逃れられない毒
九卿会議が終わり、豊の画策を明確に出来ないまま御所内を後にしようとしていた。
「真紘様、それで宇摩家含む五家との話合いは膠着状態で終わったということですか?」
真紘にそう訊ねてきたのは、後ろを歩く誠だ。誠の隣を歩いている左京もやや険しい表情を浮かべている。
「一応、な。だが、奴の腹の内が分からない以上……こちらの劣勢とも言える。最後の方は、宇摩の顔は終始、いつもの様子だったからな」
まるで、この話合いの意味は無くなったといわんばかりに、豊の視線は自分たちを映していなかった。
ここに来たときの雨はすでに上がっているが、まだ空には分厚い雲がしつこく滞在している。そして、時間ももう夕食時だ。
「とりあえず、一条様に近況を奏上しにいくぞ。キリウス・フラウエンフェルトの方は?」
「はい。あの方なら先ほど同じく奏上し終えた黒樹様が、先に連れて帰ると言っておりました」
「そうか。では、重蔵様に任せよう。きっと齋彬の方は長いからな」
真紘が気分を変えようと、小さく苦笑を零す。すると、真紘の言いたい事が分かったかのように誠たちも苦笑を零してきた。
「九条様親子は昔から、齋彬の御当主の事を気に入っていますからね」
「きっと齋彬様がお強いからでしょうが……」
左京と誠の言葉で、真紘の脳裏に九条彰浩から無茶ぶり手合わせを命じられている勝利の姿が目に浮かぶ。
綾芽の気性の荒さは、間違いなく彰浩様譲りだろう。
そんな事を思っていた真紘は、前を向いて身を引き締めさせた。真紘の空気を察知した左京たちもすぐに身を引き締める。
「さて、早くも廊下でばったりイベントだね。輝崎君?」
懐刀二名を引き攣れた豊が笑みを浮かべて、気さくに手を上げてきた。
無言のまま左京と誠が真紘の前に立つ。
「輝崎の懐刀は無礼ですね」
「ですね」
淡々とした表情をした豊の懐刀である、一番合戦暢と天宮城槐の二名だ。
「と言う割には、私の懐刀は輝崎の懐刀みたいに前には出ないんだけどね。はは」
「勘違いをなさらないでください。私たちが前に出ないのは……御当主の邪魔をしない為です」
暢が笑う豊に、抑揚のない声音で言葉を吐く。
「この場で切り刻めとおっしゃるなら、そうしますが?」
美しい女性ではあるが、その左目には火傷の跡がくっきりと残っている。そんな彼女が真っ直ぐに左京と誠を見ながら、静かな声でそう言ってきた。
二人の懐刀の言葉に豊が肩を竦める。
「うーん、もうちょっとこのルンバ感を抜いて欲しい所だけどね……まぁ、これも個性の一つとして私は捉えているよ」
笑う豊の言葉に二人は無言。
「はは、この三人でいると私一人が話しているという、摩訶不思議な事態に陥るんだよ。困ったものだろ?」
「ここで、貴様と雑談をする気は、毛頭ないぞ? 用件を言え」
廊下で自分たちを待ち構えていた豊に、真紘が険しい表情を浮かべる。すると、豊が大袈裟な溜息を吐いてきた。
「自分で言うのもあれだけど、私は割と忙しいんだ。色々なことを効率良く、そして同時進行していかないといけないんだ。分かるかい?」
真紘は無言のまま豊を睨む。
「それでね、少しばかり……君には色々考え直して欲しいこともあるんだよ」
「悪いが、俺が思い直すことなどない、と先ほどの話で出したばかりだが?」
「まぁ、そうだよね。私と敵対する事への意思は変わらない。なら忠紘の仇である和巳君に対しての意思はどうなのかな?」
豊の言葉に真紘は臍を噛んだ。
瘡蓋をしていた所を、作為的に爪で削り剥がされる様な感覚が真紘を襲う。この男は、何を言わせようとしてるんだ? 真紘の中に静かな怒りが沸き立つ。
「はは。怒ってるね? けど君の中では無視できない案件なはずだ。そして幾ら心の中で、仇を取りたいと思っても、まさか私に向かってその言葉は言えないね。はは。歯痒いだろう?」
容赦なく豊は……穏やかな口調で、穏やかな表情をしながら、瘡蓋をがりがりと掻き毟ってくる。真紘は自然と硬く握り拳を作る。
ここで激情に呑まれてはいけない。この男の言葉に耳を傾けてはいけない。
「けどね……君が和巳君にその手を加える必要はないんだ」
瘡蓋を削り取られ、血が滲み出ている所を強く指で押されている。
思わず目を見開く真紘に、豊が目を細めて笑う。
「当然だ。私がその役目を負うよ。勿論、和巳君は高雄の弟で、彼からはあまり好かれてはなかったけれど、私にとっても弟分的な存在ではある。けれど私の中で和巳君と忠紘を同じ天秤に吊るしたとき……忠紘の方が重いんだよ。だから、私は断言しよう。忠紘に最後の一手をかけた和巳君をこの手で殺すとね」
豊の言葉が真紘の中にずしんと重くのしかかる。
この男の言葉は神経をゆっくりと侵食する毒だ。真紘は豊の言葉を聞きながら、自分の身体が震えているんじゃないかと、心配になった。
ここで心を折るわけにはいかない。絶対に。そう思うのに、動揺は真紘の全身にまで伸びている。奥深くまで。確実に。
「真紘様、耳を傾けてはいけません。今の時点ではただの戯言です」
無言の真紘に、誠が苦悶の表情を浮かべながら言葉を掛けてくる。けれどそんな誠の言葉に頷けないほどに、真紘の傷口に豊の毒が回っていた。
そしてその毒に自分が掻き乱されないように堪えることで必死になっている。だからこそ、一瞬で自分の前にやってきた、豊の行動に真紘は身動きが取れなかった。
「少しの間、自分を見つめ直すべきだ。安心して良いよ。私はその場所を用意してある。そう……君たちの為に」
豊の言葉を最後に真紘の視界が、一気に暗くなる。
次に目覚めた時に真紘がいたのは、家にある当主部屋で、そこには死んだはずの忠紘の姿があった。
夕ご飯も、昼食同様に指定席で食べた出流は、食後の気晴らしに渡月橋を挟んだ所にある公園に来ていた。
雨上がりの空気には、ややどんよりした空気が流れている。
「こんな日に……外に出たら駄目だよな?」
出流がそう言いながら、背後にやってきた豊に目を細めさせた。豊は一人だ。また瞬間移動を使ってやってきたのだろう。
豊に鋭い視線を送る出流に対して、豊は不釣り合いなほど友好的な笑みを浮かべている。
「君とはゆっくり話した事がなかったよね? この機会に是非親睦を深めようじゃないか?」
「お前と親睦? 笑わせんな」
「割と私は本気だよ? それに、君こそ私の手を取るべきだと思うけどね?」
「それ、本気で言ってるのか?」
豊の言葉を失笑しながら、手にBRVを復元する。けれど、豊は動かずにただ虎視眈々と自分を見ているだけだ。
「守る側と奪う側……君は自分をどっちだと思う?」
「いきなり変な質問をこっちに寄こすな」
豊の質問に、出流が内心でやや面喰らう。けれど豊がさらに言葉を重ねてきた。
「私の見解だと、君は後者だ。けど君の願望は前者である」
「俺が奪う側ってことか?」
冷めた視線の先にいる豊がゆっくりと頷いてきた。
「そうだとも。現に君は生きている。これは覆しようもない事実だ。けど君は守りたいんだろう? だからこそ、ヴァレンティーネ・フラウエンフェルトに固執する。そうだね、君はこれまで守れず死なせてしまった人が多すぎる。それ故に守りたい気持ちが人一倍強くなっているんだろう?」
耳を劈く言葉が激流のように出流の中へと押し寄せてくる。
自分を押し流そうとしてくる言葉は全て、この男の妄想だ。そうただ受け流してしまえばいい。
コイツに俺の何がわかる? コイツは何も知らない。そう、なにも……
「君の気持ちは分かるとも。私も晴人や忠紘を守れなかった。そして君はその手でどのくらいの友を土へと返したんだろうね? 可哀想に……」
豊の最後の一言で、出流の中で何かが切れた。
何故、こんな男に同情されなければいけない? コイツに哀れまれなければいけない? ふざけるなっ!
「俺を知った様な口を叩くなっ!」
熱の上がった矢が何百本という数になり、豊へと襲いかかる。
大きな爆発がいたる所で轟音と熱を生み出し、湿った空気の中へと吐き出している。豊は爆発の光の中に呆気なく飲み込まれる。
けれど、豊に何かダメージを与えている感覚はない。
「はは。君はとても人情深いね~。実に好感が持てる」
「黙れっ!」
豊の声が聴こえた方へと、弓矢を放つ。血が舞う。
けれど、自分の矢の先に居たのは……ここにいるはずのない、かつての仲間。クラリスの腹を矢が貫通していた。綺麗な金色の髪が真っ赤な血に染まっている。死んだあの時の様に。
幻覚だ。
そう思い、次に矢を放つ。
次に当たったのは、キアラだ。首に矢が貫通し鮮血を流しながら、丸い瞳は悲しみに暮れている。次の矢がダイチの右目を貫通する。それでも男は笑うのだ。自分の心情を見透かしている様に。
「懐かしい人たちに囲まれてる気分は、どんな感じたい?」
憎々しい声が耳の傍で聴こえてきた。自分をあざけ笑う声に奥歯を噛む。
そして最後に出流が矢を放った瞬間……そこに、自分へと助けを求めて手を伸ばす五十嵐の姿を見た。
「はは。本当に君は可哀想な子だ……そして、君はもうこの悲しい同窓会に大切な人を増やしたくはないだろう? だから、私の用意した場所で大人しくしているといいよ」
叫びだしたくなる感情の渦の中で、豊の言葉が不気味なほど鮮明に耳に残った。
狼は庭先で、一人剣術の練習をしていた。
最近、練習用の木刀にも触れられてなかったため、感覚が鈍くなっていないか心配になっていたのだ。
今、自分の因子を練る稽古をつけてくれている藤華も、因子を使用しないのであれば……と剣の型を揮うことを許可してくれた。
本当は真紘や重蔵などに見て貰いたい気持ちはあるが……まだここに戻ってきていないため、仕様がない。
練習用の剣を握る感じに違和感はない。
その事に狼はほっと胸を撫で下ろした。とはいえ、実際に打ち合ってみないと本当の所は分からない。
「セツナとかに頼もうかな……」
ここにいる人の中で自分と同じく剣術をやっているのがセツナだけだ。
でもなぁ……
何故だが、昼食前からセツナは何か考え事をしているような気配があった。狼が「どうかした?」と訊ねても、「なんでもないの」と苦笑して返されてしまったのだ。
あんな風に変えされたら、あんまり深く言及はできない。
きっとセツナなら、相談したくなったら誰かに相談するだろう。それが出来るのがセツナという人だ。
「考え事の邪魔はできないし……うーん」
両腕を組みながら、狼が少しの間考えていると……トントンと肩を叩かれた。
「えっ?」
狼が少し間抜けな声を出しながら、振り向く。
「やぁ。黒樹君。元気かな?」
「……なっ、えええええええええええ!」
まったく予想もしていなかった人物の登場に、狼は勢いよく驚愕の声を上げた。




