道しるべ
フィデリオたちは、どこからともなく飛んでくる斬撃を対処しながら、長い廊下を歩き真紘の行方を捜していた。
自分たちへと飛んでくる突発性の斬撃は、そこまで脅威ではない。
それよりも、脅威なのは時々フィデリオたちの聴覚をおかしくさせるような砂嵐のようなノイズと、斬撃と同じ様に突如、現れる黒い影。
こちらの方がフィデリオたちにとってかなりの厄介な代物だ。そして今も、フィデリオの前には、大剣を握った黒い影の巨大な腕が障子を突き破り、フィデリオたちへと襲いかかっていた。
大剣を振り回す黒い影を、フィデリオとセツナが跳躍して躱す。振り下ろされた大剣が床を潰し抜く。威力は先ほどよりも上がっている。
しかし巨大になったおかげで、先ほどの機敏な動きはなく鈍間になっている。
フィデリオが、黒い影に向かって黒い雷を放つ。それに合わせて、セツナも炎刀炎羽を放った。二人の攻撃が黒い影を切り刻み、焼き焦がし、ただの焦土へと変える。
しかし、それでもこちらを威圧するような空気に変化はない。
「どうしてだ?」
フィデリオが呟き、眉を潜めたそのとき……自身の腹に強い衝撃。その衝撃を受けて、フィデリオが後ろに吹き飛ばされる。
「な、にっ!」
後ろへと吹き飛ばされたフィデリオが、空中で体勢を整えながら表情を顰めさせる。フィデリオの眼前には、先ほどバラバラにしたはずの黒い影が、何事もなかったように復元されていた。
表情を引き締めさせたセツナが因子の熱を上げ、再び技を放とうとした瞬間、巨大な腕が先ほどよりも速度を上げた動きでセツナへと刺突を繰り出してきた。
「避けて! セツナっ!」
フィデリオが声を張り上げる。
セツナもすぐさま避けようと動くが、それも……
駄目だ。間に合わないという言葉では済まされない。反射的にフィデリオが手から無形弾を放つ。付け焼刃だとしても、少しでも時間が稼げればそれでいい。
けれど、やはり咄嗟に出した無形弾では黒い影は止まらない。刺されれば、セツナの身体に大穴が空く。それはつまりセツナの死を意味している。
先ほどの自分のように『死』がなかったことになる保障なんてどこにもない。
やめろ!
そうフィデリオが叫ぼうとした瞬間。無慈悲に刃の穂先がセツナの身体を貫こうとしたその瞬間。変化が起きた。
変化が起きたのは、黒い影にだ。
黒い影は、まるで電池が切れたように動きを制止させた。そして、その影が後方から飛来した一閃で影の残滓すら一瞬で消し飛ばした。
唖然とするフィデリオとセツナの前に、刀を黒い鞘に納刀した精悍な顔つきをした一人の男性が立っていた。黒い影を倒した男性は、黙ったままセツナの前へとやってきた。
フィデリオもすぐさま、セツナの元へと向かう。
こちらを見たセツナの表情は困惑していた。今までの経緯として、この男性がどういう存在なのか判断に迷っている様子だ。
フィデリオがセツナから男性の方へと向き直る。すると丁度、そのとき男性が口を開いてきた。
「貴様たちに今一つだけ問いたい。ここで起きている奇妙な事と何か関係しているのか?」
「……関係していると思います」
「その言葉、少し妙だな」
男性に目を細められ、フィデリオに一瞬だけ動揺が走る。
答えてみたけれど、何か変な言葉遣いをしていただろうか?
「勘違いさせたようだな。すまない。私が妙だと言ったのは、君の言葉の言い回しというより、君が私の問いに答えに残した曖昧な部分だ」
「つまり、どういうことですか?」
「君は私の質問に完全な否定も、完全な肯定もしてない。つまり、君たちはただ巻き込まれただけではない、ということだろう?」
フィデリオが男性の言葉にゆっくりと頷きながら、これまでに現れた幻術と何かが違うと感じていた。
きっと、隣にいるセツナもそれを感じたらしく男性へと口を開き、
「あの、貴方はここで何を?」
という質問を投げかけている。他の幻術と違うと感じたからこそ、この人に何かを訊けば、何かが導き出されると思ったのかもしれない。
すると、男性はセツナの方へと向いてから、周りの景色へと目を向けて答えてきた。
「私は先ほどのような奇妙な事が、何故ここで起きているのか調べていた。貴様たちこそ、ここで何をしている?」
男性が視線をセツナへと戻し、訊ね返す。
「私たちは、マヒロを探しにきたんです」
「真紘を?」
「えっ、真紘を知ってるんですか?」
「知っているも何も、あれは私の愚息だ」
一瞬、男性の言葉にフィデリオとセツナが目を剥いた。驚きのあまり、咄嗟に言葉が出て来ない。
目の前の男性が、真紘の父親? つまりそれは……
「ということは、貴方は日本の初代アストライヤーのタダヒロ・キザキですか?」
驚き混じりのフィデリオの言葉に、忠紘はただ頷いただけだった。
けれど、その瞬間フィデリオの中で色々な感情が溢れて来る。例え、それが幻術内の人物だとしても、因子持ちにとっては「始まり」の象徴だ。
「俺は、フィデリオ・ハーゲンといいます。ドイツの代表になろうと思ってます」
「セツナ・ヘルツベルトです。えっと、いつもマヒロに訓練とか付き合ってもらったりして、お世話になってます」
やや熱気のこもったフィデリオに続き、セツナが気恥しそうに頭を下げる。すると今まで硬い表情を続けていた忠紘が、微かに柔和な笑みを浮かべ、自分の名前をフィデリオたちに改めて名乗って来た。
「やっぱり、似てるんですね……」
名前を名乗った忠紘に、セツナがそう言った。
セツナの言葉に忠紘が微かに首を傾げさせる。
「いえ、あの、何と言うか……上手く表現できないんですけど、マヒロと似てると思って」
慌てた様子でセツナがそう答えると、忠紘は小さく頷いて「そうか」と答えてきた。
確かに、似てるかもしれない。
フィデリオはセツナよりも、真紘と関わった時間ははっきり言って少ない。けれど、それでも忠紘と真紘はどこか似ていて、親子というのが重々に伝わって来た。
俺と父さんもやっぱり、どこか似てるのかな?
フィデリオが少しだけ、そんな感慨に浸っていると忠紘が口を開いてきた。
「余談は一先ず、ここまでにして……今のこの状況に因果関係を持っていそうな真紘を探した方が良さそうだな。そこで出来れば、これまでに貴様たちが出くわした事について、聞かせて欲しい」
忠紘の言葉に、フィデリオが真剣な表情で深く頷き、これまでの事を全て包み隠さず、話した。理解し難い所があったとしても、話しておくべきだと思ったからだ。
セツナもそれに合わせて、フィデリオが知らないこれまでの事を忠紘に説明している。
そして、フィデリオたちの話を聞いていた忠紘が、少しの間だけ何かを思案するように口を閉じてきた。
「……つまり、私も貴様たちを襲った先ほどの黒い影や、烏山の当主と同じ存在ということか」
忠紘が口を開いて言ってきた事に、フィデリオは一瞬だけ頷くのを躊躇した。
自分の事を本物であると思っている人物に、偽物だと言うことに抵抗がある。しかもそれを、まさか本人の口から出るとは思わなかった。
「遠慮する必要はない。答えなさい」
忠紘の言葉に促され、フィデリオはぎこちなく頷いた。
「貴方がおっしゃる通り、貴方は敵の幻術によって生まれた存在です。これは、疑いの余地なく」
なにせ、輝崎忠紘という人物は夭折しているのだから。この訃報は、父のゲオルクから聞いてもいたし、ドイツでニュースにもなった。
とはいっても、死因までは発表されず、そこは謎のままになっていたのだ。
フィデリオが苦い顔で答えると、再び忠紘が沈黙してきた。
自分の話を聞き、やはり何か思う所があったのだろうか?
けれど、次に忠紘の口から出た言葉は、フィデリオの予想していたものではなかった。
「私の仮説だが、この幻術を作り出しているのは御厨の当主だろう。むしろ、これほどの規模の幻術を操れるのは、私の知っている限り奴しかいない。そしてそれを仮定すれば、この幻術を生み出す媒介になっているのが、真紘だ」
忠紘が話しているのは、飽く迄今の問題に対してのことだった。
この人は、自分自身に対して、何か思う所がないのだろうか?
頭の片隅で、フィデリオはそう思ってしまう。
けれど、それをフィデリオが忠紘に向けて口にすることはなかった。
相手が口にしないのであれば、自分が突く必要はない。
それよりも、今は解決すべき問題に着手することが先決だ。
「でも、どうしてだろう? マヒロが媒体なら……私たちを攻撃してくるはずないのに」
暗い表情で疑問を口にしたのは、セツナだ。
「……もしかすると、マヒロ自身が敵に洗脳されてるのかも」
自分自身で今の状況を振り返ってみて、フィデリオはその可能性を示唆していた。けれど、それを確定的な物にできないのは、言い切るためには妙な引っ掛かりがあるからだ。
眉間に皺を寄せたフィデリオとセツナを忠紘が黙ったまま横目で見てから、静かに歩き始めた。
「えっ、どこへ?」
フィデリオが歩き出した忠紘の背中に向かって、声をかける。すると忠紘が微かに顔を動かして、
「答えが知りたいなら、真紘を見つけ出す他ない。そこに全ての答えはある」
忠紘の言葉に、フィデリオは軽く頭を叩かれたような気がした。忠紘は特別なことは言っていない。けれど、それをフィデリオは考えついていなかった。
その事実に情けなさと恥ずかしさを感じてしまう。
すると、そんなフィデリオの手をセツナが掴んできた。
「私たち、変に難しく考えて少し肩に力いれすぎっちゃったのかもね」
そう言って、セツナがフィデリオへと苦笑を浮かべてきた。そのセツナの表情は、昔から変わらない。
小さい頃、何かで失敗したして、自分が落ち込んでいると、セツナは今のように手を握って励ましてくれた。
そう、昔からこうやってセツナに励まされると、次は絶対に失敗しないと思えてしまう。
「……うん、そうだね。ここにマヒロがいるのは確かなんだ。焦らずに見つけ出さないといけないよね」
だから、きっと今回も失敗はしない。
フィデリオは内心でそう強く思った。




