表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
390/493

彼との記憶3

 自分の正面にいるエレナは、操生が臆するとでも思ったのか、やや意外そう表情を浮かべている。けれど、その瞳には克明な闘志が燃え上がったままだ。

「わかりました。良いでしょう。私は何処の馬の骨か分からない貴方に、ジェイドを渡すつもりありませんから。対決は何時に行います? 私としては今からでもまったく問題はありませんが」

「別に私だって、構わないよ。場所さえ決まれば」

 操生は闘志を燃やすエレナに涼しい顔で答えた。そんな自分の態度にエレナは面白くない表情を浮かべている。

「場所なら、すぐに用意できます」

 強気な口調で一言そう言い切ると、エレナが誰かに連絡を入れ始めた。それを見るジェイドは、困ったよう様子で額に手を当てている。

 エレナが通信を切ると、操生へと向き直って来た。

「対決場所の準備が整いましたので、さぁ、行きましょう」

「場所は?」

「ご安心を。私についてくれば分かることですから。それに場所に近づけばジェイドも分かると思います」

 操生に答えながら、エレナがジェイドに向かってにっこりと笑う。むかっ。

 つまりエレナが指定した対決場所は、ジェイドと自分の思い出の場所ということだ。

「これは、まさに杜若への牽制だな」

 話を聞いていた左京が胸の前で腕を組みながら小さく唸っている。

「まっ、勿論そうだよね。彼女にとっての私は婚約者を奪った女なんだから」

「確かにそうだが……いや、むしろどうしてジェイドも昔の女性を綺麗に清算してから、杜若と付き合わなかったのか? 私にはそれが謎だ」

「ああ、それは彼が誰かに伝言を伝えることなく、お化けの様に家から消えてしまったからじゃないかな?」

「杜若には済まないが、そんな理由では私は納得しない。むしろ、一番迷惑が掛かってしまいそうな婚約者エレナに、「僕の事は諦めてくれ」とか一言、言うべきだったんだ。そうじゃないか?」

「私もそれは思うよ。けどね……あの時の彼女の様子を見ると説得するには、かなりの時間が掛かるんじゃないかな? と思うよ」

 当事者である自分よりも憤っている左京に、操生が肩を竦めさせる。

 確かに左京が言う様に、エレナとのことを清算してくれていればと思うが……当時でさえ、今の左京のように憤っては居なかったと思う。

 多分、ジェイドの気持ちが自分にある以上、自分がエレナよりも優勢であることを確信していたからだとは思う。

 別の言い方をすれば、あの時の操生には余裕があったということだ。家公認の婚約者が現れようと。

「それで、結局……杜若たちはどんな方法で決着をつけたんだ? まさか、一人の不誠実な男のために刃を交えたわけではないだろ?」

 どうやら、左京の中でジェイドは不誠実な男の称号を得たらしい。

「まさか。刃なんて交えないよ。彼女は一応因子持ちだったけど……優れてる分類ではなかったからね。きっと武器を取るなんて毛頭考えてなかったと思うよ」

「では、どんな戦いを繰り広げたんだ?」

「女のバトルといえば料理……あとは、刺繍、バイオリン……」

 思い出しただけでも、操生の口からは溜息が溢れる。

「苦戦、したんだな?」

 溜息から自分の気持ちを汲み取った左京に、操生はゆっくり頷いた。

 エレナが操生とジェイドを引き連れて行った場所は、ニューヨークの中心地であるセントラルパークの近くにある一流ホテルの一室。

 広々とした室内。天井にまで届く大きな窓。白を基調としたエレガントな内装に、豪華なシャンデリア、そして高価な調度品。

 内装からして、高級スイートルームであることに間違いはない。けれどエレナは、ここのルームキーをロビーで受け取ることもなく、ポケットの中から鍵を取り出し、部屋にはプライベートな写真が飾ってある。

「ここは私の別宅です。ジェイドと共にニューヨークに来た時は、よくここで過ごしていました」

「へぇ……こんな素敵な部屋で一体どんな過ごし方をしていたんだろうね? うん、実に興味があるよ」

 澄まし顔を浮かべるエレナを見てから、ジェイドに目を細める。

「いや、別に操生が考えているようなことはないよ。そんなに頻繁にニューヨークに来てたわけじゃないからね。ここに来たのも三回くらいだよ」

 三回もあれば十分だけどね。

 操生はそう思いながらも、それを言葉にするのは止めておいた。

 きっとここで、ジェイドと言い争いを始めればエレナがここぞとばかりに煽ってくるのは明白だ。だからこそ、操生はあっさりとした態度でこの話を流すことにした。

「じゃあ、早速だけど……勝負を始めようよ。立ち話をするためにここに来たわけじゃないんだからね」

「それもそうですね。ではこちらへ……」

 澄まし顔のエレナが操生を部屋の奥にあるキッチンの方へと案内してきた。

 奥に会ったキッチンの台には、もうすでに食材が用意されていた。

「薄力粉、強力粉、バター、グラニュー糖、牛乳、卵、ブルーベリー……」

「これでジェイドの好きなブルーベリーパイを作りましょう」

「ブルーベリーパイ……?」

「あら? ブルーベリーパイはご存知ありませんか?」

「いや、ブルーベリーパイくらい知ってるよ」

「なら問題ないですね」

 にっこりと笑ってきた笑みに、悪意を感じる。正直、ブルーベリーパイなんて作ったことがない。とはいえ、勝負を受けた相手の前で料理本を開くというのも癪だ。

 ここは、センスで乗り切るしかないね。

「とこう思った私は、初めてのブルーベリーパイに臨んだわけだよ」

「随分と無謀なことをするな。それまでお菓子作りの経験は?」

「料理は経験豊富なんだけどね……お菓子はまるで経験がなかったよ」

「料理とお菓子だと、少し勝手が違ってくるからな」

「そうなんだよ。でもあの時の私はそう思わなかったんだ」

 あの時に作ったパイは、自分でも最悪な出来だったと思う。

 まず、パイ生地は材料の分量を間違えた所為で上手く膨らまず、二度焼きしたら案の定焦げた。しかも生地の欠片を試食してみたら、目分量で入れた塩が効き過ぎてしょっぱくなってしまったのだ。

 作り直すことも考えたが、操生は材料の正しい分量を知らない。だからやり直したところで失敗策を増やすだけだ。

 操生はこのとき、お菓子作りの難しさを痛いほど思い知った。普通の料理なら少し味見をしながら調整はできる。けれどお菓子は途中で味を見る事もできなければ、分量の比率が少し違うだけで、完成の善し悪しが大きく変わってしまうのだ。

 隣で自分と同じくブルーベリーパイを作っているエレナは、手慣れた様子で生地を焼き、生地の上に乗せるカスタードクリームを作り終えている。

 時間がない。

 よし、ここは生地の不味さを少しでもカバーできる美味しいカスタードクリームを作ろう。

 そうだ、ちょっと苦しょっぱい生地も大人の味にしてみたと言って、誤魔化そう。

 操生は目の前にあるカスタードクリームの材料を前にして、硬く決意した。

「まずは牛乳、砂糖、卵、薄力粉を混ぜるとして……」

 少し盗み見していたエレナのカスタード作りを頭に思い浮かべながら、牛乳と砂糖、卵黄を混ぜて、そこに薄力粉をふるいながら入れて行く。

 すると少しだけ滑らかになってきた。中々良い感じだ。

 よしよし、ここでバターを投入するんだろうけど……バターは溶かして入れた方がいいのかな? さっきエレナがカスタードを入れてる際に、レンジを使っていたはずだ。

 そのため、操生はバターをレンジで温めて液体状になったバターをさっき混ぜた物の中に入れる。そしてあとはバニラエッセンスで香り付けするだけなのだが……このとき、操生は痛恨のミスを犯していた。

 あれ、なんかクリームが彼女のよりべちょべちょしてるような……初めて作ったカスタードクリームに違和感を感じながらも操生は、そのカスタードクリームを生地の上に流し、ブルーベリーを乗せて、表面に卵黄を塗りオーブンへと入れた。

 初めてにしては、上出来、上出来。

 オーブンで焼かれるパイを見ながら、操生が満足な笑みを浮かべる。

 しかしその間に、エレナのパイが焼き上がっていた。オーブンから取り出したパイはケーキ屋やカフェで出て来てそうな程の綺麗な仕上がりで、焼き立ての甘い香りがキッチンに充満する。そして憎い事に、エレナは包丁でさくっという音を上げるパイを均等に切り分け、いつの間にか用意していた生クリームとミントを添えている。

 素人相手に、まったく容赦がない。

 目の前に置かれているパイの完成度に焦りを感じる操生を余所に、エレナがティーカップに紅茶を注ぎ始める。

 これはもう……

「完敗だな」

「まさにね。彼女の後に私のを食べたからね……かなりの衝撃があったと思うよ」

 なにせ、焦げた生地は硬く……やっと切れた生地の中からは、液体に近いカスタードが溢れ出して来て、かなり悲惨なブルーベリーパイだったのだから。

「操生は初めて作ったんだから仕方ないよ」

 フォローを入れて貰えるのは有り難いけれど、紅茶で自分の作ったパイを流し込むのは辞めて欲しい。

 肩をがっくりと落とす操生を余所に、エレナが小さくガッツポーズを決める。

 そして、料理対決の次にやったのは音楽対決。

「貴方は何か嗜んでいる楽器はありますか?」

「嗜んでる楽器ねぇ……」

 やったことあるとしたら、巫女神楽でやった管楽器系だろう。けど、ここで篳篥ひちりきとか、竜笛りゅうてきとか、鳳ほう笙しょうとかいっても伝わらないだろう。かといって小学校、中学校で習ったリコーダーや鍵盤ハーモニカとも言えない。

「……フルートかな」

 考えた末に操生は横笛である竜笛に近いフルートを答える。するとジェイドが目を輝かせて、その話しに乗って来た。

「操生がフルートを吹けるなんて思いもしなかったな。是非、聴きたいよ」

「失礼ですが、少し意外でした。まさかフルートを嗜んでるなんて」

 敵であるエレナも本当に感心しているような顔をしている。

 こんなにも好感触を得られると思わなかっただけに、操生は内心でしまったと思った。

「本当にしまっただな。確かに基礎的なことは一緒だが、竜笛とフルートでは楽譜なんかも違うんじゃないか? 私はそんなに詳しくないが……」

「まったく違うね。だから音が出せたとしても、曲なんて吹けるはずがない」

「では、不戦敗か?」

「まさか。不戦敗なんてするわけないよ」

「曲が一つも吹けないのに?」

「そうだよ。私が吹いたのは浦安の舞。勿論、私オリジナルのバージョンだけど」

 操生がそう答えると、左京が呆れた溜息を吐いてきた。

「つまり、適当に音を鳴らしたものを相手が分からないことを良い事に、神楽で使用される局名を言ったわけか」

 呆れる左京に操生は、乾いた笑いを返した。

「けど、あの場を凌ぐにはその嘘を言うしかなかったんだよ。たとえ後で暴かれる嘘であったとしても」

 エレナが見事な腕前で情熱的に演奏をしていたのに対して、操生は出鱈目な音を出して応戦する。一応、綺麗な音は出せたことは幸いだった。

 操生が用意されたフルートを吹き終わったあと、エレナが猜疑の目を向けてきたが、操生は涼しい顔でその視線に答えた。

 内心はかなり動揺していたけれど。あと良心もかなり痛んでいた。とはいえ、もう後には引けない。

 それからも、手の平サイズの布に簡単な刺繍をしたりもしたが、それらも操生の完敗だった。

「操生、大丈夫かい?」

 初めての事だらけに、ぐったりとソファーに座り込む操生にジェイドがそう声を掛けてきた。気づけばもう夕飯時をとっくに過ぎた時間になっている。

 自分と対決したエレナも自分ほどではないにしろ、疲れた様子だ。

「エレナ……もうこんな対決は止すんだ」

 ジェイドが溜息を吐きながら、エレナに静かな声で諭す。けれどエレナはその言葉に首を振った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ