよ?」とか言って、怒られそうだし・・・どうしようかな?
そして迷った挙句。
「いや、別になんでもない。ただの言葉の綾を間違えただけだよ」
「本当に~?」
狼の誤魔化しを半信半疑そうな顔で根津が、ジロリと狼を見た。
「本当だって!!」
「ふーん。まっ、別に良いけど。それより、他の皆を探すわよ」
「うん、そうだね。それにしても、真紘どこ行ったんだろ?」
「神隠しだったりして・・・」
「さっきも思ったけど、真紘が消えたのって、神隠しではないと思うんだけど」
「あたしだって、完全に信じてるわけじゃないけど・・・突然消えたって言うし、ここ、雰囲気あるじゃない」
「まぁ・・・」
確かに。
どこか怪しい雰囲気が流れる周りを見回しながら、狼は頷いた。
「まっ、目に見えないんだし、気にする必要なんて無いけどね」
肩を竦めて根津はそう言った。
狼はそんな根津を見て、独りでに動く日本人形を思い出した。だがそこはあえて何も言わなかった。余計な事を言って、変に動揺を与えることもないだろう。そう思ったからだ。
そして二人が歩いていく内に、今まで見た扉よりも一際大きい扉の前で立ち止まった。
観音扉となっている扉を、狼がゆっくりと開け、中を確認する。
「どう?」
後ろにいる根津がそう訊ねてくる
「どう?って言われても・・・中は真っ暗で何も見えないや」
そう狼が答えると、根津が狼の横に来て、中を覗き込んだ。
「本当ね。広い部屋ってことはわかるけど・・・」
「だろ?」
狼がそう言うと、根津が反射的に「ええ」と答えながら、顔を上げた。根津が首を上げた状態で、狼と目がぱちりと合う。すると根津は何故か、一瞬固まってから、首を下へと下げてしまった。
「ネズミ?」
狼が不思議に思い、根津の顔を覗き込む。
「べ、べつになんでもない!!いいから中に入るわよ!」
少し怒ったような声で、根津が先に部屋へと入って行く。
あれ、僕、何か悪い事したかな?
根津が妙に怒っているような気がして、狼は少し落ち着かない気持ちになった。
部屋の中は暗い。
そのため、未だに部屋がどうなっているのかさえ、わからない。
「ネズミ、いる?」
さっき真紘がいきなり消えたこともあり、一応声を掛ける。
「ちゃんといるわよ」
「えっ?」
狼は思わず、横から聞こえてきた根津の声に驚いた。
「自分で呼んでおいて、何驚いてんのよ?」
「あ、いや・・・前にいると思ってたから」
狼がそう答えると、根津からの返事がない。
だが、その代わりに狼の手に、根津の手が触れた。
狼の心臓がドキリと鳴る。
それは根津も同じなのか、触れてきた根津の手がびくっと動いた。そのまま根津は手をひっこめると思ったが、予想は外れた。
「え・・・」
根津の手が狼の手をきつく握ってきたのだ。
「別に大したことじゃないでしょ。手を繋ぐことくらい、小学生でもできるんだし」
根津がそんな事を言ってきた。
狼はかろうじて頷いたが、なんとなく気恥ずかしさは消えない。
それはきっと根津も同じだろう。さっきの言葉から根津は再び沈黙している。
「とりあえず、先に進める場所があるか、手探りでも探そう」
「わかったわ」
そんな受け答えをし合い、手を繋いだまま暗い部屋の中を進む。
だがその時、ガコンという音が足元から聞こえた。
ごくり。
狼は幾度ともなく聞いてきた不吉な音に、生唾を呑んだ。
「なに、さっきの音?」
狼と違って、仕掛けに未だ掛かったことがない根津は困惑の声を上げている。
まだ床に立っているということは、落とし穴ということではないらしい。この状況に馴れきった狼はそう冷静に判断していた。
だが、何が起きても良いように狼はイザナギを復元する。
すると、ぱっと狼たちの目の前が明るくなった。
「うわっ!」
「いきなり何なのよ!?」
暗い所にいきなり目の前が明るくなった為、二人の目が耀う。
けれど次第にその明るさにも慣れ、目を凝らしながら前を見ると、そこには入ってきた扉と同じデザインの扉があった。
「なんだ、ただ灯りが点いただけじゃない」
斜め後ろにいる根津が少しあっけらかんとした声でそう言った。
だが狼はそんな根津の言葉を聞いても、未だに安心できずにいた。
これだけで、終わるとは思えない。
今までの経験上、どうしても楽観的にはなれない。
だが、そんな狼の心配を余所に根津が狼の前へと歩き出した。狼は根津と手を繋いだ状態のため、引っ張られるように前へと進む。
「意外に大したことないじゃない」
得意げな表情を浮かべて、根津がそう言った。
狼はそんな根津に渋々、ついて行くように歩き出すと身体がぐらっと傾いた。
へっ?
狼が思わず足元を見ると、自分たちが立っている床が進行方向の後ろへと急勾配に傾きだしたのだ。
狼は慌てて、イザナギを床へと突き刺し、後ろに転がり落ちるのは防いだ。だが、その代わりに・・・狼の顔面へと根津が倒れ込んできた。
「え、あ・・・やばっ!!」
油断していた根津は、対処に遅れたのだろう。そのため見事に狼に倒れ込んできたのだ。しかも、いきなり足場が傾いたため、バランスを崩した根津は、繋いでいた狼の手を離し、前屈みになりながら、ぶつかってきた。
慌てて狼が、根津が転がり落ちない様に腰に手を回して受け止めた瞬間。
狼の口元に柔らかい感触が触れた。
二人の思考が一瞬で固まる。
触れたのはほんの一瞬で、すぐに離れてしまったけれど、確かに口元に柔らかい感触を感じたのは確かだ。
しばし、二人の間に沈黙が流れる。
狼は思わず顔を横へと逸らした。
これでは、自分がさっきの事故とはいえ、キスしてしまったことを完全に意識しているのが丸わかりだ。
とはいえ、何て言葉を発すればいいのか、わからない。
そのため、狼が沈黙を続けていると、目線を下に下げていた根津が口を開いた。
「あ、あんまり変に意識しないでよ。さっきのは、事故なんだから。それより、上にある扉まで、どうやって行くか考えるわよ」
「あ、ああ、うん。そうだね。そうしよう」
少し動揺混じりに、狼が根津に返事した。
そして上の方に、視線を向けると床がかなり急な角度で傾いているのが分かる。
狼は少し考えてから
「この角度だと、足を着いて移動できそうにないし、一気に扉まで跳ぶしかないかな」
「確かに」
「じゃあ、僕に掴まっててね。このまま一気に跳んじゃうから」
「わかった」
そして根津の腕が狼の首元に回ってきた。さっきよりも根津との密着感がある。服越しに根津の身体の柔らかさが伝わってきて、狼は物凄く気恥ずかしくなった。
腕を回している腰は、適度なくびれがあり、首元に回っている腕は男子の腕よりも柔らかい。しかも耳元では、根津の吐息が間近で感じられる。
いつもは男勝りな根津でも、やはり女子だということを、否が応でも思い知らされてしまう。それに拍車をかけるように、狼の頭の中では、さっきの口唇が触れてしまったことや、秀作たちから聞かされた明蘭のジンクスの話などが、リプレイされていた。
普段なら狼はそこまで、秀作たちが言うような男女の仲について考えたりはしないが、別に興味がないわけじゃない。
自分だって健全な男子だ。
いや、でも別にこんな状況の時じゃなくても・・・。
その時ぱっと狼の頭の中に、何故か小世美の姿が思い浮かんだ。
あああああああああああああああああああああああああああああああああ。
狼は妙な罪悪感に襲われ、頭の中であらん限り叫んだ。
「狼?どうしたの?」
そんな狼に根津が怪訝そうに声を掛けてきた。根津の声で狼は頭の中で反芻されていた雑念を払い、息つく暇もないまま、傾いた床を一気に蹴った。
もういい。
こんな所でグタグタと考えているくらいなら、早くこの状況から抜け出したい。
狼は切実にそう思った。
それに根津に対して申し訳ない気持ちになる。根津は部活の仲間として心配して来てくれたというのに、自分がこんな不純な考えに翻弄されて、根津に迷惑を掛けてしまっているからだ。
はぁー。あんな話、しなければ良かった。
狼はそんな事を考えながら、目の前にある扉を開いた。




