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幻術からの見る世界

 何とか他の船から攻撃を受けず、狼たちは米軍の空母艦の手前までボートを滑らせることが出来た。

「では、皆さま……お気を付けて」

「わかりました。左京さんたちも」

 左京の言葉に頷いた狼たちが、ボートから一気に空母艦の甲板へと跳躍した。狼たちが跳躍するのと、同時にボートがすぐさま離れて行くのが見えた。

 跳躍し、空母艦の甲板へと降りた狼たちが、一気に眉を寄せる。空母艦の上には、戦闘機を飛ばすための滑走路があり、そこが黒く焦げついていた。

 何かの焼けた臭いも狼たちへと漂ってくる。

「ここで誰かが戦ったのか?」

 狼が目を細めながら、広い空母艦の甲板を眺める。そこに自分たち以外の人間がいるような気配はない。

 鳩子も敵の反応があるのは、九卿家並みの因子一つだと言っていたのを思い出す。

「狼たちが明蘭で戦っている間に、ここの乗組員の人たちは理事長に掃除されちゃってる」

 狼の呟きが聴こえたのか、近くにいた鳩子が淡白な表情で答えてきた。

 鳩子の言葉を聞きながら、狼は表情を顰めさせた。

 黒い焦げ目が、狼たちの目には悲痛なものを感じさせる。ここに何人の兵士たちがいたのかは知らない。けれど、そこにいた人たちの人生が消えたという痕跡に言葉を失わずにはいられない。

「行くわよ。ここへ追悼式を開きに来たわけじゃないんだから。あたしたちの目的は仲間の救助なんだから」

 狼の前にいた根津が、そう声をかける。けれど後ろにいる狼からは、その表情は見えなかった。

 そして今の狼たちは、根津の言葉に同意するしかない。今の狼たちはここにある寂寥感に佇んでいることはできない。自分たちの身体に撒きつく嫌な気配を無視して、進むしかない。

「大酉さん、強い因子の気配はどこが一番強いのかしら?」

「この船の内部の殆どから因子の気配を感じるけど、一番近いのは格納庫」

「なら、そこを目指すしかないわね」

「そうだけど、でも気を付けて。二隻の船で感じる因子の感じ的に、幻術系だと思うから」

 鳩子の言葉に、狼たちが眉を寄せてから、空母艦の内部へと進入した。

「えっ……」

 誰かが驚愕の声を漏らす。

 けれど、それは狼たちの声ではない。

 狼たちの目の前にいる、ライラック色の瞳をした金髪の少女から漏れ出たものだ。

 そして、狼たちが立っているのは空母艦内ではない。狼たちの足元には乾燥した地面。バラバラに砕け散った建物の残骸。鳴り響く爆音。呻く声。泣いている女性の声。銃声。様々な臭い。

 狼たちの前には、戦場が広がっていた。

「君は……?」

 狼が声を掛けた瞬間、少女が怯えと殺気が混じったような視線で睨みつけてきた。そして、狼たちへと汎用型のライフル銃の銃口を突き付け、容赦なく引金を引いてくる。

 間隙なく放たれた銃撃に、狼たちが各々に対処していく。

 乾燥した地面に銃弾が跳ね返り、砂埃が一気に舞い少女の姿を隠してしまう。勢いよく舞い上がった砂埃に、狼たちが咳き込みながら、手で砂埃を掻き払う。

「あれ、さっきの子は?」

 目に入った砂に狼が目を細めながら、目の前からいなくなった少女に首を傾げさせる。

「九卿家の当主が造り出した幻術ってことは、確か」

「そうだろうけど、幻術にしては……」

 再現度が高すぎる。

 狼たちの肌を焼く様な暑さ。大きな声で話される訊き慣れない言葉の圧力。幻術と分かっていても、気を抜けばすぐにその事を忘れてしまいそうだ。

「鳩子、幻術の中だけど……目指す地点まではいけそう?」

「行けるけど……幻術の中での距離と現実の距離で感覚的誤差はあると思う。だから現実の距離よりも、倍はかかると思ってて」

「了解。なら急いで向かいましょ? この中で変に戦いになっても嫌だし」

 根津の言葉に頷いて、狼たちは出来るだけ因子で気配を殺しながら、目的地まで疾駆する。

 狼たちが走り抜ける戦場では、身体中から血を流し、呻いている者。傷口に包帯を巻いて止血している者、小さな赤ん坊を抱いて走り逃げる母親の姿があった。

 狼たちの横を通り抜ける人々の目に恐怖などは浮かんでいなかった。ただただ必死だった。必死に逃げることを、痛みを押さえることを、敵を倒すことだけを考えているような目だ。

 恐怖心が慢性し、感情が麻痺しているのかもしれない。

 通りの道の脇では、脱力し目が泳いでいるような兵士の男の姿がある。片方の片から下を失い、底から血が垂れていることも気づいていない様子だ。

 そして、その男の姿を別の所から、何人かの孤児らしき少年が息を顰めて見つめている。彼らが何をしようとしているのか、考えたくもない。

 走りながら目に飛び込んでくる風景に、狼は顔を顰めさせた。

「悪趣味ね。何故、こんな幻術の中に私たちを誘き出したのかしら?」

 横にいる希沙樹が、辟易とした溜息混じりに愚痴を零している。

「斜め右方向から、流れ弾数発!」

 鳩子の言葉が、狼たちの注意を引く。鳩子の示してきた通り、数発の流れ弾が飛んで来ていた。

 名莉がそれをすかさず相殺するように、銃弾を撃つ。飛んできた銃弾と名莉の撃った銃弾が空中で衝突し地面へと弾かれる。

「さすが」

 狼は瞬時に流れ弾の軌道を読んだ鳩子と、それを的確に撃ち落とした名莉に舌を巻く。

 情報操作士である鳩子ではあるが、自分たちとは関係ない銃撃戦の攻撃予測まではしていなかっただろう。つまり、鳩子は周囲に展開している自分の因子で、流れ弾となった銃弾を的確に認識し、それを狼たちに伝えてきたのだ。

 そして名莉も秒速で飛んでくる銃弾を的確に対処した。

 もう撃たれた銃弾を同じ銃弾で食い止めるなど、名莉の技量があってこそだ。

 それから、狼たちは何度かその銃撃戦に巻き込まれながら進んでいくと、少し離れた所に、幾つかの大きな仮設小屋らしき建物がある。

 仮設小屋の周りは有刺鉄線が張り巡らされており、その鉄線の中には銃を構えた傭兵らしき男たちが外を睨んでいる。

「やっぱり、さっきの女の子みたいに、安易に近づいたら撃たれるよな?」

「確かに、その可能性は高いよね。あはっ。マジ厄介な幻術なんですけど……」

「鳩子、あそこが目標地点なの?」

「違う。あたしたちが目指すのは、あの建物よりももっと奥にあるみたい」

 名莉の言葉に、鳩子が首を振る。

 けれど、その瞬間鳩子の表情が変わった。

「因子の気配に動きがあった」

 そう言って、鳩子が空を見上げる。するとその瞬間、狼たちを照らしていた太陽が見る見る内に沈んでいき、空が青に橙色が混ざり始め、それから紺色が混ざって行く。

 幻術の中の時間が急速に進み始めている。

 するとそれに合わせて、仮設小屋の方に灯りが燈りはじめた。

「なんなんだ?」

 自分たちを苦しめていた暑さが嘘のように消え、変わりに汗で濡れた身体には堪える夜の冷え込みが襲ってきた。

 気温の大きな変化に、狼たちは身体を震わせる。そして、その瞬間に、狼たちの視界がぐにゃりと歪んだ。

 視界がぐにゃりと歪む事態に狼たちは、目を丸くさせる。

 そして気がつけば、目の前にはまた別の光景が広がっていた。外は暗い。けれど先ほどいた場所とは明らかに違っていた。足元は綺麗に舗装されたアスファルトで、周りは森林に囲まれている。そして狼たちの周りには、Ka―4シリーズが蔓延っていた。

 けれどその化物たちは、狼たちを襲ってくる気配はない。

 変わりに、どこからともなく絶叫が狼たちの耳に聴こえてきた。

「向こうの方から聞こえた」

 名莉が後方に振り向き、そっちの方を指差す。

 何がどうなってるんだが、まるで分からない。ここはどんな所なのか? 何故、こんなに多くのKa―4シリーズがいるのか?

 状況を理解するための情報がまるでない。

 だからこそ、少ない手掛かりとして狼たちは声が聴こえた方へと向かった。声が聴こえた方へ向かえば、向かうほど化物たちの姿が増えて行く。

「多いな」

 数多くいる化物たちから臭う悪臭に、狼たちは吐き気を感じる。さっきの戦場で感じた何かが腐ったような激臭が、より濃くなって辺りに拡散している。

「ううっ、臭い。早くここから脱け出したい」

 鼻を手で押さえる鳩子はやや涙目で、気持ち悪さを堪えている。

 そして、人間の背丈よりも高いフェンスの端に、化物たちが団子のように固まっていた。そしてその団子状態の化物たちの隙間から、人の顔の一部が見えた。

 思わず、狼が目を逸らす。

 そして逸らした先には、全身を血で濡らした少年が立っていた。

「出流っ!!」

 血で身体を濡らした出流の顔には、何の感情も、意志もない。ただそこに力なく立っている。

 狼たちが出流の元へと、走る。手を伸ばす。

 しかし、その瞬間……出流が狼たちへと強い憎悪を宿した瞳で射抜いてきた。仲間である出流からの憎悪の視線に、狼が目を見開く。

「狼、また……」

 根津の言葉が途切れた。

 そして、次の瞬間には狼たちの目の前には、先ほどの戦場が広がっていた。



 狼たちが奇妙な体験をしている中、フィデリオたちも奇妙な幻術の中にいた。

 目の前に広がっているのは、母国ドイツと異なる文化の造りをした家屋。そんな光景がフィデリオたちの前に広がっていた。

 ここが、どこなのか? その疑問は目を見開いた左京達の言葉ですぐに分かった。

「ここは、輝崎の家です。勿論、幻術で作り出されたものでしょうが、それにしても……」

「細部まで再現されています」

 言葉を濁した左京に続き、神妙な表情で誠が目を細めさせた。

 フィデリオたちの足元には、綺麗な若草色の畳み廊下だ。それが現実的にはありえないほどの長さで伸びている。

 そしてその畳み廊下を沿うようにして、右側に立ち並ぶ襖や障子。襖には鮮やかな墨絵が描かれており、華やかさと重厚感を兼ね揃えている。畳み廊下には足元の証明として、和紙が貼られた照明器具が、一定の感覚で置かれていた。

「ゴテゴテの和風建築だってことは、分かるけど……この幻術の中のどこに輝崎君がいるんだろうね? 生憎、情報端末の画面に表示されたエラー表示が消えないということは、向こうに行った大酉君とも連絡が取れないからね」

 操生が息を吐き出しながら、肩を竦めさせる。フィデリオはふと自分の情報端末に視線を向けると、操生が言っていた通り、情報端末の画面にはエラーコードが表示されていた。

 この幻術の中に、真紘は居るのだろうか? 居るとしたらどこに?

 そして仮にこの幻術の中に真紘が居なかったとしたら、自分たちはこの中で愚図愚図などしていられない。

「真紘がこの中にいるとしたら、どこにいそうか、お二人の中で予想とか立てられますか?」

 何もかもが分からない状態では、仮説を元に手探りで前に進んでいくしかない。そして、この中でこの真紘の家の事を知っているとしたら、瞬時にここを真紘の家だと判断した、左京と誠だろう。

 左京と誠がしばしの間、考え込む。

 そして誠が顔を上げ、それに遅れて左京が顔を上げた。

「私としては、結納様がいた離れかと」

 誠がそう推測し、左京が、

「私は当主部屋かと思います」

 と推測してきた。

 今は、それを元に足を動かすしかない。近くにいるセツナが、眉を潜めて辺りを見回している。

「セツナ、どうかした?」

「あっ、ううん。ただ変な感じがして……」

 戸惑った様子のセツナが苦笑を零す。

 するとその瞬間、襖が二つに裂けた。そして裂けた襖の奥からフィデリオたちへと無数の斬撃が飛んで来た。

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