正義の仕事
朝早く、目を覚ました真紘は当主専用の稽古場に真紘が来ていた。
木の格子がついた窓の外は、うっすら明るくなり始めている。稽古場の広さは、もう一つある稽古場の嵳分の一程度で、一度に手合わせができるのは精々三組くらいのものだろう。
真紘はその稽古場の幼い頃から、飽きることなく繰り返している剣術の型を練習していた。
刀を振りながら、真紘は状況の整理をしていた。
周の話を聞く限り、勝ち目はアストライヤーの方にある。いや、だからこそ、国防軍の動きが著しくなってきても、虎視眈々としているのだろう。
そうでなければ、豊の息が強く掛かっている日本のアストライヤー関係者たちが黙って頷いているはずがない。
国外の国際防衛連盟への抑止も、真紘からすると十分ではない。
それこそ、中国、ロシアなどには宇摩や大城などの手が伸びてしまっている。ただ幸いなのは、軍との平和的解決を主張している米国の国際防衛連盟などは、真紘たちの方針に協力的ということだ。
けれど、欧州では中東などの情勢悪化に伴い、国民の意見が大きく別れているらしい。
フィデリオたちの母国であるドイツも例外ではなく、意見の対立による衝突は激しさを増していると言っていた。
ここまで、事が大きくなった以上……豊を止めただけでは世界は鎮まらないだろう。
もしかすると、豊の世界を変えるという目論見は達成されてしまったのかもしれない。
それを仮定すれば、次に自分たちがすべきことは……
「宇摩に変えられた世界をもう一度、変える」
木刀が鋭く、稽古場の空気を切り裂く。切り裂かれた空気が真紘の髪先を揺らす。
気づけば、道場の窓から明るい光が差し込み始めている。
するとそこへ……
「こんな朝早くから起きて、本当におまえ爺さんだな」
冗談を真紘に飛ばしつつ、出流が稽古場の入口に立っていた。木刀を動かしていた手を止め、真紘が出流の方へと顔を向ける。
「それは、貴様にも言えないか?」
「残念。俺はさっき雨生たちから連絡で起こされただけだ。……あと一時間もすれば東京に着くらしい」
「そうか。無事にこちらに戻ってこられるのなら良かった」
きっと、向こうで自分たちの考えに賛同した者も一緒にきているはずだ。
出流が真紘の言葉に肩を竦めてから、一息入れて話し始めた。
「もうそろそろ、動いても良いと思わないか?」
「居所が掴み難い相手に対してか?」
真紘の問いに、出流が静かに頷いてきた。
「本当は……おまえだって分かってるんだろ? いつかはこの状況を打破しないといけない事くらい」
出流の言葉で、真紘は自分自身に対して心の底から溜息を吐きたくなった。
「ああ、貴様の言う通りだな。俺は、俺たちは色々な理由を付けて、ただ先延ばしにしたかっただけかもしれない。あの人との戦いを」
豊の居場所が転々とするならば、相手を誘き出せば良いだけの事だ。自分たちの手元には、豊が無視することのできないヴァレンティーネという存在がいるのだから。
そして、自分が囮役に最適という事実は出流たちも重々承知しているはずだ。
戦いが始まれば、それこそ事態は一気に終わりへと向かうだろう。
「俺はおまえらみたいに、あいつに対しての情なんてない。きっと少し前の俺なら憎いとすら思ってた」
出流が真紘から視線を背け、言葉とは相反するように声音は静かにそう言ってきた。
「少し前と言っていたが、今はどうなんだ?」
「今はただの障壁くらいにしか思ってない。あいつがティーネを狙う以上な。けど、もう自分で決めたことを、誰かの所為にしたくないだけだ。一番、俺がむかついてる奴を知っただけだ」
自嘲している出流の顔を見ながら、真紘は自分自身の中にある和巳に対しての思念について振り返っていた。
正直、まだ和巳に対しての恨みを捨て切れたわけじゃない。けれど、自分の中で豊が言う様に復讐を成し遂げようという強い気持ちも持っていない。
脳裏に浮かぶのは、過去に捕らわれ続け、最期を迎えた雪乃の姿だ。そしてその姿は、今の豊と重なってしまう。
「過去を忘れようとは思わない。けれど……過去に捕らわれ続けることは、今を生きていない事と同義だな。俺はそんな惨めな生など欲しくはない」
真紘の言葉に、出流が小さく口の端を上げてきた。
「なら、それに捕らわれてるあの馬鹿を助けに行ってやれよ? 正義の味方は敵を倒すだけじゃなくて、助けることも仕事だぞ? ……きっと狼の奴もその気なんだろうからな」
「ああ、そうだな。まさにその通りだ」
倒すで動き出せないのならば、救うで動きだせばいい。
「損な立ち周りにはなってしまうと思うが、よろしく頼む」
真紘が踵を返した出流へとそう声をかける。
すると、出流が顔だけを真紘の方へと向けて酷薄な笑みを浮かべてきた。
「安心しろよ。お前等が颯爽と登場するまで、きちんと主役面しといてやるから」
「では、俺も二番手で主役を張らせてもらおう。殿は黒樹が適任だろうからな」
冗談混じりに真紘がそう言うと、出流が短く声を上げて笑ってきた。
今度はどんな事を思ったのやら?
慶吾は、自分に狼たちの状況を訊ねてきた豊について考えていた。
正直、今の所狼たちを取り巻く環境にこれといった状況はない。あったのは、微かな心の動き。
でも、きっと豊からすれば、それが大きな実りになっているはずだ。
大きな画面の中には、ありとあらゆる情報が溢れ返っていた。下らないものから、それなりに重要な物まで。千差万別の情報が流れている。
椅子にもたれ掛かりながら、慶吾は小さく息を吐きだした。
「もしかすると、諦めきれないのかな?」
狼たちに自分を理解してもらうことに……。
もしそうだとしたら、それは儚い夢に過ぎない、と慶吾は思う。勿論、狼たちもある一定の限度までなら理解はできるだろう。けれど、それは一部でしかない。
むしろ豊の全てを狼たちが理解できていたら、対立なんてそもそも起きやしない。
「あの人も分かっているだろうに。これも人の弱さと甘えによるものなのかな?」
人の弱さと甘え。
これは慶吾の中にも存在している。しかし、それを自分が出せるとは思えない。見っとも無く感情を昂揚させて、言葉を吐き散らしてみたいと思う。けれど、何故か自分はそこまでのボルテージに至らない。
情報操作士としての天賦の才を手に入れた変わりに、感情の起伏を失くしてしまったのかと思う。
だからこそ、感情を豊かに出せる他者に憧れ、惹かれるのだろう。そしてそれが複雑であればあるほど、人間の深みを知り、楽しくなる。
きっと、それが無くなってしまえば、自分には寂しさしか残らないだろう。
「どれも、これも自分の事なのになぁ……」
慶吾は自分のことですら客観視している自分に対して、呆れながら画面上に現れた変化に目を止めた。
紛れもなく、それは豊が出流たちと接触した合図でもあった。




