消息不明の博学者
俺が迂闊だった。
自分の腕をオースティンの腕に絡ませ、自分を逃げられない様にしているテレサを見た。テレサがオースティンの嫌気が込められた視線に気づき、にっこりと笑みを浮かべてくる。
「駄目じゃない。せっかく腕を組んで歩いてるんだから、もっと笑わないと。デートが台無しよ」
「デートなんてしてるつもりねぇ。むしろ、俺に何の用だ? なんで、おまえはあの電車に乗ってた?」
「国際防衛連盟の方に呼ばれてるのよ。他の人たちは車を使うみたい。けど私は車じゃなくて、たまには電車を使いたい気分だったのよ。……運命的でしょ?」
「どうだろうな?」
短い言葉をテレサに吐き捨てながら、オースティンは代表候補生であるテレサたちが、国際防衛連盟の支部に呼び出された理由を考えていた。
まず考えられる理由としては、軍が非公式で行う軍事演習についてのミーティング。または、パリで使用された新兵器について……この二つに絞られるはずだ。
「……お前らに一つ訊く」
「何かしら?」
「お前らは、軍との衝突は起こると思ってる」
「ええ、そうよ」
「それについて、どう思ってるんだ?」
オースティンからの不意打ちの質問に、テレサが少し眉間に皺を寄せた。視線を下げオースティンの質問に真摯に答えようとしているのが伝わって来て、少なからずその点には好感を抱ける。
黙考するテレサを横目で見ながら、オースティンたちはマンハッタン島にあるミッドタウンの繁華街の交差点、タイムズスクエアへと近づいていた。
タイムズスクエアにはタクシーや一般車両が道路に列を作り、様々な人種の人々が通りに溢れ返っている。
ったく、キャロンの奴はどこにいやがるんだ?
どうせキャロンのことだ。この人混みの喧騒の中で、健気に自分を待っているわけがない。わざわざここに指定したのも、自分の私情が絡んでいるに違いない。
あの女はそういう奴だ。
「率直に貴方の質問に返すと、深く考えない様にしてたわ。だって、人としての倫理観で考えれば当然、良くないって誰でも分かるもの。そうでしょう? けどね、私たちも、そして軍人もそんな当たり前の倫理観を敢えて無視して、戦うわけ。自分の置かれた立場とか、利潤を考慮に入れてね。そうでなくちゃ、誰が戦うっていうの? 名前は忘れてしまったけど、とある学者がこう言ってたわ。人は元々戦いを好む生き物だって。だから過去に大きな戦いを幾度となく繰り返してきた。勿論、今が完璧な平和なんて口が裂けても言えないけど……形而的、いえ、過去と比較すると平和なのよ。でもそれって、人が戦うことに一時的に疲れただけ。だから暫く休めば人はまた戦い始めるんですって。それを聞いた瞬間、反論したい半面、納得しちゃった所があるのよ。ああ、そうかもしれないってね」
「つまり、今がその時だと思うのか?」
「ええ。少なくとも私の周りには不穏な空気が漂ってる」
自分の腕に組まれたテレサの腕に力が微かに入ったのがわかった。少し前の世界では、すでに二国の国が衝突して戦うことは少なくなっていた。
元々内乱が起きている国で、それぞれ自分の利益になる側を支援し、間接的に他の国と対立する方法を取っていた。内乱に付け込んだ身勝手な戦争が起きていた。
けれどその身勝手な戦争も表面上からは消え去った。数え切れないほどの人の命を削る戦争から、数えられる程の戦争に切り替わったからだ。
たとえ、世界中が一斉に戦争をしたとしても、そこで戦い失われるのは千名弱の人間だ。
決して少ない数ではない。けれどその数を少ないと錯覚してしまうほど、これまでの戦争が血を流し過ぎたのだ。
だからこそ、人類は錯覚し、アストライヤーという制度に飛び付いた。
けれど現実は、そう上手く運ばない。アストライヤーは自然と権力を持ち、国際防衛連盟が発足し、トゥレイターというテロの火種さえ生んだ。
自分はその火種から出た人間だ。別に外から入ってきたわけでもない。だからこそ、もしアストライヤーという存在がなかったら、自分はどうなっていただろうか? そう考えることもある。けれど、それは考えても無駄なもしも話だ。いつもオースティンはそう思っていた。
だが、今は? トゥレイターのナンバーズという立場を失った自分は、どんな立場なのだろう?
「ねぇ、もしかして……向こう側で腕を組みながらこっちを睨みつけているのって、オースティンの知り合いじゃないかしら?」
途方もない思考の波に攫われそうになっていた自分を、テレサの言葉が現実へと引き戻してきた。
隣に立ち、反対車線の歩道からこっちを睨みつけている、少女。間違いないキャロンだ。
キャロンは肩にどこかで服でも買ったのか、ロゴの入った紙袋を下げてオースティンを睨んでいる。
「待ち合わせの奴は、見つけた。つまり、俺とおまえはここでお別れだ」
溜息を吐きながら、オースティンがテレサにそう言う。
するとテレサがきょとんとした表情したまま、組んだ腕を解こうとはしない。
「おまえは国際防衛連盟に呼ばれてんだろ? おまえがその話合いに俺たちを連れてくっていうなら話は別だけどな……」
「いいわよ。連れてっても」
「ああ、そうか……って、なっ!?」
自分の言葉に頷いてきたテレサを、オースティンが二度見する。
「だって、オースティンはナンバーズじゃないって言ってたじゃない? それとも本格的に軍の方に就職しようって考えてるの?」
テレサが微かに目を細めてオースティンに質問を投げてきた。オースティンに軍に入隊する気持ちなんてさらさらない。
しかし、それでも……普通はこんなあっさり頷ける話ではないはずだ。
オースティンが立ち止まりやや困惑していると、テレサが肩をすくめて再び口を開いてきた。
「元々敵だった自分が、これからの話し合いに参加できるはずない。そんな簡単な話じゃない。そう思ってるでしょ?」
「ああ」
「ほんの数カ月前だったら、そうでしょうね。でも、この数カ月の間であらゆる事情が変わったのよ。貴方がナンバーズを辞めたように。国際防衛連盟とトゥレイターは手を組んだ。全ての因子持ちはこれからに備えて結束すべきという考えでね。だから、当然、貴方が国際防衛連盟の支部に来たって、攻撃されたり、拘束されたりしないわ。むしろ、貴方は元ナンバーズで、その実力は、こちらでも認めてるの。きっと、今の国際防衛連盟なら貴方を歓迎するわ。仲間に取り入れたくて」
テレサの話は一応、話しの筋は通っている。テレサがオースティンに返答を視線だけで要求しているのが分かる。
オースティンが喉を動かす。テレサの言葉を腹の底へしまい込むように。
「俺は……」
「オースティン! 何であたしに気づいた癖にアストライヤーの女と手を組みながら、アホ面して突っ立ってんのよ!?」
自分たちが話している間にこちら側に渡ってきたキャロンが、オースティンの後ろ頭をひっぱたいてきた。
「それは、おまえにも言えんだろうが!!」
オースティンが後ろ頭を抑えながら、キャロンに怒る。けれどキャロンは目を細めて鼻を鳴らしてきた。
「今のアンタに何言われても、ちっとも心に響かないわね。何、いきなりアストライヤー代表候補生とデートなんてしてるのよ? まさか今さら学生生活をバラ色に染めようとしてんじゃないでしょうね?」
「あら? その考え中々素敵ね」
テレサがキャロンの言葉に反応する。すると目を細めているキャロンの片眉が上がり、品物を見定めるように、マジマジとテレサを見る。
テレサを見るキャロンの視線が、とある一点で止まる。
「……くっ、でかい」
「えっ? そうかしら?」
テレサの豊胸を見て、悔しげな声を漏らすキャロンと、それに釣られて自分の胸元を見るテレサ。
「こんなとこで、どうでもいい話してんじゃねぇー!」
オースティンが一喝し、緩くなっていたテレサの腕を解く。「あら?」と呟くテレサを一瞥してから、オースティンが自分の胸元を見ながら、ぶつぶつと品がない言葉を呟いているキャロンを見る。
「どんなに負け惜しみしたって、おまえの胸はデカくなんねぇーよ。それこそアレクにでも頼むんだな」
「馬鹿な事言わないで。胸を大きくしてなんて口が裂けても言えるはずないでしょ? それに、あたしのサイズは標準よ! 柔らかいし形も整ってる。そこの女が標準から抜けてるだけなんだから」
キャロンがテレサを指差しながら、負け惜しみを吐く。けれどそれに関してすでに何か言おうとも思わない。こんな胸の話に時間を裂かれるのも癪だ。
「わかったよ。ほら、さっさと端末に入れてきた用件を片付けようぜ?」
「アンタ、真面目に答える気ないわね?」
むっとしてきたキャロンを、オースティンは眉を上げて軽くあしらう。するとキャロンも諦めたように溜息を吐いて、紙袋と一緒に持っていたバックから一枚の写真を取り出してきた。
オースティンが写真を受け取る。
写真には、髪の毛が薄くなりつつある二十代後半の男が映っていた。顔の頬骨が出っ張っていて、骸骨に皮を張り付けただけのような顔をしている。
どこかでこの顔を見た事があるような気がするが、オースティンは上手く思い出せない。
思い出せず、オースティンが訝しげな表情を浮かべていると……テレサがオースティンの手にある写真を覗き込んで、口を開いてきた。
「この人って、フォーガン・ドレット博士じゃない? 生物学と物理学に精通している人物で数年前から失踪している人よ」
言われてみれば、この男は数年前に何冊かの著書本を出しており、幾つかのテレビ番組にも度々出ていた人物だった。
「コイツが面倒な事を起こそうとしてる奴なのか?」
オースティンがキャロンに訊ねる。
するとキャロンが眉間に眉を寄せながら、力強く頷いてきた。
「この男の所在はまだ掴めてないけど……こいつがパリで使用された兵器に携わってるのは間違いない。そしてコイツが行っている面倒なことっていうのが……」
キャロンが口の中の息を交換するように、息継ぎしてから、
「人体実験を行おうとしているそうよ。しかも、因子持ちと因子持ちではない人間、両者を使ったね」
キャロンの言葉が自棄に冷たく、オースティンの耳に届いた。




