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決意3

 次の日も誠は左京の家で道場前の稽古をする予定になっていた。

 昨日の考え事もあってか誠は少し早めに目を覚ました。

 早く行ったりしたら、左京の家に迷惑だろうか? 

 時計を見ながらふと考える。約束の時間はあと約一時間後だ。左京だったら起きてる気もするが……もしかしたら、まだ朝食を取っているかもしれない。

「どうするか?」

 誠は迷った挙句、少し早めに左京の家へと向かった。

 もし早そうであれば、家に引き返せば良い。

 そんな事を考えながら、誠が左京の家の塀の側を歩いていると、中から木刀と木刀がぶつかり合う音が聞こえてきた。

 右京とでも打ちあっているのだろうか? 誠がそう思いながら、門の所からそっと庭の方を覗き見る。するとそこには、打ち合いをする左京と椿の姿に詰まらなそうな表情の右京……そして輝崎の次期当主である真紘の姿があった。

 一瞬、胸が大きく鳴って誠は慌てて門の影に隠れる。いや隠れなくとも、左京たちには自分の姿は見えていないだろう。

 心臓が嫌に大きく脈打っている。それにも関わらず体温は一気に下がったようなそんな錯覚に襲われる。

 まだ待ち合わせの時間にはなっていないし、時間が変更になったことも聞いていない。

 何故……?

 誠が表情を大きく歪める。するとそのとき、一際大きな木刀の衝突音が響いた。誠は反射的に門からそっと、そちらを向く。

 どうやら、椿の木刀を左京が叩き落とした音らしい。

 その様子を見ながら、真紘が真剣な眼差しを向けながら頷き……左京たちと何かを話している。誠はそれをどこか遠い場所の情景に見えた。

 自分が今どこに立っているかも分からない。

 誠は奥歯を噛み、そのまま逃げるように蔵前の家から立ち去った。もうあの場にいることが嫌で嫌でしかたなかった。ひどく自分が惨めに思えて、どう仕様もなかった。

 家に帰ると、どこかへ出かける様子の出流と鉢合わせしてしまった。こんな時に最悪なタイミングだ。

「誠、おまえ……何かあったのか?」

「……出流には関係ない」

 戸惑いの表情を浮かべる出流に素っ気なく答える。誠としては、こんな惨めな自分を誰かに見られたい気分ではなかった。

 早くどこかへ行って欲しいとさえ思う。

「何かあったんだろ? 変に意固地になるなよ」

「意固地になんてなっていない!! 私を分かったような口をきくな!!」

 気づけば怒りのままそう叫び、誠は出流の制止も聞かず部屋へと駆け昇っていた。

 頭の中では、さっきの光景がぐるぐると回っている。

 惨めだ。ひどく惨めな気分で仕方ない。何故、あそこに輝崎の次期当主がいて、左京と椿が二人だけで打ち合いをしていたのか?

 何故、自分には何の連絡もなかったのか?

「一緒に懐刀をやろうと言っていたのに……」

 誠は部屋で両膝を抱えながら、肩を震わせて涙を流す。

 ああ、きっと昨日、左京の言葉に引っ掛かりを感じたのは……左京が自分とではなく椿と一緒に懐刀をやりたいのではないか? と感じたからだ。

 椿は身体に病気を抱えていると言っても、自分より強い。目に見えた事実だ。だから、心のどこかで、危機感を感じていたのかもしれない。

 どうして、こんなに練習をしているのに、自分はあの二人に劣ってしまうのだろう?

 私は何がいけないんだ?

 八時を過ぎたあたりに、何度か家の電話が鳴る音がした。もしかしたら、左京からかもしれないと思った。そう思うと、誠は自然と耳を手で塞ぐ。

 聞きたくない。もう、自分のことなんて放っておいて欲しい。

 誠は強くそう思う。

 すると電話に気づいた女中の一人が受話器を持って、誠の部屋の前にやってきた。

「お嬢様、蔵前のお嬢様から電話です」

 やっぱりか。

「……少し立て込んでいると言ってくれ」

「よろしいのですか?」

「構わない」

 誠は淡々とした声音でそう答えた。今、電話越しとはいえ、左京の声を聞きたくはなかった。

 女中が去ったあと、誠は畳の上に寝そべる。

 自分は今まで何のために頑張って来たのだろうか? 私は、ただ父のように成りたかっただけじゃないのか?

 自分でも気づかない内に、自分の夢に左京と二人で懐刀になるという項目が増えていたのかもしれない。けれど、それはこんなにも脆いものだった。

 誠の目から再び涙が溢れ出る。それから、数時間ずっと泣いていた。

 そして気づけば誠は眠りの中に入っていた。とはいっても、何の夢も見ず、意識は真っ暗の中だ。

「……ま……誠……誠、誠」

 誰かに名前を呼ばれて、はっと目が覚める。目を開くとそこには今朝、左京と打ち合っていた椿の姿があった。

「椿……どうして?」

「誠が体調悪くて寝てるって聞いたから」

「えっ。誰から?」

「誠の弟君から。左京が電話に出ない誠を心配して、訊いたみたい。ちなみに左京は何か食べられそうな物を買ってからくるって」

「……そうか。済まない。心配、かけてしまった……」

 口ではそう言ったものの、誠は椿と視線を合わせることができない。ただ、幸いなことに自分の余所余所しい態度は、不審に思われていないようだ。

 もしかしたら、体調が悪い所為だと思っているのかもしれない。

 後ろめたい気持ちはある。けれど今は泣いた事を気づかれなかったことに安堵する気持ちの方が強い。

 誠が何を話せばいいのか分からず、俯いていると……

「佐々倉、体調はどうだ?」

 買い物袋を下げた左京がやってきた。

「ああ、さっき少しだけ寝たから大分良くなった」

 左京の言葉に返事しながら、誠は頭を鈍器で叩かれているような錯覚に襲われる。ほとんど無意識に手で頭を抑えていた。

「佐々倉、頭が痛むのか?」

「あ、いや、大丈夫だ……きっと布団も敷かずに寝てしまったから、その所為だと思う」

「そうか。なら良いんだが。体調が悪いながらしっかりと身体を休めとかないと駄目だぞ? 体調管理は大切だからな」

 左京の言葉に誠は、口を噤んだまま頷いた。左京の表情からは自分を気遣っているのが分かる。誠は自分の中にある、ドロドロとした気持ちと申し訳なさが撹拌して、再び涙が溢れ出そうになる。けれど、ここで泣くわけには行かない。泣いてしまったら、もう自分の気持ちを胸中に抑え込むことは出来なかっただろう。

 幸いにも、左京と椿は買ってきた物を置いて、誠に一言、二言の言葉を掛けて帰ってくれたことだ。

 誠は立ち上がり、襖に仕舞ってある布団を引っ張りだしてそれに(くる)まって目を瞑った。けれど、自分の中にある醜い気持ちが内側で暴れて、上手く寝付けない。

 大切な友人に嘘をつく自分がひどく見苦しい。心配してくれた出流に八つ当たりした自分は、見っともない。

 こんな自分が、左京と肩を並べられる立派な懐刀になれるはずがない。

 誠は歯を喰いしばりながら、噎び泣いた。

 ようやく、涙が止まったあと誠は今迄に感じた事がないほどの脱力感に襲われた。涙と一緒に色んな物が流れ落ちたような感覚だ。

 脱力感に襲われながら、誠がゆっくりと身体を起こし、自分の手の平を見つめた。

「今日は一度も素振りをしなかったな……」

 ぼそりと呟きながら、誠がゆっくりと立ち上がり部屋の隅に置いておいた木刀を掴んだ。

 どんなに愚かな自分だとしても、身体に沁みついた習慣を変えることはできない。それに、鍛練用の木刀だとしても、握った感覚はほんの少しだけ、自分の気持ちを落ち着かせてくれた。

 誠は下に居る者にできるだけ気づかれないように、物音立てず階段を降りた。玄関先を見ると、まだ出流は帰ってきてない様だ。

 誠は小さく息を吐く。

 出流にも悪いことを言ってしまった……。

 謝らなければと思うが、今の自分がちゃんと謝れるか不安なところだ。誠は再び溜息を吐いて、家の庭先に出た。

 もう空は夕方から夜になりかけており、雲が藍色に染まっており、星も出ていた。

 誠は木刀を握りしめ、素振りを始めた。木の刀が空気を切る音がいつもより大きく聞こえる。ただ上段から振り下ろすだけでなく、下段から斜めに切り上げる動作や、横に払う動作、刺突の動作を連続して行って行く。俊敏にして丹念にその動きを何度も何度も繰り返す。

 誠の額から汗が浮かぶ。吐く息も熱を上げて行く。

「体調不良なのに、そんなに動いて大丈夫?」

 不意に掛かった言葉に誠は動きを止め、目を丸くした。

 視線の先に居たのは、微苦笑を浮かべる椿だった。


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