前哨戦4
狼がその瞬間に涼子の足下を狙った斬撃を放つ。
涼子がすぐに反応し真上へ跳んだ。涼子が一瞬のうちに身を翻し、逆さまの状態で、天井に足裏をつける。その間に狼が飛ばした斬撃に向かって男が銃弾を撃ち込んで来た。
男が撃ち込んで来た銃弾が狼の斬撃に接触する。その瞬間に、斬撃がまるで霧のように霧散した。空中爆発すら起きる事なかった。
「牧っ、アンタでその子、イケそう?」
天井を蹴り名莉へと踵落としをしている涼子が男へと言葉を投げる。
「いえ、まだ判断できないっす。もう少し試してみないと」
牧と呼ばれた男が、肩を竦ませて片眉を眇めて答える。視線は狼へと向けたまま、慎重に何かを見極めようとしている。
単純に考えれば、相手の弱点か隙を探しているようにも見えるが、そうなるとさっきの牧の解答は少しおかしい。
言い間違え? それとも弱点や隙などではない何かを探ろうとしているのか?
涼子による連続拳打を防いでいる名莉も、表情を訝しげに歪めている。
狼が牧へと接近する。速射・連射に優れている牧の武器を考えると、撃たせないに越したことはない。
狼が牧へと下段に構えたイザナギを振り上げる。牧がスーツの胸ポケットに持っていたナイフでイザナギを受け止める。イザナギがナイフを真上へと弾き飛ばす。牧がその一瞬の内に半歩下がり、狼へと引金を引いていた。
まずい。
そう思った瞬間には、もうすでに牧の銃から銃弾が放たれている。撃たれた銃弾は六発。感覚が麻痺したようにスローモーションの世界へと切り替わったような錯覚に襲われる。
咄嗟に相手の足元に向かって、滑走していた。滑走した狼の頭上を牧が放った銃弾が掠め去って行く。
それと同時に狼の足が牧の足を蹴り払う。
足元を蹴り払われた牧が驚愕の表情を浮かべながら体勢を崩す。
「ここでいきなりスライディングかよっ!」
床に倒れ込む前に、牧が片手を床につき、宙返りして体勢を整える。けれどそんな牧よりも先に体勢を整えていたのは狼だ。
狼が牧へと斬撃を放つ。
大神刀技 天下一閃
体勢を立て直した牧へと狼の斬撃が直撃し、そのまま牧の壁へと吹き飛ばす。しかし、狼は思わず眉を顰めさせた。牧に衝突した瞬間に狼の放った斬撃が小さくなったように見えたからだ。
そして狼の考えを肯定するように、壁へと吹き飛ばされた牧に残る傷口は涼子の物より浅い。
口の中に溜まった血を牧が吐き捨て、狼へと肉薄してきた。
銃を使うはずの牧が、自分へと接近してきた事に意外さを感じながら狼が身構える。向こうが接近戦を望むのなら、それで構わない。
ただ自分は目の前の事に対処するだけだ。
接近した牧の手には、フィンガーグローブのような物が嵌められている。狼へと跳躍し近づいてきた牧が右拳を突き出してくる。
牧が繰り出してきた拳を狼が右に身体を傾けよける。すぐに牧の左拳が連続で撃ち込まれる。狙いは顔面。狼が左腕を顔の前に出し、ガードする。
すると今度は左足の蹴りが狼の横腹を襲ってきた。狼が左の方へと蹴り飛ばされる。牧が今度は小型ナイフを狼へと投擲した。
投擲されたナイフを不安定な体勢のまま、イザナギで弾き返す。
「連続攻撃が俺の売りなんでな」
牧による連続攻撃を何とか往なした狼へと、牧が不敵な笑みを浮かべ、両手拳を前に狼へと構えてきた。
蹴りを受けて分かったが、牧は接種型ではない。けれど格闘戦に於いてかなりの熟練していることは分かる。一打が重く、油断していたらそれこそ大きなダメージになる。
狼は気持ちを引き締め、先ほどとは逆に牧と距離を取る。
距離を取りながら、狼は先ほど牧へと放ち、小さくなったように見えた斬撃の事を考えていた。あのとき、何かが偶然起きたのではなく、牧が何かしら仕掛けたと考える方が自然だ。
「それが何か調べないと……」
牧の方を注視しながら、狼が幾つかの斬撃を牧へと放つ。牧がニヤリと笑いながら、その拳に向かって拳を揮う。
牧の拳と斬撃が衝突する瞬間。その部分を凝視する。ただ目で視るだけではない。その瞬間にフィンガーグローブからどのような因子が流れているか、それを視る。
鳩子と通信ができれば、すぐにでも判明しただろう。
しかし、少し前から鳩子との通信は途切れている。
僕自身で見極めないと。
「オラ、オラオラオラァァァ!」
狼の放った斬撃の乱舞を牧が、次から次へと拳で打破していく。狼は斬撃を放ち続ける。どんどん斬撃に籠る熱も比例して、熱くなり青みが増して行く。
一気に上げるのではなく、静かにゆっくりと……
そうして行く内に、狼はあることが分かった。
最初の内に放った斬撃は、跡形もなく消滅してしまっているが、因子の熱を上げた斬撃は消滅するのではなく、少し威力を削って弾いている。
まさか、牧もヴァレンティーネと同じ能力なのだろうか?
「好い加減、こっちに無意味な攻撃を放って来んなっつーの」
牧が溜息と共に愚痴をこぼし、イザナギを構える狼へと突貫して来た。力を溜めるかのように、右拳を後ろへと牧が引く。
狼はイザナギに因子を練り注ぐ。そうすることで、イザナギの刀身がうっすらと蒼い膜にでも覆われたように淡く光る。けれど、ぱっと見ではこの発光は分からない。
大神刀技 天之尾張羽
引いた拳を牧が狼へと突き出す。突き出された拳から微かに因子の熱を感じた。やはり牧は因子を使い狼の攻撃を減殺している。
そして、それは必ず減殺できるものではない。
これさえ分かれば……
「はぁあああああ!」
狼が突き出された右拳へと正眼から上段へと構えていたイザナギを振り下ろす。固い牧の拳に触れた瞬間、自分の因子の流れが、捩じ曲げられ、細かく刻まれるような感覚が走った。
狼はその感覚に抗うように、因子を強化する。因子を強化することは因子の質を上げるということだ。
するとその細かく刻まれるような不快な感覚が、少し和らぐ。逆に牧の表情が大きく歪み、口から舌打ちが漏れた。
その瞬間に、イザナギの刃が牧の拳が、腕が、イザナギから放出される狼の因子によって、焼かれ、斬られ、潰される。
「まさか、こんな所で右腕を失うことになるなんてなぁ。最悪だ」
牧が額から脂汗を滲ませ、消滅した右腕の方に視線を向ける。
狼は黙ったまま、相手がここで自分たちと戦うことを放棄することを望んだ。けれどやはりその望みは叶わない。
自身の右腕を失ったばかりの牧が、左手に短機関銃を持ち構えて狼へと向けて来た。
狼は静かに奥歯を噛み、イザナギに因子を込める。
大神刀技 斬踏
斬撃の波動が狼へと銃弾を飛ばした牧へと押し寄せる。牧が放った銃弾の弾頭を波動が押し潰し、ぐにゃりと溶かされた薬莢が床にバラバラと落ちる。
床に落ちる銃弾を無視して、波動が牧へ猛進する。
するとそんな狼の攻撃と牧の間に、手負いの涼子が割って入って来た。
涼子が手手裏剣を前に突き出し、そのまま狼の攻撃を受け止めた。
「なっ! なん、でっ!?」
驚愕の声を上げたのは、牧だ。
「煩い! 黙ってろ!」
早口で怒鳴った涼子が因子を全開に放出し、狼の攻撃を受け止める。攻撃の余波が壁を吹き飛ばし、天井を吹き飛ばす。おかげで地下三階部分にあたる部屋から、戦艦の上空を飛ぶ戦闘機の姿が見えた。
歯を食いしばり、狼の攻撃を受け止める涼子。
その涼子を援護するように牧が狼の攻撃を相殺せんと10、15、20、30、32……と銃弾を撃ち込んで行く。
そして、狼による攻撃が止む。
「防がれた……」
思わず、狼の口から言葉が漏れる。落胆というよりも驚愕が強く、微かにほっとした自分に対して、なんとも言えない気持ちになった。
狼の攻撃を防ぎきった涼子の手手裏剣は、装甲がボロボロになり刃も欠けている。そして、涼子が力つきたように、その場で倒れ込む。牧がそんな涼子を左手で支える。
「どうして、俺なんかのために……」
牧の目から後悔の籠った涙が溢れる。すると牧の左腕に支えられた涼子が苦笑を零した。
「あたしは、どうも……変な所で無茶しちゃうのよね。母親失格だわ」
涼子のその言葉に、涙を流している牧の目が見開かれる。
そんな牧を無視して、涼子が狼の方へと視線を向けて来た。
「あーあ、最悪。牧の因子分解能力でも対応出来ないし、こんなボロボロで負けるなんてね……」
しばらく狼を視てから、涼子が冗談めいた声音でそう呟き、右手で下を指差して来た。
「あたし達を倒したんだから、最後までやりきりな。それから、次は……防がれないように、ね」
涼子が言う『次』とは豊のことだろう。
狼は、涼子のそんな鼓舞の言葉に真剣な表情で頷いた。
「頑張ってきます」
そう言い切った狼へと、涼子が満足そうな表情を浮かべ、
「そういう所……本当に父親そっくりだ」
と小さい笑い声を上げて来た。




