懺悔
ベルバルトはアーサーを憎々しげに見るメリーヌと、メリーヌの言葉に訝しげな表情を浮かべるアーサーを遠巻きに見ていた。
強い愛が歪んだことによって、こんな騒ぎになっている。けれど当事者である片方はまるで自覚ないだろう。
「君が私を恨んでいることは分かる。けれど、君が私を恨んでいる理由がわからない。私的には戦う前にそこははっきりとさせておきたい所なんだが?」
「貴方に教える必要はありません。それとも……こんなふうに匙を投げて、私を怒らせようとしているのでしょうか? でも無駄ですよ。まず貴方と戦うのはこちらにいる方ですから」
メリーヌがベルバルトの方へと向いてきた。そんなメリーヌに合わせてアーサーも自分の方を向いてきた。少し茶目っ気のある表情で軽くアーサーに手を振る。するとアーサーが鋭くさせていた目つきを、さらに鋭くさせた。
「敵が女性だからといって、こんなに簡単に敵の手の中に落ちるとはね……呆れを通り越して怒りが込み上げてくるよ」
「まぁまぁ、そんな怒んなよ。仕方ないだろ? 俺の中でおまえの命とセレーナの命じゃ、彼女の命の方が大事なんだ。おまえにとっても今回の件は良い経験になっただろ? まっ、経験になる前に天国への土産話になるかもしれないけどな」
「君の意思はわかった。良いだろう……」
アーサーが突撃槍を構え、そのまま低姿勢のままベルバルトに肉薄する。ベルバルトは口許に笑みを浮かべたまま、指先を動かし獲物を捕獲する蜘蛛糸のように、糸を自分の周りに構築していく。
「そのまま突っ込む気か? 早くもミンチになるぜ?」
「心配は無用だよ。無謀でも正面から突っ込む大切さをこの間、学んだばかりだ」
アーサーから感じる因子の熱が一気に上昇する。熱量が膨れ上がったアーサーの因子とベルバルトの因子が衝突し、空気を揺らす爆発が生じる。けれど爆発はそれだけに留まらない。まるで花火のように次から次へと爆発音が響き、爆発の衝撃と火の粉がベルバルトたちの髪を揺らし、焦がす。
音がどんどん近くなる。ベルバルトが編んだ糸の中をアーサーが突っ切っている証拠だ。
「人生、そんな甘くねぇーぞ」
指先を軽く動かす。すると今まで部屋中にピンと張られていた糸が撓み、解れる。糸が切れる。切れた糸の尖端が天井に向かって伸びる。すると丁度、ベルバルトへと疾駆していたアーサーが糸の中に閉じ込められる。
操糸術策 屈辱の風船
まるで蚕の繭のようになった糸から、熱を含んだ光を放出するのと同時に風船のように破裂する。宙に血飛沫が舞う。メリーヌの瞳に期待の光が萌芽し、口から言葉なき哄笑が漏れる。
けれどその光は段々と色褪せた。
「あの中にいて、よく生きてたな。大したもんだぜ?」
ベルバルトが目を眇めさせる。すると身体の至る所から血を流したアーサーが鋭い視線のまま、口許には笑みを浮かべてきた。
「私も君を侮っていたようだ。マリオネット・オブ・ジェノサイドと呼ばれる理由も頷ける」
「止せよ。誰が付けたか知らないけどな……俺はその二つ名が嫌いなんだ」
「二つ名なんてそんな物だ」
アーサーの周りに金色の火鱗片が漂う。アーサーが突撃槍の矛先をベルバルトたちへと向ける。空中に散布されていた因子の粒があっという間に膨張する。
騎士聖槍 聖なる騎士の矛
ベルバルトが反射的に糸を編む。しかしアーサーが放った幾重にもなる衝撃波を受け切るのが間に合わなかった。第一波で全身を焼くような痛みが襲い、二波目で猛スピードのミサイルにでも突っ込まれたような衝撃が襲い、三波目でベルバルトの身体に数ヶ所の風穴が開けられる。光の速さでやってきた痛みに脳の処理が追いついていない。
いや、そのおかげでベルバルトは痛みに悶えることなく立っていられている。もはや自分の身体を伝う血の感覚すら感じ取れない。
「この技を受けて、立っているとはな……君も大したものだ」
「人の言葉、真似てんじゃねぇーよ。この皮肉野郎」
アーサーにバッドサインを送りながら互いに鋭い視線をぶつけ合う。相手が次なる一手を準備していることは分かっている。
敵を確実に仕留めるための一手だ。生半可の技ではないだろう。
「ああ、そうだ。おまえにずっと言いたかったことがあるんだ」
「嫌な奇遇だな。実は私も君に伝えたい事があったんだ」
ベルバルトとアーサーの口許に笑みが浮かぶ。
「「くたばれ!」」
二人が言葉を発した瞬間、ベルバルトの因子が部屋を掛け回り、アーサーの因子が荒れ狂う。
操糸術策 処刑鋸
騎士聖槍 裏切りの矛
右手と左手を交叉させる。左右に広がった糸がある一点で上下に噛み合い相手の身体を引き千切る。アーサーの放った衝撃波が敵の自由を完全に奪う。
「嫌だねぇ。俺たちも将来こんな風に消されるかもしれないと思うと」
「粛清は誰しも受けるべきものだ。そう思わないか?」
ベルバルトの視線が血だまりの中に落ちる勲章を捉え、アーサーの視線がベルバルトの後ろで自らの血で身を染めるメリーヌへと注がれる。
自分の駒だと思っていた父は死に、復讐相手に報復された彼女はどんな気持ちなのだろう?
今のメリーヌは立っていることが奇跡という状態だ。服が裂け至る所の肌が裂け出血しており、左片方の腕ほとんどが内出血により青黒くなっており、服から零れた片方の左乳房も血で染まっていた。
「神に誓ったというのに裏切ったのですね! ベルバルト・アマルフィー!!」
怒り狂った表情でメリーヌがベルバルトに叫ぶ。
「悪いな。俺は神には誓わない。俺が誓うのは女性だけさ。だからあのとき、メリーヌの名前を使ってくれれば、裏切らなかったかもな?」
「ちゃんと私の言う事を聞いていれば、貴方もそしてセレーナも死なずに済んだというのに!! 歩兵二人! セレーナを殺しなさい! 今すぐ!」
メリーヌの半狂乱の叫びが響く。けれど歩兵の二人が持っていたライフルの銃が鳴ることはない。
「残念だけど、君の部下は先にあの世へ行ったみたいだぜ?」
状況が上手く飲み込めていないメリーヌの前に、助け出されたセレーナの肩を抱くバリージオが割れた窓からやってきた。
「何故イタリア代表候補まで?」
「少し前に会ってね。せっかくだから一緒に来て貰ったんだ。どうやら、不仲説のあった兄弟は不仲ではなかったらしい」
アーサーが苦笑を浮かべながら、やってきた窓際に立つバリージオと正面にいるベルバルトを交互に見る。するとセレーナの肩を抱くバリージオにベルバルトが苛立ちながら、鼻を鳴らしてきた。
「ふふ、そういうこと。イタリアの代表候補がネズミになっていたということね。まんまとやられました。けれど……ベルバルト・アマルフィーが死を逃れることはできないでしょう。なにせ、私は自分自身で止めを刺します。私の能力は私の心臓が止まっても発動する仕掛けになっています。つまり、私が死んだ瞬間、ベルバルト・アマルフィーを含む三〇〇メートル以内の円内にいる者は死に絶えることになるの」
最後の強がりを口にするメリーヌが覚束ない足取りで壁際まで移動し、そのまま壁に身体を擦りつけるようにして、床に座り込む。
彼女のすることを止めようとは思わなかった。彼女はすぐに気づくだろう。自分のやろうとしていることが無意味で、今の自分の言葉が何の効力を持っていないことを。
ベルバルトに付着させていたメリーヌの血液は、アーサーと戦っている最中に糸による刃で切除していた。メリーヌはおそらくその事に気づいていない。
何も気づいていないメリーヌは、太ももにつけていたナイフフェルダーから、小さいナイフを取り出した。けれど取り出した瞬間、その刃は呆気なく床に零れ落ちる。
零れ落ちる刃を見たメリーヌが自分の感情を絶叫として吐き出している。
可憐な美しさは今のメリーヌからは失われていた。これではまるで……
「……別人だな」
ベルバルトを含め、この場にいた者がメリーヌの姿に呆然としていた。そこへ……
「彼女はわたしに激しく恋をしていて、おかげで前後の見境がつかなくなっている。それが彼女がわたしに恋した理由だ」
「グルーチョ・マルクスの言葉だな。この状況で使うにはかなり残酷だな? ホルシア?」
ベルバルトがアーサーの背後から、自身のBRVを持ちながら近づいてきたホルシアを見る。やってきたホルシアは、横目でアーサーを一瞥し、それからベルバルトの横を通り過ぎた。
「これでお別れだ。私のジャンヌ……メリーヌ・ローレン」
「……ホル、シア。どうして……?」
メリーヌがホルシアの姿に目を見開き、その目から涙が溢れ出る。
「貴方はあそこにいる彼ではなく、貴方を裏切った私を恨むべきだった」
ホルシアが苦渋の表情を浮かべて、メリーヌの前で膝をつく。
「……違うわ。貴方は私に謝罪なんてしてない。だってそうでしょう? だって貴方の瞳には私は映っていない。まったく映ってないの。ねぇ、貴方に分かる? この身が引き裂かれてしまうような絶望が? 私はね、どんなにあの父に手駒として粗雑な扱いされようと、罵声を浴びせられようと、どんな下品な屈辱を味わおうと……私は貴方さえいれば良かった。私には貴方しかいなかったの。それなのに、それなのに、貴方は私を裏切った! 私が気づかないと思ったの?」
メリーヌから掠れた嗚咽が漏れる。ホルシアがきつく閉じていた唇を動かす。
「私は貴方を裏切った。それは否定しない。けど、私にとっても貴方は大切な存在だった。貴方は私のことを敬遠することなく、向き合ってくれた。私を立派な騎士だと認めてくれた。だから私にとっても貴方は最愛の人だった。私の言葉がどれだけ貴方の胸に響くか分からない。けどこれだけは、分かって欲しい。……愛してました(ジュ・ネメ・ク・トワ)」
言葉とともにホルシアから静かに涙が溢れる。
そんなホルシアにメリーヌがゆっくりと腕を伸ばすが、再び手を引っ込めた。
「貴方は本当に卑怯だわ」
涙を浮かべるホルシアが顔を上げる。ホルシアの視線が同じく涙を流すメリーヌと目が合う。
「ホルシア、永遠に愛してるわ(ジュテーム・プール・トゥージュール)」
最後の力を振り絞って言葉を口にしたメリーヌが静かに涙を流しながら眠る。そんな眠った彼女をホルシアがきつく抱きしめる。
眠る彼女にだけ聞こえる声でホルシアが言葉を囁く。それはまるで懺悔のようであり、誓いを立てる騎士のようだ。
けれどそんな彼女の時間は長くは続かない。
「まったく不躾な奴らだねぇ。自分たちに危険因子がなくなったと思ったら、もう特攻ですか」
「まっ、上の腐った奴らなんて皆そんなもんだろ。そこはイタリアもフランスも変わらねぇーんだよ」
「だがこのまま……彼女たちの神聖なやり取りを穢させるわけにはいかない。そうだろ?」
アーサーの言葉にアマルフィー兄弟が肩をすくめさせる。
「おまえらと息を合わすのなんて、金輪際ないことを願うぜ」
ベルバルトがアーサーとバリージオに言葉を吐きながら、こちらに勢いよく近づいてくる敵襲へと糸を走らせた。




