それぞれの形
出流は、狼たちとの戦いのあと、世界各地にあるリリアたちの研究施設を回っている。
今は新疆ウイグル自治区のウルムチ市へと来ていた。ここの郊外にある研究施設を放棄させるためだ。
出流が早朝から開いているネットカフェで、施設の全景を航空写真で確認していると、クロエが作ったグループトークにヴァレンティーネからの連絡が入って来た。
『皆さん、こんにちは。明後日の正午、ハバナにあるPaladar Vistamarというお店に来てください。お話があります』
話? 何だ?
ヴァレンティーネからの呼び出しに、出流は少しの疑問を抱いた。
あの戦いの後、ヴァレンティーネはキリウスやマイアと共に実家へと戻り、トゥレイターという組織の解体や各国の政府、軍、国際防衛連盟による査問を受けるためだ。
ハバナにいるのも、それらの一環だろう。
向こうで何かトラブったのか?
だとすれば、急いで行った方が良い。
話の全貌はよく分からないが、考えるよりも行って会った方が早いだろう。
そう考えた出流は、そのまま店を出て、ハバナへと向かった。
「よぉー、よーく来て切れたな。お前たち!」
乗り継ぎなども合わせて約1日をかけて、ハバナへとやってきた出流は自分と同じように集められたオースティンたちと共に目を丸くさせていた。
そんな自分たちをよそに、ベルバルトが優雅に海を眺めながら白ワインを飲んでいる。そんなベルバルトの隣には、リーザやマイアと共にヴァレンティーネも着席していた。
「やっぱ、ガーリックの効いたロブスターには白ワインが合うな。ってお前等もアホ面してないで、座れよ。VIPの俺が恥ずかしいだろ?」
片目を眇めたベルバルトは、女性陣の顔が見えない事に不服と苛立ちを感じているらしい。
その証拠に、溜息を吐きながら「男だけとかねぇーわ。萎える」などの言葉をブツブツ呟いている。
この糞イタリア人。
「お前の面子なんてどうでも良いんだよ。今の状況をちゃんと説明しろ」
ベルバルトの態度にイラッとしながら、出流が訊ねる。
すると、ベルバルトが目を閉じ鼻で笑って来た。その所為で、呼び出された側の人間の殺気が増す。
けれど、そんな殺気など気にしていないように、ベルバルトが一冊の雑誌をテーブルの上に出して来た。
その雑誌を見て、出流とオースティン、和馬と雨生、ミゲルの五人が一気に顔を引き攣らせる。
「おい、糞イタリア人。この品のねぇー雑誌は何だよ?」
オースティンが苛立ちを押さえられない顔で、ベルバルトがデカデカと表紙になっている雑誌を指差す。
「見ての通り。俺の雑誌だ。ハイセンスでカッコいい俺がファッション、グルメ、その他のトレンドを紹介していく、マルチ雑誌だ」
得意気な顔で、自分の雑誌を自慢するベルバルト。
「こんな自分に酔ってる奴の雑誌、誰が買うんだよ? てか、俺たちをこんな所に呼び出した理由がこの雑誌の為です、とかじゃないだろうな?」
出流が眉を顰めて、ベルバルトの横に居たヴァレンティーネを見る。
すると、ヴァレンティーネがにっこりと微笑んで口を開いて来た。
「実はこの席を用意したのは、ベルバルトさんよ。私も丁度、家の事でこっちに来ていて、偶然会ったの」
「つまり、この悪趣味な雑誌が今日のメインかよ……」
出流は、この徒労感に頭を抱えたくなった。
「でも、ちゃんと知らせたい事もあったのよ。今、ジャンさんに頼んでトゥレイターの支部にあったデータを破壊して貰ってるの。だから、皆に迷惑を掛けることは極力避けられると思うわ。といっても、膨大な数の人間が関わっている所為で、切りが無いみたいだけど」
そう言って、ヴァレンティーネが自分の前にある席を右手で指して来た。
「さっ。皆も座って。せっかく集まったんだもの」
ヴァレンティーネに言われるがままに、出流たちが席に着く。
出流がヴァレンティーネの正面に腰を降ろすと、
「イズルが近くに座ってくれて嬉しいわ」
と言いながら、満足そうな笑みを浮かべて来る。その所為で、出流の方も妙に気恥ずかしくなってしまう。
「……お前も元気そうだな」
「ええ。元気よ。大変だって思う時もあるけど、嬉しい気持ちの方が大きいわ。皆の役に立ててるって」
「そっか。なら、良かったな」
噓偽りない顔で笑うヴァレンティーネに、出流はほっと安堵した。
リリアたちの研究施設を回る傍ら、自分たちの責任を一身に背負ったヴァレンティーネのことは気がかりだった。
しかし、その心配は今のヴァレンティーネの浮かべる笑顔で緩和された。
もしかすると、自分たちを気遣っての表情かもしれないが、それをする余力がヴァレンティーネに残っているということだ。
「ただ、おまえも張り切り過ぎて無理するなよ」
「ふふっ。それはイズルもよ」
「おいおい、なに、お前だけティーネちゃんと親しく話してんだよ。おまえの思春期映像なんてこっちは求めてねぇーんだよ」
「ああ、それには俺も同感だな」
ベルバルトと共にオースティンが呆れた表情で、溜息を吐いて来た。
「羨ましいからって、いちいちやっかんで来るなよ。むしろ青春映像なら、今のオースティンの方がお得意だろ?」
出流が手で払うような仕草をしながら、オースティンたちに視線を移す。
すると、オースティンが一気に表情を曇らせて来た。
「品のねぇことこと言うな。そんな悪趣味な事を俺がやるわけないだろ」
「そうだ! おまえ、テレサちゃんとはどこまで行ってんだよ? まさか、まだ俺が味見もしてないのに、深い仲になったんじゃないだろうな?」
ベルバルトが片眉を上げて、オースティンを訝しげに見る。オースティンの眉毛がピクリと動いた。
「……別に。どうにもなってねぇーよ」
そう答えるオースティンだが、その声音はやや小さい。
「何か、怪しいな」
出流がオースティンに視線を向けたまま、言葉を吐く。けれどそんな出流の言葉に、オースティンは顔を背けるだけだ。
この様子だと、あの時のアメリカ代表と何かあったのは明白だ。
とはいえ、オースティンが自分たちにそれを吐くとは思えない。
「まさに、環境変化についていけてない……って感じだな」
雨生が、ベルバルトが先に注文していたロブスターをフォークで指しながら、意味深に呟く。
「ああ。そういえば、新聞見たで? 随分なことになっとんな?」
「見たのか……。最悪だっただろ?」
ビールを上手そうに飲み干す和馬の言葉に、雨生が頭を抱えながら答えた。
「そんな頭を抱える必要ないやろ? 中国の国営放送でも華々しく取り上げてたやん。『伝説の男、王雨生。竜王の如く華やかに中国の地へ降り立つ』とか言うて。そんで、大衆の歓喜の様子とかも映ってたで。ただ、これまでの経歴についても全く触れとらんかったけど」
珍しく頭を抱える雨生を横目に、和馬がケラケラと手を叩いて爆笑している。
「その話には触れないでくれ」
「まぁまぁ、そう言うなや。最近、地元に帰ってお好み焼きの店を開いたんやけど、中国の代表のお墨付きって売り込んでおこうかな? 『中国の龍が降り立つ店』とかな」
「和馬、そのネタはあんまり引っ張らない方が……」
と出流が忠告したのも束の間、大笑いをしていた和馬の眼前へ雨生の手刀が突き出される。
「和馬、あんまり人の嫌がることはしない方が良いぞ?」
鼻先から血を流した和馬を、雨生が笑顔で牽制する。
「そ、そやな。よー分かったわ。だから、この危ないお手てを退かしてくれへん?」
「分かってくれて、良かった。これで楽しい食事が続けられそうだ」
和馬へと突き出した手を引っ込めた雨生が、何事もなかったかのように運び込まれたクレオール・フィッシュ・シチューを口に運び始めた。
その傍らでは、リーザがミケルの口の中にスパイスの効いたジャークチキンを突っ込んでいる。
前に和馬から効いた話に寄るとミゲルはバルセロナに戻り、前々から片手間でやっていたブランド事業を本格的に始動させているらしい。
しかも、ミゲルの美学が織り込まれた奇抜なスタイルがじんわりと人気が上がっているというから、驚きだ。
世の中、何が起きるか分からないって、本当だな。
出流がぼんやりと、そんな事を考えていると、
「貴様の方は、どうなっている?」
ヴァレンティーネの横に座っていたマイアが話しかけて来た。
「俺の方は、ぼちぼちって感じだな。ボリビアとパラグアイの国境付近にあった奴と、シリア、チュニジアの施設は潰したけど、あと二カ所は残ってるからな」
「それが聞けて少し安心した。だが、一人で出来る事に限界がある。無理はするな」
そう言って、マイアが出流へと微苦笑を浮かべて来た。
「おまえ、会った頃と比べると劇的に丸くなったよな?」
「……そうか? 私自身としてはあまり実感が湧かないが」
「自分自身の変化ほど、自分じゃ見えなくなるからな。そういうことだろ?」
出流がそう言って、マイアに笑みを返していると、
「出流、私の変化にも気づけるかな?」
と言いながら、ジャン、クロエ、キャロンと共に肌をツルツルにさせた操生が立っていた。
「どうした? その肌のテカリ……」
「ああ、実はね……このメンバーで全身エステを受けてたんだ」
「一体の化物は別として……俺のハニーたちがそんな事を……」
「勿論、私はベルバルトのためじゃないよ」
感涙しているベルバルトの言葉を、操生がきっぱりと否定して出流に片目を瞑って来た。
それを見たベルバルトが出流へと殺気を放ってくる。
「テ、テメェ〜〜。さっきから俺の視界にチラチラ入りやがって。次、視界に入ったらカリブ海に鎮めるぞ?」
「アホか。俺が頭の中が花畑の奴にやられるわけないだろ」
「まぁまぁ、二人とも。お食事の席で喧嘩は駄目よ? 仲良くね」
「当然。俺はティーネちゃんの忠実な下部。君が嫌がるなら、コレとだって手と手を取り合えるぜ」
「おまえと手と手って……」
考えただけでも気持ちがげんなりする。
コイツと手を繋ぐくらいなら、まだジャンの方がマシ……と思ったが、自分の方に不気味な投げキスをして来たジャンを見て、自分が血迷っていたことに気づく。
アレよりは、ベルバルトの方がマシだった。
「あっ、そうそう。一つ、誠君からの言伝だよ。『所用があるからすぐ帰ってこい』だそうだよ」
「用事?」
「私も詳しいことは分からないけどね、行った方が良いんじゃないかな?」
操生がにっこりと満面の笑みを浮かべて来た。
しかし、その笑顔がどこか怪しい。
「すぐ帰れっていう用事なら、どうして直接俺に連絡を入れてこなかったんだ?」
「さぁ。通信で呼んでも出流が来ないと思ったんじゃないかな?」
目を細める出流に操生が視線を逸らす。
これは、どういう用件なのか絶対に知ってるな。
視線を逸らす操生を見て、出流はそう確信した。
けれど、こういう時の操生は絶対に口を割らない。しかし自分にとって都合の悪い事は確かだ。
さて、どう口を割らせるか?
出流がそんな事を考えていると、
「そんな心配しなくても大丈夫だよ。危険な事じゃないし。そこは私が保証するから。ねっ?」
出流の心を聴いた操生が茶目っ気たっぷりに、畳み掛けに入って来た。
「危険な事とまでは思ってないけど、何か胡散臭いんだよなぁ」
「まぁまぁ、そう言うわず。良いじゃないか。日本に帰って狼君たちに会うと思えば」
「それだけで、済めば良いけどな。……でもまっ、いいか。佐々倉の家にはどっちみち顔出さないとと思ってたからな」
するとそんな出流の言葉に、操生がほっと安堵の息を吐いて来た。
「……本当に大丈夫だろうな?」
出流が念押し気味に操生に訊ねる。すると操生が何かを誤摩化すような咳払いをしてから、
「大丈夫だよ。疑問は日本に帰ればすぐに分かるんだからね」
そしてこの数日後、操生と共に日本に戻った出流は、佐々倉の家から京都にある九条の家へと行く羽目になったのだった。




