季節外れの味
狼たちが東京に戻って、二週間ほどが経過した日。
世界の主要都市で、因子を持っていない各国の市民による大規模なデモが一斉に勃発した。
ニューヨークやロンドンを始めとする欧米諸国はもちろん、アジアや南米にも広がり、中小規模の衝突も相次いでいる。
日本でも、永田町付近に抗議を訴える市民が五〇〇人ほど集まり、行方首相へ不満を爆発させている。
連日、似たような報道がテレビで伝えられており……それに合わせて日本の国防軍が行っている訓練の様子が映されている。
「異様だよね。きっと、こういう映像をわざと使って市民の感情を揺さぶろうとしてるんだろうけどさ」
千駄ヶ谷近くに、家を構える輝崎家の来客用の居間で一緒にテレビを見ていた鳩子が溜息混じりに呟いてきた。
「きっと、これはアストライヤー側がテレビ局に圧力を掛けてる」
「そうだろうな。そして軍の方も自分たちの有する力をPRする面で利用しているんだろう」
名莉の言葉に、真紘が訝しげな表情のまま頷いてきた。
真紘の言葉を聞きながら、狼は再びテレビの報道へと視線を戻した。
自分たちが明蘭に戻ってから次の日に藤華たちからの連絡が来た。
青森の方で、大城時臣と対峙していたこと。そして、戦況事態はキリウスがいたこともあって優勢には立てたらしい。
けれど、藤華たちもその時の戦闘で負傷しており万全の状態ではない旨を伝えてきた。
「正義たちは沖縄の方へと行っているみたいだ。向こうで国防軍が米韓との共同訓練を行っているらしいからな」
「臨戦態勢ばっちりって感じね。まぁ、それはあちこちを転々としている理事長も同じなんでしょうけど。何がしたいのかしら?」
希沙樹が眉を顰めて、首を傾げる。
「軍を泳がせたいだけだろ? 下手に細々と敵を相手にするよりは、纏めて相手にした方が楽だろうし」
「ああ、俺もそれは思うぞ。別に宇摩は長期戦を望んでいるわけではないからな」
ソファの端に座って肩を竦める出流に、真紘が頷いた。
「アラスカでの騒ぎもとりあえずは、終わったらしいからな。きっと直にあのバカオースティンも浮かれ顔で来るんじゃないか?」
「いや、浮かれ顔で来るかは分かんないだろ」
「どうだろうな? なにせ人生初めてのお友達が出来たっぽいからな。浮かれてんじゃん?」
「あはっ、前にも言ったけどあのアメリカ人、超余裕過ぎない?」
「確かに。鳩子もそう思う。ってか、出流もオースティンが新しい友達に取られて悲しいんでしょ?」
「ないない」
「またまた~」
手を振って、茶化す鳩子の言葉を出流が流す。
「でも、何でオースティンに友達が出来たなんて知ってるんだい?」
出流の隣に座っている操生が、小首を傾げる。
「ああ。それは……変な男二人と移ってる写真がアレクから送られてきた」
「わざわざ出流にかい?」
「俺にっていうか、クロエが作ってたグループトークに」
「そんなのトークルームがあるのかい? 私はまだ不参加なんだけど、ハブられたのかな?」
「ハブられるとかはないだろ。……いや、でもクロエが召集してたからなぁ。怪しいと言ったら怪しいか」
冗談混じりで笑う出流と操生の話を聞きながら、
「ナンバーズ同士で、グループトークすることってあるのか?」
狼は素朴な疑問を口にしていた。
すると、出流と操生がしばし黙って……
「いや、あれが初めてだったな」
「まぁ、連絡をこまめにするタイプは3、4人しかいないからね。活用されるかって言われるとされないかもね」
「それ、全く意味ないってことじゃないか!」
二人の言葉に狼が冷静につっこむと、そんな狼の肩を名莉が軽く叩いてきた。
「今思えば、私たちデンメンバーのグループトーク作ってなかった。作る?」
「あー、確かに作ってないけど……僕たちも僕たちで作る意味がないような」
どうせ、普段からデンで行動することが多い。クラスも一緒だし、今は寮生活だ。それを考えるとグループトークよりも会って話した方が楽な気がする。
「……確かに、そうかも」
狼の言葉で端末を開こうとしていた名莉の手が止まる。しかも微妙に悲しげな表情で。
「あっ、いや……メイが作りたいなら全然作って大丈夫だから! ねっ、皆!?」
狼が慌てて根津たちの方に視線を送る。
「まぁ、別に止める理由もないし、ね。いいんじゃない?」
「鳩子ちゃんもいいよ」
根津と鳩子が賛同する中、季凛がじーっと狼の方を凝視してきた。一瞬黙ったままの季凛に凝視されて、狼が困惑の表情を浮かべる。
何か言われそうな気配……。
いつもの流れを考えて、少しだけ狼が身構える。
けれど、季凛は何も言わずに肩を竦めてきただけだ。そしてデンでのトークを作ることに賛成している。
うーん、季凛のさっきみたいな態度は、妙に気になるんだよなぁ。よく自分の核心をついてくるし。といっても、自分から聞くのも地味に気が引ける。
そんな風に狼が肩を落としている間にも、周りにいる人たちは与太話に興じている。
もしかすると……
少しでも眉を顰める様な話から、遠ざかりたかったのかもしれないな。
「皆が楽しそうで良かった」
隣にいる名莉が、噛みしめるような声でそう言ってくる。
「うん……そうだね」
狼は名莉の言葉に静かに頷いた。それと同時に狼は少しだけ泣きたくなった。
深夜になっても、狼はなかなか寝付けずにいた。
目を瞑って寝ようとすると、妙に頭が冴えてしまうのだ。
「何だろう?」
何故だが気持ちが落ち着かない。
頭の中で何かがパチパチと弾けているような感じだ。
昼間の和やかな時間を思い出す。
全員がごくごく普通のことで笑っていた。それは幸せな時間だ。けれどそんな時間を過ごしてしまったからこそ、不安や恐怖が狼の中で生まれてくるのかもしれない。
豊との衝突は避けようのないものになっている。だからこそ、このまま何も起こらないまま平穏な時間を過ごすことは不可能だ。
だからこそ、あの時間を素直に喜ぶことができないのかもしれない。
「外の空気でも吸いに行こうかな……」
気分を変えたくて、狼は寝室を出て縁側へと来ていた。庭先にある石の灯籠には火が燈っていて、ほんのり辺りを照らしている。
冷たい風が浴衣越しに狼の身体を冷やしてきた。寒いとは感じる。けれど今はこれくらいが丁度いいのかもしれないとも思う。
「皆は……とっくに覚悟なんて出来てるんだろうな」
こんな風に覚悟が決まってないのは、自分だけなのかもしれない。
ふとそんな事を考えると、妙に不甲斐なくなって恥ずかしくなる。
「はぁ。僕って駄目だな」
溜息を冷たい空気に溶かしながら、狼は小さく自嘲を浮かべた。
「狼?」
「……メイ? どうしたの?」
自分と同じく、浴衣姿でやってきた名莉に狼が少し驚きながら訊ね返す。
「少しだけ、寝付けなくて」
「メイも?」
「うん。きっと……」
「きっと?」
名莉が狼の隣に並んで、それから顔を狼の方へと向けてきた。名莉と視線を合わせた狼が、微かに緊張を走らせながら、名莉の返事を待つ。
「きっと……枕の高さというか感触が合わないんだと思う」
「えっ? 枕?」
呆気に取られながら思わず訊き返す。
「うん。ここの枕は硬すぎると思う。私はもっと柔らかい方が……どうしたの、狼?」
一気に緊張が抜けたせいか、狼は名莉の横でしゃがみ込んでいた。
ああ、もしかしたら名莉も自分と同じ様な気持ちだと期待しただけに、失望感が強い。
いや、勝手に僕がメイを仲間にしようとしたんだけど……。
でも出来れば、もう少し違う理由が良かった。
「何でもないよ。僕が勝手に落ち込んでるだけだから」
「そうなの? じゃあ、どうして狼はここに来たの?」
名莉からの問いかけに、狼は答えに逡巡した。
こんな情けないことを言って、がっかりされないだろうか?
「狼、少しだけここで待ってて」
そう言って、名莉が足早にどこかへ去って行く。
去って行く名莉の後ろ姿を狼はぼんやりと眺めながら、
「メイはやっぱり実家には帰らないのかな?」
ふと、そんな疑問を口から零していた。
といっても、僕が偉そうに言うことじゃないんだろうけど。
以前から名莉が家と微妙な関係であることは知っている。きっと、その溝は、今すぐ何とか出来る問題でもないだろう。
狼自身、ほんの少し前まで母親である春香や晴人に対して複雑な感情を抱いていただけに、何となく踏み込み辛い問題でもある。
「……僕に出来る事があればいいけど」
縁側の縁に座りながら、狼が小さく呟いていると、
「狼に出来る事?」
カランと涼しげな音を上げるコップを二つ持った名莉が、きょとんとした表情で首を傾げてきた。
「ああ……いや、さっきのはその……」
狼がしどろもどろになっていると、名莉が狼の前にコップを差し出してきた。
「ありがとう。これは?」
「冷やし飴。季節外れだけど、さっき女中さんに頼んで注いでもらったの」
「そうなんだ。へぇー。小さい頃は飲んだけど、今は全然飲まなくなったなぁ」
狼が懐かしさに苦笑しながら、受け取った冷やし飴を一口のんだ。
口の中に優しい甘さが口の中に広まった。少しだけ生姜が効いてて、飴の甘さに隠れた仄かな香りが気持ちを和ませてくれる。
「美味しい」
久しぶりに飲んだ冷やし飴の味に、狼が笑みを浮かべる。
「よかった。狼が笑顔になって」
「えっ?」
「狼が少し元気なさそうだったから」
横に座って自分を心配してくれた名莉の言葉に、気持ちが温かくなる。
「心配してくれてありがとう、メイ。……情けない話なんだけど、実はさ少し、怖くなって。これから起こる事に。皆がちゃんと覚悟してるって時にって感じだけど。だから、あんまり寝付けなくて」
狼が視線を下げて、罰の悪そうな表情を浮かべる。
「狼がそんな顔する必要なんてない。私も同じだから」
自分の方へと視線を向けてきた名莉の表情に、狼は思わず目を見張った。
今の狼の瞳に映る名莉の表情は、先ほどの項垂れていた自分と似たような顔をしている。
「どんどん状況が悪化してて……でも今の私たちはここに居る。結局……国際防衛連盟側への行動を抑止しているのも、真紘や勝利さんたち九卿家の人で、私たちは何も動けてない。そう思うと、どう仕様もない気持ちになる」
立てた膝に顔を埋める名莉の本音に心が痛む。
狼も頭の片隅で薄々感じていた。本当に自分という存在は小さくて、不甲斐ないと。
けれど……
「きっと、それは皆なんだろうね」
自分の言葉で顔を上げてきた名莉に狼が微苦笑を浮かべる。
「多分、多くの人間を動かすのには相当な基盤が必要で、僕たちにはそんなものなんてなくて、ちっぽけだ。だから、僕っていう人間にこの問題は重すぎるって、正直思ったよ。だって、僕がこの問題に関わったきっかけは、小世美の存在が大きくて、世界をどうにかしようとなんて考えてなかった」
「……私もそう。もし、小世美が狙われたりしてなければ……今みたいに動いていなかったかもしれない」
狼は静かに「そうだね」と頷いて、手に持った冷やし飴を一口飲んだ。冷たい甘さが凄く優しい。まるで、見っともない気持ちを言葉にしている自分たちを励ましてくれているみたいだ。
「……別に、良いよな?」
「えっ?」
少しの間を空けてそっと呟いた狼の言葉に名莉が顔を上げてきた。
そんな名莉に狼がやや困った表情を浮かべる。
「僕たちがこうやって、弱音吐いても……」
「……うん」
狼の問いかけに、今度は名莉が力強く頷いてきた。
「それにさ、まだ昔より自分がマシになったなぁ、って思うんだ」
「どうして?」
「こんな風に不安になったり、弱音吐きたくなっても、自分のやるべきことを見失わずにいられてるから」
「やるべきこと……」
「ほら、ガツンと言ってやらないと駄目だろ? 大人の癖にいつまでカッコ悪く駄々こねてるんだ! って。むしろ、そのくらいしないと腹の虫が治まらないよ」
狼が名莉にそう言って笑うと、名莉も笑み返してきた。
「私も狼と一緒に説教する。きっと、それも許される」
名莉の言葉に、狼が思わず声を上げて笑った。
ああ、きっとそうだ。許される。大人だろうと子供だろうと関係ない。誰にでも説教の一つや二つは必要だ。
「ねぇ、狼……この問題が無事に終わったら、一つお願いしてもいい?」
「うん、いいよ。なに?」
「この問題が終わったら……私も両親と話そうと思ってる。そこに付いて来て欲しい。どうしても、一人だと勇気がでなくて……狼?」
まさか、名莉の方から家族の話が出て来ると思わなかった。
驚愕の表情を浮かべる狼に、名莉が不安そうな表情を浮かべてきた。不安そうにする名莉の表情に焦りを感じる。
「ああ、別に付いて行きたくないわけじゃないよ。むしろ、僕で良ければ全然一緒に行くし! ただ、少し驚いてて」
慌てた様子で狼が弁解していると、不安そうにしていた名莉の表情が弛緩してクスクスと肩を揺らして笑ってきた。
肩を揺らして笑う名莉を見て、ほっとする。
そしてそれと同時に、名莉も狼が驚くほど成長しているんだ、と身にしみて感じた。




