天霆一刀
しかし、そんな館成の言葉に反応している場合ではない。
狼は素早く後ろへと跳躍して、館成と距離を取る。館成に握り潰された左手は、だらんと力なく垂れていて、繋がっていることが奇跡のようだ。
手首から流れる鈍痛に狼が顔を顰めながら、まだ無傷の右手でイザナギを強く握りしめる。
「じゃあ、今度はこっちから行かせて貰おうかな?」
目を細めて笑ってきた館成が、狼の元へと一気に跳躍し、サバイバルナイフを狼の首元を目掛けて振り払ってくる。
狼は薄い皮膚の上に鋭いナイフの感触を感じて、喉が鳴った。速く、適確な斬線は狼の息を詰まらせる。しかし、ただ相手の攻撃を受けてる場合ではない。狼は強く握っていたイザナギの刀身の表面に、薄い因子の膜のようなもので覆っていた。そしてその一度張った膜を破裂させるように、因子を膨張させる。
因子の膨張が範囲の狭い爆発を引き起こす。その爆発に呑まれた館成が天井の方へと吹き飛ばされた。
間髪入れずに、狼が天井の方へと吹き飛ばした館成を追う。深追いかもしれないが、攻撃できる時に、少しでも相手にダメージを与えたい。
「はぁあああ」
叫び、狼は連続的に館成へと斬線を描く。下段に構えて、左腹から右肩へ。すぐさま切り返し、右腹から左肩へ。そして最後に館成へと刺突の一撃。
身体に染みついた流れがしなやかに流れる。けれど、狼が刺突の一撃を繰り出した瞬間、館成のサバイバルナイフが狼の胸の真ん中を突き刺していた。
「減点です。攻撃に転じるのも良いけど、防御にも意識を集中させないと。せっかくの動きが無駄になりますからね」
館成の言葉にはっとする。
確かに自分は館成に傷を負わせている。その感触があった。いや、実際に館成の身体には、狼の攻撃で負った傷がある。
けれど、その傷から血が溢れ出ていない。どんなに因子で傷口の止血をした所で速すぎる。この速さは接種型ということなのだろうか?
けれど、そんな事を考えている間にも、サバイバルナイフに突き刺された胸から血がどくどくと流れだしている。
口から血を吐き出した狼の顔面を、館成が繰り出す蹴りに打たれ、地面へと飛ばされる。の顔面を強く強打され、頭がくらくらとする。
駄目だ。速く体勢を立て直さないと。今ここで追撃が来たら、不味い。ここには自分に情報を与えてくれる鳩子がいない。霞む視界で狼は敵の姿を捉える。
館成は、体勢を立て直そうとする自分を追撃することなく、ただただ静観しているだけだ。
「な、んだ?」
傷の痛みで途切れる言葉を吐きながら、狼は追撃をしてこない館成に違和感を感じ取っていた。
追撃してこないのは、余裕の現れなのだろうか? 本当に?
何だろう? 違う気がする。ただ相手に余裕を見せられているだけならば、こんな違和感を感じ取ることはなかったはずだ。
しかし、狼はそこに何かが変だと思ったのだ。それはまだ微細なものだ。けれど今、自分が感じたものは、それこそここで勝利するための突破口になるかもしれない。
多くを考えている暇はない。額からは多くの汗が浮かび流れ落ちている。
体勢を立て直した狼が、右手だけでイザナギを構え館成へと再び突貫しようとした。けれど先に動いたのは館成だ。
自分へと突貫してきた館成が、ナイフを握っていない手で狼の鳩尾を思い切り殴打してきた。そして続けて顎先を強く殴って来た。それから容赦なく身体の至る所に拳が穿たれていく。けれど拳だけでなく、ナイフを駆使した鋭い攻撃も混ざってくる。
多種多様の攻撃で狼を追い詰める館成。
「一つだけ生徒贔屓して教えてあげると……僕は接種型ではないよ。つまり、君が思ってるような回復力を持ち合わせてはいない」
館成による強烈な蹴りが狼の腹を殴打してきた。
「くっ」
身体に伝わった痛みに身体がよろける。
館成に攻撃されている間、反撃できる隙がまるでなかった。けれどただ闇雲に館成の攻撃を受けていたわけではない。
狼は館成による攻撃を受けながら、一つの事実に気づいていた。
そして、さっきの館成の言葉。
全てが一致したわけではない。けれどさっきの違和感を払拭し、次に反撃するためのきっかけには繋がったはずだ。
「館成教官……僕もこのままやられっぱなしだと、後で皆から怒られるんで。今から容赦なしでいかせて貰います」
口許の血を拭い、強気な視線で狼が館成へと強気な視線を送り、彼へと疾駆した。自分の言葉を聞き、温かく柔らかい笑みを浮かべる彼へと。
この戦いの中で浮かべられた笑みの中で一番温かい笑み。
狼の中に驚愕が走る。けれど足は止まらない。止まれるわけがない。イザナギを右手と先ほど館成に手首を潰された左手で強く握りしめる。
左手から出血などしていない。骨も潰されたわけでもない。先ほどまでの攻撃のダメージなんて、もうすでに失われている。いや元々それは存在していなかったのだ。
大神刀技 天霆一刀
狼が上段に構えたイザナギを正面にいる館成へと大きく振り払う。払った斬撃がまるで、天から振り下ろされる雷霆のように、一直線状の斬撃が館成へと振り下ろされた。そしてその瞬間、豪風を伴う衝撃波が幾重にも連なり、この場の空気を大きく震わせ、熱が周囲に広がった。
狼の一撃が、この場を崩壊させる。
「黒樹君、正解ですよ」
優しげな館成の言葉が狼の耳に届き、そして次の瞬間……狼の視界には自分と同じ様に驚きの表情を浮かべる皆の姿があり、そして最初に見た水路がすぐそばに存在していた。
ただ最初と違うといえば、最初に見たボートが見るも無残な姿に破砕され、水面に虚しく浮いている事だけだ。
「これは、一体……?」
まだ自分の身に何が起きていたか、分かっていない様子で左京が訝しげに呟く。
「もしかすると、私たちは幻術を見せられていたのかもしれない」
左京の言葉にそう答えたのは、マイアだ。そんなマイアの腹にはやはり風穴など開いていない。やはり、あれは館成の能力で見ていた幻だったのだろうか?
けれど、マイアの言葉を狼たちの正面にいた館成が否定してきた。
「残念ながら、僕の力は幻術を見せることではありません」
「違うんですか?」
狼たちの正面に立っている館成の言葉に、狼が険しい表情のまま訊ね返す。すると館成がゆっくりと頷いた。
「僕はただ君たちの脳に勘違いを起こさせただけです。人間の脳というのはRAS(網様体賦活系)という神経の働きで、情報にフィルターをかけて必要な情報を選択し、不必要な情報を遮断してるんです。脳がフィルターをかけずに、全ての情報を処理していたら、それこそ大変ですからね。僕の因子は相手の脳に干渉することです。ですから君たちのRAS干渉して脳に入る情報を狭窄したり拡張したりできるんですよ。でも、情報操作士である大酉さんの脳に干渉するのは少し骨が折れましたね。脳の仕組みが常人よりも優れていますから」
「じゃあ、僕たちが感じた痛みは?」
「それも脳の勘違いの一つです。アイスクリーム頭痛という言葉は知っていると思うけど、あれの原理と一緒ですね。まさか、本気で生徒たちに手を上げることはしませんよ。といっても、上にある死体は本物ですけどね。まぁ彼らが動いていたのは、それこそ自分が生きていると勘違いしていたからでしょう」
狼たちの疑問に、まるで授業でもしているかのように答える館成は、凄く落ち着いている。やはり、そこに狼は底知れない物を感じた。
しかしそこに言及している場合ではない。最初に来た時に漂っていた敵意というものはないが、いつ自分たちを攻撃してくるとも限らないからだ。
けれど、そんな狼たちの心を館成は見透かしていた。
「もう、僕は君たちを攻撃したりはしませんよ。僕は君たちの行く手を阻むのが目的で、その目的はしっかり果たされましたから。黒樹君、ありがとうございます。ボートを破壊してくれて」
にっこりと微笑みながら館成が、水面に浮かぶボートの破片を指差してきた。狼はその破片を見ながら、思わず沈黙を強いられる。周りからの視線が痛い。
どうせ、ボートが壊れるのならば……いっそのこと館成が初めから壊してくれていた方が良かった。
むしろ、どうして館成は最初にそれをしなかったのだろう?
狼が疑問符を浮かべながら、館成を見る。すると館成が満足気な表情で、
「学校に通っていない間も、ちゃんと頑張っていたようで安心しましたよ。やっぱり、人が成長している姿を見られるのは、どんな物を見るよりも僕にとって嬉しいことですからね」
「館成教官……」
「あはっ。狼君。何か感動的な話の流れにして、ボートを壊した事実を誤魔化そうとしてるでしょ?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
季凛に返す言葉もなく、狼はそのまま肩を萎める。けれどそんな狼に苦笑する操生が助け船を出してくれた。
「まぁまぁ。黒樹が館成教官の因子を破ってくれたから、私たちもあの人の干渉から逃れられたわけだし。次なる手を考えるしかないよ。おっと、これは失言かな?」
わざとらしく操生が口に手を当て、館成をちらっと見る。すると館成がゆっくりと首を横に振って来た。
「ご安心を。僕の持ち場はここだけです。扇動する形にはなりますが、ステレス機能を搭載したボートは明蘭学園の方にもありますよ。勿論、そこには桐生教官や、榊教官もいますけど」
榊という言葉に、セツナの隣にいた希沙樹の顔に微かに揺らいだのが分かった。
きっと、明蘭に行けば館成のように桐生や榊などが狼たちの行く手を阻んでくるはずだ。
「自分の望みを叶えるのに、ノーリスクは無理だよ。君たちも分かっているはずだよ? 軍の戦艦には新しいトゥレイターのナンバーズが乗ってるみたいだしね。明蘭に行っても、行かなくても、誰かと戦うことに変わりはないんですよ。さて、君たちはどっちを選びますか?」
館成の言葉は狼たちに選択を提示し、そして答えを求めていた。
狼の中で、答えはもう決まっている。
「危険を避けるなんて無理だって僕も分かります。なら、僕の気持ちとしては榊教官たちと戦います。丁度……学校のことも気になってた所だし」
狼が苦笑を零しながら、館成にそう言い切る。すると、館成が狼以外の人の顔を見る。
「私も明蘭に行きたい。教官たちと戦うのは大変だと思う。けど、さっきタテナシ教官が言っていたけど、私たちの成長を他の教官にも見て貰いたい」
狼に続いてセツナが力強い言葉で、そう言った。
そんな狼とセツナに合わせて、名莉たちも頷いてきた。
「そう。良かったよ。これで君たちが榊教官たちの所に行かないってなったら、後で二人から恨み事言われそうだからね。ああ、見えて教育熱心だからね」
「つまり、それは僕たち生徒が恵まれてるってことですよね?」
狼がそう言うと、館成がにっこりと笑って狼たちを見送って来た。
狼たちがいなくなった後、一人残った館成がその場で座り込み、榊へと通信を入れた。
「彼等はそちらに向かいましたよ」
『そうか。ならいい。それより、おまえにしては時間掛けたな? 昔の自分に戻りそうになったのか?』
音声だけの榊が館成にそんな事を訊いてきた。
「はは。少し危なかったかもしれませんね。といっても、昔も今も人を殺すのは嫌いですよ」
『色々な戦地で傭兵してたお前がよく言う。それこそ戦地の掃除屋として活躍してただろ』
「困りましたね。そこは僕にとって黒歴史で、あんまり触れられると困るんですけど」
戦地で培った暗殺技術はそれこそ、自分の中にこびりついて中々拭いきることはできない。あの頃は、ただの『仕事』という言葉だけで人を殺していた。やりがいや喜びがあったわけでもない。
「ただ、救いとしてはその経験を少し生徒たちの為に活かせたのなら、僕にとっての救いになりましたよ。まぁ、久しぶりにかなり痛手は負いましたけどね。彼らの放った攻撃は全て本物だ。避けれた物もありましたが、避けずに受け止めるしかなかった物もありますから。でも、痛みを感じながら、ああ成長してるなぁと喜んでしまうのは、教育者的マゾなんですかね?」
『知るか。そんな下らねぇーことを俺に訊いてくるな。あと、お前の仕事はまだあるが……それは追って連絡する。それまでおまえは待機だ』
「了解です。では榊教官たちも生徒だからと侮らず、頑張って下さいね」
『馬鹿か? 俺はアイツ等を侮ったことなんて一度もねぇ―よ』
「そうでしたね。きっと生徒たちがさっきの榊教官の言葉を聞いたら嬉しがると思いますよ? 特に妹さんは」
自分の黒歴史を触れられた仕返しとして、そう言い返す。すると榊は何も言わずに通信を切って来た。
「はは。地雷でしたね」
負傷して重くなった身体で床に寝そべりながら、館成は静かに苦笑を浮かべた。




