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こんなところで

 目の前にいる榊仁の印象は、同じ家に住んでいた頃からあまり変わっていない。この男と血は繋がっていても他人だ。明蘭にいる他人よりも他人だ。

 そう中等部から上がる時に、自分に言い聞かせた。そうすれば、下手に自分が苛立つことも、憎悪することも、悲しくなる事もないと思ったからだ。

 けれど結局、当人を目の前にすると、自分を言い聞かせたのが馬鹿みたいだった。

 向こうが涼しい顔をしているのが気に入らない。

 子供だと罵られようと、気に入らないものは気に入らない。

 この人に遠慮することなどない。

 希沙樹は槍の穂先を勢いよく榊へと突き出す。穂先が榊の首の皮を裂く。しかし、それは皮膚の表面を擦っただけに過ぎない。しかし完全に交わされるよりはマシだ。

「ギリギリまで避けずにいてやったが、まだまだ甘いな。ったく血が昇り過ぎだ。馬鹿が」

 自分の心情を見透かした榊の言葉にさらも血が昇る。

「馬鹿にしないでっ!」

 自分の攻撃がこれで全てだと思わせない。この男だけは、絶対に。自分の中の自尊心が吠える。叫ぶ。喚き出す。

 希沙樹の因子が凄まじい冷気となって放出され、空中で無数の氷柱を造り出す。造り出した瞬間、榊へとぶつける。地面が揺れる。霜混じりの土が巻き上がる。榊の姿がその霜と土煙で一瞬姿を消す。けれど希沙樹が瞬きした瞬間、目の前に榊の姿があり、槍から放った衝撃波で希沙樹を遠く遠方へと吹き飛ばす。

 吹き飛ばされた希沙樹の身体が、先ほど自分が造り出した雪壁に勢いよく激突する。

 雪壁の氷の部分は非常に堅く、ちょっとやそっとの熱で溶かすことは不可能だ。

 耳元には、榊の動きを予測した鳩子からの情報が届いている。

 希沙樹はすぐに態勢を整える。しかしそんな希沙樹の身体に猛烈な暴風雪が希沙樹の身体を容赦なく飲み込んで来た。冷たい空気が見えない刃のように希沙樹の身体を蝕む。

 体温が奪われる。唇が震える。体温を一瞬で奪うような冷たさに痛覚が喚き出し、限界を超えたように感覚が失われる。

 早く、早く、この場所から抜け出さないと。意識が途切れる前に。

 しかし感覚を奪われた意識はほどなくして朦朧としてくる。

 駄目だ。自分はこんな所で、この男に負けるわけにはいかない。真紘を助けに行かないといけないのだから。自分自身が嫌で、嫌で溜まらなかった時に、自分を認めてくれた彼を、今度は自分が助けに行くのだから。

「こんなところで……」

 意識的に口を動かす。けれど声になっているかは判断できない。それでも希沙樹は意識を繋ぎ止めるように、口を動かす。脳にそう命令する。

 するとそんな希沙樹の視界に、自分へと向かって来た榊による追撃の影が見えた。

 自分に向かって来てるのは、寒緋桜。巨大な氷柱の槍が千本の束となって自分へと襲ってくる。

 襲ってくる氷の槍は無慈悲だ。その速度は、冷気で感覚を失った身体では、避けるのは不可能だ。

 しかしその槍が希沙樹を貫くことはなかった。希沙樹に襲って来た槍が、全て白い霧を巻き上げながら、防がれたからだ。

「五月女さんっ!」

 意識が揺らぎつつあった希沙樹の前に、イザナギを手にした狼がやってくる。けれど会話を交わす暇もなく、榊からの猛攻が続く。千本の槍の次は、狼による斬撃を食い止める分厚い氷壁が瞬時に形成される。

 斬撃による熱で氷が溶ける。けれどその溶けた氷の滴がまた新たな氷壁を作ってしまう。

 顔を顰めた狼が因子の熱を更に上げるのが分かった。今度は氷の滴すら瞬時に沸騰させるように。

 そんな狼を見ながら、希沙樹も自身の因子の熱を上げていた。

 こんなところで……。

 こんなところで……。

「やられるなんて、ごめんだわっ」

 希沙樹が叫び、因子を身体全体に巡らせる。熱に当てられ、感覚が戻る。意識が鮮明になる。反旗を翻すときだ。

 狼に任せるわけにはいかない。不甲斐ない体たらくを見せ続けるわけにはいかない。

「私には私の意地がある。それを今から貴方にぶつけてみせる」

 榊へと斬撃を放とうとしていた狼の前に、希沙樹が立つ。自分が技を放つのが先か、狼が技を放つのが先か。

 氷槍奥義 緋氷

 大神刀技 蒼天一刃

 奇しくも技を放ったのは同時だった。狼の放った蒼き一閃が榊へと伸びる。それに沿うようにして、希沙樹が放った無数の緋色の氷の刃が、榊の頭上へ突き落とされる。狼の放った蒼天一刃と希沙樹の放った緋氷が折り重なるように衝突する。衝突した瞬間に二つのエネルギーが破裂した。凄まじいエネルギーが辺りに膨張しながら広がった。地面が揺れる。熱気と冷気が空気中で反発し合い、荒れ狂う。その余波が希沙樹たちの元まで到達する。

 熱気と冷気を帯びた爆風が、自分たちを後ろに後退させてきた。

 しかし、希沙樹の視線は爆発の真下にいた榊へと注がれている。先ほどの攻撃は、そう簡単に防げるものではない。

 茶色の砂塵と白い霧が舞う中、目を凝らすと人影がある。その影は倒れることなく、立っている。希沙樹は思わず目を細めさせた。

 砂塵と白い霧の中から現れた榊は、身体の至る所に凍傷、裂傷、火傷などの傷が出来ていた。来ていた服もボロボロとなり、血で染め上がっている。

 それでも、榊は厳しい表情を変えず……希沙樹たちを睨みつけていた。

 身体は血と大量の水でも被ったかのように濡れている。

 きっと爆発の熱を防ぐために水鏡を使ったのだろう。

 水鏡は、元々……相手の攻撃を水で形作られた鏡で跳ね返す技だ。そして榊は、水鏡で自分を包囲し、凄まじい破壊力を持った爆炎と熱線によるダメージを緩和させた。

 けれど、それでは希沙樹の放った緋氷を止めることは不可能だった。だからこそ、氷系の技を使用する榊の身体が凍傷による損傷を受けている。

 とはいえ、それでも榊仁は立っている。

 あの身体で自分たち二人を、どう相手しようと言うのか?

「やっぱり似てるよね。五月女さんと榊教官」

 眉を寄せていた自分に、隣に居た狼が呟くように言って来た。自分と視線を合わせて来た狼は特に言葉を続けることはしなかった。彼はただ苦笑を漏らして来ただけだ。いや、これで伝わると思ったのかもしれない。

 狼はすぐに正面……負傷した身体に鞭を打つように因子を上げ始めた榊へと視線を戻す。希沙樹もそれにつられるように榊へと視線を移した。

 狼の言う通り、彼は諦めないに決まっている。

 どんな気持ちを榊が持っているかなんて分からない。けれど希沙樹が逆の立場なら諦めない。動けると思っている限り、諦めることはしないはずだ。

「決着、つけるわよ……」

「もちろん」

 狼が頷いて答えて来た。

 希沙樹は言葉だけ聞き、戦う意志を見せて来た榊へと疾走した。榊が槍を持つ手を後ろへ引き構え……そして突き出して来た。

 氷槍奥義 氷牙

 突き出された槍から、冷気を纏う虎が飛び出す。その牙が狼へと向かった。冷気を帯びた虎に近づいた瞬間に、狼の腕が氷で覆われる。

「なっ」

 狼から驚愕の声が漏れる。

 しかし、すぐにその驚きを掻き消した、狼が対処にでる。

 それを横目に見ながら希沙樹は、自分にも突撃せんとやってくる氷虎を睨みつけた。虎の先に居る人物を睨みつけた。

 けれど先ほどのように怒りをぶつけているわけではない。

 希沙樹がぶつけているのは意志だ。

 これから、兄である人物を超えるという意志をぶつける。希沙樹の中を駆け巡っていた因子が、獰猛な牙を剥き出しにする虎を包み込む。

「良い子ね……もう、貴方の敵は私じゃないわ」

 希沙樹が逆立つ虎をあやすように、優しい口調を零す。その瞬間、希沙樹に飛び掛かろうとしていた氷虎が大人しくなり、空中で身を捻転させる。

 敵は変わった。

 榊が作り出した氷虎は、今はもう希沙樹の一手となっている。

「割と因子が必要な技だから……貴方が、兄さんがベースを作ってくれて助かったわ」

 目を細めて艶笑を浮かべる希沙樹に、今まで表情を崩さなかった榊に変化があった。

 変化は微かだ。微かに榊の表情に驚きが浮かび微笑を浮かべて来たのだ。

「本当に、可愛げねぇ妹だ」

 氷虎が槍を持つ榊の腕に飛びつき、榊の元に肉薄した希沙樹が突き出す槍の穂先が、榊の胸を貫いた瞬間、榊が吐き捨てるようにそう呟いて来た。

 希沙樹の胸が詰まる。

 言葉とは裏腹に温かさの籠った声音。その声音が希沙樹の胸に突き刺さる。

 何故、こんなときに、こんな事を言うのか?

 呆れて、怒りすら湧いてこない。笑いすら込み上げてくる。

 ああ、これが自分と兄なのだ。小さい頃に思い描いていた仲睦まじい兄妹などではない。けれど、これが自分たちの形なのだ。

 そしてそれを、やっと掴んだ。

「あら、今知ったの? でも仕方ないわね。可愛げない貴方の妹だもの」

 浮かんできそうな涙を堪え、言い放つ。

 そして槍を手から消し、胸から血を流して倒れ込んで来た榊の身体を支える。ずっしりと重い兄の身体に、希沙樹は溜息を吐いた。

 自分で立てないほど、疲弊しながら戦い続けようとするなんて……本当に馬鹿だとしか思わない。

 自分の溜息に気づいたように、榊が浅い呼吸を吐きながら言葉を紡いで来た。

「昔の馬鹿な自分が無理した結果がこれだ」

「どういう、こと?」

「どうもこうもないだろ? 俺は五月女の技を習得した変わりに身体を壊した。だからこそ、おまえが俺の変わりに五月女に行く事になったんだ。今の俺の身体は因子を使えば、身体に過度な負担が掛かる欠陥品だからな」

「そんな……」

 まさか、身体を壊していたなんて思いも寄らなかった。

 学校の実践授業でも因子は使用する。けれどそれによって身体に負担が掛かっている様子など、微塵も出していなかったからだ。

 言葉を失っていた希沙樹に気づいてなのか、それともずっと疎遠気味になっていた妹に支えられた気持ちが表露してなのか分からないが、榊が気を失う寸前……

「こんな情けない話、言えるわけがねぇーだろ」

 と呟いてきた。

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