そこにいたのは
ああ、どうしてもこうもっ!
鳩子は、親指の爪を噛みながら臍を噛んでいた。鳩子がいるのは、輝崎家の一室だ。自分の因子が妨害され、船内の様子がうっすらとしている。
これでは、正確な情報を掴むことも、正確な予測を行うこともできない。
妨害しているのは、艦内下部にある貯蔵庫内に溜められた膨大な因子によるもの。それともう一つは條逢慶吾によるものだろう。
そして鳩子が突破可能だとすれば、條逢慶吾による妨害を打破すること。
きっと慶吾も貯蔵庫内の因子に自分の因子を妨害されない、抜け道を使って情報を収集したりしているに違いない。
そして、今の鳩子が行うべきはその抜け道を見つけ出すこと。
ここで、ずっと同じ事を繰り返していることに意味なんてない。
鳩子は因子を飛ばす事をやめた。
すくっと立ち上がり、鳩子は勢いよく部屋を出る。行く当ては決めていた。
部屋を出て、廊下を抜け、玄関を出る。
そしてそのまま、一直線に走った。狼たちほどの速度でスピードは出なくても、因子を身体に流し、走ることはできる。
それでも、今は自分が狼たちのように走れないのがもどかしい。
自分がこうして走っている間にも、狼たちは戦っている。それを考えると時間が経過することが恐ろしい。向こうの状況が把握できないのが恐い。
『大酉がそんなに焦ってるなんて、珍しいね』
白々しく自分に声を掛けて来たのは、鳩子の因子を妨害していた慶吾だ。
「今からアンタに泡吹かせに行くんだから、話しかけないでくれる?」
『はは。いいね。その意気込み。俺としては願ったり叶ったりって奴かな』
「それって、條逢流の嫌味?」
『いやいや、違うよ。嫌味成分は0だね。俺の本心から言ってるよ。正直さ、俺からすると誰かが俺を越えてくれないと、俺はこのまま劣化していくだけになるんだ』
「ほうほう。天才條逢でも自分の劣化は怖いと?」
『勿論。むしろ、自分の劣化を一度も怖いと感じない人間なんているのかな?』
慶吾の言葉に、鳩子が鼻白む表情を浮かべた。
自分の劣化。
それは、人間として老いではなく、情報操作士としての能力を指した言葉だ。むしろいつも飄々としているこの男が、不老不死を望んでいるようには到底、思えない。
納得するのと同時に、鳩子は意外とも感じていた。
もし、自分の能力が衰えたとしても、慶吾ならば『仕方ない事』で済ましてくるような気がしていたからだ。
だからこそ、自分の言葉を肯定したことに鳩子は驚いていた。
『分かってるとは、思うけど……俺も人だからね?』
今にも笑い出しそうな声で、慶吾がそんな事を言って来た。
「悪魔は人間の振りして、船に乗るみたいだけど?」
『俺がそうだって?』
鳩子は無言で頷いた。どうせ、自分の姿をどこかで見ているのだから、言葉を出さずとも良いだろう。
『まぁ、そうかもね。むしろ、天使も悪魔も人に過ぎないよ。ああ、それを言うなら神もかな?』
「いきなり持論を語り出さないでくれる? どうせ、長いんでしょ?」
慶吾の話を折ってやりたくて、鳩子が相手の言葉を一方的に切る。
その間にも鳩子は、着々と目的地まで近づいていた。
『人は自分の欲望を悪魔と呼んで、自分の良心を天使と呼ぶんだ。そして自分に降り掛かった幸運や理想を神と呼ぶ。そう、考えると確かにその三者は存在している事になる』
話を切ったというのに、まるで鳩子の言葉など慶吾は聞いていなかった。
現に自分オリジナルの詩を読んでいるのだから。
こんな奴を負かせないということが、無性に腹立たしい。
「それで、その自己陶酔っぽいポエムに何か意味あるの?」
『そうだね。つまりは俺の中にもその三者が存在してるって事かな?』
絶対、悪魔の一者しかいないでしょ?
慶吾の言葉に、鳩子は胡乱気な表情を浮かべていた。
この男の中に天使がいるのだとしたら、豊などに手を貸したりは……
そう考え、鳩子ははっとした。
もしかして……。
『無事に目的地に到着って感じだね。まぁ、少しだけヒントを上げるとするなら、大酉の考えていることは大正解だよ。ただ勿論、俺だってすんなり通そうとは思っていないから、それだけは覚えといてね』
息を切らした鳩子の目の前には、明蘭学園がある。
目指すは、よく慶吾が使用していたシステム管理室。
きっとそこから、今の狼たちがいる戦艦内のシステムと繋がっているはずだ。ここのクライアントと繋がっているシステムサーバーはダミーなども合わせて、果てしない数だ。
その中から一つの目的地に辿りつくには、幾ら情報操作士であると気が遠くなる。
「まっ、絶対に見つけ出すけどね。短時間で」
これは、ある意味情報操作士である自分と慶吾の戦いだ。
狼たちも狼たちの戦いをしている。
なら自分だって、自分らしく戦うしかない。
やってやる。
そして、それを遣り切った時にこそ、自分はまた大きく一歩を踏み出す時だ。
「大酉鳩子の意地をしっかり見せつけてやらないとね」
鳩子が決意を固めて、明蘭学園の校門を走り潜った。
狼たちは、万姫と雨生の手助けにより先へと進んでいた。先を行く狼たちの前に現れたのは、大きな、大きな扉だった。
大きさだけで圧倒されてしまいそうな扉は硬く閉ざされている。
「確実に手で押して開く……ことはないだろうなぁ」
仰ぎ見るようにして、狼が目の前にある扉を上の方を見る。
「そうなると、やはりここは破壊して行くのが妥当な選択というものだ」
狼たちの背後から、優美さのある声音が聞こえてきた。コツコツと床を靴で踏む音。それが静かに響き渡る。
彼はどんな時でも優美さを忘れないのだろうか?
狼がそんな事を思いながら、後ろへと振り返る。やはり、綺麗なブロンド髪を揺らし、気品溢れる微笑を浮かべた人物がいた。
「アーサーさんっ!」
「やぁ。まだまだ余力が残っているようで、安心したよ。さて、せっかくここまで来たんだ。この頑丈そうな扉は私に任せてくれ」
そう言って、アーサーが微笑をそのままに手に持っていた突撃槍を構える。やはりその仕草もしなやかで優美だ。
けれど、その穂先から放たれた衝撃波は、優美さなどはなく強烈なものだった。
アーサーの放った衝撃波が、扉に衝突し、その余波が狼と名莉を激しく揺さぶってくる。物凄い攻撃力だ。
「なるほど。思っていたよりもかなり頑丈のようだ」
あの攻撃を受けても、扉は開かない。ただその表面をうっすらとへこませたくらいだ。
「嘘だろ? さっきのでへこんだだけって……」
頑丈過ぎるにもほどがある。
狼が扉の頑丈さに驚いている間にも、アーサーが再び攻撃を放つ。今度は何か物を突くような動作で、さらに強い攻撃を放った。
先ほどより強い衝撃。
しかし、それでも扉は開かない。
「三人で、一斉に攻撃を放ってみますか? そしたら開くかも」
狼がアーサーにそう提案すると、アーサーが静かに首を横に振って来た。
「せっかくの提案だが、断らせて貰うよ。こう見えて、私は負けず嫌いなんだ。でも、安心して欲しい。次で必ず開ける。私の誇りにかけて」
騎士聖槍 騎士王の矛
アーサーが技を放った瞬間、光の熱がその場を満たす。衝撃が空気を唸らせ、破壊音が狼たちの鼓膜を大きく揺さぶった。
その衝撃に思わず、息をするのも忘れるほどに。
攻撃が止んだあと、扉は跡かたもなく衝撃波で砕かれ、熱で溶かされていた。そしてその先には、フランスのヴェルサイユ宮殿にある鏡の間のような部屋が続いていた。
「部屋が続いているだけ?」
「でも、きっとこの部屋にも何かあると思う」
呆気に取られた狼に二双銃を構えた名莉が答える。そんな名莉の言葉に狼が気を引き締め戻す。
確かに名莉の言う通りだ。
「とにかく注意して、進むほかなさそうだ」
アーサーがそう言って、狼と名莉に目配せをしてきた。
狼たちが頷き、溶解した扉を抜けて部屋へと入る。
そして、その瞬間……
狼たちの方へと、一人の人影が近づいてきた。
やってきた人物の姿に、狼は思わず絶句した。
「どういうことだ?」
言葉を発せられない狼の代わりに、言葉を吐いたのは怪訝な表情を浮かべるアーサーだ。
無理もない。そこにいるのは……狼を少し大人っぽくしたような人物。
大城晴人。その人物が狼たちの前に立っていた。




