むざむざ墓地に送る必要はない
「それ、本当?」
テレサの訝しげな表情にキャロンが、素っ気なく頷いた。
「残念ながらね。アンタってアメリカの代表候補生でしょ? なら知ってるはずよ。国際防衛連盟の隊員の中で、任務に行ったきり戻って来なかった奴がいるってことは」
「ええ、いるわ。でもまさか……消えた隊員たちが非道徳なことに巻き込まれているなんて、夢にも思わなかったわ。彼等は実戦経験が豊富なプロだもの」
「なら、油断してたのね」
「まさか。彼等はどんな任務にも真摯に向き合っていたわ」
「じゃあ、貴方がプロだと思っていた人たちは、本物のプロじゃなかったのね」
キャロンの言葉でテレサの眉間に皺が寄る。けれど、テレサからの反論が飛ぶことはなかった。ここでの言い争いを不毛だと思ったのか、怒りのあまり言葉を発する気力も失せたのかは分からない。けれどキャロンに対する反論は出なかった。
しかしその代わりに、一つの提案をしてきた。
「ねぇ、ここで立ち話もあれだから、どこかのレストランにでも入りましょう。そっちの方がゆっくり話せるわ」
「おまえ、国際防衛連盟の方に呼ばれてるんじゃないのか?」
呆れ顔を浮かべたオースティンがテレサにそう言うと、徐にテレサが時間を確認し始めた。
「駄目ね。もう約束の時間は過ぎてる。つまり話合いは始められちゃってるわ。だったら後で会議の内容を聞いた方がマシね」
テレサがそう言いながら、軽く片目を瞑ってきた。
オースティンたちは、タクシーに乗りマンハッタンの東南、ロウアー・イーストサイドにあるボールトン&ワットという名前のレストランへと来ていた。カジュアルな雰囲気の漂う店内で、オースティンたちはカウンターの端に腰を降ろした。
店名の通り、店には産業革命を意識した装飾が施されている。
十七時を少し過ぎたばかりの時間帯では、客は少ない。それこそ店には自分たちと店の従業員くらいしかいなかった。
テレサが気がれない様子で、従業員へと手を振る。従業員も慣れた様子でテレサに手を上げて答えた。どうやら、行き慣れた店らしい。
その証拠に椅子に座ったばかりのテレサの前に素早くキティが出された。
「貴方達も飲めば? ここのお酒は美味しいの」
「なら遠慮なく。あたしはブラッディ・メアリー」
「ビール」
この様子だとテレサは繁栄にここに来ているらしい。酒に合わせてやってきたのはステーキのタルタルとカリッとした表面生地のバケット。それから、フィッシュチップスとピクルスも出てきた。
テレサは手と手を合わせながら、満足げな表情を浮かべている。これが彼女の定番らしい。
本当に、こいつ飯食いに来たんじゃねぇーだろうな?
キティを片手にピクルスを齧るテレサを見ながら、オースティンは出されたハイネケン(ビール)を喉に流し込む。
隣に座るキャロンは、ブラッディ・メアリーをグラスの半分ほど飲み、相手が頼んだフィッシュチップスを頬張っている。
「さて、いい感じでアルコールも入ったことだし……本題に入りましょう。つまり、非道とくな実験について。さっきの話に続きがあるんでしょう?」
キティを煽るテレサは口許には、言葉を揶揄するような微笑を浮かべているが、目元はまったく笑っていなかった。そんなテレサを見てから、オースティンはキャロンの方に視線を向けた。勿論、キャロンも真顔のままオースティンとテレサを見ていた。
「勿論あるわ。さっきも言ったでしょ? フォーガンという男が因子持ちの人間と因子を持ってない人間で行う実験なんて、それこそ簡単に想像が付くでしょ? 因子持ちの人間から因子を取り出して、それを因子持ちでない人間に移植しようとしてる」
大体の予想はしていた。勿論、口で言うほど簡単なものではない。ゲッシュ因子を移植するということは、心臓を中心に身体中に張り巡らされている因子脈を取り出すということだ。
仮に上手く取り出して、別の身体に移植できたとしても移植後のリスクの方が高い。
実は数年前、政府が非公式で今回と同じ実験を行っていた。機密レベルは最高レベルの情報だ。オースティンがこの情報を知っていたのは、トゥレイターに属している両親がその実験に参加していたからだ。
勿論、機密レベルが非常に高い情報を、息子だからといって口外することはない。しかしオースティンは、その情報がどこにあり、ロックの解除の仕方も知っていた。幼い頃からオースティンは自分の親に対して、きな臭さを感じていた。だからこそ、万が一のことがあったときの事を考えて、相手の弱みを握ろうと動いていた成果とも言える。
実験は凄惨なものだった。全員が移植手術中に酷い苦痛に蝕まれ、発狂しながら命を落としている。つまり実験は言うまでも無く失敗に終わり、それ以来、この実験は行われていなかった。
因子を移植することは不可能という、結論になったからだ。
「実験っていう言葉に託けて、人殺しをしたいだけなんだろ? 弱い奴は何かしらの理由を作らないと、自分の欲を満たせないんだ。ったく、品がねぇ」
辟易とした溜息を吐きながら、オースティンがビールを一気に飲み干す。
「そうね。そうかもしれないわ……」
テレサがグラスの中に注がれているキティを見ながら、神妙な様子で頷いてきた。それから再びオースティンたちの方を見て、微かに息を吸い込んだ。
「けど、フォーガン博士は弱い奴じゃないわ。あの人は学者よ。しかも生粋の。でもだからこそ、厄介なのよね」
テレサがバケットにステーキのタルタルを、スプーンで乗せ一齧りした。
「しかもその厄介な学者が自分の実験の被験者に選ぼうとしてるのは、どんな人物だと思う?」
「……軍人だろ? 誰が考えたって、体力も戦闘技術もない一般人を被験者にしたって無意味なことくらい分かる」
「馬鹿ね。そんな単純な答えの質問をあたしが訊くわけないでしょ? ちょっとは頭を働かせなさいよ」
「悪かったな。頭が働かなくて。で? どんな奴等が狙われてるんだよ?」
呆れ顔を自分に向けるキャロンに、オースティンが罰の悪い表情で訊ねる。
「リッジウェイル校の生徒。つまりオースティン、あんたのお友達よ」
悪い冗談は止せよ。一瞬そんな言葉がオースティンの脳裏を掠めた。けれどその言葉がオースティンの口から出ることはない。隣にいるテレサからもそんな言葉は漏れなかった。
丁度、そのとき二人の男女が新しい客として、店にやってきた。二人はオースティンたちが座るカウンターではなく、二人掛けようの高いテーブルに腰を降ろした。
「ショック?」
特に何の意味もなく新しい客の方に視線を向けていた、オースティンにキャロンが冗談混じりの言葉を自分に投げてきた。オースティンは目を細めさせた。
「人をからかうな。別にそんなんじゃねぇ」
「へぇー、私にはそんな風に見えないんだけど?」
オースティンにそう言ったのは、頬杖を突くテレサだ。そんなテレサの言葉にキャロンも幾ら同意しているような表情を浮かべている。
こういう時ばっかり結託しやがって。
自分を挟むように座る女子二人を横目で見ながら、オースティンは追加のビールを頼んだ。
結託し始めた女の視線から逃げるように。
しかしそんな中で分かったのは、次に自分がやるべき行動だ。むざむざ自分の見知った顔を墓地に送る必要はない。
耳元で微かな振動音が響いた。
無意識にオースティンがそれに向かって手を伸ばす。端末に誰かからの通信が入ったのだろう。
誰だ?
まだ意識は鮮明になっていないが、辺りは驚くほど明るい。時間帯的に言うと朝だ。朝の何時なのかまでは分からない。ただ、昨日あの店で四、五時間は飲んでいた気がする。
それから、自分が借りているアパートに帰って来たのは憶えてる。それから、また酒を飲んだことも……
だんだんと意識が鮮明になってくると、自分が何故か裸であることに気づいた。
しかも隣には、これまた裸の女二人……テレサとキャロンの姿があった。
オースティンの思考は白熱光でも浴びたかのように、真っ白になる。
端末の通信は未だに鳴っている。けれど端末に出ている場合ではない。今のこの状況を、早急に整理し、思い出すことの方が先決だ。
しかし、自分で部屋に戻って来たことは憶えているが、二人が来た所までは憶えていない。多分、二人が勝手にこの部屋に上がってきたこともないだろう。
バディであるキャロンにさえ、ここの住所は伝えていないし、オースティンはどんな時でも、どんな状況でも、戸締まりはきちんとする方だ。
なら考えられるのは、この二人が自分と共にこの部屋に入ってきたということだ。
……駄目だ。やっぱり、何も思い出せない。
嘘だ。ありえない。俺が酔った勢いでこの二人と寝るなんてありえない。むしろ、想像したくない。品がないにもほどがある。
端末はもう鳴っていなかった。どうやら、通信を掛けてきた相手も諦めたらしい。そのことに、ホッとしたのも束の間。再びオースティンの通信が鳴り始めた。
「あー、うるせ! しつけぇーんだよ!!」
混乱の所為で生じた怒りを通信相手にぶつけるように、怒鳴る。
『そんなにしつこく鳴らしたつもりは、なかったんだけどね。虫の居所が悪かったかな?』
通信相手は、額に包帯を巻いた操生からだった。
予想外な相手からの通信に、オースティンは暫く口を開く事ができなかった。
何故、よりにもよってこのタイミングで?
『それにしても、オースティン。君は夜、裸族になって眠るタイプなのかな?』
操生の言葉に、はっとした。
しまった。何か服を着てから通信に出るべきだった。けれど、もう今さらそんな事をしても遅い。なら、相手の話に合わせてこの場を乗り切るべきだ。
オースティンは瞬時にそう考えた。
「あー、実は……」
そうなんだ、と言う言葉出来る前に、最悪なタイミングで横に寝ていたテレサがむくりと身体を起こしてきた。
「グッド・モーニング~。オースティン」
余計なテレサの言葉に、オースティンは悲鳴を上げながら飛び上がりたい気持ちに襲われた。




