逃走
狼が次に目覚めたのは、学園にある救護棟の一室だった。
「あれ?」
自分はどうして、ここで寝てるんだろう?
狼は上半身を起こし、冴えない頭で記憶を掘り起こす。
記憶を掘り起こして、鮮明にはっきりと思い出せるのは狼が落ちた地下で、大太刀を発見したところまでだ。
そのあと、警告音も聴いたような気もする。だがその後のことが、狼にはまったく思い出せなかった。
だから、自分が軽傷とはいえなぜ怪我をしている。ただ何故自分が怪我をしているのかが分からない。
そもそもどうやって、あそこから出たのだろう?
起きたばかりの狼には、さっぱりと言っていいほど、自分が置かれている状況を理解できていない。むしろ困惑しているくらいだ。
狼が一人で腕を組み唸っていると、部屋のドアがノックされた。
「はい、どうぞ」
見るからに、この病室には自分以外はいない。そのため狼が返事を返す。
すると、病室の引き戸が軽やかに開けられ、学園の理事長である豊が入ってきた。
「気分はどうかな?君は丸三日も寝ていたんだ」
「……えっと、問題ないです……多分」
そう答えながらも、狼は自分がそんなにも意識がなかったことに驚いた。だが、病室にある電子カレンダーの日付を見ると模擬テストから三日後の日付が表示されている。
「そうか、そうか。それはなにより……」
そう言って、豊は頷くとベッドの横にある椅子に腰を下ろしてきた。
「もしかして、僕のお見舞いに来てくれたんですか?」
「ん? ……あー、まぁね。でもお見舞いをするためだけに来たわけじゃないんだ。傷の程度も軽傷だって事は報告されているし」
「そうなんですか? じゃあ、僕に何の用事があったんですか?」
狼は聞き返してから、ふと、もしかしたら地下で見た物についてかもしれないと思った。そして、その考えは当たっていた。
「狼くん、君はこの学園にある地下室で、大きなBRVを見つけたね?」
「あ、はい」
「怪我しているところ悪いんだが、ちょっと出してみてくれるかい?」
「えっ?」
「なにをそんなに驚いているんだい? あれは君のBRVだよ?」
突然の豊の言葉に、狼は一瞬絶句した。
狼からしてみれば、あの地下室にあった物がBRVということも疑っていたくらいだ。それなのにそんな武器を、自分のBRVにするはずがないし、した覚えもない。
「あの、話を折るようで悪いんですけど、僕……今、理事長が話している意味がよく理解できてないというか……」
「それはまた可笑しな話だね。君はあれを使ってトゥレイターと戦っていた……ああ、それとも君にはあの時の記憶がないのか、或いは……意識をあれに取られていたわけか」
独り言を呟くように話す豊の言葉は、やはり狼には理解できない。
だが、これだけは理解できた。
あの警告音は、アストライヤーに反感を持っているトゥレイターが学園に潜入したことを知らせる物だった。そして自分はそのトゥレイターと身に覚えがない内に戦っていたこと。これだけが豊の呟くような言葉でわかった。
けれど疑問は残る。何故、自分がそんな者と戦えたのか? という疑問が。
トゥレイターとはアストライヤーに反感を持つ者。つまりテロリストみたいなものだ、と豊が教えてくれた。そんな武力行使に馴れているような人間を相手に、まったくもって戦いという戦いをしたことがない狼が敵うはずもない。それにも関わらず、狼自身は軽傷で救護棟に居る。
「よしっ、資料なく説明するよりも、資料あっての方が君も理解しやすいだろ。だからあれを出してもらえるかな?」
豊が言うあれとは、きっとあの大太刀のことだろう。
狼は半信半疑で、ゆっくりと口を動かした。
「セット・アップ」
すると狼の右手に嵌められている端末が光り、狼の手元には地下で見た大太刀が現れた。狼はそれを見ても、やはり現実味が希薄だと感じる。
「これが、どんなBRVかわかるかな?」
「いえ……」
「まぁ、そうだろうね。これは数あるBRVの中でも最強の武器……イザナギだ」
「イザナギ……」
狼はイザナギと呼ばれるBRVの名前を、復唱しながら刀身にゆっくりと触れる。
こんな地下に置きっぱなしにされていたような物が最強のBRVということに、狼は釈然とした気分にはなれない。
しかも、そんな物が自分のBRVだという事にも驚きだ。
「君はBRVの保管庫には行ったかな?」
「はい。行きました。でも、そこで自分のBRVを探そうとしても、全然合わなくて……」
「それはそうだろうね。君のBRVは元々決まっていたのだから」
豊の妙に自信に満ち溢れた声は、静かな病室でよく響いた。
「はぁ? 決まっていたとは、どういう事ですか? だって僕はあの地下室で見るまで、このBRVを見たこともないのに」
「まぁ、そうだろうね。だがね、このイザナギにはすでに君の生体情報が記録されていて、君しか使えない物になっている。つまり、このBRVは正真正銘君の物だ。その事実は変わらない」
「事実は変わらないとしても、こう、分からないことが多すぎると……なんていうか、気分的に微妙な気がするというか」
狼は、今の自分が抱いている感情をどう表現すれば良いのか分からず言葉を濁す。
「気分が晴れないというのは、仕方ないことだとは思う。人は自分が理解できないことに出くわすと、焦燥感と不安が生まれてしまうからね」
豊の言葉は、すごく的を射ている。
しかし今の狼は、これ以上このイザナギについて知りたくないような気もした。
だから、別の話に切り替える。
「あの、僕ずっと理事長に尋ねたかったことがあるんですけど……訊いても良いですか?」
「いいとも。どんどん訊いてくれ」
一拍置いて狼は言葉を紡ぐ。
「どうして、僕をここの学園に入れたんですか?」
ここに入学してから、頭の片隅にあった疑問だ。
豊はあの時、ヒーローがなんだのと言っていたが、そんな安易な理由で自分を特待生にしてまで、ここに入れたとは思えない。
狼は豊を見ながら、次の言葉を待つ。
豊は少し考えるような素振りを見せてから
「君のことは、昔から知っていてね。ぜひ、僕の学園に入学して欲しい。と前々から高雄に頼んでいたんだ。けれど高雄には高等部からと言われてしまって。だから君が高校から明蘭に入学するのは決まっていたんだよ。高雄は……君のお父さんは、きっとそのことを忘れていたんだろうね」
静かな声でゆっくりと豊は、そう言った。
そして狼はそれ以上のことは訊かずに、ただ黙っているしかなかった。豊の答えはすごく単純な答えだ。だからこそ狼はそれ以上、何を話せば良いのか迷っていた。
狼は自分が寝ているベッドのシーツに視線を向けながら、顔を伏せていると、再び豊が口を開いた。
「話は変わるんだが……狼くん、君は本当にトゥレイター達と戦った記憶が無いのかな?」
「あ、はい」
「ーーそうか。でも今回のことは意識を乗っ取られていたとはいえ、記憶がありませんでしたでは、済まないかもしれないね」
「ーーそれは、どうしてですか?」
普段とは違い、豊の表情は硬い。そのためか狼は気持ちが落ち着かない。
「君はイザナギを使って、物凄く威力の高い攻撃を放ったんだ。敵に向けてね……だが、その敵がいる方向と威力が問題だった」
狼は全意識を集中させながら、豊の話を聞く。
「近くにあった建物の約半数が跡形もなく破壊され、君を助けるために戦闘に介入した輝崎真紘くんに瀕死の重体を負わせてしまったんだよ。ーー今、彼は集中治療室で治療を受けているが、危険な状態だ。校舎の方にも攻撃が及んだものの、輝崎君が身を挺して食い止め、その後の教官たちの対処のおかげで幸いにも他の生徒たちには、害はなかった。……とはいえ、それらはまさに奇跡だ」
意識を乗っ取られた?
輝崎真紘が……瀕死の重体?
狼の意識はもうすでに豊の言葉から離れて、自身の意識の中に飛んでいた。
自分はなんてことをしてしまったのだろう。絶望感で胸が引き裂かれそうになる。
己のBRVであるイザナギに意識を持っていかれ、そしてそのままトゥレイターと戦った。しかもそれによって真紘を重体に追いやってしまったなんて。
狼の耳には、『あれは事故とも言える』などの言葉を豊は言っていたが、その言葉ではなんの救いにもならない。
救いの言葉を言うのなら、自分を罵ってくれた方がいい。
狼の中で真紘との面識は、あの模擬テスト前に会ったのが初めてだ。でも、すぐに良い人だということも分かったし、もっと話せば友人になれるとも思った。
それなのに……それなのに……。
自分は敵ごと真紘を殺しかけてしまった。故意ではないにしろ、結果はそういう事になる。
いつのまにか、椅子に座っていたはずの豊の姿がなかった。きっと狼があまりにも狼狽えていたため、何も言わず、病室を出て行ったのだろう。
病室の四角い窓から見える空は、どんよりとした雲が覆っていた。
豊が病室に来た日から2日後に、狼は退院することになった。
だが、退院できたとしても狼の気分はすっきりとしない。そして、その足取りのまま狼は集中治療室がある病棟へと向かった。
集中治療室がある西棟には、人の数も少なく静寂とした空気と乾いた匂いが漂っている。狼は建物の隅にあったエレベーターに乗り込み、3階のボタンを……躊躇いがちに押した。
エレベーターのボタンを押すだけで、こんなにも勇気が必要なのかと狼は思った。エレベーターが上へ上へと上がる度に、悔恨や苦渋といった感情が狼の中で溶け合い、混ざり合う。そしてそれを全て吐き出して、逃げてしまいたくなる。そんな自分を無理矢理押し込め、狼は三階にある集中治療室の前に立った。
病室についている横長の内窓から、ベッドで呼吸器をつけながら眠っている真紘とその横に名莉の姿があった。
真紘の顔は包帯で巻かれていて、それ姿がより一層狼の首を絞め、負の感情をどんどん溢れ出させる。そして耳元には微かに、真紘の命を知らせる機械音が聴こえた。生を知らせる物なのにどうして、こうも弱々しい音なのだろう。狼は自然と自分の手を強く握っていた。そして、それと同時に思い出してしまった。
ベッドで眠っている真紘から名莉へと視線を移す。
名莉の表情はここからでは見えない。
狼は黙ったまま内窓から二人の様子を見ていると、ふいにこちらに顔を向けた名莉と目が合ってしまった。名莉は目を見開きながら、狼の方へと近づいてくる。
狼は名莉と目が合った瞬間に名莉から視線を逸らし、急いでエレベーターの方に走ろうとしていた。
そんな狼を名莉が病室から出てきて引き留める。
「待って!」
にわかに大きくなった名莉の声に、狼は思わず立ち止まってしまった。
狼は名莉に背中を向けたまま、口を開くことができない。
「狼……どうして逃げるの?」
名莉の言葉で、狼は胸に棘が刺さったような痛みを感じる。
「ーー別に、逃げてないよ」
「嘘、狼はさっき私から……真紘から逃げた」
「っ、そんなんじゃ……」
こんなことを言いながら、自分が今、最悪な顔をしていると狼は感じた。
「じゃあ、こっちを見て」
見れない。見れるはずがない。
狼が再び沈黙すると、しびれをきたした名莉がこっちに近づいてくるのが足音でわかった。
そして、近づいてきた名莉は狼の腕を掴んで、狼の目を自分の方へと合わせる。
やや眉を潜めた名莉が、まっすぐに狼の顔を見る。そんな名莉に見られ、狼は居た堪れない気持ちになっていく。
「僕は……ここに来るべきじゃなかったんだ」
消え入りそうな声で狼は、一言そう言った。
あんな姿になっている真紘を見て、狼はすごく後悔していた。自分がここに来なければ、真紘はこんな大怪我をすることもなかったのに。
もう最初から無理な話だった。自分がBRVという武器を使い、誰かと戦うなんて。
そんなことは分かりきっていたはずなのに。
脱力したまま狼が下を向いていると、頬に痺れるような衝撃が走った。
狼は赤くなった頬を、手で押さえながら名莉を見る。
名莉は苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「どうして? そんな言葉を言うの? あなた、最低……」
静かながらに怒りの籠った名莉の言葉に、狼ははっとした。
今なにか言わなければいけないような気がする。でも口が思うように動かない。驚くくらい思考回路は真っ白で、言葉が出てこない。そのため狼の口は無様に開かれているだけで、声が出ていない状態だ。
「わたしは……狼のこと最初見た時に強いと思った。そう、確かに強かった。ーーでも弱かった。あれは強さじゃない。あれはただの暴力。ーーあんなのは嫌い」
侮蔑を示す名莉の言葉に狼は、なにも言い返せない。
名莉が言うように狼の攻撃は一方的な破壊行為だった。そう、狼は真紘を窓越しに見たとき思い出してしまった。自分がどんなに恐ろしいことを犯してしまったのかを。
例えあれが、自分の意思ではなかったとしても、真紘を……人を傷つけたことに変わりない。だとするなら、自分はどんな言葉を言えばいい?
いや、自分がいくら言葉を紡いだとしても許されるはずがない。狼は入学初日から名莉と一緒にいて、名莉が真紘を大切にしているということは、すぐにわかった。
そんな大切な相手を傷つけた自分を名莉が怒っていないわけがない。
「だったら、もういいじゃないか。僕たちにはもう話すことなんてなんにもないだろ……」
項垂れた声で言うと、名莉は掴んでいた手を静かに離した。
「分かった。もういい。わたしたちに関わらないで」
名莉はそう切り捨てると、治療室の中に入っていった。
狼は言い返す言葉も出ず、俯いたままだった。
医薬品の独特な臭いがイレブンスの鼻についた。イレブンスには無数の医療機器のコードがつけられている。
「気分はどう? イレブンス」
そう言って、強襲部隊のメディカルアシスタントでもある李・朱亞がイレブンスを覗き込んできた。
朱亞は、長い髪を簪でとめ、白衣を着た女医だ。イレブンスよりも少し年上という印象だが、実際のところは知らない。
「別に、なんとも」
「よく言うね、様子を見に行ったサードやナインスが運び込んでくれなかったら、確実に死んでいたっていうのに。……今、君とフォースには回復力を急激に向上させる薬剤を投与したからあと四日もすれば、動けるようになるだろうさ」
正直イレブンスにとって、今は自分が危ない状況に置かれていたことなど、どうでもいいことだった。イレブンスの頭の中に浮かんでいることは、ただ一つ。
イザナギを手にしていた者のことだけだった。
あいつは、いったい何者だ?
どんなに頭の中の記憶を探ってみても、アストライヤーに関する資料類の中にイザナギを手にしていた者の顔なんて載っていなかった。
アストライヤーに関する資料なら、ありとあらゆる情報を集めている。しかもイザナギを手にし、その上、あそこまでの強者なら資料に載っていないはずがない。
では、何故イザナギを手にした者の資料だけないのか?
いや、でもフォースの奴はアイツを知ってる様だった。問い質してみるか? いや、問い質した所であの男が素直に答えるだろうか?
イレブンスは何度も同じ問答を繰り返した後、一つのシンプルな答えを導き出す。
「ーーなんにせよ、敵をぶっ潰せばいいってことだ」
「随分、物騒な呟きをするのね。君は」
苦笑を漏らしながら朱亞が、嘆息をする。
「分からない事をずっと考えてる暇なんてないだろ? なぁ、俺の銃のメンテナンスはどうなってる?」
「ああ、そのことなら問題ないわ。ちゃんと終わってる。ただ、オリハルコンで出来ていないバレル部分は、めちゃくちゃだったけど。それも修復完了してるって。まぁ、汎用型のBRVだからパーツ替えも直ぐに終わるでしょう」
「流石にやること早いな」
「その方が君たち、強襲部隊にとっては好都合なんじゃない?」
笑いながら嫌味を言われた。
でも、それは仕方ないことだろう。強襲部隊である自分たちが派手に事を起こせば、その分メディカルアシスタントを含め、サポート側の人間の仕事は増える。
しかも今回はイザナギ・イザナミとの戦闘で、後処理の量も尋常ではなかったはずだ。それに加え、瀕死状態に陥ったイレブンスたちの治療となれば、疲労も限界にくる。
イレブンスは朱亞からの嫌味を聞き流して、天井を眺めた。
天井はなんの変哲もない、真っ白な天井だ。
そういえばイザナギから放たれた砲撃も驚くくらい、真っ白な色をしていた気がする。
ーーはっきりいって、よくは覚えていないが。
イレブンスが千光白夜を見たのはたった一瞬だ。
攻撃が放たれた一瞬で、自分たちは意識を失った。多分、敵に捕まらなかったのは、敵側も敵で混乱していたに違いない。そして敵が混乱している内にサードたちによって救出された。
実際のことは知らないが、大体はこんなもんだろう。
イレブンスは小さく苦笑を漏らす。
「なに? どうかしたの?」
「別に」
「そう? 君の顔からして『別に』の顔に見えないけど」
「そうか?」
惚けた声で答えると朱亞はむっとした顔でイレブンスを見る。すると朱亞は別のアシスタントに呼ばれ、そっちに向かって行った。
一人になったイレブンスは、無機質な天井を見つめながら感慨深く思っていた。
何故ならやっと強いアストライヤーとなる者と戦えるのだ。何も思わないわけがない。これまで戦ってきたアストライヤーの候補生たちは、嫌気がさすほど軟弱だった。そんな軟弱な者と戦っても無意味だ。強い者を倒さなければ勝っても先には進めない。
だからこそ、イレブンスの眼中に今のアストライヤー代表は映っていない。あれはただの仮初めアストライヤー。本物のアストライヤーは初代のみ。
だが、その初代アストライヤーは何故か表に出てこようとはせず、仮初めのアストライヤーに代表を任せてしまっている。
そのため、いくら現代表であるアストライヤー五人を倒した所で、アストライヤーが世の中から消えることはないだろう。それでは意味がない。
自分がいるトゥレイターの者は世の中から、アストライヤーを完全に消し去ることを渇望しているのだから。
イレブンスは思う。
もし、あのイザナギ・イザナミを持つ者を倒せば何かが進む。そう思う。
『やめろ、やめろ、たすけ、たすけて、たすけてくれぇえええ』
イレブンスの脳裏に昔の記憶が思い浮かぶ。
ヒーローに殺された男のことを。
だからこそ
「絶対に俺が……あいつらをぶっ潰す」
イレブンスはそう固く心に誓った。
真紘の病室の前で名莉と言い合いをして一週間、狼は無気力のまま過ごしていた。
授業にも出ず、部屋で無造作にベッドの上で丸まっていた。
何回か根津や鳩子が狼の部屋の様子を伺いに来てくれていたが、記憶が曖昧だ。
まともに食事も摂っていないのに、まったくお腹が空かない。
だからと言って、このまま何も食べないわけにもいかない。そう思い狼はぼんやりとした思考のまま寮の部屋を出た。
狼は部屋を出て、今が夕方だということに気づいた。授業が終わり、寮に帰ってくる生徒たちに見られていたが、狼はそんな視線に気にも留めず闇雲に歩く。
そして気が付けばグラウンドの方に来ていた。グラウンドは、立ち入り禁止のコーンが立っていて、規制テープも貼られている。テープの先には整備されたグラウンドではなく、荒れ果てた地面だけがある。そしてその先にある舗装道路もえぐられ、近くに建っていた建物も瓦礫となっている。
それを見て、狼は胸が抉り取られるような痛みを再び感じる。自分がやってしまった罪の重圧に押し潰される。
「あなたは……」
後ろからの声に狼が振り返ると、模擬テストの時に自分を睨んできた一軍の女子がいた。一軍の女子は、最初に驚いた顔をしてから、すぐに狼を威嚇するような眼差しを瞳に宿した。
「私は一軍候補生の五月女希沙樹。これから貴方に正々堂々と決闘を申し込ませて貰うわ」
そう言って、希沙樹は鋭利に研ぎ澄まされた突撃槍を構えた。
突撃槍を構えたまま、少しの間希沙樹が狼の反応を伺ってくる。けれど狼は物騒な物を手に取られても、上手く反応することができない。する気が起きないのだ。
「どうしたの? 早く貴方の武器を出して、戦いなさい」
動こうとしない狼を見て、希沙樹は怪訝そうに顔を歪ませている。
「なぜ? 貴方は私に戦いを挑まれているのに、戦おうとしないの!?」
希沙樹は声を荒げて狼に向かって突撃してくる。それは一瞬のことだった。
突撃槍は狼の頬を霞め、狼の頬からは血が流れる。
「次はわざと外したりせず、首元を貫通させてあげる」
ゆっくりと突撃槍の先が狼の喉元に当てられ、突撃槍に狼の血が滴り落ちた。
「……ここまでしているのに、黒樹狼、貴方は何故動こうとしないの? 私のことを自分よりも弱いと思っているの? それとも侮っているのかしら? なんなら私が貴方を殺さないとでも?」
今にも泣きそうな声で、希沙樹は肩を震わせている。
「もしそうであるなら、とんだ思い違いよ? 私は真紘のためなら、どんな罪にも我が身を染める自信がある」
その言葉を口にした希沙樹の目には、強い意志が宿っていた。
「五月女さんがそうしたいなら、そうすればいい」
自分はもしこの場で、殺されたとしても何も文句は言えない。自分だって他人の命を奪おうとした。いや、もしかしたら奪っているかもしれないのだから。自分だけ殺されたくないなんて、とんだ傲慢さと我儘だ。
狼は希沙樹から怒りの視線を浴びながら、そう思った。
「……興冷めしたわ。貴方のような愚者を殺しても、なんの意味も持たないもの。殺す価値もないということよ。…………恥を知りなさい」
さっきまでの声とは違い、希沙樹の声はとても静かだった。静かすぎて、自分はまた間違った選択をしたということを痛感する。そして希沙樹はそのまま何も言わずに狼の元から去った。
そして、一つの事実を改めて狼は知った。
そうか。
今の自分は殺される価値もないんだ。
だとしたら、自分になんの価値も残っていない。
「ははは」
自然に引き攣った笑いが漏れた。自分でもどうして笑っているのかが分からない。
そして、その引き攣った笑いは夜の闇に吸い込まれるように溶けた。
「小世美?」
「オオちゃん! そっちはどう? 少しは慣れた? そっちに行ってから中々連絡が来ないから、気になってたんだよ? 田舎者とかで苛められたりしてない?」
「あはは。苛められたりはしてないよ。ごめん。色々、やる事が沢山あって中々連絡が出来なくて。ーー本当にごめん」
「……オオちゃん、どうしたの? なんか元気ないよ?」
気が付けば、狼は寮の部屋で掛け慣れた相手に連絡していた。
本当はもっと早く小世美に連絡をしたかったのだが、目まぐるしく色々な事があったため、小世美に連絡が出来ずにいたのだ。
東京に来てからする、初めての連絡がこんな内容になってしまい、狼は何とも情けない気持ちになる。
ただ一つ良かったのは、小世美たちの方に狼が怪我した事などの連絡は入っていない事だ。もし、そんな連絡があれば小世美と高雄が狼を心配し、直ぐにでも明蘭の方へやってきていただろう。
小世美たちに下手な心配を掛けたくはない。
とはいえ、小世美は声音だけで狼に何かあったのを察してしまったらしい。家族だから当然と言えば当然だ。
自分の異変を敏感に気づいた小世美が、通話越しに心配そうな声で訊ねてくる。
「ちょっとね……」
「何かあったの?」
久しぶりに耳にする小世美の声に、思わず泣きそうになる。
「オオちゃん?」
泣きそうになるのを堪え、くぐもった声で狼は答えた。
「なぁ、小世美……。やっぱり僕にはアストライヤーなんか向いてないんだよ。能力だってそんなに高くないし、学年のクラスだって二軍っていう下のクラスだし。……何かさ、やる気がまったく出なくて。もう島に帰りたいんだ……。身の丈違いの場所に入るべきじゃないね、本当に」
大切な事をひた隠しにした狼の言葉には、今にでも消えてしまいそうな脆さが含まれていた。
そしてそんな狼の気持ちを見透かすように、小世美が口を開いてきた。
「オオちゃん、私に何か隠してるでしょ? 私が知ってるオオちゃんは下のクラスだからって、やる気を無くしたりしないよ」
「小世美は僕を買い被り過ぎだよ。それこそ小世美だって、こっちに来れば分かるよ。上のクラスと下のクラスだと差別が激しいんだ。普通に考えたらワイドショーで取り上げられるレベルだよ」
自虐を混ぜて、狼は何とか小世美からの言葉から逃れようとする。
「オオちゃん、私を見くびらないで。オオちゃんが何かを誤魔化そうとして逃げてるのなんて、スケスケに見えてるんだから」
「うっ」
あっさりと自分の誤魔化しが見破られ、狼は顔を俯かせる。
「オオちゃん、オオちゃんは何から逃げたいの?」
そんな小世美の冷静な問いに、狼は胸を打たれた。
その言葉は名莉にも言われた。狼が名莉から、真紘から逃げていると。
自分は別に逃げてるわけじゃない。いや、そう思いたいだけなのかもしれない。
「逃げてる? ……僕が?」
呆然としながら呟くように狼が小世美に尋ねる。
「そうだよ。オオちゃんは何かから逃げようとしてる。そうとしか私には思えない。そっちで何が有ったのか私には分からないけど、そんなオオちゃんは私が好きなオオちゃんじゃないよ。私が知ってるオオちゃんは、どんなに苦しくても、嫌でも途中で逃げたりなんかしない。……ねぇ、オオちゃん、憶えてる? 私と島にいる子達でかくれんぼして、夜になっても私が見つからなかった時のこと……」
「うん、憶えてるよ」
それは狼と小世美と島の子供たちで、かくれんぼをした時のことだ。
子供ながら住み慣れた島ならどこでも見つけ出せると思っていて、その時に見つける役をやったのが、じゃんけんで負けた狼だった。
次々と隠れていた子供たちが見つかる中、小世美だけがなかなか見つからなくて、とうとう夜になってしまった。
焦った子供たちが島の大人を呼び、みんなで探しても見つからず、救急隊に捜索願を出そうという意見が出始めていた。
ちょうどその頃、必死に探し続けていた狼が山中にある小さい穴の中で、目元を真っ赤にした小世美を見つけた。見つけた時、小世美は大泣きして狼と共に家に帰ったのだ。その記憶は狼もちゃんと憶えてる。
狼も小世美が見つかったことへの嬉しさと安堵感で、一緒に泣いた。その時の狼は服も泥だらけの汗だくで、体も擦り傷だらけだった。でも、そんな事はどうでもよくて、小世美を見つけ出せたことが、とても嬉しかった。
二人で目を赤くして、家に帰ると父である高雄に拳骨を貰ったことも憶えている。
「あの時ね、自分はずっとこのまま見つけて貰えなくて、死んじゃうんだ~って思ったら泣けてきちゃってね、わんわん泣いたなぁ。でもね、そうやって大きな声で泣いてる間も信じてたんだよ? きっと、オオちゃんが絵本の中の王子様みたいに私を見つけだしてくれるんだろうなぁって。そうやって信じてたら本当にオオちゃんが見つけてくれて、私すごく嬉しかった。だから、オオちゃん……どんなに辛くても、苦しくても逃げないオオちゃんでいて。大丈夫。オオちゃんなら絶対乗り越えられるよ。私はそう信じてるから。あっ、でもオオちゃんが苛められたりしてたら別ね。そしたら私がお父さんと一緒に迎えに行ってあげるから」
「うん……」
返事をした瞬間、狼の頬には涙が流れていた。
そうだ。自分にはまだ自分を信じてくれる人がいる。
「ありがとう……。信じてくれて」
涙で声がむせ返りながら、口にした言葉がとても、とても自分にとって大切な事だと感じた。




