作戦会議
驚くのと同時に狼は素早く横に跳躍して、豊と距離を取る。
「見事な驚きっぷりだね。そして、ちゃんと私との距離を取って来た。いやぁ、入学当初の君と比べると本当に成長したね」
自分がした事をまるでなかったかのように、自分に話しかけてくる豊。そんな豊に狼は激しい怒りと呆れを感じる。
自然と狼から殺気が滲み出てしまう。
けれど、豊はまるで動じず口許に笑みを浮かべたまま、口を開いてきた。
「実の所を言うと、私はね、黒樹君。君に殺されても良いと思ってるんだ。勿論、私の計画が完遂した後なら、という条件付きだけどね」
……この人は、何を言ってるんだろう?
狼は呆気に一瞬、呆気に取られる。
「貴方は本当に馬鹿なんじゃないのか?」
低い声を出しながら、狼は豊の瞳を正面に捉える。豊は、狼の言葉にやや疑問を感じたように首を傾げてきた。
そんな豊を見た瞬間、狼は強く悟った。
本当にこの人は、復讐の事が全てで、何も見えてないんだ。
「理事長……僕は本当に貴方にはがっかりです」
その言葉に怒りは籠っていなかった。その言葉に含まれていたのは、悲しみと疑問だけだ。豊は益々、謎を深めたらしく表情から笑みが消えていた。
「黒樹君、悪いね。私は君が今何を言おうとしているのか、まるで分からないよ。でも、何故だろう? 君の心を覗いてみようとも思わない。それをしてしまったら、行けない気がするからね」
「……そうですか。僕としては読まれても全然構わなかったんですけどね」
狼は残念な気持ちを抑えて、久しぶりにイザナギを復元した。
正直、豊がここへ何しに来たのかは分からない。けれどそれは自分たちにとって良くない事ではあるはずだ。
そして、きっと今の豊の狙いは自分だ。
狼はイザナギを中段に構えながら、豊の動きに注意を払う。
「やれやれだ。私は黒樹君と戦うためにここに来たわけじゃないんだ。私はただ君も輝崎君やトゥレイターにいた彼と一緒に、大人しくしていてもらいたいだけなんだよ」
「それは、どういう意味ですか? 真紘たちに何をしたんですか?」
豊の不穏な言葉で、狼の中に動揺が走る。
すると、豊は狼の質問に答えないまま動揺する狼の隙を見て一気に肉薄してきた。手には何の武器も持っていない。けれど狼はそんな豊へと斬撃を放つ。
豊が自分に向かってきた斬撃を復元した刀で受け止める。
「さすが、藤華君だね。これまでの斬撃よりも因子の密度が格段と濃くなっている。厄介だ」
狼の斬撃を受けた豊が冷静な言葉を口にする。狼は豊が動きをとめた瞬間に豊の後ろへと回り込む。けれど自分へと近づいてきた相手に深追いはできない。変わりに再び斬撃を放つ。来今度は先ほどよりも因子の質を上げた物だ。
攻撃範囲は狭くなるが、威力は強力だ。しかし豊もそれが分かったのか、今度は受け止めようとせず、そのまま真上に跳躍してきた。
『狼! なんでいきなり理事長と戦ってんの?』
狼と豊の因子を感じた鳩子が、狼に通信を入れてきた。
「分かんないけど……僕が狙いみたいなんだ」
『本当にあの馬鹿理事長の行動って読みにくい! 今、二手に分かれて狼の方にネズミちゃんとかメイっちたちが向かってるけど……それよりも早く良い援軍が来そうだよ』
「良い援軍?」
鳩子の言葉を聞きながら狼は、その豊の真下へと移動し刺突の斬撃を放つ。豊へ向かって行くそれは、まるで銃弾のようだ。
けれどそこに名莉たちのような精密さはなく、無鉄砲な状態だ。そのため、豊かにも空中でありながら、斬撃が次々にかわされてしまう。
「まったく、ここまで成長しなくても良かったんだけどね」
空中で狼の斬撃をかわしている豊が、嘆息を吐く。
「戯けた事を抜かすな、豊。此奴は黒樹の次の当主候補じゃぞ? このくらいして貰わなければ困る」
空中にいた豊へと、重蔵が大太刀を正面に振り上げ肉薄する。
「おやおや、重蔵様……お早い御帰宅で」
「私共もおります」
振り下ろした重蔵の一太刀を瞬間移動で避けた豊を藤華と勝利が睨む。
「良い機会だ。宇摩。この場で貴様を捕虜にさせて貰う」
そう言い放ちながら、防壁を出現させたのは勝利だ。
「参ったね。できれば君たちが帰ってくる前に、黒樹君をこちらに連れて来たかったんだけど……少し無駄話をし過ぎたようだ」
苦笑を零した豊が、自分へと迫りくる防壁から逃げるように姿を消してきた。
「狼、理事長は?」
名莉たちと共にやってきた根津が狼に訊ねてきた。狼はその根津にやや肩を落としながら首を横に振る。
「そう……逃げられたのね。でも狼が無事で良かったわ」
「僕は無事だけど……真紘と出流に何かあったみたいなんだ」
「どういうこと?」
視線を下げた狼に、そう訊ねてきたのは険しい表情を浮かべる希沙樹だ。そしてその隣にいる陽向も同じく顔を渋面にしている。
「僕も詳しい所は分からないんだ。さっき理事長がちらっと口にしてきただけだから」
「どうしたらいいの? 真紘にもしものことがあったら……」
希沙樹の顔が一気に青くなる。
すると、そんな希沙樹に重蔵が口を開いた。
「心配せずとも、あの男は輝崎の命を取ることはせん」
「それを言う根拠は、あるんでしょうか?」
重蔵の言葉に反応したのは、陽向だ。そんな陽向に重蔵が頷いてきた。
「あるさ。あの男は忠紘の息子を手に掛けたりはしない。決してな」
重蔵が目を細めながら、そう断言してきた。
「申し訳ありません。無礼だとは思いますが、私は黒樹様のお言葉に納得できません。理事長は、小世美さんを殺してるんです。そんな人が真紘を殺さないなんて、言い切れません」
重蔵の言葉を否定した希沙樹の顔には、不安が色濃く浮かんでいる。
「心配するな。確かに宇摩は儂の愚息の娘である子を殺した。憶測になってしまうが、復讐に取り憑かれたあの男の中でも葛藤はあったに違いない。しかし非情ではあるが、あの娘と高雄の間に血縁関係はない。輝崎とあの娘の決定的な違いだ。そしてそれは宇摩にとって大きな差異でもある」
隠すことなく表情を曇らせた重蔵の言葉に、希沙樹が非礼を陳謝するように頭を深く下げて、小さく「申し訳ありません」と口にした。
「ほれ。美人が頭を簡単に下げるものではないぞ。別に儂は貴様を責めたわけではないからな」
まだ気がかりな表情を浮かべているものの、希沙樹が重蔵の言葉で頭を上げた。
「むしろ、今最優先するべきは、輝崎たちの居場所を判明させることにあるな」
そう言ったのは、勝利だ。
「今、鳩子と棗に二人の居場所を調べてもらってます。けど……まだ掴めないらしくて」
勝利の言葉に名莉がそう答える。
「豊さんの御子息に妨害されてるのでしょう。これは時間が掛かりそうですね」
藤華が溜息混じりにそう答えてきた。
そんな会話を聞きながら、狼も必死で豊が真紘たちを連れて行きそうな場所を考えていた。
するとそこへ……険しい表情をした左京と誠がやってきた。やや表情には疲労の色があるものの、怪我をしている様子はない。
「宇摩の懐刀たちから、何か訊き出せたのでしょうか?」
「はい。抽象的な表現でしたが……幾つかの情報は訊き出せました」
左京と誠が地面に片膝をついて、藤華たちに頭を下げる。
「そうですか。ならば、それをお聞かせ下さい」
「はっ。真紘様たちの所在は東京。ですが……明蘭などではないようです。ただ、宇摩の懐刀がこう言いました。『豊様は、最初の形で終わらせることを望んでいる』と。そしてそこに真紘様も同行させようとしているようです」
左京が豊の懐刀から聞いたことを報告してきた。
豊が言う最初の形とは、一体何なのだろう? そしてそこに真紘たちを同行させようとしている。
「まったく、京都の次は東京か……だが、行くしかあるまい? ここにいてもやれることは何もないだろうからな。だが、動くのは早くとも明日だ」
勝利の言葉に、じれったさを感じながら狼たちは頷くしかなかった。
狼たちが部屋に戻ると、そこには鳩子と棗と共にマイアと操生の姿があった。けれどそこにヴァレンティーネの姿はない。
「あの、ヴァレンティーネさんは?」
狼が操生に顔を向け訊ねると、
「お兄さんの所だよ。家族会議の真っ最中みたいでね。彼女が東京に行くと言い出したからね。ジャンたちも一緒にいるよ」
きっと操生たちは、鳩子たちから別の場所にいた狼たちの会話を聞かされたのだろう。
「正直な所……」
そう言って、厳しい表情で口を開いたのはマイアだ。
「私たちとしては、すぐにでも東京の方に行きたいのが本音だ。正直、何故ササクライズルまで連れ去ったのか、分からない。むしろササクライズルを連れ去ったのは、単なるこっちの戦力を削るためということもある。ならば、身の危険は高まるはずだ」
マイアの言葉は尤もだ。
さっきの重蔵の言葉を考えても、命を取られる可能性が高いのは出流の方だろう。けれど、そのマイアの考えを否定してきたのは、意外にも操生だった。
「きっと、出流は殺されないよ」
「何故、そう言い切れる?」
「向こうには九条君がいるからね……彼女は出流を自分のポジションに置きたい。なら、出流を理事長たちに殺させるわけがない。九卿家にとって公家の言葉は絶対だ。残念ながら出流はノーカウントみたいだけどね」
操生が溜息混じりの声で肩を竦めてきた。
操生の表情からは、先ほどの希沙樹同様に不安を拭いきれていない。もしかすると、さっきの言葉は自分に言い聞かせている言葉なのかもしれない。冷静さを失わないために。
狼がそんな事を考えていると、黒樹の懐刀である帯刀と一人の青年が部屋に入ってきた。
「今、別の部屋でオジキたちと話し始めた所なんだが……オジキたちは東京の方には行かないみたいだ」
「えっ、それってどういうことですか?」
「御当主たちは、宇摩家以外の九卿家の当主の足を止める気みたいなんだ」
狼の言葉に答えたのは、帯刀と一緒にやってきた青年の方だ。
狼が青年の方を見ると、青年が友好的な笑みを浮かべて軽く頭を下げてきた。
「名乗るのが遅れました。僕は黒樹重蔵様の懐刀である佐藤智志です」
「初めまして。えーっと黒樹狼です」
狼が慌てて智志と同じ様に頭を下げると、狼の後ろにいた季凛と鳩子が、
「あはっ。てっきり……黒樹の懐刀って帯刀さんしかいないと思ってた」
「やっぱり、思った? 実はあたしも……」
という会話が聴こえてきた。
狼がはっとして、恐る恐る智志の顔を見る。
「はは。いいですよ。帯刀さんより僕……影薄いですから。その所為なのか僕、フレームアウトしてる事が多いですよね。はは……」
と視線を下げてきた。
そして、そんな智志の肩を帯刀が「影が薄いくらい、気にすんな。オジキがその薄さなら諜報活動に向いてるかもってぼやいてたぜ?」と肩を叩いている。
いや、そこは諜報活動に向いてる云々じゃなくて、「そんなことない」の一言が欲しいんじゃないのかな? と狼は肩をがっくり落とす智志を見て思った。
「まぁ、少しズレた話を戻すと……明日、ここから直接東京の方に行くのは、輝崎の懐刀と若たちだけになる。しかも、智志たちが調べたところ……国防軍もこのタイミングで何か動いてるみたいだからな。気を付けた方が良い」
真剣な表情で帯刀がそう説明してきた。
「これまた、国防軍も最悪なタイミングで動くもんだな。どうするんだ若?」
「駄目だよ、陽向。いきなりどうするか訊いたって、黒樹の若様が動揺するだけだから」
近くで話を聞いていた陽向と棗が若干、ニヤリと笑って狼が敢えて触れないようにしていた所を突いてきた。
「じゃあ、鳩子たちに二つの敵の動向に注意を払って貰うとして……真紘たちがどこにいるのか、場所を絞らないと。そうでしょう? ゴホンッ、狼?」
「……ネズミ、いいよ。そんなに無理に笑い堪えなくて」
「べ、別に笑いを堪えてるわけじゃないわよ。何言ってるのよ? ゴホンッ、狼?」
「誤魔化さなくていいよ! もう鳩子たちがさっきから下を向いて笑ってるって分かってるし!」
狼がそう叫ぶと、この状況を作った帯刀が片目を眇めてきた。
「どうして、黒樹家は『若』呼ばわりされるの、嫌がるんだろうな? オジキの息子二人も嫌がってたけど」
「いや、だって……今の時代、若なんて呼ばれる人いないですし。恥ずかしいですから」
「何言ってんだ? 輝崎の当主なんて「若」って呼ばれても、気にも留めてなかったぞ?」
それは真紘だからですよ。と言いかけて狼は口を閉じた。
この話題を引っ張るのは止そう。そう思ったからだ。
逸れてしまった話を戻し、それぞれの動きを確認する。ここの部屋にいる人だけで言うと、狼、名莉、鳩子、根津、季凛、セツナ、希沙樹、誠、左京、操生、マイアの十一人。
棗は藤華たち、正義は重蔵たち、陽向は勝利たちと共に動き、各地の情報を把握できるようにするということになった。




