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濃霧中

鳩子がそんな狼たちの顔を一瞥して、話を続けてきた。

「あたしは先に支部の場所とか訊いてたから、事前に施設内の配置とか、中にいる人の人数とか、ずっと確認してたんだけど……あたし達がここに入るまでは、殆どの人が生きてた。けど、その人たちが、一気に死んだの。しかも館成教官の因子を感じたのは、ついさっき」

 やや引っ掛かりを感じているように、鳩子が苦い顔を浮かべている。狼はそんな鳩子の顔を見ながら唇をきつく結んだ。館成は三年の学年主任でもあるが、榊が何らかの用事で授業に出られない時などに、臨時で実践授業を請け負っていたりする。だから館成の因子の雰囲気などは、知っていた。けれど、狼たちが知っているのはそれだけだ。

 館成がどんな技を使い、どんな戦い方をするまでは、まるで知らない。いつもは愛想の良い笑みを浮かべ、榊のように滅多に怒ることはしない。

 三人の主任教官の中でも一番、温厚な人物であると狼たち生徒は思っていた。

 だからこそ、自分たちが立っている場所の下で、幾つもの死体が転がり、その惨状を館成が作り出したという事実に大きな戦慄が走っている。

 そして、自分たちは今から彼の前に立たなければならない。

「……行こう」

 狼が固唾を呑んで、短い言葉を言い放つ。周りがそれに黙って頷く。

 マイアたちに先導されながら、トゥレイター支部の地下へと向かう。ビルと言っても、その内部は広い。いくつもの通路を曲がりながら、他の扉よりも重厚な造りをした金属の扉の前へと来た。マイアがそこで暗証コードを入力し、扉を開ける。

 扉の向こうは今まで見ていた光景と雰囲気が一変した。

 今までは都内によくありそうな、商業ビルだったが……重厚な扉の奥は、どこかの研究施設のような殺風景なものとなり、まだ地上にも関わらず、窓一つない。

 狼たちは、扉近くの階段から地下内部へと進んでいく。

 やはりというか、想像以上に地下内部はしんと静まり返っていた。重い静寂が狼たちの心にずっしりとした圧力を掛けてくる。

 そして、そんな狼たちの視界の端には、様々な体勢で倒れている人々が映っている。前に別の場所にあった研究施設内で見た戦闘服姿の人。白衣を着た人。スーツを着た人……ここにいたと思われる人たちが、至る所から血を流し倒れている。

 そのため、鼻を抑えたくなるような血生臭さが部屋に充満していた。

「どれもこれも、因子を使わず殺されているみたいだ」

 鋭い視線を細めながら、マイアが静かにそう言ってきた。

「どういうことですか?」

 狼がマイアの言葉に首を傾げると、マイアが鋭い視線のまま狼を一瞥してきた。

「あまり焼けた臭いがしないからだ。因子を使えば、多少の熱が生じ、傷口表面を焼いてしまう。これだけの死体が転がっていれば、血の臭いと共に焦げ臭さが混じっていても可笑しくないはずだ。けれど、ここに転がっている死体からは焦げ臭い匂いは感じられない」

 マイアの言葉が暗に何を示しているのか、狼たちは言葉なくとも理解した。教官である以上、強いのは当然だ。けれど、その強さは狼たちにとって、あまりにも漠然としていた。

 自分たちが明蘭の生徒である以上、教官たちの本質を知ることはないと思っていた。

 いや、こんな状況にならなければ、そうだったのだ。

 知っている相手なのに、底知れない恐怖を感じる。

 この悲しく凄惨な場所を歩いている所為なのか?

 狼たちの進む速度はゆっくりだ。それこそ、この状況から少ない情報を集めるためだ。

「使用してる武器は、鋭利なナイフって感じだね」

「切り口の長さからするとな」

「しかし、確実に相手の命を取る所を付いている」

 操生、左京、誠が死体を見ながら、少しずつ分かりえる情報を口にして行く。けれど、その顔は苦渋の表情だ。

「だが、何故これらの死人が今の今まで息があったか、だ。多分、死体を見る限り時間経過はそれほど経っていないが……ついさっきというわけでもない。ましてや傷口は即死してもおかしくない急所ばかりだ」

 顔を顰める左京の言葉に、狼たちの疑問が深まる。

 けれど、それを考えるとそこに館成の能力の秘密が隠されているのだろう。

 即死であるはずの人間が、生かす事など……普通ではありえないのだから。

 気づけば、狼たちは地下3階まで下りていた。

「館成教官がいるのは、マイアさんたちが言ってた水路。そこであたし達を静かに待ち構えてる」

「平然と待たれてるって所が、なんとも言えないわね……」

「あはっ。季凛、前からあの人Sっ気あると思ってたんだよね」

「今、突っ込むべきはそこじゃないでしょ?」

 季凛の言葉に根津は呆れた様子で頭を振る。少しの間だけ緊張が緩くなる。けれどそれは一瞬に過ぎない。ピンと張っているゴムが少し撓んだだけに過ぎないのだ。

 マイアが分厚い扉をまた一つ開いた。扉を開けると水路があるせいか、空気の中に湿気が混じる。

 そして中は、蛍光灯の光で明るかった。狼たちが立っている所から少し下がった所に、水路があり。そこには操生たちが言っていた小型のボートがある。

 そして……

「結構のんびりしてたんですね。勝手に待っててなんですが……待ち草臥れたよ?」

 にっこりと優しい微笑みを浮かべる館成がボードの側面に寄りかかっていた。

 服はひどく返り血などで汚れているのに、顔や手などは汚れていなかった。そのアンバランスな格好が、狼たちを妙な気持ちにさせる。

「館成教官……貴方は僕たちを止めに来たんですよね?」

 館成の正面へと立ち、狼がイザナギを構える。そんな狼を見て、館成が頷き返してきた。

「まぁね。君たち、最近学校をサボってるみたいだから……僕の立場上、それを看過するのは駄目でしょう? つまりは、教育指導をするつもりで来たんだ」

 飽く迄、生徒と教師という立場を強調させてくる館成に狼たちが眉を顰める。

「そうか。だがその話しに私は無関係だ」

 短く言葉を発し、マイアが鎖鎌を館成に向けて投擲する。けれど館成に逃げる様子はない。むしろ、その鎖鎌を敢えて手に巻き付けさせている。無論、マイアの鎖鎌には、因子が流れており、電流の熱が容赦なく館成の腕を焼く。

 けれど、館成の表情に変わりはない。痛みなんて感じていない様に、館成がマイアへと一気に肉薄してきた。

 攻撃によるダメージを受けてから、次の行動に移行するまでのタイムラグがない。マイアもその行動に合わせるように、武器を投棄し汎用型のナイフを取り出し、館成の後ろへと回り込む。

 格闘術を応用したようなナイフ捌きで、館成を追い詰めて行く。

 けれど追い詰められているはずの、館成の表情はまるで危機感がない。まるでマイアの事など見てない様子だ。

 けれど、マイアの方も同じだった。

 マイアが狼たちの方へと視線を送ってくる。

 今の内に行け、と。

 けれど、館成がそれを見逃すはずもない。マイアと一進一退の攻防をしていたように見えた館成が空気に自分の因子を漂わせる。

「残念だけど、君たちが目当てにしていたボートはどこにもないよ?」

 すると次の瞬間、狼たちの動きがぴたりと止まる。

 自分たちに襲いかかって来た違和感に、狼たちに動揺が走る。今までそこにあったはずのボートが消えてなくなってしまっているのだ。

 まさか、ボートが消されたのだろうか?

 しかし消えたのは、ボートだけではない。自分たちが入って来た扉も、水路も煙の様に消えてしまっている。

 これは、一体……?

 自分の目が可笑しくなったとでも言うのか? けれど、狼狽しているのは自分だけではない。近くにいるデンメンバーや、左京たちの顔に動揺が走っていた。

「さっきまで、水路があったはずなのに……どうして?」

 震える声のセツナがつい先ほどまで水路があった場所まで、走り寄る。けれどそこはただのコンクリーとで固められた地面しかない。

 混乱が頭を支配する。けれどそんな狼たちに館成からの容赦ない一言が突き付けられる。

「さて、一番最初のリタイア者が出たよ」

「くっ」

 館成の言葉と共に、マイアの呻き声が聴こえてきた。反射的にそちらを向くと、そこには腹から大量の血を流すマイアが壁際でよろけている。

「いつの間にっ?」

 額から汗を流す根津の口から動揺が走る。そんな根津に向かって、館成が笑顔を向けてきた。ぞくりと狼たちの背中が粟立つ。

「さて、次は君たちの番だね。でも、僕としては君たちを傷つけたくはないし、出来れば大人しくこっちに来て欲しいんだ」

 笑顔を向けながら、近づいて来る館成の存在感が大きい。

 口許がみっともないほど、震える。

 しかし……

「嫌です」

 狼は震える声で、はっきりとそう返した。狼からの返答に館成が小首を傾げる。

「それは、どうして?」

「決まってます。真紘たちを助けたいからです。それに……僕はもう嫌なんです。都合が悪いからって、見て見ぬフリするのは。だから……」

 狼がそう言って、イザナギを構え館成へと一気に肉薄した。

 館成の手には何も持たれていない。

 接種型とでも言うのだろうか? 頭の中でそんな事を考えながら、狼は館成へと一撃を放っていたイザナギから放出された斬撃が容赦なく、コンクリートの床を抉りとり、その勢いを殺さないまま館成へと迫り狂う。

 狼の斬撃を見る館成の口許は微かに笑っていた。けれど目はまったく笑っていない。

「本当に困るなぁ。こういう技を出されると……」

 館成が静かにそう言いながら、横へと間一髪という所で狼の斬撃を受け止めず、跳躍してかわしてきた。館成の因子の濃度が濃くなっていく。

 けれどそんな館成の動きを追いながら、狼は別の事実に驚いていた。

 今までここにいたはずの、皆がいない。

 何故……?

「黒樹君、君の眼には皆が映っていないよね? どうしてだと思う?」

 動揺する狼に館成が、涼しげな表情で自分へと近づいてきた。狼は自分へと襲い掛かってきた館成の手には、いつの間にか切れ味の良さそうなサバイバルナイフが持たれている。

 狼は館成から高速で突き出されたナイフをイザナギで受け止める。

「そのくらいじゃ、僕の攻撃は受け止めきれませんよ?」

 館成の言葉が狼の耳に響いた瞬間、狼が勢いよく後ろへと吹き飛ばされ、背中から壁に激突する。

 コンクリートの壁に打ち付けられた背中が、ずきずきと痛む。けれど痛みに呻いている場合ではない。狼はそのまま壁を両足裏で蹴り、正面にいる館成へと突貫する。

 正面に居る館成からは、先ほどまで感じていなかった冷たい殺意が醸し出されていた。

「遅い。遅いよ、黒樹君。僕は目の前にいるのに」

 冷たい視線の館成の目が合う。狼が呼吸する間もなく縮まった館成との距離に、狼は絶句しながらも身体は館成へと刺突を繰り出していた。

 イザナギの穂先が館成の左肩へと突き刺さる。骨を突き砕く感触。けれど次の瞬間、館成の拳が狼の肺に強く打ち込まれていた。

 肺が圧迫されて、息が出来ない。苦しい。勢いよく逆流した血が口から漏れる。因子を体内に流していなければ、そのまま呼吸不全になっていたかもしれない。

 後ろへと戻された狼が激しく咳き込みながらも、体勢を整える。館成はそんな狼と距離を縮めようとはしてこなかった。

 そのおかげで連続的にダメージを受けることは回避できている。

 強い。

 狼は口許の血を腕で拭いながら、正面に立っている館成を見た。館成の表情は戦えば戦うほど、彼が因子を使えば使うほど、冷たい殺気を帯びている。

 まるで人が変わってしまったかのような豹変ぶりだ。

「実戦の感覚が鈍ってるのかな? 申し訳ないけど、期待外れ……かな」

 詰まらなそうな表情で、自分を見てくる館成。

 館成の言葉で焦りを感じる。感覚の鈍りは、狼が京都にいる間、ずっと懸念していたことだ。それがもし顕著に出ているとしたら……

 焦りが絶望を呼ぶ。震えそうになる。

 けれど、そんな狼の脳裏に小世美の姿が思い浮かぶ。

 ここで心を折るわけにはいかない。

 館成の言葉に揺さぶられている場合ではない。

「勝手に変な期待掛けるなっ!!」

 叫んで、館成へと疾駆する。考えるな。動け。動いて、動いて、敵を倒す事だけを考えろ。

 自分へとそう言い聞かす。今までの経験が消えたわけではない。消えるわけがない。

 狼は一気に因子を辺りに放出する。

 今まで辺りに充満していた館成の因子と、狼の因子が激しくぶつかり合い空中で火花が散る。狼はその熱を肌に感じながら、下段に構えたイザナギを上段へと払う。館成がその刃の軌道から後ろへ跳躍し、逃れる。

 けれど逃がしはしない。

 狼はがむしゃらに館成へと追撃を加える。

 大神刀技 斬踏(ざんとう)

 狼の斬撃が強烈な熱を帯びた幾重にも重なる波動となって、後ろへと跳躍した館成へと襲いかかる。波動が館成の身体を斬り焼く。

 館成が歯を喰いしばっているのが見えた。ダメージは来ている。狼はイザナギを正眼で構え、刃を喰いしばる館成へと振り下ろす。

 けれど館成の身体にその刃が穿たれることはなかった。イザナギを振り下ろす狼の懐に入って来た館成が掴む。

「人間の骨は脆いんだ。凄く、凄くね」

 透明感のある館成の言葉が狼の耳にすり入ってくる。その瞬間、イザナギを握っていた狼の手首に激痛が走った。激痛と共に狼の腕から力が抜ける。館成に手首が握りつぶされる。それは比喩ではなく、現実として。

 一瞬、絶望の色を宿した狼の表情に、館成が狂気の影が見える笑みを口許に浮かべた。

「さぁ、ここからだよ。ここから、もっと楽しくなる」

 冷たい笑みを浮かべる館成の声は、とても低く、そして重かった。

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