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男のバレンタイン

 バレンタインデー。

 正直、逆バレンタインなんて初めての経験なんだよなぁ。僕は、湯煎で溶かしたチョコレートを見ながら、唸っていた。

 でも唸ってる場合じゃない。すぐそばには料理なんてやったことない、真紘がかなり緊張した表情で、砂糖を入れた生クリームと睨み合ってるし。そんなに睨み合っても生クリームはホイップクリームにならないのに。

 あの顔は、絶対に勘違いしてるんだろうな。多分。氷で冷えた生クリームがホイップになると思い込んでいる顔だ。

「あのさ、真紘……」

「なんだ、黒樹?」

「ホイップクリームなんだけど、泡だて器で混ぜないとホイップにならないんだ」

「なにっ!?」

 衝撃の事実を知ったとばかりに驚く真紘。僕としては驚く真紘に驚くけどね。うーん、明蘭って家庭科の授業とかないのかな?

 でも待てよ。思えば僕が高校に入ってから家庭科の授業をしたことない……。

「真紘、今まで家庭科の授業とかなかったの?」

「いや、中等部まではあったぞ。だがな、菓子作りはやらなかったな。作ったのは味噌汁、サラダ、サーモンのクリーム煮を作ったぞ」

「なるほど。主食系の物しか作らなかったのか」

 なら、仕方ないか。

 真紘は家事を覚える時間もないほど、色々他の事をやってるし。僕も普段から世話になってるもんなぁ。

「わかった。真紘……とりあえず、泡だて器で生クリームを混ぜ続けて欲しいんだ。多分、水も少なめに入れたから、ズレたりはしないと思うんだけど……水とかが入らないようにね」

「ああ、分かった」

 生クリームを泡立てるだけでも、真剣に取り組む真紘に僕は苦笑を零した。

 本当にどんな時でも真紘は真紘だな。僕もなんだろうけど。

 そう思いながら、狼は水とバターを入れて沸騰させた鍋を弱火にし、そこへ小麦粉、ベーキングパウダーを混ぜた粉を、入れて木べらで混ぜ合わせる。

 よし、結構良い感じに固まって来たな……

 あとは、火からおろして溶いた卵を入れて、と。そしてそれをしっかり混ぜ合わせたら、絞り袋に詰めて、その間にオーブンを余熱しておく。

「黒樹、結構生クリームが固まって来たぞ」

「あ、本当に? 僕の方も生地を焼くだけだから」

 天板にクッキングシートを敷いて、生地を乗せていく。

「本当に黒樹は料理が得意なんだな。やはり、菓子作りもしてたのか?」

「まぁね。島だとケーキ屋とかもないから、誕生日の時とかにね。最初は父さんが料理本を見ながら四苦八苦して作ってくれてたんだけど、僕や小世美が大きくなったら作らなくなったから。自分で作るようになって。それが習慣になったんだ」

「なるほどな。だが、料理などの家事が出来るのは良い事だと思うぞ。俺も少しは黒樹を見習いたいくらいだ」

「見習うってほどじゃないと思うよ? 僕の場合は僕と父さんと小世美で家事を交換しなからやってたから、それをやる環境にいたってだけだし。皆にはあたしたちより女子力高くて、どうのこうのって、ブーブー言ってくるしね。まったく、そう思うなら皆もやればいいのに……」

 僕がブーブー文句を言うデンメンバーの事を考えて、溜息を吐いていると……

「それだけ言えるのは、仲の良い証拠だ」

 と隣にいる真紘が満足げな笑みを向けてきた。

 正面きってそう言われると、地味に照れるなぁ。まぁ、良い事だけど。でも、何でいきなり、高坂先輩たちは『男のバレンタイン』なんてやろうと言い始めたんだろう? それを言う前は、どうせ女子からチョコなんて貰えないんだとか、散々泣き喚いてたのに。

 しかも、その話に一軍の男子も乗ってくるんだから……謎だよなぁ。

 でも、こう言う時に皆へ感謝の気持ちとして送るのも悪くないか。

「俺も、希沙樹たちや左京たちには世話になってるからな。喜んで貰えるといいが」

「大丈夫だと思うよ。こういうのって気持ちが大事なんだろうし。それでさ、真紘……僕からの素朴な疑問なんだけど、良いかな?」

「ああ、なんだ?」

「いや、その送り相手は誰に送るつもり?」

「俺か? 俺は……希沙樹、ヘルツベルト、左京、誠……あと、結納にも渡すつもりだぞ。名莉たちにもと思ったが、黒樹も渡すからな」

「あっ、そっか。なら一緒に渡すのなんてどうかな? せっかくだし」

「ああ、俺はそれで構わないぞ」

 良かった。これで自然に真紘から季凛にバレンタインデーが届く。もし、五月女さんたちだけ真紘からバレンタインを貰えたってなると、季凛の機嫌がどうなるか分からないもんな。むしろ、僕や高坂先輩たちに被害が来そうで怖いし。

 胸を撫で下ろしながら、絞り袋から出した生地を余熱したオーブンへと入れる。

「このオーブンだったら、温度下げて12分くらいかな」

 オーブンのスイッチを押すと、オーブンが生地を焼き始める。あとは生地が焼き上がるのを待つだけだ。

 僕が満足気に一息ついていると、別の場所から何か焦げたような臭いがしてきた。きっとまた誰かのお菓子作りが失敗したのだろう。

 皆、失敗しすぎだろ……。

 これまで、何人の男子のお菓子作りの失敗を見てきたことか。その度に、僕が呼び出されるんだもんなぁ。また、呼ばれるんだろうに……。

「黒樹ぃ~~。ヘルプッ! ヘルプ、ミー!」

 ほら、やっぱり。

 イベント事に参加してくれるのは、凄く良い事だと思う。こういう事ができるのも学生ならではだと思うし。けど、けど……少しの望みを言うのなら……

「当分、お菓子作りはしたくないなぁ」

 小さく呟いて、焦げた鍋に慌てふためく男子達の元へと向かった。



 時を同じくしてトゥレイターでも、バレンタインに燃えてる男がいた。

「何なんだよ? この迷惑な花たちは?」

 俺がうんざりとした表情で、トゥレイター支部内をピンク、赤、黄色のバラで埋め尽くしたベルバルトを睨んでいた。

 エプロン姿のベルバルトが花に埋もれながら、スイスなどから直輸入した板チョコを溶かしている。しかもその量が規格外だ。花の匂いにチョコの匂いが混ざり合って何とも言えない。

「おい、馬鹿イタリア人……何なんだよ? この花とチョコは?」

「はぁ? 何って俺の彼女たちへ送るバラの花とチョコに決まってんだろ! おまえ、この部屋にあるバラを傷つけたらただじゃ、置かないからな?」

「全力でこの部屋にある花とお前を、どっかに吹き飛ばしたくなってきた」

 馬鹿なベルバルトに冷ややかな視線を送りつつ、カールグスタフを復元する。するとそんな俺に対してベルバルトが、溜息混じりに指を振って来た。

「おまえなぁ、少しは麗しきレディたちに愛情を上げた方が良いぜ? 女の子たちは繊細で愛に飢えたさみしがり屋さんだ。そしてそれを埋めるのが、俺たちの役目なんだぜ」

 ベルバルトの奴……決め顔でなんか物凄く気色悪いこと言ってきた。

「おまえ、真面目に頭大丈夫か? チョコ配る前に精神科行って来いよ?」

 まぁ、もう末期かもしれないけど。

 俺がベルバルトの事を哀れんだ視線を送っていると、そこへ何かの任務でこっちに来たらしい、オースティンがやってきた。

 オースティンはバラの花で覆われた室内を見て、呆れた表情を浮かべている。

 まぁ、こういう表情になるわな。普通の感性を持ってれば。

「何なんだよ? この品のねぇー花は?」

「ああ、また男の風上にも置けない、背教者が増えたよ……」

 哀れんだ表情をしながら、俺とオースティンを一瞥するベルバルト。

「オースティン、俺はアイツを思い切り殴りたい」

「最悪だけどな……俺もだ」

 しかも、ベルバルトのやつ……悪趣味にも映画『ゴッド・ファザー』のBGMを流しながら、卵をきめ細かく混ぜている。どうでも良い事にばっか労力を費やしやがって。

「あら、ベルバルトは今年も熱心にバレンタイン作り?」

 この厄介な奴の声は……俺が恐る恐る後ろを振り返ると欧州地区のⅪであるジャンが、投げキスをしてきた。……何も見なかったことにしよう。

 ジャンの投げキスを無視して俺が顔を前へと戻す。

「ちょっと、どうして顔を前に向けちゃうのよぉ?」

「いや、ずっと見てたら悪夢に魘されそうだからな」

「ったく、お前が変に振り返るから俺まで見たくないもん見ちまっただろうーが。品がねぇ―」

「俺の所為じゃない。こいつが勝手にやってきたんだろ? 誰だって見たくないに決まってるだろ!!」

 俺が変な言いがかりをつけてきたオースティンに反論していると、勢いよくジャンが俺とオースティンの肩を掴んできた。掴む力がかなり強い。

「あんまり、変なこと言ってるとお仕置きで、私の自室に監禁するわよ?」

 ジャンの言葉に俺とオースティンの身体が恐怖で粟立つ。

 こいつだったら、やりかねない。むしろ、やられそうになった経験がある。あれは口にして語れない恐怖体験だ。

「ふざけんな。俺は今から任務が入ってんだよ! 怪物に付き合ってられるか!」

「あら、残念。その任務は私の任務でもあるの。もちろん、イズルもね」

「はっ? 俺もかよ?」

「連絡が行ってるでしょ? 見てないの? 駄目ねぇ……」

 そんな事を言いながら、頭を撫でようとしてきたジャンの手をスルリと避ける。避けながら、端末を確認すると、ちょうどその時、任務の連絡が入って来た。

 大概、この組織の伝達管理も雑すぎると、常々思う。

「選りにも寄って、お前らと任務かよ……」

「それは俺の台詞だ」

「素敵な任務じゃない。まさに両手に華だわ。うふふ。さぁーて、この任務をぱっぱと終わらせましょう。私たちの任務はあともう一つあるんだから」

「あともう一つ?」

 俺が訝しげに目を細めて、ジャンを見る。するとジャンが口許に手を当てて「むふふ」というおぞましい声で笑ってきた。

 この声には、チョコ作りに必死になっていたベルバルトも顔を青くしている。

 これは……言及したらやばい奴だ。そして、ジャンが言うもう一つの任務というのも、どこか胡散臭い。こうなったら、任務が終わったら足早に逃げるか。



 逃げられなかった。

 そして俺は今、強制的にジャンが神楽坂で用意したビストロ風のレンタルキッチンのついたワンルームにオースティンと共に収容されていた。

「材料も用意してあげたんだから、ちゃんと感謝しなさい」

「いや、誰も頼んでないけど」

「何で、おまえの悪趣味おままごとに俺が付き合わなきゃならねぇーんだよ。品がねぇ!」

「あら、そんな事言っていいの? バレンタインなんだから大切な人にプレゼントを用意しなくちゃ。ちなみに、三時間後には、ミサオを含む女子がやってくるからね? 頑張って作らないと恥ずかしい思いをするわよ?」

「てめぇ……」

 オースティンが憎々しげに、ジャンを見る。けれどジャンは素知らぬ顔で板チョコを刻み始めた。そこへ、別の場所で任務を終えたらしい、雨生、右京、ベルバルト、シックススことミゲルにホレスがやってきた。

「おい、何だ? この面子?」

「ジャンから召集されたんだ」

 にっこりと微笑む雨生。

「うふふ、綺麗所を揃えたのよ。女だって綺麗な男に料理とお菓子を作って貰った方が嬉しいに決まってるじゃない? うふふ。この部屋を『私の楽園(Mon paradis)』って名前を付けたいくらいだわ」

 じゃあ、お前もカットされるべきだろ……

 と口許まで出かかった言葉を俺はぐっと飲み込んだ。きっとこの事を和馬あたりが聞いたら「おかしいやん! 何で化物が入室できて、わいらが弾かれんねん?」とか抗議をしてきそうだ。

 しかし、そんな事お構いなしのジャンが不気味な鼻歌を歌いながら、刻んだチョコを溶かしている。

 お菓子作りは無理。

 そう思った俺がブロック肉に目を光らせ、それへと手を伸ばす。だがそこへ横からオースティンが手を伸ばし、肉を奪ってきた。

「おい、何でおまえが肉取るんだよ?」

「はっ、誰が化物と一緒にお菓子作りなんてするか。今の所、手持ち無沙汰なのはおまえだけなんだ。ジャンと一緒にお菓子でも作ってろよ」

「なっ!!」

 やられた。あいつも野獣とのお菓子作りより……馬鹿なベルバルトと共に肉を焼いてる方が良いと考えたんだ。

 安全圏にいる雨生、右京、ホレスなどはパスタやサラダ、スープなどの仕度を始めている。そして、ミゲルは用意してあるワインの匂いや味を確認している。

 完全な外れくじだ。

 溜息を吐きながら、俺はジャンに指示されるがまま……ジャンが湯煎にかけているブラックチョコ、無塩バター、砂糖、塩に水切りヨーグルトを混ぜたり、火からおろした後、卵とリキュールのディダを加えて混ぜ合わせる。

 作業自体は簡単ではある。けれど……

「かき混ぜる時は、熱い愛情をたっぷり込めるのよ。そう、たっぷり……」

 耳元でジャンが雑音を放って来るため、精神的にはかなりきつい。

 おまえも人に怪しいちょっかい出す前に、早く自分の作業をしろよ。

「おい、ちゃんとジャンと共に愛情注げよ?」

「ちなみに、それはキリウスの口にも入るからな? やったな」

 とか言いながら、肩を震わせて笑うベルバルトとオースティンたち。イラッ。

「ここで発砲したりしないでね? 今、大事な時なんだから」

 苛立った俺の気配を察知したらしく、真っ先に牽制の言葉を掛けてくるジャン。

「……あいつ等、後で覚えとけよ」

 苛立ちを溜息で吐き出しながら、マカダミアナッツを細かく刻んでいく。

 それをジャンが型に流し入れ、オーブンで焼き始めた。

「あとは、ココナッツ香るパンナコッタは冷蔵庫にしまったし……後はチョコフォンデュを用意すれば良いわね」

 満足そうなジャンを横目に、俺はぐったりとしていた。

 何で、やったことないデザート作りをさせられた上に、ジャンからの精神攻撃を受けないといけないんだ?

 盛り付けくらい、ジャンに一任しても良いだろう。そう思いながら俺は溜息を吐きだした。



 どうしたものか……

 目の前にある焼き上がった生地を見ながら、考え込む。

 黒樹はまだここに戻ってくる気配はないな。だが、後は生地の中に生クリームを入れるだけのはずだ。いや、待てよ。確か湯煎で溶かしたチョコもあったはずだ。

 あれを何に使うか、訊くのを忘れていた。

 しかし、このまま待ってるのも……俺としては落ち着かない。

 そうだ。ここは冷静になって考えろ。

 シュークリームにチョコを使うなら……

「やはり、これしかない」

 生クリームを焼き上がった生地の中に注入していく。そして生地の上にチョコを掛けて行く。

 ほとんど、黒樹にやらせてしまったが……、何とか形にはなったな。よし。

 あとはこのチョコが固まるように、冷蔵庫に入れて冷やすか。

 そして冷蔵庫にチョコレートを上から掛けたシュークリームを入れる。これからやるべき事は、使った器具の片付けだが……

「生クリームがやたらと余ってしまったな」

 ボールの中には、半分ほどの生クリームが残ったままだ。

「このまま捨てては、きっと黒樹に駄目出しされてしまいそうだ。仕方ない。食べるか」

 今まで生きてきて、生クリーム単体を食べるということはしたことがないが、これも貴重な経験だろうからな。

 スプーンを使って、俺はボールから生クリームを口へと運ぶ。

 初めて自分で作った生クリームの味は、店とはどこか違う気がする。濃いという感じはないが、素朴な美味しさが口の中に広がる。

 自分でホイップした生クリームがこんなに美味しいとは、知らなかった。これは是非、結納にも食べて欲しいな。

 俺がそんな事を考えながら、ボールに残った生クリームを食べていると……

「真紘、ごめん! ちゃんとした手順を教えてたら遅くなっちゃって」

 慌てた様子の黒樹が戻って来た。

「大丈夫だ。だが、黒樹も大変だと思ってな、仕上げはしといたぞ」

「そっか。ありがとう。じゃあ、箱に入れて皆に渡しに行こうか」

「ああ、そうだな。チョコが固まってるといいが……」

「厚く塗ってなければ、大丈夫だと思うけど」

 黒樹がそう言いながら、冷蔵庫から天板に乗ったシュークリームを取り出して来た。見た所、上に掛けたチョコも上手い具合に固まっている。

「あっ、真紘……生クリームにチョコ混ぜなかったのか。じゃあ、結構、生クリームが余っただろ?」

「チョコと生クリームを混ぜる気だったのか?」

「うん、普通のクリームとチョコクリームの半分にしようと思って、生クリームを多めに用意してたんだ。でも仕方ないよな。僕も真紘に言うの、忘れてたし」

「なるほど、生クリームが余ったのはその所為だったんだな。俺も気づかなくてそのまま食べてしまった」

「えっ、そのまま食べた?」

「ああ、捨ててしまっては黒樹に駄目出しをされると思ってな」

「真紘、さすがに僕も余った生クリームをそのまま食べろとは言わないよ。まさか、真紘まで僕をケチだと思ってたなんて。はは」

 肩を落としながら、卑屈な笑いを浮かべる黒樹。

「いや、その……すまない」

「良いんだ。よくデンのメンバーからも言われるし……」

「気を悪くしないでくれ。俺は黒樹の物を大切にする姿勢は良いと思うぞ? それより、完成した物を箱に入れよう。きっと皆も喜ぶはずだ」

「うん、そうだね。はは」

 地味にダメージを与えてしまったようだな。

 黒樹に申し訳なさを感じつつ、箱の中へと出来上がったシュークリームを入れて行く。

「よし、ちゃんと人数分ありそうで良かった」

 モチベーションが戻った黒樹が箱の中に入って並べられてるシュークリームを見て満足げに頷く。

 箱は全部で10個。

「じゃあ、真紘は五月女さん、左京さんたち、結納ちゃんと、あとセツナと季凛に渡して欲しいんだ」

「ああ、いいぞ。分かった」

 黒樹の言葉に頷いて、シュークリームの入った箱を紙袋の中へと詰める。

 するとそこに、館成教官がやってきた。

「黒樹君と輝崎君、ちょっといいかな?」

 三年の主任教官である館成教官から呼ばれるのは、珍しい。そのため俺と黒樹が顔を見合わせて、館成教官の元へと向かう。

「作業してるのに、悪いね。実はここにある教材を運ぶのを手伝って欲しいんだ。他の生徒に頼もうと思ったんだけど、君たちよりも修羅場に挑んでる感じだったから、声を掛け難くてね」

 俺はお菓子作りに慣れている黒樹と一緒だったから良いが……

 自分と同じようにお菓子作りなどしたことない生徒にとって、大変な苦労だろうな。それを考えると館成教官が声を掛けられないのは、無理もない。

「全然、良いですよ。僕たちの作業は終わったんで」

 愛想の良い笑みを浮かべ、黒樹が館成教官に頷いた。

 そして、三人で別棟にある教材置き場まで向かう。放課後ということもあり、雑談を交わしている生徒も多くいるが、やはりその手にはお菓子の袋や箱を持った生徒が数多くいる。

 いつもなら、それを受け取るのは男子生徒が多いが……今年のバレンタインデーは逆転していた。

 なかなか、新鮮な光景だな。

 俺が周りの景色を見ながらそんな事を思っていると、柔らかな笑みを浮かべている館成教官が口を開いて来た。

「二人は、誰かにチョコレートを渡すの?」

「はい、俺はいつも世話になっている相手に渡すつもりです」

「僕も、そんな感じです」

「へぇー、その中に本命の子はいないの?」

「えっ!?」

「いや……そういうつもりは……」

 予想外の質問に、俺と黒樹が口籠もる。するとそんな俺たちを見て館成教官が、にっこりと微笑んで来た。

「きっと、二人からの本命チョコを貰いたい子はたくさんいると思うけどね。でもまぁ、感謝チョコっていうのも良いよね。きっと貰えた子も嬉しいと思うよ」

 俺たちにそう言って来た館成教官に、俺と黒樹でお礼を言う。だが内心でそれについて深く言及されなかったことに、少しほっとしていたのも事実だ。

 そして、頼まれた教材を運び終え、俺たちはシュークリームの箱を入れた袋を取りに行き、希沙樹たちへと連絡を入れる。

 通信に出た希沙樹たちが、やや緊張しているような慌てた様子だ。

「何か取り込み中だったか?」

「いえ、別に。まったく。何の問題もないわ」

「そうか、なら良かった。これから黒樹と共に渡したい物があるんだ。グランドの方に来てくれるか?」

「ええ、勿論。今すぐ行くわ」

 希沙樹が綻んだ笑みを浮かべ、そう言って来た。

 同じくヘルツベルトや、左京、誠にも通信を入れておく。

「よし。皆時間は大丈夫そうだな」

「うん、小世美たちも大丈夫っぽい。じゃあ、渡しに行こうか」

「ああ」

 黒樹に頷き返して、教官室に寄ったあと、希沙樹たちを呼び出したグランドの方へと向かう。

 するとそこには、すでにほとんどの者が集まっている。

「皆、集まるの早いな」

「ああ、さすがに少し驚いた」

 俺と黒樹で呆気に取られる。すると俺たちに気づいた希沙樹たちがこちらに走り寄って来た。

「真紘、ごめんなさい。早く来過ぎたかしら?」

「いや、俺は大丈夫だぞ。それより待たせてすまない。先に教官室にいる左京たちに渡していたんだ」

「いいえ、私たちは全然気にしてないから」

 にっこりと微笑む希沙樹。だがそこへ……

「あはっ。希沙樹ちゃん邪魔ー」

「なっ!」

「さっき、順番決めたじゃん。ちゃんと約束は守ろうね。あはっ」

 蜂須賀とそんなやり取りをした希沙樹が、やや悔しげに後ろへと下がる。俺たちがいない間にどんな約束をしたのか分からないが……

 とりあえず、人数分は用意したのだから問題はない。

 そう思いながら、黒樹と共にシュークリームの入った箱を手渡して行く。

「……おかしいな。一つ足りない」

「えっ、真紘のも? 実は僕の配る分も一つ足りないんだ」

 驚いた様子の黒樹が俺にそう言って来た。

 しかし、おかしい。確かに俺と黒樹が数を確認したときは箱は人数分あったはずだ。

「えっ、えっ、どういうこと? 鳩子ちゃんの分は?」

「私のもないわ……」

 シュークリームが貰えてない二人が、不穏な表情。

 けれどいくら袋の中を見返しても、箱はない。といっても落とすはずも入れ忘れもないはずだ。謎は深まる。

「すまない。何故だか分からないが俺と黒樹が作った箱が二つなくなってしまったらしい」

「おかしいな。絶対に人数分あったはずなんだけど……」

 眉を顰める俺と黒樹の言葉で、希沙樹と大酉の顔が蒼白になっていく。

 そして……

「探す。何が何でも狼からのシュークリームを探し出す」

「ええ、そうね。大酉さん。探しましょう。この命に代えてでも」

 そう言う大酉と希沙樹の言葉には、明確な闘志が漲っていた。



 そんな二人を明蘭の屋上にいる女子と、校舎のか影にいた女子が見ていた。

「旦那の作ったチョコを食べるのは妻として、当然!」

 屋上に居る万姫が、狼たちが作ったシュークリームを頬張りながら、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 そして校舎の影に立っている雪乃も、満面の笑みを零しながら、

「ハッピーバレンタイン。真紘君」

 と呟きながら、甘いシュークリームを口の中へと頬張っていた。



 一方の神楽坂では、料理がテーブルの上に並べられていた。

 そこに、にわかにお洒落をした女子たちがやってきた。

「こんな素敵なバレンタインがあって良いのかな?」

 るんるん気分の操生が最初に入って来て、それに続いてヴァレティーネ、マイア、クロエ、カリン、キャロンにターシャ、セマなどが入ってくる。

「ようこそ、レディーたち。今日は君たちのためにとっておきを用意したんだぜ?」

 我が物顔でベルバルトが片目を瞑りながら、ヴァレンティーネたちを出迎える。

 それから、フランス料理のオードブルのように前菜から順に出して行き、最後に出流たちが作ったデザートが運び込まれる。

 ジャンが盛りつけたことだけはあって、女子受けの良い盛りつけだ。

「そのブラウニーは、イズルが作ったのよ」

 にっこりと笑ったジャンがそう言うと、一気にヴァレンティーネたちの目が輝く。

「わぁーい。イズルが私のために作ってくれたの? 感激」

「クロエ、君は勘違いしない方が良い。出流の本命は私だよ」

「違います。勘違いしてるのはそっちでしょ?」

「二人とも喧嘩しちゃ駄目よ。せっかくイズルが作ったんだもの。味わって食べないと」

 言い争いを始めたクロエと操生に、ブラウニーを食べて幸せそうに頬に手を添えるヴァレンティーネ。そしてマイアは黙々とブラウニーを食べている。

「ふふ、どのブラウニーの中に愛情が注がれているのかしらね?」

 小声でそう言って来たジャンに、出流は肩をすくませた。

「さぁな。ただ初めて作ったにしては上出来だろ?」

「まぁね。今日は一年に一回しかないハッピーバレンタインですもの。皆、酸いも甘いも噛み締めないとね」

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