反逆の始まり5
敵が後退した日から四日ほど過ぎた日。この日の戦闘が停戦し、こちら側の死者が八〇名。向こう側が一〇三名。
初めて、こちら側より向こう側の死者が上回った。その事に、疲労の中に微かな喜びを誰もが滲ませている。
出流はそれを見ながら、仮設小屋の簡易テーブルで配給されたトレ―に乗せられた魚の煮込み料理を食べていた。
出流がいるのは武器倉庫から直線距離にして八〇〇メートル離れた場所にある仮設基地の食堂。その一番奥の壁側に座っている。
「一気にお祭りムードだな」
不意にそう話しかけてきたのは、隣に腰掛けてきたダイチだった。ダイチの怪我は、治療促進剤等の薬により、ほとんど治っている。そんなダイチに突然、話しかけられ出流は目を剥いた。こんな風に話しかけられると思っていなかったからだ。
「もしかして、お喋りは嫌いな方なのか?」
「……いや。別に」
「なら、勝った日くらい笑って話そうぜ」
「勝った日って……別に勝ったわけじゃないだろ」
「そんな小さい事気にすんなよ。俺たちだけで向こうに唾をつけてやったことに変わりはねぇーんだから」
大きな魚の切れ身をフォークで突き刺しながら、ダイチが気楽な表情で笑っている。
ここに来てからすっかり忘れていた懐かしい空気を感じた。
「……ああ、確かにそうかもな」
懐かしい空気に戸惑いながら、出流はそう返事を返す。するとダイチがニヤリと口の端を上げながら、食事と一緒に持ってきたビールを一気にがぶ飲みする。
「おまえ、日本から来たんだろ? 俺も半分は日系だからさ、よろしく頼むな。まっ、一回も日本に行ったことねぇ―けど。どっかに蒸発した親父が日本人だったんだ」
微妙に返答し辛い言葉に、眉を寄せながら「そうか」とだけ答える。けれどそこで、ダイチが燃料の入ったエンジンの様に、聞いてもいないことをベラベラと話し始めてきた。
自分は第一世の因子持ちで、父親とオーストラリア人の母親はデキ婚で、弟が生まれてすぐ離婚した。そして、いつの間にか母親も男作って、父親と同様蒸発して、二歳下の弟と児童相談所に預けられてる時、弟が重い病気に掛かったらしい。
「……そんで、病院代を稼ぐために色々やった結果、ここに辿り着いたってわけだ」
いつの間にか持ってきたビール瓶を片手に、ダイチがしみじみとした声を出す。
「まさに波乱万丈な人生ドラマだな。でも、弟も気が気じゃないだろうな。自分の兄貴がこんな所に飛ばされてるなんて知ったら」
「どうだろうな? 俺は一度アイツを殺しかけてるから」
出流が黙ったままダイチを見ると、ダイチが自嘲を浮かべてきた。
「弟が一〇歳になるくらいだった。あの時の俺はずっと苛々してて、腹立つ度に色んな奴に当たり散らしてた。病気の弟にもだ。だからあの時もいつもの調子で、弟を殴ったり、蹴ったりしてた。手加減を忘れてたんだろうな。そしたら、アイツが急にぐったりして、そのまま児童相談所から病院に搬送されてった。相談員の奴等も、俺を悪魔でも見る様な冷たい視線を送って来たよ。けど、一番自分を怖くなったのは、俺自身だったんだ。ぐったりして、青白い顔の弟を前にして、俺はようやく自分が何をしてたのか、分かったんだよ。目を瞑る度に弟の顔が出て来て、何年かは結構ヤバい状態だったな。けど、そんな時弟が入院してる病院に行ったんだよ。本当にフラッと。そこでベッドの上で眠る弟を見て、このままじゃいけないって思ったんだよ。といっても、碌に学校も行ってなかったし、まだガキだし、やれることは限られてたんだけどな」
話し終えると、ダイチがまた歯を見せて笑ってきた。
「おまえ、凄いな……」
無意識の内に出た言葉と共に、出流が微苦笑を浮かべた。するとダイチが冗談っぽく眉を寄せてきた。
「女受け良い顔でそんな顔すんなよ。俺が惨めになるだろ?」
「こんな所で、そんなこと気にしてどうするんだ?」
「馬鹿。男が女を気にするのに場所なんて関係ねぇーんだよ。さっきここに戻ってくるとき、キアラがお前に熱い眼差しを送ってたぜ?」
「勘違いだろ」
ダイチの言葉を冷めた表情で出流が一蹴する。確かにキアラは、ここ最近自分に懐いているような態度を見せている。けれどそれが好意に直結するはずがない。ここで誰かを信じることは危険な行為だ。
「贅沢な奴だな。あの小柄な体に豊富な胸を持ってて、なお且つ顔も可愛いなんて、なかなかいない人材だぞ? あっ、もしかしておまえ、クラリスの方が好みなのか?」
酔っているのか、やや興奮気味にそんな事を訊ねてくるダイチ。出流はそんなダイチに冷めた視線を送る。けれどダイチは気にしていない様子で、またブツブツ、「確かに、あれも相当な美人だ。足がなんとも言えない」などと言っている。
こいつ、酔うと饒舌になるタイプだな。
冷静な頭でいつの間にか五本目になったビールを飲み干すダイチを見ていた。
「でもな、イズル。俺は思うんだ」
「なにを?」
いきなり話しのトーンを変えてきたダイチを、出流が横目で見る。
「人が笑えなくなったら、それこそ死んでるのと一緒だよな?」
ダイチはその一言を言い終えると、そのまま頭を机につけて寝てしまった。
酔って寝てしまったダイチを宿舎へと運び込む。部屋は雑魚寝形式のワンルームだ。特に指定の場所などはない。来た時には、満員だった部屋も今では、半分以上がいなくなり無駄に広々としている。
自分がいる現実に引き戻されたような感覚がある。先ほどの緩やかな時間が嘘のようだ。冷めた意識がひしひしと自分に伝えてくる。自分はまだあの穏やかな時間に未練が根強く残っている事を。
ここでそこに未練を感じてはいけない。未練があれば望んでしまう。望まずにはいられない。
自分はまだあの穏やかな時間を取り戻せるんじゃないかと。無意識に出流は自分の口許を抑えていた。
無意識に出た笑みは、自分の本性で考えの甘さだ。別にダイチが悪い奴だとは思わない。考えだって否定しない。けれど、信じる事に臆病になってるのも事実だ。
強くなるためには、甘さを捨てないといけない。
情を持てば持つほど自分が苦しくなる。だからこそ、少年兵を見ていたキアラに釘を刺したんじゃないのか? それなのに、自分がこの様でどうする?
自分自身に腹が立つ。
少し冷静になりたくて、出流は雑魚寝部屋から出て二〇〇メートルほど先にある貯水湖の縁まで来た。辺りは夜の静寂に包まれ、空には雲がなく星と満月が光り輝いていた。その光が水面に反射している。
自然が作り出す幻想的な光景を見ていると、昼間の凄惨な光景が別世界のようだ。
自分でも思っていた以上に、意識が落ち着いている。
「ササクラか。ここで何をしている?」
「特に何もしてない」
後ろからやって来たクラリスに、肩を竦めた。
「水辺で一人、物思いに耽るタイプには見えなかったんだがな?」
「こんな所まで嫌味を言いに来たのか?」
「まさか。私は本心を言っているだけだ。他意はない」
つまり本心で、人を小馬鹿にしているということだろうか? 出流はそう思いながら、やや眉を寄せる。
隣にやってきたクラリスの髪が、水面と同じ様にキラキラと光っている。そんな髪をクラリスが片耳に掛け、真面目な表情で口を開いてきた。
「君には幾つか訊ねたいことがある」
「何だ?」
「身体に回る疲労の速さをどう思っている?」
クラリスの言葉に出流は、はっきりと表情を曇らせた。
「……異常だ」
それこそ、誰かしらの工作が働いているとしか思えないほどに。出流に質問を投げたクラリスが一息つく。
「だろうな」
予想していた答えを聞く様に、クラリスがあっさりと頷いてきた。
「つまり、お前はその原因について知ってるんだな?」
「無論だ。ササクラは憶えてないか? 最初にここに来る前に指揮官が我々に言ったことを?」
そう言われ、出流はここに来た時に言われた指揮官の言葉を思い出す。
「連携を取るようにと、不審な奴がいたら報告しろって言ってたな」
自分でそう言いながら、浮かび上がって来た可能性に身体が凝固した。
「まさか……!!」
愕然とする出流に、クラリスが頷き返す。
「この小隊編成には、トゥレイターに入り込んでいるスパイを炙り出すことにある。むしろ上に取っては、武器倉庫の死守よりもそちらに重きを置いている。だから、治療薬の中に、因子の熱を抑制する効果がある液体も混ざっているらしい。けれど、それを知らない者たちは、いつものように因子を使う。そうすれば当然、身体にかかる負担が大きくなるのは明白だ」
ずっと感じていた謎のからくりを聞かされ、出流は唖然とするしかない。このトゥレイターという組織を信じてるわけではないし、自分たちの利益のために動くことも分かってる。
けれど、まさか自分の体内にそんな仕掛けをされてるとは思わなかった。
「どうして、お前がそんな事知ってる?」
出流がそう訊ねると、クラリスが苦笑を溢してきた。
「気分良くなると、不必要なことまでしゃべり出す男がいてな。その男から聞き出した」
「……なるほどな」
クラリスもキアラ同様に、自分の伝手から必要な情報を得ていたらしい。
「けど、そしたらこんな風に、この話がスパイの耳に入るのも時間の問題じゃないのか?」
「入るだろうな。だが知った所で治療薬に混ぜられているものを、どう拒む? 不自然に拒めば、それは自らスパイだと認めてるような物だ」
これもまた納得できる理由だった。
出流が黙ったまま、クラリスから聞かされた事を頭の中で、整理しているとクラリスが口を開いてきた。
「そしてこれを聞いたササクラに、もう一つ訊いておく。……私たちを信じられるか?」
モーブ色の瞳で、真っ直ぐに自分を見つめてきたクラリスの言葉に出流は、声を絞り出して答える。
「正直、断言はできない」
只でさえ人を信じる事が嫌になっている自分だ。この事実を聞いて、絶対にクラリスたちを疑わない自信はない。
「無理もない。だが、私は君を信じる。勿論、他の二人のことも」
クラリスは、そう言うと出流の肩を軽く叩いてその場を去って行った。
そしてそれから事態が急変したのは、クラリスと話した三日後だった。
戦闘が終わった深夜。出流たちは、仮設基地の指令室に集められていた。指揮官である男は、目を鋭く細め、怪訝な表情で自分たちを見回している。
そしてそれが終わると、正面に視線を戻して口をひらいた。
「君たちには黙っていたが、この中に敵のスパイが潜伏している」
淡々とした指揮官の言葉に、騒ぐ者はいない。この中にスパイがいるという話は、戦闘員の中で水面下に広まっていた事実だ。
指揮官は話を続けた。
「そして、そのスパイが一向に顔を出さない……。その報告すら上がって来ない……。この事実は我々としても看過は出来ない。病原菌を腹の中に納めていては、動く身体も上手く機能しなくなってしまう。だから、我々はこう決めた。これより、随時、君たちに尋問を行って行く。なに、君たちが身の潔白を素直に出してさえくれれば、すぐに終わる。安心して欲しい」
指揮官の男の目に、狡猾な色が宿り、まず一人目の名前を呼んだ。
指揮官と複数名の男と共に、名前を呼ばれた戦闘員が別室へと入って行く。自分の順番が来るまで、他の戦闘員にはこの場所で待機命令が出ている。
戦闘直後のこの時間で、しかも別室との壁は薄い。誰もが予想していた通り、少し時間が経つと、別室からはあからさまな怒声と殴られ床に倒される音が響き始めた。
ボコボコに顔を殴られた男が指揮官の部下たちに抱えられ、部屋から出てくる。明白な脅し。恐怖などはない。その代わりに理不尽さへの噴怒ある。今すぐにでも男たちへと銃口を突き付けて、その頭を打ち抜きたいほどだ。しかし、それは出来ない。出流たちの腕には、体内の因子を勝手に放出してしまう装置が嵌められているからだ。
そして時間が経つにつれ、尋問による死亡者が出始めてきた。
当然と言えば当然だ。命からがらに帰還したと思ったら、治療も受けられず、この尋問に入ったのだから。
「私たち、このまま殺されちゃうのかなぁ……?」
弱々しい声でそう呟いたのは、目の下に疲労の濃い隈を作っているキアラだ。キアラは数少ない情報操作士として、戦闘が終わった後も寝る間も無く、敵の動きを傍受させられ戦闘員以上に酷使されていた。その結果だ。
キアラは怒鳴り声に、時々聞こえる威嚇射撃に、懇願し叫ぶ声に肩を震わせていた。
「怯えるな。おまえが怯える必要はどこにもない」
出流が一言そう言うと、キアラが驚き混じりの顔で出流の顔を見てきた。
「おまえは貴重な情報操作士だ。それに、他の情報操作士よりも実力が高い。なら無闇におまえを尋問でなぶり殺しにする事にメリットはない」
おまえがスパイでない限り……。
ふと頭によぎった言葉を、喉の奥へと押し込める。出流の言葉を聞いたキアラが微かな笑みを浮かべる。けれど、その笑みは次の瞬間に起きた女の叫ぶ声で消されてしまう。
けれどそんなキアラよりも気になるのが、自分の右隣にいるダイチの方だ。
隣にいるダイチは、どこか上の空のような表情をしながら、身体はソワソワと落ち着きがない。手を握ったり開いたり、足を揺らしている。
「……おい、どうした?」
怪訝な表情で出流がダイチに訊ねる。するとダイチの隣にいたクラリスも合わせて、出流とダイチの方に視線を向けてきた。
「あっ、いや……何でもない。気にするなよ」
一瞬、動きを止めたダイチが出流へと笑みを浮かべる。だがその笑みに、怪しいぎこちなさが出ている。
「おまえ……」
出流がそう言った瞬間に、三〇人ほどの人間を尋問し終えた指揮官の男が戻って来た。
「今日はここまでにする。残念なことに今日の尋問ではスパイは見つからなかった。続きは明後日に行うとする、以上。もし明日などに怪しい人物を吊るし上げられれば、我々もこのようなことをせずに済むということを……肝に銘じて欲しい」
男がそう言って、両手を後ろで組み指令室を複数の男たちと共に後にしてきた。
指揮官たちが去り、腕に嵌められた装置を外された戦闘員たちが、一気に脱力する。精神的な追い込みは、恐怖や怒りに叫ぶ気力さえ奪っていた。
落ち着きのなかったダイチが少し足早に、指令室を立ち去っていく。
「おい、待て……」
立ち去るダイチを出流が追おうとすると、キアラが震える手で、自分の腕を掴んできた。出流がキアラの方に視線を向けるが、キアラは疲れ果てた顔で正面を向いたままだ。
「オニールを部屋まで送ってやれ。それから……三日前の所で」
クラリスが出流の耳元にそう言うと、他の戦闘員と同じ様に指令室から出て行く。出流はそれを見送ったあと、呆然としたままのキアラを部屋の方へと連れて行く。
歩いている間、キアラは口を開かない。無言のまま出流の腕の裾を掴んでいるだけだ。そのため、出流も口を開かず、先ほどのダイチの様子について思考を巡らせた。
さっきのダイチの行動は、かなり不審だった。ここ最近は、自分が遊撃役として先行することが多かったため、戦闘中のダイチの状況は知らない。いや、ダイチだけでなくクラリスやキアラの状況も分からない状態だ。
その事に不愉快感を感じながら、キアラを女子が使う宿舎の前にやってきた。
「ここで、良いな?」
視線を俯かせたままのキアラに声をかける。けれどキアラが掴んだままの服を離そうとはしない。
「おい、まだ何かあるのか?」
訝しげな視線で出流がキアラを見る。キアラの暗澹な瞳と目が合う。するとキアラがまるで縋りつくように、出流に抱きついてきた。そして囁くような声音で口を開いてきた。
「ねぇ、イズル。このまま私たちだけで逃げようよ。ここから」
「何言ってるんだ?」
「だって、このままじゃ私たち殺されちゃうもん。さっきのアイツ等の顔見たでしょ? アイツ等、スパイを見つけ出せれば、それだけでいいのっ! 私たちの命なんて、あいつらにとってはゴミみたいなものなんだから!! でも、私は、ゴミじゃない! 死にたくない! そうでしょ!? 私は自分で死を選ぶような弱虫じゃない! だって、そしたら今まで堪えてきたことが、全部無駄になる! そんなの嫌っ!」
感情の堰が外れたキアラが、ライラックの瞳から涙を流し嗚咽する。疲れ果てた表情で泣きじゃくる姿に、出流は眉を寄せる。
心が痛まないと言ったら、嘘になる。キアラが言う様にこんな所で一方的に殺されるのも御免だ。けれど……ここで逃げた所で、自分たちに行く場所なんてあるはずがない。
表情を曇らせた出流に、キアラが再び口を開く。
「それに、クラリス・ハイドの所には行かない方が良いよ。あの人の言葉に耳を傾けてたら、良い様に使われて、見殺しにされるだけ」
「おまえは、アイツが向こうのスパイだって言いたいのか?」
キアラがゆっくりと頷く。
「間違いないよ。だって、私、見たんだから。クラリス・ハイドの経歴を。あの人の情報にだけ何重もパスワードロックが掛かってた。もうそこで変じゃない? 他の戦闘員の情報には何の鍵もつけられてないのに、あの女にだけ掛かってるの。結構、頑張ったんだよ? それで分かったのが、クラリス・ハイドが国際防衛連盟にいたってこと。しかも自分から国際防衛連盟を去ってる。あはは。本当に可笑しい。向こうにいたら、この組織がどんな所なのか知ってるはずでしょ? それなのに、ここに来るの? おかしいよ。頭がイカれてる」
キアラが湿ったままの声で笑ってきた。
「きっとダイチもあの女に何か吹き込まれたんだよ。あーあ、可哀想。あの女の言葉に耳を貸すから、巻き添えにされるんだよ。ほんとうに馬鹿だなぁ」
泣きながら笑い続けていたキアラが、一瞬身体の動きを止める。
「だから、私はダイチのことも、あの人のことも信じない。絶対に……」
キアラの独白を聞きながら、出流は身動きが取れなくなっていた。
自分は、誰のどんな言葉を掴めばいい? どれが真実の情報で、どれが虚偽の情報なのか。まったく分からない。思考が混乱する。
「イズル、私を信じて……。私は嘘なんて付かないから」
目を赤く腫れさせたキアラが、念の押しするように言葉を重ねてくる。
しかし、キアラの言葉に頷く事はできなかった。
何故、頷けないのか考えた時、出流の脳裏に浮かんだのは、自分たちを信じると言い切ったクラリスの顔だった。
そのとき、混乱する自分の中に一つの望みが生まれていたことを自覚する。
「おまえの気持ちは分かる。誰かを信じて痛い目なんて遭いたくない。けど、俺は誰かに自分の行き先を決められるのは御免だ。だから、俺はおまえと逃げることはできない。……悪いな」
出流の言葉に怪訝そうな表情を浮かべるキアラ。
「どうして? 私たちだけなら、きっと逃げられるよ。それなのにどうして?」
必死に縋りつくキアラに首を振るしかできない。
自分の望みを口にしたうえで、キアラにそれを強要することはできない。強要になんの意味もないことは分かっているからだ。
けれど失望の色に染まるキアラに何の言葉を掛けなかったことを、出流はひどく後悔した。




