仲間だから
「見つかった」
鳩子がそう言ったのは、砲撃戦が止んですぐのことだった。といっても、砲撃が開始されてから、相当な時間が経過していた。向こうの弾薬は数知れず、空は黒く、地上は赤橙色に染まっていた。そこでは細い呻き声が耳を揺さぶってくるだけだ。
「クラリスさんがいる場所は?」
希沙樹が鳩子に訊ねる。
「ここから真東に向かって、市街を抜けたところ。そこに出流もいる」
鳩子が眉を潜めたまま、そう告げてきた。
狼は鳩子の言葉に苦いものを感じて、手を強く握る。そんな狼の肩を根津が叩く。
「早く行きましょう」
間に合わなくなる前に……。根津の瞳が暗にそう告げてきた。
狼たちは、鳩子が指示した地点へと跳躍で移動を開始した。様々な物が無残に転がっている街だった場所を抜け、狼たちは出流たちの元へと向かう。
跳躍移動で、目標地点である灰色の巨大な倉庫へと辿り着く。街の方から突然やってきた狼たちへと、倉庫の周りにいた戦闘員たちが慌て出し、銃弾を放ってきた。
しかし、その銃弾は狼たちの身体に掠りもしない。先ほどの戦闘で疲れ切った人間の標準などに意味はない。
狼たちは反撃することもなく、その銃弾に目を向ける事もなく出流たちがいる倉庫へと邁進した。
すると、そこへ……
「止まれ(ストップ)っ!」
F2000を手に持ち、右半分の顔を包帯で撒いた青年が邁進する狼たちの前に現れた。
この青年の顔は見た事がある。自分たちが捕まる前に、出流たちと一緒にいた戦闘員だ。
「退いて下さい。僕たちは仲間を助けに行かないといけないんです!」
「助ける? クラリスをか?」
青年が訝しげに目を細めてきた。狼たちがその青年の目を見てゆっくりと頷く。
「そうです。だって、彼女は大切な仲間を助けたいって言った僕たちを助けてくれた。なら、僕たちだって、彼女を助けたい。貴方だって、仲間が困ってたら助けたいって思うはずだ」
狼が真摯に強い意志を言葉として、自分たちに銃口を向ける青年に向ける。青年の表情には動揺が走っていた。無防備な状態で自分に言葉を投げてくる敵に戸惑っている。
「スパイなんてしてる奴が、クラリスを助けに? 嘘だろ?」
「貴方も出流やクラリスさんの仲間なんですよね?」
「……そうだ」
「なら、そこを通して下さい。何もしてないクラリスさんを出流に撃たせるわけにはいかない」
狼が単刀直入に言葉を投げる。すると戸惑っていた青年の瞳に再び力が戻る。
「断る。俺はお前の言葉を信じられない。クラリスを囮に厄介なイズルを殺す気だろ?」
はっきりとした口調でそう言ってきた青年が狼たちに銃撃してきた。銃弾が狼たちの足元で跳ね火花を散らしている。けれど狼たちに当たったわけではない。
強い意志があろうとも、やはりそこに精密さは欠けている。青年の肩は激しく揺れていた。顔を撒いている包帯にも血が滲んでいる。傷はまだ癒えていない様子だ。
それを前に狼は居た堪れない気持ちに苛まれる。けれど狼はできるだけ表情を曇らせないように努力した。
自分の気持ちを表に出してしまえば、踏み躙ることになる。自分の身を呈してでも、仲間でを助けようとした、この人を。
「行こう」
狼が一言、デンメンバーや希沙樹にそう言って、狼はイザナギを復元した。狼の手に持ったイザナギを見て、青年の顔が蒼白になる。
やっぱりか。
そう確信したように青年が、狼たちへの憎悪と恐怖を左目に宿らせている。その表情を見ながら、狼はイザナギを揮った。
イザナギから斬撃が放たれる。放たれたイザナギは男の頭上を通り過ぎ……倉庫の天井部分を軽く吹き飛ばした。
「なっ……」
軽く吹き飛ばされた倉庫前方の天井を見て、青年が悲鳴にも聞こえる掠れた声を漏らした。狼たちはそこに向かって跳躍する。
そして青年の頭上を通り抜ける間際に、狼が口を開いた。
「本当は、貴方も信じたいんですよね? クラリスさんが自分たちを裏切ってないって。出流がクラリスさんを撃たないって」
遠慮気味に微笑んだ狼の言葉に、青年が目を見開いたのが分かった。そしてそのまま狼たちに向けていた銃を地面へと落とす。青年は目をきつく瞑って顔を俯かせた。
狼は己の葛藤と戦う青年の姿を一瞥してから、倉庫内へと入った。半壊した倉庫の天井からは、オレンジ色の光を放つ照明がぶら下がっており、銃器、手榴弾、弾薬などが乱雑に入っている木箱を照らしている。そしてそんな倉庫内の奥。剥き出しになった柱に両手を鎖で繋がれたクラリスとその前に、狼たちを睨む出流とキアラが立っていた。
鎖で縛られたクラリスの両手の甲には、銃弾により穴が開いている。
「さっきの攻撃はお前か?」
怪訝な表情を浮かべる出流が、狼に向かって言葉を投げてきた。狼は出流の言葉に頷き、表情を厳しくさせた。
「出流、もうやめろよ。したくもないことするの」
狼の言葉に出流が眉間の皺を深めた。冷たい激情を狼たちに視線でぶつけてきた。
「随分と良い身分だな? 自分たちは仲間を助けて、英雄に成り上がる。良い気しかしないよな?」
出流の憎悪にも近い言葉は、まるで自分たちに嫉妬しているように聞こえた。いや、実際にしているのかもしれない。
仲間を救える自分たちに。
「みんな……最初は僕が一人で出流を相手にしても、いいかな?」
狼がそう訊ねると、デンメンバーが頷き、希沙樹が肩を竦めてきた。そしてそれに付け足すように、季凛が口を開いてきた。
「あはっ。それが良いかもね。正気に戻った時に人数で勝ったなんて言われたくないもんね」
季凛が苦笑気味にそう言う。それに続いて名莉が口を開いてきた
「でも、狼が危なくなったら私たちはすぐに動く」
「情報操作士の方は鳩子ちゃんに任せて。実力差を見せつけてやらないとね」
「あはっ。とか言って……自分が持ってない物を持ってるあの子に嫉妬してるんでしょ?」
「煩い。季凛!」
鳩子が季凛の言葉に、目尻を吊り上げる。その二人のやり取りに他の三人が呆れたような苦笑を浮かべた。いつもの空気に張り詰めていた狼の心が和らぐ。
ここは、幻術世界だ。
本物であるのは、自分たちと出流だけだ。だから、物理的に失う物なんてなにもない。
けれど、もし……ここで裏切り者と見做されているクラリスを出流が手に掛けてしまったら、出流は自分を赦せなくなってしまうだろう。誰がどんな言葉を掛けようとも、出流の内奥には届かない。そしてそのまま、出流が壊れてしまう。
出流は何の感情も抱かず、人を殺してしまう人間ではない。
それが仲間である人物なら、尚の事だ。
だから、狼たちはその最悪な事態を防がなければいけない。
ここには、笑顔なんてものはない。暗い失望と落胆だけがこの場所に蔓延っている。
しかし、そんな世界に飲み込まれてはいけない。飲み込まれてたまるか。
狼は自分たちの眼前に広がる世界(幻術)に啖呵を切り、目標地点へと急いだ。きっと、そこでは出流と戦うことになるかもしれない。
今の出流にとって、自分たちは得体の知れない敵なのだから。
でも、それでも構わない。自分たちは出流を助け出さないといけないのだから。少しの危険を侵しても、仲間として一番大事な核心を守れれば、それでいい。
きっとそうしなければ、出流の事を何も知らなかった自分たちが、彼に手を差し伸べることはできない。
「仲良しごっこでも見せつけに、ここまで来たのか? 呆れる」
狼たちに冷たい侮蔑の視線をぶつけて、出流が狼へと銃撃を開始した。連射された自分へと向かって飛んでくる銃弾は、確実に狼の急所の全てを狙っていた。頭部、眼球、喉元、心臓……。一瞬の内に飛んでくる銃弾を狼が刀身の大きいイザナギを盾に防ぐ。
「はぁあっ!」
狼は因子を一気にイザナギへと注ぎ、出流へと肉薄する。
出流を相手に距離を取ることは命取りだ。なら接近戦に持ち込んだ方が、狼に分がある。狼が下段に構えたイザナギを振り上げる。
出流が瞬時に後ろに跳躍し、振り上げたイザナギへと持っていた拳銃を投げてきた。
拳銃とイザナギが触れた瞬間、爆発が起こる。狼はその爆発で生じた爆風に乗るように、後ろに後退した。するとその瞬間、狼のついさっきまで居た所に下から上に向かう銃弾の姿を捉えた。
あのまま爆風に乗らなければ、狼の顎はあの銃弾に撃ち抜かれていたはずだ。
背筋に悪寒が走った。
狼の頭上に降り注ぐように、驟雨のような銃弾が降って来た。狼は息つく暇もないまま、斬撃でその銃弾を防ぐ。
爆発、轟音、光、熱、衝撃……。
狼の元に一気に降り注ぐ。全身に出流の殺意を受けている。熱が肺に入り込んで、一瞬呼吸が止まる。そんな狼の元に出流が肉薄していた。
苦悶の表情を浮かべていた狼の顔面を、出流が容赦なく蹴り飛ばしてきた。狼はそのまま硬い床へと叩き落ちる。
「かはっ」
口の中が血で溢れる。それを押さえることなく狼は地面にそれを吐き出した。顔面を蹴りあげられた衝撃で、眼窩が切れてそこから血が出る。
顔中に痛みが走る。
そんな狼の周りの空間が歪んだ。
空間変奏 小糠雨
やばい。
そう思った瞬間に、根津が出流へと斬りかかっていた。
出流の因子の動きを根津に鳩子が伝えていたのだろう。斬り込んできた根津に意識が向いたため、狼に銃弾の雨が降ることはなかった。
出流が冷めた表情で、自分へと突貫してきた根津の青龍偃月刀を銃で受け止め、そのまま引金を引く。
根津の頭上に現れた銃弾を、離れた所にいた名莉が撃ち落とす。
「ナイス! 名莉っ!」
根津の言葉に名莉が頷き、その内に狼の元に季凛が狼の元に近づいてきた。
「狼君。季凛が出流君に隙を作る。そこを狙って」
「……分かった」
狼は腕で顔の血を拭い、季凛と共に倉庫内に積まれている武器などが入った木箱の物陰に隠れる。けれど、その瞬間、出流の銃弾によってその木箱が破裂した。
破裂した木箱が大きな炎を上げ、打ち上げ花火の様に次々に爆発した。
狼たちは瞬時に前方へと跳躍して、爆炎の中らから脱け出す。
けれど火の勢いは止まらず、あっという間に狼たちの周りに火の壁が構築されてしまった。
「あはっ、最悪。さっきの木箱の中身って、絶対に爆薬だったでしょ?」
季凛が地面に片膝と片手を突きながら、眉を顰めさせた。
そして、その季凛の横からイザナギを手に持った狼が駆け出す。根津と名莉を牽制している出流へと向かって。
出流がそんな狼へと視線を向けた。
根津の鎖骨あたりを銃弾で撃ち抜きながら。名莉の放つ銃弾を全て別の空間へと移動させ、無効化しながら。
「来いよ、殺してやる」
目を細めた出流が狼に向かって、ベレッタ92を構えた。
狼はその出流へと、躊躇うことなく突っ込んでいく。
イザナギが蒼く輝く。熱を帯びる。
大神刀技 大黒天
穂先に狼の因子が凝縮された球体が放たれた。それを見た出流が自分へと向かってくる球体を、名莉の銃弾と同じ様に歪んだ空間の中へと飲み込む。
「あはっ、引っ掛かった」
季凛が口許に笑みを浮かべた。そしてその瞬間、出流へと突貫していた狼の姿が消える。それと同時に本物の狼が天井にぶら下がっていた照明を蹴り、出流へと斬りかかった。
頭上へとやって来た狼へと出流が間髪なく銃弾を撃ち込んできた。
銃弾が狼の右肩を抉り取る。痛みが狼を支配せんとしてきた。けれど狼は無理に声を張り上げ、手元が狂いそうになる自分を叱咤し鼓舞する。
「はぁあっ!」
自分へと振り下ろされるイザナギを、出流が銃で受け止める。けれどそのイザナギに触れた瞬間、銃が液体のように溶けた。出流が瞬時に後ろに跳躍する。しかし、完全に避け切ることはできない。イザナギの刃が出流の身体を斬り裂き、血が舞う。
出流が不愉快そうに顔を顰め、狼を見た。
切り口は浅かったらしく、出流の殺気を削ぎ落とすまでには至っていない。けれど少しは相手の勢いを殺すことはできた。
狼は後ろへと後退した出流との距離を詰める。出流が距離を詰めんとしてきた狼の足へと銃弾を撃ち込んでくる。
名莉がその弾の軌道を銃撃で逸らす。狼が出流の懐へと入り込む。斬りかかる。出流が絶妙なタイミングで身体を横にし、狼の剣戟をかわし、持ち替えた拳銃の銃把で狼の横腹を殴打せんと動く。狼がすぐさま刃を切り返し、その銃を受け止める。
やはり、汎用型の拳銃では狼の因子を込められたイザナギを受け止めることはできない。再び、刃を受け止めている銃身が溶解し始めた。
しかし、けれど出流の表情に変化はない。何の躊躇いもなく引金を引く。指に力を込めた出流を見て、狼がその場から飛び退く。
引金を引いたということは、自分に向かって銃弾が飛んでくるということだ。しかもどこから飛んでくるか分からないとなると、刃を切り返して防ぐのは難しい。
なら、自分自身が場所を移動するしかない。
そう思ったのだが……
先ほどとは違い、狼がいた場所に銃弾は飛んで来ていない。変わりに、銃弾は銃口が向いていた、クラリスと希沙樹の方へと飛んでいた。
出流の放った銃弾が、クラリスを救出していた希沙樹が反射的に氷の壁を作る。けれど放たれた銃弾は、その壁が形成される前に、横を向いていた希沙樹の胸部横を撃ち抜いていた。
希沙樹から飛び散った血が氷の壁に付着する。悲鳴を上げる間も無く、希沙樹が撃たれた箇所を押さえ、地面に膝をついた。
完全に自分の行動を先読みされていた。
狼は悔しさに苦虫を噛んだ表情で、地面に膝を突いた希沙樹の前へと移動していた。その間に、出流へと季凛と名莉が肉薄していた。出流の後方には、止血を終えた根津がタイミングを窺っている。
手に握られているのは、クロスボウではない。汎用型のバタフライナイフだ。すると、それを見た出流が、使い物にならなくなった拳銃を床へと放棄し、FDE色のライフル銃(FN SCAR)を復元した。
季凛がバタフライナイフを投擲する。名莉が跳躍し頭上から出流に向かって銃撃する。正面からと真上から放たれた二つの攻撃。
出流が季凛と名莉の動きを見ながら、後ろへと後退し引金を引く。
空間変奏 アンリミテッド バースト
ライフル銃が破裂した。その瞬間に銃器から放出された銃弾が無制限に爆発し、その炎がありとあらゆる方向に広がった。
続く爆発と炎の熱で、広い倉庫内が一気に黒く焦げ上がり、蒸し風呂以上の熱気に包まれる。
狼が動けずにいる希沙樹とクラリスを庇うため、こちらに向かってくる炎をイザナギの斬撃で、押し返す。
しかし、それでも狼の内心は、一番近くで技を放たれた名莉と季凛の事で気が気ではない。
そんな狼の耳元に、パキンッと何かが折れる音が聴こえた。
狼がはっとして、後ろへと視線を向けると、鎖が繋がれていた手首に火傷を追ったクラリスが立っていた。
出流と狼たちの間には、揺らめく炎があり、鎖の外れたクラリスの姿は、まだ炎の向こう側にいる出流に視認されてはいない。
「クラリスさん、動いたりして大丈夫ですか?」
「自分より大怪我を負っている君に言われたら……私は肩身が狭いな」
「あっ、いえ……別に深い意味はなかったんですけど」
負傷した自分の身体とクラリスの言葉で、狼がたじたじになっていると、クラリスがクスッと笑みを零して来た。
そしてそんなクラリスが回復を急いでいた希沙樹に声をかけ、狼の横へとやってきた。
「クラリスさん、すみません。僕たちと関わったせいで……出流たちを裏切ったみたいになって」
「別に君が気にすることじゃない。むしろ、私としても良い機会になった。ここにいると、他人を信用できず、独りよがりになる者が多い。きっと私も含めて。だからこそ、ササクラは……彼は君たちには勝てないだろう。そして君はそれを仲間として教えてやればいい。変な話をすると、今の私にその資格はなさそうだからな」
クラリスの言葉に、狼が目を一瞬だけ目を見開いてから、目を閉じて頷いた。
「そうですね。僕も今、はっきり分かりました。出流に何を教えてやればいいのか……。ちょっと、一人でかっこつけてる馬鹿を怒りに行ってきます」
「ああ、行ってこい」
クラリスに微笑まれ、狼はもう一度強く頷いた。そして処置を終えた希沙樹の方へと振り向く。
「五月女さん、もう動けそう?」
「ええ、いけるわ」
「じゃあ、この倉庫内の炎を何とかして欲しいんだ」
「任せて」
希沙樹の言葉を聞いた狼が笑みを浮かべ、出流がいる方へと走り出す。希沙樹が狼の前にある炎を水と氷で鎮火させてくれた。
そこで、眉を顰める出流とひどい火傷を負い、地面に倒れる名莉と季凛の姿がある。狼はそれを横目に見ながら、出流の懐へと踏み込み、斬り掛かる。
出流による、銃撃が狼の身体を襲って来た。けれど狼は怯まず、出流へと斬線を描いく。
二人の血が地面に飛び散る。けれど二人とも攻撃をやめたりはしない。
狼のイザナギが出流の脇腹を突き刺し、出流の銃弾が狼の太ももを撃ち抜く。
痛みが熱となって、全身を麻痺させている。もはや、痛みさえ感じない。
狼が口の端に笑みを零した。
それを見た出流の表情が怪訝そうに、不愉快そうに歪められる。
「出流、もう変な自己犠牲を出すのは止せよ」
「自己犠牲? 何のことだ?」
銃弾と刃の攻防は繰り返されている。自分へと向かってくる刃を狼が切り刻み、銃弾は飽きる事なく、狼の急所へと飛び続けている。
「惚けたいなら、惚ければいい。けど、言わせてもらう。誰も出流にそれを求めてなんかいない。出流が助けられなかった友達も。クラリスさんたちも。皆……出流にそれを求めてない」
狼がその言葉を放った瞬間……出流の怒りが静かに爆発した。
殺気の籠った視線で、狼の首を手で締め上げてきた。首を締め上げてくる殺意に酸素が奪われる。狼はその苦しさから逃れるように、出流の腕にイザナギを突き立てる。
出流の手元が微かに緩む。狼がその瞬間に出流の胴を後ろに蹴り飛ばした。
首元から出流の手が離れた瞬間、狼が後ろへとよろけながら、激しく咳き込む。我武者らに呼吸を求め、肩が上下する。
しかし視界だけは、後ろに蹴り飛ばした出流を追う。
咳き込む出流と狼の目が合う。
狼がイザナギを構え直し、出流へと肉薄した。
「仲間も信じられない奴が、強くなんてなれるわけないだろっ!」
狼が叫ぶ。
イザナギへと因子が注ぎ込こまれる。
狼が駆け出した瞬間、出流が和弓を自分へと構えていた。
イザナギを揮う。
和弓から矢が放たれる。
大神刀技 千光白夜
空間変奏 曳火
破裂するような衝撃と轟音が、狼たちを包み込む。衝撃波が炎を辺りに撒き散らす。狼が放った千光白夜が出流の姿を飲み込んで行く。出流から放たれた矢が、狼の首元へと飛んでくる。
逃げるのはもう無理だ。刀を構える時間すらない。
そんな狼の前に、氷で出来た壁が形成される。飛んで来た矢を別方向から撃たれた二発の銃弾が軌道を逸らし、炎の龍が軌道の逸れた矢へとその口を開け飲み込んだ。
その瞬間、周りの景色が砕け散るガラスのように、崩壊していく。
「狼を射たせたりしない」
「狼、アンタもあたしたちが居る事、忘れたりしてないでしょうね?」
「氷で作った壁だから、熱による二次被害は防げたでしょ?」
「あはっ、季凛もただ地面に蹲ってただけじゃないから。ねっ、鳩子ちゃん」
「そうそう。地味にしぶといあの情報操作士と戦いながら、この幻術世界を壊すための手段を探ってたんだから」
名莉、根津、希沙樹、季凛、鳩子が狼に向かってしたり顔を浮かべて来た。思わずそんな皆の顔に狼は呆気に取られそうになる。
そして、そんな狼の視界に、鳩子との攻防を続け床にへたり込むキアラの肩に手を置くクラリスと、ダイチの姿が見えた。
そして幻術世界が消える寸前、クラリスが狼たちの方を見て、
「頼んだ」
と微笑んで来た。
世界が一変し、炎に包まれていた倉庫内から米軍の空母艦内の倉庫へと景色が変わる。
狼たちの目の前には、床に倒れ込む出流の姿があった。
倒れ込む出流は、辛うじて意識があるものの……その顔は苦痛に歪んでいる。出流の血が徐々に床を染めて行く。
「早く何かで止血しないと!」
狼がそう言って、出流の元へと走り寄ろうとした瞬間……
「Oh,my god!! No way. No way. No way!!」
背後から裂帛した少女の声が聞こえ、その主が狼たちの横を走り去り出流の元へと駆け寄っている。
「あの子って、確か……」
「ナンバーズの子よね? 名前は確かクロエだったっけ?」
狼の言葉に続いて、突如現れたクロエに根津が訝しげな表情を浮かべる。出流へと駆け寄ったクロエは、気絶寸前の出流を抱き起こし、ポケットから急いで出した錠剤型の鎮痛剤と治癒力促進剤を噛み潰し、出流へと口移しで飲ませている。
そして、飲まし終えたクロエが唖然とする狼たちを、涙を浮かべた目で睨んで来た。
「ドイツ人と連絡が取れなくなったと思って、来てみたら……ちょっと、あたしのイズルに何やってくれてんのよ!?」
「いや、僕たちは出流を助けようとしてて……」
「どさくさに紛れて、キスした人に言われたくないよね」
「鳩子、しっ!」
ぼそりと呟いた鳩子の口を狼が手で押さえる。
ここで、火に油を注いだら駄目だ。
「助けようと? こんな状態の出流を見て……どうやって信じろって言うのよ? アンタ、あたしを馬鹿にしてるのっ?」
「いや、全くそんなつもりないよ! これには色々事情があって」
狼ができるだけ、クロエの気持ちを落ち着かせようと落ちついた口調で話すが、クロエの表情は眉を顰めたままだ。
どうやって、信じてもらおう?
狼が疑念の表情を浮かべるクロエに困り果てていると、季凛が口を開いて来た。
「あはっ。クロエちゃんにお願いがあるんだけど、いい?」
「お願い? 何でアンタのお願いを聞かないといけないのよ?」
「まぁまぁ。そう言わず。むしろ聞いても損ないと思うよ? 出流君を助ける事になるんだから。あはっ、それが上手く行けば出流君からの好感度もかなり上がると思うけどな〜?」
わざとらしく目を細めた季凛の言葉にクロエがぴくっと反応した。
「まぁ、イズルを助ける事なら……聞いてあげなくもないけど?」
澄まし顔で仕方なく聞いて上げるというニュアンスを強めているが、明らかに自分にとって都合の良い話に期待を込めてるのが分かる。
「あはっ。単純〜〜」
季凛が笑みを浮かべながら、邪悪な言葉をぼそっと呟き、
「確かクロエちゃんって、精神操作系の能力でしょ? だからさ、敵に洗脳されて苦しんでる出流君を助けてあげてくれない? ほら、自分の因子を潜り込ませる方法は……クロエちゃんにお任せするから、ねっ?」
季凛がクロエを畳み掛けるように、口許に指を当て片目を瞑る。
すると、季凛の意図を読み取ったかのように……クロエの目がぱぁっと輝いた。
そして、頬を赤らめたクロエが小さく「Okay……」と呟いてから……
操生たちが居なくて良かったと思う、キスをクロエが意識のない出流へとするのだった。




