剥き出しの戦士
「ここか。トゥレイターの研究施設は・・・」
都内の真ん中に聳えたつような、オフィスビル。その一角にある建物を仰ぎ見るようにして真紘は一言、口を開いた。
すでに空は闇に染まり、街灯が辺りを照らしている。真紘たち、一軍生数十名が教官から呼び出されたのは、丁度、生徒総会が終わった直後だった。
「諸君たちには、トゥレイターの研究施設への突入を命じる。理由は簡単だ。アストライヤー機関の情報操作士が入手した情報によると、奴らは対アストライヤー用の人工異生物の研究を行っているらしい。そのため、諸君たちにはその計画の妨害を遂行してもらう。もしそれが上手くいけば、トゥレイターの組織にかなりの痛手を負わせることが出来るだろう。諸君たちの成果に期待する」
という内容をその場にいた教官がざっと説明した。
もうすでに、何か所かに点在している入口へと一軍生が分かれ、突入時刻を待っている。その一つの入口に真紘を筆頭にする、一年の一軍生が待機していた。その中には辺りを警戒している左京や誠の姿もある。
真紘は突入時刻を待つ中で、教官から聞かされた言葉を頭の中で反芻していた。
対アストライヤー用の人工異生物。そんな物が本当に実在するのだろうか?そんな疑問が真紘の脳裏を過ぎる。
だがもしそれが本当なら、自分たちだけでなく、周りの一般市民にも被害を及ぼしかねない。それを考えたら、情報の物が虚像であろうとなかろうと真紘のやるべきことは決まっている。
そんな危険な因子が外に出ないように滅するだけだ。
そんな決意を真紘が瞳に宿していると、横にいた正義が肩を叩いてきた。
「やる気充分だな、真紘。まぁ、おまえらしいけど。でもあんま無理すんなよ?気楽にいこうぜ。なっ。みんなついてるし」
そう言って正義は歯を見せて笑ってきた。
そんな正義に真紘は苦笑しながら「ああ」と短く返事を返した。
「そうね。私も真紘をサポートするために全力を尽くすわ」
そう言ったのは、正義とは反対側にいた希沙樹だ。希沙樹は真紘に柔らかく微笑んで、自身のBRVを復元した。
希沙樹の横にいる陽向は、もうすでに自身のBRVを復元して待機している。
「まったく・・・実に心強いな」
真紘はそう呟いてから、イザナミを復元し
「では、行くぞっ!」
と言って真紘たちは、突入時刻と同時に研究施設内へと足を踏み入れた。
「うわぁ、みんな一気に突入してったね」
鳩子のBRVを通して映し出される映像を目にしながら、狼がそう呟いた。
「それりゃあ、そうでしょ。そのためにここに召集されたんだからさ」
「まぁー、そうだけど。それにしても左京さんや誠が険しい顔して、警戒してるから焦ったー。見つかったら大変だもんな。勝手について来ちゃってるわけだし」
狼は見つかったときの恐ろしさを払拭するように、少し大袈裟に笑う。
するとそんな狼を見て
「あはっ、もう狼くんったら男子の癖に小さいこと気にするよね?そんなんじゃ、女子からモテないよ?」
と季凛が笑顔で言ってくる。
「ほっとけーっ!」
狼はそう叫びながら、視線を横にしてそっぽを向いた。
「心配しなくても大丈夫だって。この鳩子ちゃんが見つかるようなヘマをするわけないでしょうが」
鳩子はそう言いながら、両腕を腰に当て自信満々に胸を張っている。そしてそれを見た季凛がまたしても
「ない胸を張っちゃって・・・」
と小さく呟くのが狼の耳に聞こえてきた。
唯一の救いは、その言葉が本人の耳に届いてないということだろう。これから、トゥレイターの施設内に入るというのに、最初から険悪ムードになったら最悪だ。
狼は一人、胸を撫で下ろし、これ以上の毒が季凛の口から出ないかを祈るしかない。
「それにしても、鳩子と季凛、二人ともなんか荷物持ってるけど、何が入ってるの?」
鳩子と季凛は少し大きめのリュックを持っている。すると鳩子と季凛はニヤリと笑って
「まっ、色々とね」
「あはっ。女の子の持ち物を聞くなんて、デリカシーなさすぎ」
と二人は言葉を濁している。
狼はそのまま深く追究しないことにした。
「それで、僕たちはどこから入るの?」
狼がデンメンバーの方を向き、そう訊ねると根津が眉間に皺を寄せて考え始めた。
「まぁ、無難な線は真紘たちが入っていった場所よね。でもなぁ・・・」
根津が顎先に手を当てながら、何か渋っているような表情を見せている。
「なんか問題でもあるの?」
「問題はないけど・・・」
そう言いながらも、乗り気ではない根津を見て狼が首を傾げる。
「ネズミにしては、珍しく渋るね」
狼がそう言うと、根津は視線を狼の方に向けきっぱりと言った。
「だって、せっかく乗り込むんだから、もっと違うルートで行きたいじゃない。真紘たちと同じなんて、面白みにかけるわ」
「え・・・面白みって・・・」
狼が思わずぽかんとしながら、聞き返す。すると根津は握り拳を作りながら
「そうよ。どうせ隠れて行くんなら、一軍の奴等を驚かしてやりたいじゃない」
「あー、いいねっ。それ。人を驚かせるのは鳩子ちゃんの好みだよ。どうせ行くなら、秘密ルート的な奴で行きたいよね」
鳩子がウキウキしたような声で根津の意見に便乗している。
「そういう問題じゃないだろー。こんなとこまで来て何言ってるんだよ。まったく。第一、そんな映画みたいに秘密ルートなんてあるわけないだろ!!」
狼が呆れながらそう叫ぶと、明らかに根津と鳩子の表情が曇った。まるで「えー、夢壊すのやめてよ」というのを、目線で訴えているようだ。
だが、そんな目線を投げられてもめげることはない。なんせ、自分が言っていることは正しいのだから。そんな映画みたいに簡単に秘密ルートを暴き出せたら、一軍の生徒だって正面から行くことはないだろう。
まったくもって、根津と鳩子の頓珍漢な言葉には、呆れるしかない。
だがそれを覆すように季凛が口を開いた。
「なんかさぁー秘密のルートって、よく下水道らへんになーい?」
上目使いをしながら、季凛が足元にあるマンフォールの蓋を指差している。
「えっ、そんな下水道から行くの?」
狼は本心から、そんな臭そうなルートで行くのは嫌だと思った。それだったら、全然正面の入口から入る方が良い。全然良い。
きっと他のメンバーだってそうなはずだ。
狼はそう思いデンメンバーに視線を配る。
名莉はいつものぽけーっとした表情。
鳩子は・・・もの凄くウキウキした表情。
根津は目を閉じながら何かを考えている表情。
この中で一番まずいのは、鳩子だろう。鳩子の目は期待に胸を膨らませているように、目を爛々と輝かせている。
あの目は危険だ。今にでもマンフォールの蓋を開け、入って行きそうな雰囲気をビンビンに醸し出している。
そしてそんな鳩子に追い風のように根津が目を開き
「行きましょ!確かに臭いわ」
「怪しい臭さより、もっと現実的な臭いを気にしなよっ!」
だがそんな狼の訴えは虚しく、下水道へと続くマンフォールの蓋は開けられてしまった。
その中に次から次へと吸い込まれるように、メンバーが降りて行く。最後となった狼は覚悟を決め、暗い穴の中へと飛び込む。
飛び込むと言っても、そこまで深くはなくすぐに薄暗い床へと着地した。
下水道の中は暗く、そして何とも言えない臭いが辺りを支配している。狼はその臭いの強烈さに思わず鼻を摘まんだ。
「さすが下水道・・・ぐさすぎる」
狼と同じく鼻を摘まんでいるためか、くぐもった声で根津が顔を顰めている。だから言わんこっちゃない。狼はそう思いながら辺りを見回す。
狼たちが立っているすぐ横では、見るからに汚いと分かる濁った水が静かに流れている。臭いの根源もこの水からだろう。少し顔を近づけただけで、嘔吐感を感じさせるような臭いを放っている。
そんな臭いに、さすがの名莉も眉を潜めている。
下水道から出る臭いに嫌悪感を抱いている三人をよそ目に、残る季凛と鳩子は、まるで最初から下水道に入ることを予想していたかのように、防臭マスクを装着している。
「ええー、なんで二人だけそんなの持ってるの!?」
目を見開きながら狼が尋ねる。それから狼ははっとした。あのリュックの中身はこれだったのか。しかもそんな完全防備のマスクをどこで入手したのか。そこに狼は呆れ返ってしまう。
防臭マスクをしている二人は親指を立て
「もち、当たり前っしょ!」
「あはっ、どんなことが起きても大丈夫なように、準備を怠らないようにしないとね。季凛だったら絶対に頑張れないけど、みんな頑張って」
片方の手をブンブンと振りながら、他人事で狼たちを励ましている。
「くぅ、だからあんな躊躇いもなく、下水道を通ろうなんて言えたのか」
狼は季凛や鳩子の意図が読め、二人を恨めしく思った。
「ほらほら、こんなところで立ってても、臭いからは逃れられないよ?」
鳩子が少し先に行ったところで、狼たちを手招きしている。
秘密のルートを探し当てようとしている鳩子はいつもより、やる気充分だ。鳩子もこんな変な事にやる気を出すくらいなら、もっと別の事にやる気を出してもらいた。
狼は妙な脱力感に襲われながら、下水道の細い道を進み始めた。
「こんなんで、本当に中に入れるのかな?」
暗がりが続く下水道を歩きながら、嫌な不安が胸の中に過ぎる。そんな狼の呟きに隣を歩いていた名莉が答えた。
「大丈夫。このまま進んで右に行けば着ける」
「どうして、わかるの?」
狼が横目で名莉を見ると、名莉は黙ったまま狼を見ている。そして名莉は静かに答えた。
「・・・感じるから。イザナミを」
名莉のそんな言葉を聞いて、狼は理解できないまま疑問符を浮かべるしかなかった。
イザナミを感じるとは、いったいどういう事なのだろう?授業で人から流れるゲッシュ因子の流れを読むことはできると言っていた。だから名莉もイザナミを通して真紘のゲッシュ因子を読んでいるということだろうか?だがしかし、そんなことは本当に出来るのか?名莉は鳩子のように情報操作士が持つようなBRVを持っていない。そのためBRVにアクセスするということも不可能だろう。ではどうやって?考えれば考えるほと分からないことが増えて行く気がする。
そのまま狼が黙って進んでいると、
「ここを右に曲がるよー」
という鳩子の籠った声が聞こえてきた。声が籠っているのは防臭マスクを付けているからだろう。それにしてもあの防臭マスク・・・暗い中で見るのは不気味だ。
目元を覆っているレンズの部分が黒光りに反射していて、不気味さを際立たせている。
狼はできるだけ鳩子たちの方を見ない様に、返事をした。
きっと鳩子は自信のBRVを使い、先に突入した生徒たちのBRVにアクセスし、所在を掴んでいるのだろう。
これで狼の不安は完全に拭えたが・・・
鳩子が言う前に同じことを名莉も言っていた。
つまり、本当に名莉はイザナミを感じ取っているということだ。
もしかしたら、名莉はイザナミを感じる何らかの方法を知っているのかもしれない。
確か名莉の家はイザナミの開発に関わっていたらしいし、イザナミを認識するための方法を知っていても、然程おかしい話でもない。
では、イザナギを作ったのは誰なんだろう?
そう考えてから狼はふと脳裏にあることが過ぎった。だがそれは狼にとって、それは考えたくない事だ。
「よし、もう考えるのやめよう。うん、そうだ」
自分に言い聞かせるように、狼は思考を現実に引き戻した。
そして丁度その時、鳩子が上の方を指差し
「ここを昇れば、侵入できるっぽいよ」
「了解。みんな何が起きてもいいように、戦闘態勢を整えておくこと。わかった?」
後ろを歩いていた根津が、BRVを復元しながらメンバーに指示を出す。
根津から出された指示に従い、メンバー全員がBRVを復元し、壁に取り付けられている梯子を使い、施設内へと侵入する。
狼たちが無事に施設内へと侵入したまさにその時。
ドォォォォォォォン。
という音が聴こえ、その後から銃声のような音が続いて聞こえてくる。
もう戦いは始まっている。
そんな戦場の空気が伝わってきて、一気に身が引き締まる。
「さっ、季凛たちも行こう」
防臭マスクをとった季凛が、戦場の空気など気にしていないように、普段通りに歩みを進めて行く。その普段通りの季凛の態度に、狼を含めた他のメンバーが呆気に取られる。
だが今は呆気に取られている場合ではない。進む時だ。
「多分、目標地点は、向こうのビルの上にあると思う」
鳩子が集中しているように、耳元を手で押さえ、そう伝えてきた。
「向こうの上?」
「そう、さきに入ってる生徒があっちのビルをどんどん上に進行しながら、戦闘をしてる」
「なるほどね。じゃああたしたちもそっちに向かうわよ」
そんな根津の言葉と共に、狼たちは走り出した。
狼たちがいるフロアは比較的に落ち着いてるらしく、人のいるような気配は感じない。狼たちがもう一つのビルに渡るための連絡橋に指しかかった狼たちの前で、再び爆発音が響く。そして、狼たちの前にあった連絡橋がいとも簡単に、吹き跳び地上へと無残に落っこちて行く。
「嘘だろ・・・」
自分の目の前で起きた爆発に、目を丸くして驚くデンメンバー。
「なんでいきなり・・・」
目を見開いた季凛が、小さく呟いている。
「今は驚いている場合じゃないわ。ここから一気に跳ぶわよ」
根津がそう言って、一気に跳躍した。
狼たちもすぐさまそれに続き、一気に目の前のビルへと飛び移る。
無事飛び移った狼たちは、一先ず周りの状況を確認する。
辺りの壁には銃弾が飛び交った痕や血痕、斬り痕が残っている。そしてすぐ近くには倒れ込んでいる人たちもいる。倒れた人たちの中には生徒の姿はない。そこは一先ずよかったが、狼はそんな凄惨な光景に思わず息を呑んだ。鼻には瓦礫と化した壁から出る埃の臭いなのか、血の臭いなのか判らない臭いが充満している。
これが戦場なのか。狼はそんなことをヒシヒシと身に沁みていた。
「・・・行くわよ」
顔を険しくさせた根津が静かにそう言った。その根津に狼たちは黙ったまま足を動かす。
だが、その倒れた人たちを季凛が、無表情のまま見ていた。
「蜂須賀さん?」
狼が声を掛ける。
すると、季凛がくるっと顔を狼の方に向け
「あはっ、悲惨」
とだけ言った。
さすがに女子にはきつい光景だろう。人が血を流して倒れている姿なんて、見たい物ではない。しかもこんな生々しく。
それでもまだ目を背けないだけ、充分だ。
似た光景を抜け、狼たちは一つの開けたフロアに出た。
そしてそのフロアの奥からは、廊下に倒れていた者たちと同じ服を着たトゥレイターの戦闘動員が複数でやってくる。
戦闘動員たちは銃器や打撃武器を手にしている。
そして武器を手にした戦闘動員たちが、狼たちを囲むようにバラけ、四方八方を取り囲む。狼たちはお互い背中を向け合いながら、戦闘動員たちの方に目を向ける。
そして一人の戦闘動員が動くのと同時に戦闘が開始された。
狼たちに向かってくる戦闘動員は一心不乱に、狼たちへと殺意を向けながら、武器を揮う。
狼はその攻撃を避けながら、あることに気づいた。
「この人たち・・・」
火炎放射器を手にした戦闘動員達がそれを振り回すように、炎を辺りにばら撒く。狼たちはそれをBRVで薙ぎ払うが、その炎は火炎放射器を振り回している者と同じ戦闘動員にも無差別に降り注がれる。
その光景に狼は絶句した。
人の焼ける臭いがする。臭い。肉の燃える臭い。肌が爛れ、血が滲み出ている。その光景に狼は思わず目を背けたくなる。だがそれはできない。してしまえば、目の前にいる飛び掛かって来ている者に殺される。
「ねぇ、この人たちって、一般人?」
微かに震えた声で鳩子が呟いた。
それは先ほど狼が気づいた事と同じだ。そうだ、ここで戦っている者たちはさっきから一度もゲッシュ因子を使っている様子もない。使用している武器もBRVではなく普通の、人を殺すための武器だ。
狼は胃の辺りから、吐瀉物が込み上げてくる。それを胃へと無理にねじ込め、狼は前を向く。
だが・・・・
「この人たちと、戦っていいのかな?」
人として当然の疑問を狼が口にした。
その言葉に一瞬、デンのメンバーの動きが止まる。
けれど
「あはっ、狼くんって本当に優しいな。でもね、それじゃあ死んじゃうよ?・・・・どこまでもめでたい事言ってんじゃねーよ。こっちは反吐が出るってーの」
その言葉を口にした季凛は、いつもの高い声ではなく、すごく冷たい低い声だ。
狼は一瞬何を言われたのか、理解出来ずにいた。そのためいきなり抜けた床の底へと、デンのメンバー共々、落とされた。
その頭の中はひどく、ひどく冷めていた。上の方では、季凛の鋭く冷たい侮蔑の目線が狼たちを捕らえていた。




