行方
意識が暗く沈んでいく。
どこからともなく大きな爆発音が聴こえる。轟々と煙が立ち込め、視界に広がる景色などない。身体からは、芳しくない程の血が流れていた。
しかしもはや、痛みなどはない。
けれど、目からは涙が流れていた。
これまでの自分が起こしてしまった過ちや、後悔。楽しく幸福だった記憶。
それらの物たちが今……自分という存在から剥離しようとしている。
「死ぬ、んだろうな……」
細く、ぼんやりとした声で呟く。
黒い煙に巻かれ、綺麗とはいえない景色の中で自分は死んでいく。なんて、惨めなんだろう。寂しいんだろう。どうせ、死ぬならもっと明るい場所で死にたかった。
そしてそのまま静かに目を閉じると、大切な五人の姿が思い浮かんだ。
ごめん。ありがとう。
意識は、そこでそっと途切れた。
明蘭学園へと戻って来ていた狼たちは、学園内にある救護棟へと来ていた。
セツナの方に、アクレシアたちから『棗が重傷を負って、救護棟に運ばれた』という連絡が入ったからだ。
すっかり、日も落ち切って部屋を照らしているのは、ベッドの脇に置いてあるオレンジ色の照明だけだ。
病室のベッドで横たわる棗には、医療機器の管が通っている。
「完全回復までには一カ月くらいは掛かるみたいよ。ミズナミ君をここに運んだのは理事長」
狼たちにマルガと共に連絡をくれたアクレシアが、狼たちにそう教えてくれた。
「理事長がここに運んだってことは、理事長が棗を攻撃したわけじゃないってこと?」
根津が眉を顰めて、疑問を口にする。
今、鳩子が情報集積のために因子を飛ばしている最中だ。
そして、左京とマイアが藤華の懐刀やジャンたちに通信を入れている。
けれど今の所、通信が繋がってはいなさそうだ。
だからこそ、狼は根津の疑問に無言のまま首を振るしかない。
「不甲斐ないな。本当に」
「自分を責めたくなる真紘の気持ちは分かるけど、棗はそれを望んでない」
意識のない棗を見ながら、表情を歪める真紘を名莉が窘める。
「……ああ、そうだな。確かに名莉の言う通りだ」
「そうだよ。とりあえず、ここに理事長はいないみたいだし、陽向たちと連絡を取ってから休もう」
狼が真紘の意識を逸らそうと、今後の事を口にした。
すると、真紘が短く息を吐き出しながら頷いてきた。
とはいっても、狼の中で若干の不安は残る。
人一倍、自分に厳しい真紘だ。
意識のない棗を前に、責任を感じていないはずがない。
「黒樹、按ずるな。俺は一人で動いたりはしない」
ずばり、狼が内心で思っていたことを苦笑混じりの真紘が言い当ててきた。
「えっ、いや、別に……僕はそんなこと思ってないよ。はは」
図星を突かれ、狼に動揺が走る。
「狼君の目……かなり泳いでるよ。あはっ。嘘がもろばれ」
「狼、アンタは少しくらい上手に嘘をつけるようになりなさいよ」
「黒樹君には、無理でしょ? 顔に出やすいもの」
否定した傍で、そんな事を言わないで欲しい。
狼は、季凛、根津、希沙樹を見ながら切にそう思った。けれど、そんな狼たちの会話を聞いていた真紘が愉快そうに声を上げて、笑ってきた。
声を上げて笑っている真紘に、狼たちが少し目を丸くする。
真紘はいつも笑顔などは浮かべるが、声を上げて笑っている所は見た事がなかったからだ。
「おや、まぁだね。これはレア動画として撮影しといた方がいいかな?」
笑う真紘を見た操生がそんな冗談を口にすると、素早い動きで希沙樹と季凛が急いで情報端末の録画モードを起動している。
しかし、そんな二人がカメラを起動している間に真紘の笑い声が止まってしまった。
「真紘? そんなに可笑しかった?」
後ろでカメラモードの起動の遅さに腹を立てている二人の言葉が聞こえ、狼が表情を強張らせながら訊ねる。
「いや、凄くというわけではないんだが……妙にな。妙にぐっときた」
笑った所為で涙が出たのか、真紘がそれを指で拭う。
「うーん、なんというか真紘がそれをやると様になるんだよなぁ。メイたちもそう思わない?」
狼が何気なく名莉やその横にいるセツナに視線を向ける。
すると名莉は、普段通りの表情でこくんと頷いてきた。
「凄く様になってると思う。きっとハンナがさっきの真紘を見てたら、逃さず激写してた」
「あー、あの子ね……」
前に執事の服やら飛行機のパイロットの服やらを着せられて、写真を取られた記憶を思い出す。
あの時は、何か凄く恥ずかしい体験させられたな……。
そう思いながら、狼が頬を掻きながら苦笑する。
「ねぇ、ロウ……さっきの質問をセツナにしたのって何か意図しての事?」
「えっ?」
後ろに立っていたフィデリオが満面な笑顔で狼の肩を強く掴んでいる。
「いや、別に他意はなくて……」
「へぇ~~。じゃあ、何でそんな質問をするかな? おかげで……」
言葉を区切ったフィデリオと共に、名莉の横にいるセツナを見る。すると少し顔を俯かせながら、顔を真っ赤にしているセツナが、小声で何かを言っている。
けれど、その呟いている言葉はドイツ語だ。セツナが乙女モード全開で何を言っているかは分からない。
しかし、自分の肩を掴むフィデリオの手の力がどんどん強くなっているのは確かだ。
やばい。何とかセツナに乙女モードを解除してもらわないと。
そうじゃないと、僕の肩が……握り潰される!!
けれど、そんな顔を真っ青にする狼の出流(助け舟)が病室に入って来た。
「雨生たちと連絡がついて、欧州にいるベルバルトと合流してからこっちに来るらしい」
「香港から直接、こっちに戻ってくるわけじゃないんだ」
「ああ。少し向こうで寄りたい所があるらしいからな」
「何か、気がかりでも?」
首を振った出流にフィデリオが首を傾げさせた。
おかげで狼の肩から手は外されたが、フィデリオの疑問に合わせて狼や真紘たちの顔にも微かな緊張が走る。
「……いや、お前等が危惧してるようなことじゃない。それこそ、ただの私事だ」
「私事?」
「ああ。きっと色々あるんだろ? 雨生たちにも。だから気にするなよ」
あっさりとした出流の返答に、狼は何とも腑に落ちない気分になった。けれど、この場で出流が重要な情報を下隠しにもしないはずだ。
それに、出流本人も言葉通り、深く気にしている様子もない。
僕の気にし過ぎか。
狼がそんな事を考えながら、病室を後にした。
出流たちと別れ、真紘は狼と共に学園の男子寮へと戻っていた。
真紘の同室相手は、正義だ。
そのため、部屋に戻っても誰いない。
随分とこの部屋に帰ってきていなかった気がする。自分が黒島に行ってから、すでに二ヶ月は経過している。
けれど、寮内は常に管理されているため、部屋に埃が溜まっているという事はなく、黒島に行く前に出たままの姿だ。
少し不思議な気分だ。
この部屋で過ごした時間は、実家で過ごしていた時間よりも短い。しかし自分の中で、この部屋に愛着を感じているのも確かだ。
そう、だからこそ……
真紘の思考を遮るように、情報端末の画面が光った。
……何だ?
真紘がやや首を傾げながら情報端末の画面に目を向ける。
すると、周からのメッセージが一件入っていた。
『今すぐに、生徒会室に来て欲しい』
という内容だった。
突然の周からの呼び出しに、真紘の表情が少しだけ険しくなる。今の状況で周からの呼び出しは、意味深すぎる。
普段から周が自分を呼び出すときは、行事があるときくらいだ。私事で呼ばれたことはない。
ほんの少しの間だけ考えた真紘は、すぐさま周に返事を送った。『分かりました。行きます』と。
そして、部屋を出た真紘が周に呼び出された生徒会室へと向かった。
「急に呼び出したりして、悪かった」
真紘が部屋に入ると、先に来ていた周が視線を真紘へと向けてきた。
「いえ。俺としては問題ないので。……それで何か用件でも?」
真紘が眉を潜めたまま、周に訊ねる。すると、周が少しだけ眉間に皺を寄せて苦笑いを零してきた。
「俺も人の事は言えないが、そう焦るな。それこそより良い談話には、時間が必要だ」
「すみません」
「いや、深い意味はないから謝る必要は無い。俺が輝崎に話したかったのは二つだ。まず、一つは各国の政府が、アストライヤー側……つまり国際防衛連盟側への全面的な支援を決定しようとしている件だ」
「……つまり、政府が軍人を完全に見捨てるということですか?」
動揺が隠しきれない真紘に、周がゆっくりと頷いてきた。
これまでの政府の動きは、それこそどっち付かずの対応を取っていた。軍を支持する政治家たちや軍事兵器などを製造する企業が、国際防衛連盟を強く糾弾していたからだ。
そして、その声が消えてなくなったわけではない。むしろ、どんどん声は大きくなり、動きが活発化しているくらいだ。
「このままどっちつかずの対応を取り、国際防衛連盟と各国の軍の軋轢が大きくなれば、それこそ政府という組織は、存在意義を失ってしまう。機能しなくなるんだ。政府はその事を一番に恐れている。だからこそ、今の時点で優勢である国際防衛連盟を支援し、軍の縮小を図っている。実に簡単な話だろう? 宇摩理事長の完全勝利で世界は進行する」
「……行方先輩もその意見に賛成ですか?」
他の政治家などどうでもいい。真紘は今目の前にいる人物の意見を求めた。アストライヤー制度を完成させた父親を持ち、その父と同じ場所を目指す人の意見を。
「正直、俺の意見は纏まっていない。まず最初にこれだけは言っておく。だが賛成か反対かではいえば……反対だ」
周が厳しい表情を浮かべたまま、そう答えてきた。
真紘は厳しい表情を浮かべる周を無言のまま見つめる。
「思わないか? ゲッシュ因子を持とうが、待たなかろうが、政府が声を聞かねばならなない一人の大切な国民だ。勿論、これだけの人口だ。一人ひとりの声を聞くなんて……神業の他でもない。しかし、俺はその声を聞きたい。国とは、政府とは誰のために存在しているのか? 俺はその疑問をずっと忘れないように生きている。青臭い理想論と揶揄されようと、俺はこの言葉を捨て去りはしない。だから俺個人としての意見は今の政府の動きは反対だ。しかし……その理想論を抜かして考えれば、この現状がさらに悪化して取り返しの付かない所に行くよりは……とも考える。……情けない話だ」
黙ったまま周の話を聞きながら、真紘も深く考えていた。
理想を追うが故に、無関係な人間を巻き込み傷つける恐怖心。そして自分が否定する世界に順応しなければいけない失望感。
これらの二つが周を苦悩させているのだろう。
むしろ、自分や狼たちだってそうだ。
人は葛藤の中で生きている。
「行方先輩……俺は、貴方の苦悩を全て分かることはできません。俺はもう動いている人間です。けれど俺は貴方なら、国を背負える人間になると思っています。けれど、それは今じゃない。もっと先の未来です」
真紘は、きっぱりとした声でそう言い切る。
「少々、無鉄砲な意見にはなりますが……貴方の立場は政界にそれなりの影響があります。勿論、首相の息子という肩書きなどは関係なく」
なにせ、首相の息子である周がゲッシュ因子を持っていることは流布しているのだから。今の所、九卿家の息が掛からずに、ゲッシュ因子を持っているのは政界内だと周だけだ。
そのため首相の息子であるのと同時に政界の稀有な存在として、注目されている。
「だからこそ、貴方が行動はそれなりに慎重性を必要とするはずです。ですが慎重になりすぎては周りに流されるだけです。それではまるで意味が無い。流される者にリーダーになる素質はありません。なので、行方先輩には、どうか流されず自分の良いと思った道に進んで下さい。勿論、それが俺たちと相反するものならば、俺たちは貴方にも容赦なく介入しますが」
「そうか。なら……俺は安心して進めるな」
周が微苦笑を浮かべて、真紘の言葉に頷いてきた。
「それが聞けて、俺も良かったです。後は衝突する状況に陥らないことを祈るばかりです」
「俺も本当にそう思うよ。それでなんだが、二つ目の話に移っても良いか?」
笑みを浮かべていた周が再び表情を真剣なものに戻し、真紘へと見てきた。
「ええ。大丈夫です」
「俺の二つ目の話は、九条会長のことだ」
「九条会長の?」
「ああ。今のあの人は宇摩理事長側についている。公家である以上、表立っては行動させていないみたいだが……」
周が心苦しそうな表情で溜息を一つ吐いてきた。
「これこそ、俺の勝手な私情だ」
そう言って、周が真紘へと二つ目の話を口にしてきた。




