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動揺と鬱憤

勿論、ばっちり向こうのモニターにも起き上がったテレサの姿は映っているはずだ。

 だからこそ……モニターに映る操生が口許に手を当てながら、純粋に驚いた表情をうかべている。

『驚いたね。あーでも、そうだよね。オースティンも健全な男の子だから、そう言う事が合っても可笑しくないね。悪かったよ。私もまさか夕方6時に通信を入れて、朝チョン場面に出くわすと思わなかったんだ。じゃあ、また都合ついた時にこっちに通信を入れてくれるかい? じゃあ、また……』

 操生の言葉はオースティンに気遣う様に早口だった。

 ひどい頭痛に襲われたように、頭がガンガンと痛む。オースティンは自分の頭を押さえて、深い溜息を吐いた。

「あら、朝から深い溜息なんて駄目よ。幸せが逃げるわ」

 何事もなかったかのように、自分の下着をつけるテレサが頭を抑える自分に話しかけてきた。

「……おい、何でお前等は裸でこの部屋にいるんだ?」

 オースティンが横目でテレサを訝しげに見る。するとテレサが視線を宙に彷徨わせてから、オースティンへと視線を戻してきた。

「あら、素敵な夜だったのに覚えてないの?」

 さらに頭の痛みが増えたような気がした。

「嘘だろ。まさか、本当に……」

「知りたい?」

「……いや、言うな。何も」

 下着姿で寄ってきたテレサを、オースティンが邪険に手で払う。するとテレサが目をジト目にさせてきた。

「凄かったのよ。私たちの服をそれはもう、ぱぱっぱと……」

「だぁああああ! 何も言うなって言ってんだろ!!」

「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに」

「うるせー」

 オースティンは近くに脱ぎ捨ててあった服を、とりあえず着て立ち上がった。

 腹は程良く空いている。けれど、オースティンの頭の中では必死に昨日の失われた記憶を呼び起こす作業と、次に操生に通信を入れたとき、どんな言葉を並べるべきかを考えていた。

 二つの事柄を考えながら、端末を弄る。

 すると一つ分かったことがあった。一番最初に自分に掛けてきたのは操生ではないということだ。通信相手は未登録となっていて、知らない番号からだ。

 どうでもいい詐欺からだったら、放っておいても構わないが……何かしらの情報を含んだ通信だったら見過ごすわけにもいかない。

 後でシーラに頼んで解析してもらうか。

 そう思いながら、オースティンは冷蔵庫から水を取り出し、一口飲んだ。その間にも、もぞもぞと起きたキャロンが服を着て、呑気な顔で欠伸を掻いている。

 こっちがこんなにも精神的ダメージを受けたというのに、呑気なものだ。

「あっ、オースティン。あたしにコーヒー淹れて」

「ふざけんな。飲みたきゃ自分で淹れろ」

「普通、ゲストにコーヒーを淹れさせる? 少しは日本のオモテナシ精神を見習いなさいよ」

「ああ。本物のゲストだったら俺もそれなりにオモテナシしたかもな」

「まぁまぁ、そんな言い争っていても意味はないし。ゆっくりパンでも食べましょう?」

 言い争っているオースティンとキャロンを、ソファーに腰を降ろしキッチンから持ってきたパンを食べるテレサが諌める。

 なんで、この女も我が物顔で寛いでんだよ?

 コーヒーを淹れろと言ってくる女と、勝手に寛ぐ女。出来れば関わりたくない類の女だ。

 しかしもう怒る気力さえ湧いてこない。

 ただオースティンが願うとすれば、早くこの部屋から出て行けということくらいだ。パンを齧るテレサを見ても、コーヒーを飲むキャロンを見てもすぐに出て行く気配は微塵も出ていない。どこまで図々しい奴等のなのか?

 オースティンは訝しげに二人を見てから、溜息を吐きキャロンにこの部屋の鍵を放り投げた。

 キャロンが片手で投げられた鍵をキャッチする。そして視線だけで、投げられた鍵が意味することを質問してきた。

「俺は先に出る。これで俺の言いたいことは分かるだろ?」

 キャロンが少しの間、鍵を見てから頷いてきた。

 オースティンはすぐに部屋を出た。

 部屋を出て外を歩きながら、オースティンは蘇らない記憶に付いて少しの間、考えていた。けれど一向に記憶が戻ってくる兆しはない。

 記憶がなくなるほど、酒を飲むなんてこれまでになかったことだ。ちゃんと自分の許容範囲は理解しているつもりだし、昨日もそれを越えて飲むことはしてないはずだ。多分。

 でも自分が夜間の記憶を失っているのは確かで、自分を含め三人の人間が裸になって寝ていたのも事実だ。

 しかし自分が記憶する限り、あの二人とそんな親密な夜を過ごした光景はない。

 とにかく昨日は最悪な夜で、最悪な朝を迎えたことに変わりはない。

 オースティンは溜息を吐き、地下鉄の階段を降りた。

 昨日よりは清潔感のある電車に乗り、スプイテン・デュイビル駅へと向かった。乗り換えは一度行い、後は駅に着くのを待つだけだ。

 学校に到着し、廊下を歩いていると……普段着ではない、軍服に身を包んだジョージとロビンが前からやってきた。ロビンの方は愛想良くオースティンに手を振ってきた。

「よぉ、オースティン。気分はどうだ?」

 朝の決まり文句に、オースティンは危うく嫌悪感たっぷりの表情で、『最悪だ』と答えそうになるのを必死に堪えた。

「別に、どんな気分でもねぇーよ」

「そうか。妙に声のトーンが低いような……」

「ロビン、コイツに構うなよ。そいつに構ってたら実戦訓練に遅れる」

「まぁ、そういう言うなって。オースティンも早く着替えてこいよ。場所は第二グランドだ。遅れると選抜生徒に選ばれなくなるぞ?」

 ロビンが豪快な笑い声を上げながら、オースティンの肩を叩いてきた。

 思わず、オースティンが眉を潜める。

「おい、お前等……その選抜に選ばれない方がいいぜ? 死にたくなかったらな」

「どういう意味だ?」

 オースティンの言葉に、ジョージが厳しい表情を浮かべてきた。もしかすると、オースティンの言葉を嫌味に捉えたのかもしれない。

 ジョージの隣にいるロビンの顔にも、微かな引き攣りがあった。

「言葉の通りの意味だ。むしろ……ジョージ、てめぇは一体誰と戦おうとしてるんだ? もし因子持ちだっていうなら、それこそ馬鹿げてるぜ?」

 ジョージの目に怒りが宿る。けれどその怒りが表に出ることはなかった。授業前のベルが廊下に響き渡ったからだ。

「……俺を馬鹿にすんな」

 去り際にジョージがそんな言葉を残して言った。どういう意味で言ったのかオースティンには判別が付けられない。自分の力量に対してなのか、自分の判断力なのか、それともどっちもなのか、別の意味でのことなのか……とにかく、オースティンにはジョージが残した言葉の真意を読み取ることはできない。

 やれやれだ。

 オースティンは更衣室へと向かいながら、首を横に振った。

 起こりえる可能性を話してやっても良かった。

 お前等は今、ある学者のモルモットにされそうになっていると。けれどオースティンがそれを言った所で、ジョージたちがどこまで信じるかが分からない。きっとジョージのような男なら、まずその情報の出所を知ろうとするはずだ。

 そしたら、またそれは面倒なことになる。

 なら、一番手っ取り早い方法として、自分がその選抜生徒の中に紛れ込み、内側から計画を邪魔した方が良い。

 オースティンは、軍服に着替え終え第二グランドまで駆けた。

 自分が軍人の格好をしているというのも変な感じがする。しかしそんな自分の気持ちはどうでもいいことだ。

 オースティンは第二グランド前で、足を止めた。すでに実践訓練が行われているらしく、複数の人間が規則正しく駆ける足音が聞こえてきた。

 実践訓練の前の、基本的な走り込みだろう。

 オースティンは、その走ってる団体の中に何食わぬ顔で入った。

 何人かの生徒がオースティンの顔を一瞥してきたが、オースティンは特に表情を変えなかった。そして戦闘の方を走っているジョージとロビンも、集団の中に入ってきたオースティンを横目で一瞥してきた。ジョージはうんざりとした表情で。ロビンはぎこちない微苦笑を浮かべている。オースティンは少し走るスピードを上げて、二人の横へと付いた。

「早くからペースを上げていると、息が上がるのも早くなるぞ?」

「分かってるよ。訓練前の軽いジョギングで息を上げるわけねぇーだろ」

 自分を気遣うロビンにオースティンが首をすぼめさせる。それから付け加えるように、オースティンはロビンの顔を見た。

「お前等は今度軍が行う訓練について、本当に何も知らないのか?」

「ああ。軍も次の訓練にはかなり力を入れてるみたいでな。下手に訓練内容を口外したくないみたいなんだ。ジョージ、お前の耳にすら入ってないんだろ?」

「……ああ」

 あまりオースティンの前では返事をすることに気乗りしていないジョージが、投げやり気味に首を頷かせた。

 やはり、この訓練の最中に人体実験を行う可能性が高そうだ。

「少し話は変わるが、お前等フォーガン・ドレットって男のことは知ってるよな?」

 オースティンの言葉に、ロビンが当然のように頷き、ジョージが視線だけでオースティンに話を促してきた。

 オースティンが話を続ける。

「その男が、今回の訓練に大きく関わってる可能性が高い。奴は物理学と生物学を専攻してる学者だ。そんな奴が軍の訓練に関わる……それがどういうことか想像付くか?」

 相手の脳に刷り込ませるように、出来るだけ低い声音でゆっくりとした口調で訊ねる。

「あー、いや……ちょっと待ってくれ。時間をくれ」

 ロビンはオースティンが微かに放った威圧に押されて、少し冷静さを欠いていた。しかしロビンの隣にいるジョージには、その威圧の中にある気配を読み取ろうとしている、気配があった。もしかすると、詳細までは分からずとも直感的に何かを感じ取ったのかもしれない。

 けれどジョージがその答えを導き出す前に、実践訓練の指導役の教師が首にぶら下げたホイッスルを力強く鳴らしてきた。まるで、罠に気づき始めた獲物の思考を遮る警笛のようだ。生徒たちはホイッスルの音で足を止め、グランドの中心で綺麗に整列する。整列が済んだあと、教師が後からやってきたオースティンに、遅れた理由を訊ねてきた。

 オースティンが何食わぬ顔で「寝坊だ」と言うと、教師は呆れた様子で首を振り、列へと戻してきた。

 次に行ったのは、匍匐前進の訓練。勿論、ただ地面を張って進むのではなく、本物のライフル銃を持ちながらの匍匐前進だ。

 学校に通う学生がやるにしては、かなり徹底している。

 オースティンは周りの生徒を見ながらそう思った。これなら、正規軍の二等兵以上の動きはしている。匍匐前進を一心不乱に行う生徒たちの表情は、真剣なものだった。

 どれも、何の迷いも躊躇いもなくただ直向きに、訓練に励んでいる。

 この訓練の結果が、自分たちを地獄の淵に追い込もうとしているとも知らずに。

「……クソ、胸くそ悪いぜ」

 呟き漏れる本音。

 しかし、その小さく漏れ出た本音は、地面と服が擦れる音でいとも簡単に掻き消されてしまう。だからといって、オースティンの胸の中にある気持ち悪さが消えるわけではない。

 今すぐにでも立ち上がって、澄まし顔をしている教師に銃口を突きつけて、知っていることを全て洗いざらいに暴露させたいくらいだ。

 けれどこの状況でそれをすることはできない。敵も慎重だ。近くで火の気が上がれば、またどこかにある巣穴に身を潜めて、もう二度と自分たちの前に姿を現さないかもしれない。

 それではダメだ。何の解決にもならない。

 だからこそ、今は堪えなくてはいけない。どんなに自分の中でうんざりするような鬱憤が溜まっても。それが今の自分のやるべきことだ。

 オースティンは、静かに深呼吸をしながら自分自身にそう言い聞かせた。

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