途方もないことだとしても
時間が少し戻り。
マイアと共に貯蔵庫の方へと向かった出流は、広い空間に出ていた。そこには巨大な円形の貯水プールの様な物がある。これがゲッシュ因子を溜め込んでいる貯蔵庫に違いない。
「ティーネたちは?」
出流がやや表情を曇らせる。辺りには誰もおらず、貯蔵庫に繋がった太いホースのような物しか目に入ってこない。
するとマイアが貯蔵庫の下の部分を指して来た。
「あそこにある階段は?」
マイアが指差した先に、貯蔵庫の脇に下へと続く階段らしきものが、太いホースに隠れていた。
「よし、行くぞ」
短く声を掛け、マイアと共に階段の下へと降りる。するとそこには、床に手を付くヴァレンティーネとそれを支える操生の姿があった。
「どうした?」
急いで二人の元へと出流とマイアが駆け寄った。操生が困惑した様子で出流たちを見る。
「ここでボスが因子を使ってから、なんだか彼女の様子が可笑しくなって……ボスによると、目の前の貯蔵された因子の中に、原因があるらしいんだけど、ただボスもはっきりとその原因が分からないみたいなんだ」
操生の言葉を聞きながら、目の前の貯蔵庫を見る。
ゲッシュ因子意外にも、何やら別の物が混ぜられているということなのだろうか?
けれど、今の出流たちにはそれを知る術がない。この貯蔵庫に深く関わった男は、化物となり死んでしまっている。
リリアの姿が頭に浮かぶ。けれどすぐに出流は頭を振った。知っている可能性は低い。
もしリリアがこの貯蔵庫に仕込まれた細工を知っていたとすれば、それを利用しないはずがない。
それに……
自分が立ち去ろうとした時に、見せたあの動揺。あれは、リリア・ガルシアという存在が無価値になってしまうかもしれない恐れだ。
リリアはこれまで有能な学者という立場に居続けたに違いない。有能な学者は多くの資金を受け、自分の世界へと没頭し、自分の価値を確固たるものにする。
それを盾に危険な場所を歩き続け、人を搾取していたのだから。
そんなリリアが、自分に興味を失せた出流を許せるはずがない。別の人間からしたら大した事でなくても、リリアにとっては大きい問題なのだろう。
出流は、思考を目の前のヴァレンティーネたちへと戻す。
ヴァレンティーネの顔は、色素を失ったかのように青い。嫌な汗も流している。直接的な原因が分からない以上、このままヴァレンティーネをここに居させるわけにもいかない。
「とりあえず、上に上がるぞ。向こうもティーネの能力を知ってるんだ。何らかの対処を思いついてたって事だろう」
出流がそう言って、苦しそうに丸くなるヴァレンティーネを両腕で抱き上げた。
マイアが苦しそうなヴァレンティーネを見て、不安な表情を浮かべている。抱き上げたヴァレンティーネは、小刻みな息を繰り返していて、自分たちが来た事に気づいているかも怪しい。
そんなヴァレンティーネの姿に、心が痛む。
ヴァレンティーネの表情は、身体的な苦痛だけで歪んでいるのではない。悔しさが苦痛と共にヴァレンティーネの身体を震わせている。
そんなヴァレンティーネに出流が口を開く。
「さっき、俺は化物を造り出した奴らと戦った。それこそ、決着をつけに。けど、一つの事実に気づいたんだよ……」
気休めになるとは思わない。
けれど、それとは別に言っておかなければならないと思った。
「ここで決着を付けるなんて無理だってことを」
出流の言葉に、涙を流しているヴァレンティーネが顔を上げて来た。
「けど、おかげでこの戦いが終わった後に、やる事は決まった」
「やる事……?」
ヴァレンティーネの言葉に、小さく頷いた。
自分がどれだけやれるか分からない。
けれど、トーマを見て、昔の自分と重ねて、やってやると思った。
「俺は……」
口を開いて、自分のやろうと決めた事を口にする。それを聞いていたマイアが少し驚き、操生が「出流らしいね」と苦笑を零し、ヴァレンティーネが静かに微笑んで来た。
「まっ、その前に宇摩豊を止める。どっちみちアイツを止めないと、先には進めないからな」
貯蔵庫から離れると、ヴァレンティーネの容態が少し軽くなってきた。
「マイアと操生は、ここでティーネを見ててくれ」
「任せろ。ティーネ様を守ることは私のやるべき事だからな。貴様も無茶はするな」
「マイア君の言う通りだ。出流、無茶は禁止だよ。さっき私たちに『次』を話した後なんだからね」
「肝に命じておく」
出流が口許に笑みを浮かべて、踵を返す。
すると、ヴァレンティーネが背中越しに言葉をかけてきた。
「私にも次にやる事は決めたわ。……後で聞いてくれる?」
「ああ。勿論」
ヴァレンティーネに答え、出流は空気に混じった豊の因子の気配を追った。
走りながら、ヴァレンティーネたちに語った事を思い出す。
自分でも青臭いと思う。
上手く行くかも分からない。
けれど、それでもやると決めたのだ。
世界各地にフォーガンやリリアたちの研究施設がある。まずはそこにいる人間を解放する所からだ。
トーマのような人間に少しでも希望を与えたい。
それが途方もないことだとしても。




