獣の雄叫び
端末に表示されているGPS機能で、アレクたちの所在は判明している。
場所は基地の西部。基地の統括本部が設置されている区画だ。
宿舎近くの倉庫にあった軍用車を使い、ジョージと共にそこへと向かう。
「まさか、こんなに早く計画が進むなんて思いもしなかったぜ」
車のハンドルを握るオースティンが、したり顔を浮かべる。そんなオースティンに助手席に乗り込んだジョージが片目を眇めさせてきた。
「自分の知り合いが掴まってるっていうのに……呑気過ぎないか?」
「安心しろ。奴等はタフだからな。そう簡単に実験の餌食にはならないだろ? 実験の順序的にまず、因子持ちの体内から因子を抽出する方が先だろうから、ロビンたちの身体に実験器具がつけられるのは、その後だろうよ。むしろ、奴等がこっちの撒いた餌に引っ掛かってくれたのが良かったな」
「けど、向こうだってこっちの罠に引っかかったと思わせる魂胆だってあるかもしれないんだぞ?」
「それは、ないな」
きっぱりとした口調で、オースティンが言い切る。すると疑り深い性格のジョージが眉を潜めさせて来た。
「根拠はあるのか?」
「当たり前だろ。餌の中には凄い大物がいるんだ。それこそゲッシュ因子の起源とされてる家系の奴がな」
リリアたちにとっても、想定外だったはずだ。フラウエンフェルト家の血族である、リーザがここにいることは。リリアたちが今のトゥレイター内部の状況をどこまで関知しているかは、わからない。しかし実験への感心しか持ち合わせていないリリアからすれば、そんなことはどうでもいいのだろう。ただ彼女の目に映っているのは、目の前の実験のことにしかない。
「ゲッシュ因子の起源か。それなら俺も少し聞いたことがある。確か……北欧の方にいる昔は王族だった家系だろ? 昔、迫害を受けて首都の郊外からラップランドの遠地に追いやられたって」
「よくそんな事まで知ってたな。結構、マイナーな話だと思うぜ?」
オースティンが鼻を鳴らして、ジョージが持つ知識の広さに感心する。
フラウエンフェルトという名前は上がらなかったものの、そう簡単にネットで調べて出てくる話でもない。きっと相当な数の文献やらを読んだのだろう。
しかしオースティンを感心させたにも関わらず、ジョージが少しばつの悪そうな表情を浮かべて来た。
「子供の頃から調べてたんだ。ゲッシュ因子のことをな」
「ガキの頃から、因子持ちに敵対してたのかよ?」
「……何で、そうなる?」
「敵の弱点を知るために、調べてたんじゃないのか?」
「違う」
冗談抜きのオースティンの言葉を、ジョージが首を振って否定した。もし、ここでジョージが不貞腐れたような顔をしていたら、オースティンは疑問を抱かなかっただろう。
しかし今のジョージが浮かべている表情は、自分自身を揶揄する微笑を浮かべていた。何故、こんな表情を浮かべているのか、オースティンに窺い知ることはできない。
「きっと、俺が奴らの計画を阻止しようとしてる話はロビンから聞いたんだろ?」
「ああ、聞いた」
「つまり、俺の母さんのことも聞いたか?」
ジョージの言葉にオースティンが頷く。すると、ジョージが短い沈黙のあと、息を吐き出すように口を開いてきた。
「俺はあの事件が起こる前まで、ゲッシュ因子って奴に憧れてた。子供の頃なんかは、それこそ……自分の努力で手に入るもんだと思ってた。まぁ、調べて行く内に、後天的に身に付くもんじゃないってことは分かったけど。けど俺は知れば知るほど、因子って奴の力に憧れた。けど、そんな俺の気持ちを粉々に打ち砕いたのが、あの事件だ。犠牲になった母さんは、父さんと同じ部隊に所属してた。どちらかといえば、母さんは実験に否定的だったけど、上からの命令で実験に参加することになったんだ」
「誰がどう考えたって、危険な実験だ。お前や親父は止めなかったのか?」
「止めた。因子に憧れてた俺でさえな。けど……母さんは、俺が裏で因子のことを調べてること、俺が望んでることを知ってたんだろうな」
「……できた母親だな」
オースティンは思わず、そう口にした。
危険な実験だと承知した上で、ジョージの母親は与えようとしたのだ。息子に一縷の望みを。
そしてその事をジョージ自身も分かっているからこそ、激しい悔しさと後悔に襲われている。
ジョージが口に出して言わずとも、歯を食いしばってる様子から簡単に、想像がついた。
「おしゃべりの時間は終わりだな。乗り込むぞ」
オースティンたちの前には、統括本部ということもあってか、一つだけ重厚な作りをしている真四角の建物だ。シーラから届いた建物内部の情報によると、地上5階建。地下3階という構造になっている。
アレクたちがいるのは地下二階だ。地下への階段はエントラスから入ると、左奥にあるはずだ。
「もし安全装置を外してないなら、先に外しとけよ」
統括本部は部屋の灯りがついているものの、妙に静まり返っている。この静けさは逆に怪しい。オースティンもバレットM82を構える。ジョージも拳銃ホルダーから、S&WM39を手に握っていた。
ジョージと共に、辺りを警戒しながら建物のロビーを抜ける。
エントラスは蛻の殻だ。けれど確実にいる……。照準をオースティンたちへと構えた者が。
「テロリストだ!! すぐさま撃ち殺せっ!!」
オースティンたちがエントランスに入り、立ち止まった瞬間に指揮の声が上がる。
銃声の音、硝煙の臭いがエントランス銃に一気に広がる。オースティンたちはすぐさま、太い柱の陰に隠れ、銃弾の驟雨を躱す。
「無駄弾ばっかり使いやがって。品がねぇ!」
オースティンが身体に因子を一気に流し、向かってくる銃弾など無視して、引金を引く。
バレットM82の銃口から、強烈な電磁砲が放たれる。電荷を纏った熱が飛来する銃弾と狙撃手たちを一瞬で蒸発させる。
けれど全ての狙撃手を消滅できたわけではない。一人残っている。オースティンはその残兵に対して、目を細めた。
腕から首元にかけて、何やら白の線で不気味な模様の刺青を彫った図体が大きい黒人が立っていた。その手には切れ味の良さそうな、刃の大きいサバイバルナイフが握られている。
「おまえが元ナンバーズのオースティン・ガルシアだな?」
「だったら、どうした?」
オースティンが野太い声音をした男に言葉を返す。
「おまえを殺す!! おまえを殺して、俺は! 俺は! あの女に復讐する!」
男が獰猛な肉食獣のように吠え、柱の陰に隠れているオースティンへと突進してきた。
オースティンは隣にいるジョージに、階段前に向かえという目配せをする。
するとジョージがゆっくりと頷き、向かってくる男に注意しながら地下へと続く階段の方へと足を進め始める。
オースティンはその様子を横目で確認してから、襲ってくる男へと視線を向けた。
男が勢いよく手に持っていたナイフをオースティンへと投擲する。オースティンが正面から飛んで来たナイフを避ける。しかしその瞬間、男が声を張り上げ……2mは優に超えている身体でオースティンへと飛び込んできた。勢いよく床に押し倒される。
「発狂してイノシシにでもなったつもりかよ?」
オースティンがそう言いながら、男の腹部に銃弾を撃ち込む。しかし男は身体に穴が開いたことにも気づかない様子で、オースティンの首を手で締め始める。
気管が一気に締め上げられ、息ができなくなる。
ちっ。腹じゃなくて頭を撃ち抜くべきだったか。そう考えながら、オースティンが再びバレットM82の引金を引き、男の肩から両腕を切断する。
肩から切断され、力を失った男の腕をオースティンが首から剥ぎ取り捨てる。
「うっ、うああああああああああああああ!」
自分の腕を取られた男が悲鳴を上げる。けれどその悲鳴は腕を失ったことによるショックからではない。
腕を失った男の肩部が、膨れ上がりその肉塊が見る見る内に男の新しい腕へと変貌していく。
こいつの能力か? いやでも、ここに自分以外の因子の気配は感じない。
男が荒い呼吸を整え、その目には絶え間なく涙が溢れ出ている。
その男の顔を見た瞬間、オースティンははっとした。
「おまえ、リリアの奴に改造されたな?」
オースティンの言葉に、男が反応を示した。男が涙を流しながら激しく歯ぎしりをする。
リリアの能力は、物体の構造を作り返ること。つまり、この男はリリアの手によって、身体を弄られてしまったらしい。
「ああ、そうだ! 俺はあの女によって人間から化物に変えられた。俺はこの再生能力と引き換えに、獣と同じことをしなければならない。分かるか? 俺は、人間の理性を持ちながら、持ちながら……ああああああああああああ」
次の言葉を飲み込む変わりに、近くに転がっていたナイフを握り直し、オースティンへと向かってきた。
振り回されるナイフを持ちながら、オースティンへと絶え間なく襲いかかってくる。強靭な筋肉に変えられた男が揮うナイフに当たれば、命はないだろう。
オースティンが後ろへと跳躍する。けれどそれに合わせて男も跳躍し、空中でもナイフによる攻撃を続行する。
男の目はもう、すでに理性が失われている。獣に変えられた本能と勢いだけでオースティンの命を取ろうとしている。
オースティンを殺すことで、母親であるリリアへの復讐になると考えているのだろう。
しかし、自分が死んだ所でリリアへの復讐になるはずがない。書類上、遺伝子上、オースティンの母親であっても、彼女は自分の死によって悲しみ、発狂することはないのだから。
「おい、ゾンビ野郎。俺を恨むんじゃなくて、あの女に掴まった自分の不甲斐なさと運の悪さを恨みやがれ」
男が猛々しく狂乱し、吠える。
けれど、その瞬間……男の鼻がピクリと動く。何かの臭いに反応しオースティンから意識を逸らす。
「でかした」
オースティンがニヤリと笑う。
男が感じ取った臭い。それは……ジョージの腕から出た血の匂いだ。階段へと繋がる出入口まで移動していたジョージが、持っていた自分のナイフで腕を切ったのだ。
オースティンを襲っているのは、腹を空かせた獣だ。その獣が血の臭いに反応しないはずがない。男はオースティンを襲うことを止め、獲物と認識したジョージへと、涎を垂らし、歯を剥き出しにしながら、ジョージへと向かって行く。
「おいおい、まだ食っていいなんて一言も言ってねぇ―ぞ? 品がねぇー」
オースティンがそう言いながら、銃口を男へと向ける。
電磁投射 フレシェットバウター
オースティンが引金を引いた瞬間、細かい無数の電磁弾が男へと飛来し、男の身体を再生不可能なほどに分解し、消滅させた。




