逃走
狼が次に目覚めたのは、学園にある救護棟の一室だった。
「あれ?」
自分はどうして、ここで寝てるんだろう?狼は上半身をお越し、冴えない頭で記憶を掘り起こす。
記憶を掘り起こして、鮮明にはっきりと思い出せるのは自分が落ちた地下で、大太刀を見つけたところまでだ。
そのあと、警告音も聴いたような気もする。だがそのあとのことが、狼にはまったく思い出せなかった。
だから、自分が軽いとはいえなぜ怪我をしているのかが、わからない。
そもそもどうやって、あそこから出たのだろう?
起きたばかりの狼には、さっぱりと言っていいほど、自分が置かれている状況を理解できていない。むしろ困惑しているくらいだ。
狼が一人で腕を組み唸っていると、部屋のドアがノックされた。
「はい、どうぞ」
見るからに、この病室には自分以外はいない。そのため狼が返事を返す。
すると、病室の引き戸が軽やかに開けられ、学園の理事長である豊が入ってきた。
「気分はどうかな?君は丸三日も寝ていたんだ」
「えっと、問題ないです・・・」
そう言いながら、狼は自分がそんなにも意識がなかったことに驚いた。だが、病室につけられているカレンダーの日付を見ると模擬テストから三日後の日付に印がされている。
「そうか、そうか。それはなにより・・・」
そう言って、豊は頷くとベッドの横にある椅子に腰を下ろした。
「もしかして、僕のお見舞いに来てくれたんですか?」
「ん?・・・あー。まぁね。でも、お見舞をするためだけに来たわけじゃないんだ」
「そうなんですか?じゃあ、僕に何の用事があったんですか?」
狼は聞き返してから、ふと、もしかしたら地下で見た物についてかもしれないと思った。そして、その考えは当たっていた。
「狼くん、君はこの学園にある地下室で、大きなBRVを見たね?」
「あ、はい」
「怪我しているところ悪いんだが、ちょっと出してみてくれるかい?」
「えっ?」
「なにをそんなに驚いているんだい?あれは、君のBRVだろ?」
突然の豊の言葉に、狼は一瞬絶句した。
狼からしてみれば、あの地下室にあった物がBRVということも疑っていたくらいだ。それなのにそんな武器を、自分のBRVにするはずがないし、した覚えもない。
「あの、話を折るようで悪いんですけど、僕・・・今理事長が話している意味がよく理解できないというか・・・」
「それはまた可笑しな話だね。君はあれを使ってトゥレイターと戦っていた・・・ああ、それとも君にはあの時の記憶がないのか、或いは・・・意識をあれにとられていたか」
呟くように話す豊の言葉は、やはり狼には理解できない。
だが、これだけは理解できた。
あの警告音は、アストライヤーに反感を持っているトゥレイターが学園に潜入したことを伝える物だったということと、自分はそのトゥレイターと身に覚えがない内に戦っていたこと。これだけが、豊の呟くような言葉でわかった。
けれど、何故自分がそんな者と戦ったのか?
トゥレイターとはアストライヤーに反感を持つ者。つまり、テロリストみたいなものだ。だから、そんな武力行使に馴れているような奴らに、まったく戦いという戦いをしたことがない狼が敵うはずもない。
「よしっ、資料なく説明するよりも、資料あっての方が君も理解しやすいだろ。だからあれを出してもらえるかな?」
豊が言う資料とは、きっとあの大太刀のことだろう。
狼は半信半疑で、ゆっくりと口を動かした。
「セット・アップ」
すると、狼の右手に嵌められているブレスレットが光り、手には地下で見た大太刀が現れた。狼はそれを見ても、やはり現実味が希薄だと感じた。
「これが、どんなBRVかわかるかな?」
「いえ・・・」
「まぁ、そうだろうね。これは数あるBRVの中でも最強の武器・・・・イザナギだ」
「イザナギ・・・」
狼はイザナギと呼ばれるBRVの名前を、復唱しながら刀身にゆっくりと触れる。
こんな地下に置きっぱなしにされていたような物が最強のBRVということに、狼は釈然とした気分にはなれない。
しかも、そんな物が自分の物だという事にも驚きだ。
「君はBRVの保管庫には行ったかな?」
「はい。行きました。でも、そこで自分のBRVを探そうとしても、全然合わなくて・・・」
「それはそうだろうね。君のBRVは元々決まっていたのだから」
豊の妙に自身に満ち溢れた声は、静かな病室でよく響いた。
「決まっていたとは、どういうことですか?だって、僕はあの地下室で見るまで、これを見たこともないのに」
「まぁ、そうだろうね。でも、不思議にもこのイザナギには、すでに君の生体情報が記録されていて、君しか使えない物になっていた。つまり、このBRVは君の物だ。その事実は変わらない」
「事実は変わらないとしても、こう、わからないことが多すぎると・・・なんていうか、気分的に微妙な気がするというか」
狼は、今自分が抱いている感情をどう表現すればわからず、言葉を濁す。
「気分が晴れないというのは、仕方ないことだとは思う。人は自分が理解できないことに出くわすと、焦燥感というものが生まれてしまうからね」
豊の言葉は、すごく的を射ている。
でも、今の狼はこれ以上、このイザナギについて知りたくないような気がした。
だがら、別の話に切り替える。
「あの、僕ずっと理事長に訊きたかったことがあるんですけど・・・・聞いてもいいですか?」
「いいとも。どんどん訊いてくれ」
一間を空けて、狼は言葉を紡ぐ。
「どうして、僕をここの学園に入れたんですか?」
ここに入学してから、頭の片隅にあった疑問だ。
豊はあの時、ヒーローがなんだのと言っていたが、そんな安易な理由で自分を特待生にしてまで、ここに入れたとは思えない。
狼は豊を見ながら、次の言葉を待つ。
豊は少し考えるような素振りを見せてから
「君のことは、昔から知っていてね。だから、もう君をここに入れることは昔から決めていたんだ」
静かな声でゆっくりと豊は、そう言った。
そして、狼はそれ以上のことは訊かずに、ただ黙っているしかなかった。豊の答えはすごく単純な答えだ。だからこそ、狼はそれ以上、何を話せばいいのか迷った。
狼は自分が寝ているベッドのシーツに視線を向けながら、顔を伏せていると、再び豊が口を開いた。
「話は変わるんだが・・・狼くん、君は本当にトゥレイター達と戦った記憶はないのかな?」
「あ、はい」
「・・・そうか。でも今回のことは意識を乗っ取られていたとはいえ、記憶がありませんでは、すまないかもしれないね」
「……それは、どうしてですか?」
普段とは違い、豊の表情は硬い。そのためか狼は気持ちが落ち着かない。
「君はイザナギを使って、物凄く威力の高い攻撃を放ったんだ。敵に向けてね。・・・だが、その敵がいる方向と威力が問題だった」
狼は全意識を集中させながら、豊の話を聞く。
「近くにあった建物の約半数が跡形もなく破壊及び・・・・君を助けるために戦闘に介入した輝崎真紘くんに瀕死の重体を負わせてしまったんだよ。・・・今、彼は集中治療室で治療を受けているが、危険な状態だ。校舎の方にも攻撃が及んだものの、輝崎君の体を張った行動のおかげで幸いにも他生徒たちには、害はなかった。・・・とはいえ、それはまさに奇跡だ」
意識を取られた?
輝崎真紘が・・・・・瀕死の重体?
狼の意識はもうすでに豊の言葉から離れて、自分の意識の中に飛んでいた。
自分はなんてことをしてしまったのだろう。絶望感で胸が引き裂かれそうになる。
自分のBRVであるイザナギに意識を持っていかれ、そしてそのままトゥレイターと戦った。しかも、それによって真紘を重体に追いやってしまうなんて。
狼の耳には、『あれは事故とも言える』などの言葉を豊は言っていたが、そんな言葉ではなんの救いにもならない。
救いの言葉を言うのなら、自分を罵ってくれた方がいい。
狼の中で真紘との面識は、あの模擬テスト前に会ったのが初めてだ。でも、すぐに良い人だということもわかったし、もっと話せば友人になれるとも思った。
それなのに・・・それなのに・・・
自分は敵ごと真紘を殺そうとした。
いつのまにか、椅子に座っていたはずの豊の姿がなかった。きっと狼があまりにも狼狽えていたため、何も言わず、病室を出て行ったのだろう。
病室の四角い窓からはどんよりとした雲が空を覆っていた。
豊が病室に来た日から2日後に、狼は退院することになった。
だが、退院できたとしても狼の気分はすっきりとしない。そして、その足取りのまま狼は集中治療室がある病棟へと向かった。
集中治療室がある西棟には、人の数も少なく静寂とした空気と乾いた匂いが漂っている。狼は建物の隅にあったエレベーターに乗り込み、3階のボタンを・・・・押した。
エレベーターのボタンを押すだけで、こんなにも勇気が必要なのかと狼は思った。エレベーターが上へ上へと上がる度に、悔恨や苦渋といった感情が、自分の中で溶け合い、混ざり合う。そしてそれを全て吐き出してしまいたくなる。そんな自分を無理矢理押し込め、狼は3階にある集中治療室の前に立った。
病室についている横長の内窓から、ベッドで呼吸器をつけながら寝むっている真紘とその横に名莉の姿があった。
真紘の顔は包帯で巻かれていて、それがより一層、狼の首を絞め、負の感情がどんどんあふれ出させる。そして耳元には微かに、真紘の命を知らせる機械音が聴こえた。命をしらせる物なのにどうして、こうも弱々しい音なのだろう。狼は自然と自分の手を強く握っていた。そして、それと同時に思い出してしまった。
ベッドで眠っている真紘から名莉へと視線を移す。
名莉の表情はここからではわからない。
黙ったまま内窓から、二人の様子を見ていると、ふいにこっちを向いた名莉と目が合ってしまった。名莉は目を見開きながら、狼の方へと近づいてくる。
狼はというと、名莉と目が合った瞬間に、名莉から視線を逸らし、急いでエレベーターの方に走ろうとしていた。
そんな狼を名莉が病室から出てきて引き留める。
「待って!」
にわかに大きくなった名莉の声に、狼は思わず立ち止まってしまった。
狼は名莉に背中を向けたまま、口を開くことができない。
「狼・・・どうして逃げるの?」
名莉の言葉で、狼は胸に棘が刺さったような痛みを感じる。
「・・・別に、逃げてない」
「嘘、狼はさっき私から・・・真紘から逃げた」
「っ、そんなんじゃ・・・」
こんなことを言いながら、自分が今、最悪な顔をしていると狼は感じた。
「じゃあ、こっちを見て」
見れない。見れるはずがない。
狼が再び沈黙になると、しびれをきたした名莉がこっちに近づいてくるのが足音でわかった。
そして、近づいてきた名莉は狼の腕を掴んで、狼と目を合わせる。
やや眉を潜めた名莉が、まっすぐに狼の顔を見る。そんな名莉に見られ、狼は居た堪れない気持ちになっていく。
「僕は・・・・ここに来るべきじゃなかったんだ」
消え入りそうな声で狼は、一言そう言った。
あんな姿になっている真紘を見て、狼はすごく後悔していた。自分がここに来なければ、真紘はこんな大怪我をすることもなかったのに。
もう最初から無理だった。自分がBRVという総称の武器を使い、誰かと戦うなんて。
そんなことは分かりきっていたはずなのに。
脱力したまま狼が下を向いていると、頬に痺れるような衝撃が走った。
狼は赤くなった頬を、手で押さえながら名莉を見る。
名莉は苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「あなた、最低・・・」
静かながらに怒りの籠った名莉の言葉に、狼ははっとした。
今なにか言わなければいけないような気がする。でも口が思うように動かない。驚くくらい思考回路は真っ白で、言葉が出てこない。そのため狼の口は無様に開かれているだけで、声が出ていない状態だ。
「わたしは・・・あなたのこと最初見た時に強いと思った。そう、確かに強かった。・・・でも弱かった。それにあれは強さじゃない。あれはただの暴力。・・・あんなのは、嫌い」
侮蔑を示す名莉の言葉に狼は、なにも言い返せない。
確かにあれは一方的な破壊だ。そう、狼な真紘を窓越しに見たとき思い出してしまった。自分がどんなに恐ろしいことをやったのかを。
たとえあれが、自分の意思ではなかったとしても、真紘を、人を傷つけたことに変わりない。だとするなら、自分はどんな言葉を言えばいい?
いや、自分がいくら言葉を紡いだとしても許されるはずがない。狼は入学初日から名莉と一緒にいて、名莉が真紘を大切にしているということは、すぐにわかった。
そんな大切な相手を傷つけた自分を名莉が怒っていないわけがない。
「だったら、もういいじゃないか。もう話すことなんてなにもないだろ・・・」
項垂れた声で言うと、名莉は掴んでいた手を静かに離した。
「わかった。もういい、もうわたしたちに関わらないで」
名莉はそう切り捨てると、治療室の中に入っていった。
狼は言い返す言葉もなく、俯いたままだった。
医薬品の独特な臭いが、イレブンスの鼻についた。自分には無数の医療機器のコードがつけられている。
「気分はどう?イレブンス」
そう言って、自分たちのメディカルアシスタントでもある李・朱亞が自分を覗き込んできた。
朱亞は、長い髪を簪でとめ、白衣を着た女医だ。イレブンスよりも少し年上という印象だが、実際のところはわからない。
「別に、なんとも」
「よく言うね、様子を見に行ったサードやナインスが運びこまなかったら、確実に死んでいたっていうのに。・・・今、君とフォースには回復力を急激に向上させる薬剤を投与したから、あと4日もすれば、動けるようになるだろさ」
「ふうん」
イレブンスにとって、今は自分が危ない状況に置かれていたことなど、どうでもいいことだった。イレブンスの頭の中に浮かんでいることは、ただ一つ。
イザナギを手にしていた者のことだけだった。
あいつは、いったい何者だ?
どんなに頭の中の記憶を探ってみても、アストライヤーに関する資料類の中にイザナギを手にしていた者の顔なんて載っていなかった。
アストライヤーに関する資料なら、ありとあらゆる情報を集めている。しかも、イザナギを手にし、その上、あそこまで強いのなら資料に載っていないはずがない。
では、何故イザナギを手にした者の資料だけないのか?
イレブンスは何度も同じ問答を繰り返し、一つの答えを導き出す。
「なんにせよ、敵をぶっ潰せばいいってことだ」
「随分、物騒な呟きをするのね。君は」
苦笑を漏らしながら朱亞が、嘆息をする。
「なぁ、俺の銃のメンテナンスはどうなってる?」
「ああ、そのことなら問題ないわ。ちゃんと終わってる。ただ、オリハルコンで出来ていないバレル部分は、めちゃくちゃだったけど。それも修復完了してるって」
「さすが・・・やること早いな」
「その方が君たち、強襲部隊にとっては好都合なんじゃない?」
笑いながら嫌味を言われた。
でも、それは仕方ないことだろう。強襲部隊である自分たちが派手に事を起こせば、その分、メディカルアシスタントを含め、サポート側の人間の仕事は増える。
しかも今回は、イザナギ・イザナミとの戦闘で、後処理の量も尋常ではなかったはずだ。それに加え、瀕死状態に陥った自分たちの治療となれば、疲労も限界にくる。
イレブンスは朱亞からの嫌味を聞き流して、天井を眺めた。
天井はなんの変哲もない、真っ白な天井だ。
そういえば、イザナギから放たれた砲撃も驚くくらい、真っ白な色をしていた気がする。はっきりいって、よくは覚えていない。
イレブンスが千光白夜を見たのはたった一瞬だ。
攻撃が放たれた一瞬で、自分たちは意識を失った。多分、敵に捕まらなかったのは、敵も敵で混乱していたに違いない。そして敵が混乱している内にサードたちによって、救出された。
実際のことは知らないが、大体はこんなもんだろう。
イレブンスはくすっと笑みを漏らす。
「なーに、笑ってんのよ?」
「別に」
「そう?君の顔からして『別に』の顔に見えないけど」
「へぇー」
だらけた声で答えると朱亞はむっとした顔でイレブンスを見る。すると朱亞は別のアシスタントに呼ばれ、そっちに向かって行った。
一人になったイレブンスは、くすくすとひどく楽しそうに笑う。
何故ならやっと強いアストライヤーとなる者と戦えるのだ。楽しくないわけがない。これまで戦ってきたアストライヤーの候補生たちは、嫌気がさすほど軟弱だった。そんな軟弱な者と戦っても無意味だ。強い者を倒さなければ勝っても先には進めない。
だからこそ、イレブンスの眼中に今のアストライヤー代表は映っていない。あれはただの仮初めアストライヤー。本物のアストライヤーは初代のみ。
だが、その初代アストライヤーは何故か表に出てこようとはせず、仮初めのアストライヤーに代表を任せてしまっている。
そのため、いくら現代表であるアストライヤー五人を倒した所で、アストライヤーが世の中から消えることはないだろう。それでは意味がない。
自分がいるトゥレイターの者は世の中から、アストライヤーを完全に消し去ることを渇望しているのだから。
イレブンスは思う。
もし、あのイザナギ・イザナミを持つ者を倒せば何かが進む。そう思う。
『こんなこと、俺は望まない。今の俺が望むことは・・・――を許せない』
イレブンスの脳裏に昔の記憶が思い浮かぶ。憧れに殺された男のことを。
だからこそ
「絶対に俺が・・・あいつらをぶっ潰す」
イレブンスはそう固く心に誓った。
真紘の病室の前で名莉と言い合いをして一週間、狼は無気力のまま過ごしていた。授業にも出ず、部屋で無造作にベッドの上で丸まっていた。
まともに食事も取っていないのに、まったくお腹が空かない。
だがからと言って、このまま何も食べないわけにもいかない。そう思い狼はぼんやりとした思考のまま寮の部屋を出た。
狼は部屋を出て、今が夕方ということに気づいた。授業が終わり、寮に帰ってくる生徒たちに見られていたが、狼はそんな視線に気も留めず闇雲に歩く。
そして気が付けばグラウンドの方に来ていた。グラウンドは、立ち入り禁止のコーンが立っていて、その先には整備されたグラウンドではなく、荒れ果てていた。そしてグランドの先にある一般道路もえぐられ、近くに建っていた建物も瓦礫となっている。
それを見て、狼は胸が抉り取られるような痛みを感じる。自分がやってしまった罪の重圧に押し潰される。
「あなたは・・・」
後ろからの声に狼が振り返ると、模擬テストの時に自分を睨んでいた一軍の女子がいた。一軍の女子は、最初に驚いた顔をしてから、すぐに狼を威嚇するような眼差しを瞳に宿した。
「私は一軍候補生の五月女希沙樹です。今よりあなたに正々堂々と決闘を申し込みます!」
そう言って、希沙樹は鋭利に研ぎ澄まされた突撃槍を構えた。
「どうしたのですか?早くあなたの武器を出して、戦いなさい」
動こうとしない狼を見て、希沙樹は怪訝そうに顔を歪ませている。
「なぜ?あなたは戦いを挑まれているのに、戦おうとしないのですか?」
希沙樹は声を荒げ、狼に向かって突撃してくる。それは一瞬のことだった。
突撃槍は狼の頬を霞め、狼の頬からは血が流れる。
「次はわざと外したりせず、首元を貫通させます」
ゆっくりと突撃槍の先が狼の喉元に当てられ、突撃槍に狼の血が滴り落ちた。
「・・・・ここまでしているのに、黒樹狼、あなたは何故動かないのですか?私のことを自分よりも弱いと思っているからですか?それとも私はあなたを殺さないとでも?」
今にも泣きそうな声で、希沙樹は肩を震わせている。
「もしそうであるなら、とんだ思い違いですよ?私は真紘のためならどんな罪にも我が身を染める自信があります」
その言葉を口にした希沙樹の目には、強い意志が宿っていた。
「五月女さんがそうしたいなら、そうすればいい」
自分はもしこの場で、殺されたとしても何も文句は言えない。自分だって他人の命を奪おうとした。いや、もしかしたら奪っているかもしれないのだから。
だとしたら、自分だけ殺されたくないなんて、とんだ傲慢さと我儘だ。
「・・・興冷めしました。あなたのような愚者を殺しても、なんの意味も持ちません。殺す価値もないということです。・・・・恥を知りなさい」
さっきまでの声とは違い、希沙樹の声はとても静かだった。静かすぎて、自分はまた間違った選択をしたということを感じる。
そして、一つの事実を知った。
そうか。
今の自分は殺される価値もないということを。
だとしたら、自分になんの価値も残っていない。
「ははは」
自然に引き攣った笑いが漏れた。自分でもどうして笑っているのかが分からない。
そして、その引き攣った笑いは夜の闇に吸い込まれるように溶けた。
「はい、もしもし黒樹です」
「小世美?」
「オオちゃん!・・・どうしたの?なんか元気ないよ?」
気が付けば、狼は寮の一角に唯一存在していた公衆電話の前にいて、押し馴れた番号に電話していた。
途中で根津や鳩子に会ったかもしれないが、どんな表情をしていたのか、どんなことを言われたのか頭に残っていなかった。
自分の異変を敏感に気づいた小世美が、電話越しに心配そうな声で訊ねてくる。
「ちょっとね・・・」
「何かあったの?」
久しぶりに耳にする小世美の声に、思わず泣きそうになる。
「オオちゃん?」
泣きそうになるのを堪え、くぐもった声で狼は答えた。
「ねぇ、小世美・・・やっぱり僕にはアストライヤーなんか向いてないんだよ。能力だってそんなに高くないし、二軍だし。・・・なんかさやる気がまったく出なくて。島に帰りたくて・・・。はは、もう駄目だな、僕」
本当の事をひた隠しにした狼の言葉は、今にでも消えてしまいそうな脆さが含まれていた。
そんな欺瞞の言葉を小世美は、一刀両断した。
「オオちゃんの嘘つき!なんで、わたしにそんな嘘つくの?オオちゃんがつく嘘なんて私に通用すると思った?思わないでしょ?そんな嘘つくとピノキオさんみたいに鼻が伸びちゃうから。そうなったら私、オオちゃんのこと嫌いになっちゃうからね」
「うっ」
あっさりと自分の嘘が見破られ、狼は顔を俯かせる。
「オオちゃん、オオちゃんは何から逃げたいの?」
そんな小世美の冷静な問いに、狼は胸を打たれた。
その言葉は名莉にも言われた。自分が名莉から、真紘から逃げていると。
自分は別に逃げてるわけじゃない。
いや、そう思いたいだけなのかもしれない。
「逃げてる?・・・僕が?」
呆然としながら、呟く。
「そうだよ。オオちゃんは何かから逃げようとしてる。そうとしか、私には思えない。そんなオオちゃんは私が好きなオオちゃんじゃないよ。私が知ってるオオちゃんは、どんなに苦しくても、嫌でも途中で逃げたりなんかしない。・・・ねぇ、オオちゃん、憶えてる?私と島にいる子達でかくれんぼして、夜になっても私がみつからなかった時のこと・・・」
「うん、憶えてるよ」
それは、自分と小世美と島の子供たちで、かくれんぼしたときのことだ。
子供ながらに、住み慣れた島ならどこでも見つけ出せると思っていて、その時に見つける役をやったのが、じゃんけんで負けた自分だった。
次々と隠れていた子供たちが見つかる中、小世美はまったく見つからなくて、とうとう夜になってしまった。
焦った子供たちが島の大人を呼び、みんなで探したが見つからず、救急隊に捜索願を出そうという意見が出始めた。ちょうどその頃、山の中にある小さい穴の中で、一人で探し続けていた狼が目元を真っ赤にした小世美を見つけた。それから再び大泣きした小世美と共に家に帰ったのを憶えている。
自分も小世美が見つかった嬉しさと安堵感で、一緒に泣いた。その時の狼は、服も泥だらけの汗だくで、体も擦り傷だらけだった。でも、そんなことはどうでもよくて、小世美を見つけ出せたことが、とても嬉しかった。
二人で目を赤くして、家に帰ると父である高雄に拳骨をもらったことも憶えている。
「あの時ね、自分はずっとこのまま見つけてもらえなくて、死んじゃうんだ~って思ったら泣けてきちゃってね、わんわん泣いたなぁ。でもね、そうやって大きな声で泣いてる間も、どこかで信じてたんだよ?きっと、オオちゃんが絵本の中の王子様みたいに見つけだしてくれるんだろうなぁって。そうやって信じてたら本当にオオちゃんが見つけだしてくれて、私すごく嬉しかった。だから、オオちゃん・・・どんなに辛くても、苦しくても逃げないオオちゃんでいて。大丈夫。オオちゃんなら絶対乗り越えられるよ。私はそう信じてるから」
「うん・・・」
返事をした瞬間、狼の頬には涙が流れていた。
そうだ。自分にはまだ自分を信じてくれる人がいる。
「ありがとう・・・・信じてくれて」
涙で声がむせ返りながら、口にした言葉がとても、とても自分にとって大切な事だと感じた。