伏線回収
お互いの姿が霧に覆われる。しかし、フィデリオも真紘も己の直感で、氷を蹴り上げ相手へと疾駆する。
突き出された刃同士が交叉し、同時に刃の穂先が相手の首元に突き出される。首を逸らし、その穂先をスレスレで避ける。
フィデリオが真上へと跳躍し、霧の中を抜けた。そんなフィデリオへと同じく上へと跳躍していた真紘が、足下に集めた風塊を蹴り肉薄してきた。
一足向こうの方が速かったのか。
フィデリオが自分へと迫ってくる真紘の姿に眉を潜める。しかし、そんなフィデリオに真紘の刃が向かうより先に、真下から真紘に向かって勢いよく火柱が上がった。火柱から伸びる炎が真紘の動きを止めた。
これは、セツナが真紘を助け出すために作り出した好機だ。
その事実にフィデリオは、口許に微笑を浮かべた。
眼下にいるセツナは、真剣な表情で食い入るように自分たちへと視線をむけている。セツナは自分のように真紘と攻防戦を繰り広げていない。大きなダメージを与えているわけでもない。
しかし、そんな彼女が作り出した。攻防戦が出来ずとも、大きなダメージを与えることはできずとも、セツナは真紘の不意を突き、この状況を作り出した。
セツナは自分ができる事を考え、それだけのために因子を練り込み、静かにその時を待っていたに違いない。
自分もセツナに負けているわけにはいかない。
絶対に、この瞬間を無駄になんてしない。
フィデリオが真紘と同じ用法で、炎の腕に掴まれた真紘の頭上へと跳躍する。
そして、セツナが巻き上げた火柱の付け根に真紘を叩き落とすように、真紘の背中に踵落としを打ち込んだ。
空を切り、火柱を縦に両断するように滑走路へと真紘が勢いよく落下していく。
フィデリオが一気に因子の熱を膨張させた。
聖剣四技 神の焔
フィデリオの因子が炎へと変化し、セツナの炎と引火する。炎の勢いが増大し、滑走路の上に落下した真紘を鹵獲する。
炎の勢いは凄惨で無慈悲だ。本来なら人間など敵うはずのない天地創生の力。
けれど、その炎の表層が怪しく揺らめく。
炎の楼閣に幽閉されているはずの真紘はその身を焼き殺されることはない。真紘の因子がそれを阻む。抗う。
風にとって炎は相性が悪い。
しかしその相性を覆そうと、速度の速い風の渦を炎中で生じさせる。炎の勢いは増す。けれど、風圧で真紘はその炎でさえ押しのけようとしている。
奇妙な風と炎の膠着状態。
けれどその拮抗は、だんだんと炎が己の優位性を見せつけ始める。
だんだんと真紘を守っていた風が縮小する。けれど、それは真紘が自らの因子をBRVに注力し始めたからだ。
そして、来た。
炎の腸を引き裂く様に。
大神刀技 疾斬
炎を乱切りした刃がフィデリオたちへと牙を向く。フィデリオが身を屈め、迎撃の体勢を取る。自身に向かってくる斬撃に合わせて、剣を振り抜く。小さな爆発が自分を包囲するように巻き起こる。
「はぁあああ」
声を張り上げ、無数の刃を迎撃する前に出る。セツナは斬撃を完全に防ぎ切ることは出来ていないが、致命傷だけはかわしている。
斬撃は炎を切り刻み、滑走路の上で縦横無尽に自分たちを襲撃し続ける。
やられるか。やられてたまるか。
フィデリオは、眼前を覆うようにも見える無数の斬閃を睨む。その先にいる真紘を挑発する。
斬れるものなら、斬ってみろ。
さぁ、来い。
やってみろ。
真紘の斬撃を斬り殺しながら、威嚇した。
空気内に溶け込んだ真紘の殺気が細波のように揺れた。
再び、フィデリオと真紘の刃が衝突した。
真紘の身体からは、先ほどの攻撃で負った火傷から血が滲み出ていた。そしてそのダメージからなのか、先ほどよりも真紘の呼吸が乱れている。
決めるなら、今しかない。フィデリオは内心でそう強く確信した。
「正直、がっかりだよ」
刃越しの真紘の表情が怪訝そうに歪められる。そんな真紘に対してフィデリオが失笑を浮かべた。
「君の恐怖は、もう遠い昔の産物だよ。敵にどんな洗脳されたのか知らないけど……いい加減、思い出すべきだ。重いものを肩に背負ってるのは自分だけじゃないって。自分は一人じゃないって」
「勝手な御託を並べるなっ! 貴様と俺では立場が違う。そう、何もかもだ。俺は弱音など吐いてはいけない。迷うことなどあってはならない。感情に揺さぶられてはいけない。逃げるなど許されない。俺は、俺は、父の代わりを全うしなければならない! 俺の所為で父はっ!」
真紘の叫びは、自分に向けての言葉ではない。真紘は自分自身を叱咤しているのだ。
「弱音を吐くな? 迷うな? 感情に揺さぶられるな? はは。マヒロ……そんなの、誰に出来るって言うんだ? 正直、そんな事誰にも出来ないよ」
真紘の悲嘆をフィデリオが、静かな言葉で弾く。衝突しぶつかり合う刃と同じ様に。そして、フィデリオが目を見開いた真紘に言葉を続ける。
「きっと、それは君の父……タダヒロ・キザキにもできやしない」
言葉が衝撃となったのか、真紘の動きが止まった。
上段から下段へと振っていたフィデリオの剣身が真紘の身体に斬り裂いた。
真紘の身体から血が溢れ、そのまま真紘が後ろへとよろける。
「マヒロっ!」
後ろへとよろけた真紘を、頬や両腕などに傷を負ったセツナが後ろから抱きしめ支えた。そして、真紘を支えているセツナが諭すような、優しい声音で口を開いた。
「もう、大丈夫。怖くない、怖くなんかないから……貴方は一人じゃない」
真紘に向かって、そう言ったセツナがフィデリオへと視線を向ける。
「私ね、分かったの。今のマヒロは大切なお父さんを失った時のマヒロなんだって。だから、不安で怖くて……どうしようもない気持ちでいっぱいなんだと思う。私が幻術の中で感じていた恐怖は、きっとマヒロのもの。だから、教えてあげなくちゃ……もう、怖くないよ、って」
そう言って、セツナが真紘を優しく抱きしめ続ける。
「安心して良いよ。マヒロのお父さんは、マヒロの事を凄く心配してたけど、恨んでなんかいないから」
セツナの言葉に、今まで力を失い呆然としていた真紘の表情が歪んだ。そして、小さい声音で……
「そうか。よかった……」
と呟いた。
狼たちが二隻の空母艦から真紘たちを救出している頃。
「あの時の会議の続きでもする気かい? 全く困ったものだね」
豊は、青森県にある猿ケ森砂丘で大城時臣と共に、藤華やキリウスたちと対峙していた。そしてそのキリウスの後ろには、欧州地区のナンバーズ二名とヴァレンティーネが厳しい表情で豊たちを見ていた。
「まさか、時臣さんと豊さん……お二人が仲良く並んでいるとは思いませんでした」
「宇摩が勝手に来ただけのこと。貴様も随分と派手な連中を連れているな? 自分一人では首を刎ねられたくは無いか?」
時臣が黒光りする日本刀を鞘から抜く。
その瞬間、空気が一気に張り詰めた。
「こちらの慈悲も分からないとは、愚かです」
藤華が大袈裟な溜息を吐き、因子の気配を一気に強めてきた。
それを豊は、目を細めて見ていた。
やれやれだ。
こんな所で、この二人に衝突されたら……この場における一番の事案に当たるのに際し、障害が出てしまう。
なにせ、二人が衝突した瞬間に、キリウスは自分の命を狙ってくるだろう。今も静観しているように見せて、豊の隙を窺っている。
……こちらから仕掛けて見るのも良いかもしれない。
豊の口許に酷薄な笑みが浮かぶ。
「時臣君たちがぶつかる前に、私がここに来た理由を話しておこうとしようじゃないか」
復元した刀を地面の方に降ろしたままの豊に、全員の視線が注がれる。
「私の目的はただ一つ。そこにいる麗しいお姫様の命を取ることさ。彼らに私たちにとっての大切な空気を奪わせてはいけないからね」
キリウスの殺気と共に、死の一手が豊を襲撃した。大きな衝撃音と共に、宙高く砂柱が撒き上がる。
「速度が足りなかったか……」
キリウスが不快さを表し、少し離れた場所に姿を露わした豊へと次の手を決める。次の攻撃は先ほどよりも、速度が上がっている。
豊はそれを避ける。
「今は攻撃しても、理事長の速度にはついていけいない。貴方のBRVに條逢による妨害が入ってる」
余裕のない口調で棗がキリウスたちに事実を告げ、口を閉じる。口を噤んだ棗が慶吾との妨害戦に臨んでいるのは明白な事実だ。
それこそ、豊のBRVにも棗による妨害が加わっている。
そしてそんな豊の横で、豊の懐刀である二名が動いた。攻撃対象は、キリウスに付き添う二名のナンバーズ。名前は確か……ジャン・デュリスとリリー・ロラン。
そして藤華の懐刀である能美遊里と七塚美和の二名と時臣の懐刀である神木誠司と結城志保の二名だ。
人手に不足はなかったようだ。
衝突し始めた二組を尻目に、豊はキリウスの攻撃を避けていた。
一番最初にぶつかり合うと思っていた藤華と時臣は、豊の動きに注視している。皮肉にも二人の意見は一致していた。
豊の動向を見極める。
それが二人の当主が出した結論だったのだろう。
二人の当主から注がれる視線に、豊は涼しげな澄まし顔を浮かべる。そして、豊が一気にキリウスの懐へと肉薄した。
「愚か者め」
豊が因子を練り上げようとした瞬間。この空間から豊の因子が消滅する。変わりにヴァレンティーネの因子の気配。キリウスからの冷めた言葉。
それが同時進行で豊の意識に刷り込まれる。
けれど、豊は笑みを崩さない。
「私は思うんだけどさ、私にばかりに気を取られない方がいいよ。私は魔王ではないのだから」
豊の言葉を戯れ言と受け取ったのか、キリウスの表情は変わらず、キリウスが手に持った剣を豊の首元へと走らせる。
「あら、やだ素敵。こんな辺鄙な海辺に、綺麗な綺麗な女性が一人。そして、こんな所であっさりゲストキャラに見せかけた伏線回収」
突如として聞こえた女の声に、キリウスが目を見開く。
「やぁ、やぁ。待ってたよ。葵君。君が欠伸をしていた所為で危うく首が取れる所だったじゃないか」
豊が片眉を竦めて、苦笑を浮かべる。
「なるほど。やはり、宇摩とも密接していたか」
「うふふ。少し前まで東京で同棲していただけよ。そんな密接なんて……照れちゃいますわ」
涼しい笑みと軽口で、葵が時臣に返事をする。
そして、その瞬間葵の足下から、鋭い爪を持った大きな鬼の手が現れ、一瞬でヴァレンティーネを握り潰した。




