彼女との過去
店を出るとパリの街には街灯がともっており、パリの街を淡く照らしている。
んー、道に落ちてるゴミがなきゃ、完璧。
ベルバルトは道の隅などに落ちているゴミを見て、それから隣を歩くセレーナを見た。セレーナは、少し周囲を窺うようにしながら、ベルバルトの隣を歩いている。
店にいた軍人に付けられているとでも思っているのだろうか?
ベルバルトは自然な手つきで、セレーナの肩に片手を回した。驚いた様子で自分の方を向いてきたセレーナに微笑みを浮かべる。
「大丈夫だって。俺が一緒にいるんだからさ」
「どこから出てくるの? その自信?」
「セレーナへの愛からかな」
「……感心しちゃう」
セレーナが呆れた溜息を吐いてきた。けれどすぐに周りを窺っている。これは彼女の性分なのかもしれない。ベルバルトはそう感じた。
正直、軍が自分たちを追ってくる可能性は皆無に等しい。
理由は至極簡単な理由で、正面から敵う見込みのない相手を深追いはしない、ということだ。しかし、セレーナの様子を見る限り、そういう薄汚い臆病者の心理を理解していないのだろう。
ならば、安心しても良いということをセレーナに教えてやらねばいけない。
それが、ベルバルト・アマルフィーに課せられた責任だ。
「後ろがどうにも気になっちゃうセレーナちゃんが、後ろを気にしなくても良いようにしてあげるよ」
ベルバルトの言葉にセレーナが怪訝そうに眉を潜める。
一体、何を言ってるの? というような表情だ。
ベルバルトは眉を潜めるセレーナの肩を手で掴み、自分の方へと引き寄せる。そしてそのままセレーナをお姫様抱っこからの、瀟洒な建物の屋根へと一気に跳躍した。
ベルバルトが跳躍した瞬間、セレーナが両腕を自分の首に回しきつく捕まり、短い悲鳴を上げている。
最近の自分の周りにいた女性たちにはない反応を見せるセレーナに、ベルバルトは思わず笑みを零す。
やばいな。この反応……本気レベルをワンランク引き上げられそうだ。
ベルバルトは初々しい反応を見せるセレーナを優しく抱きとめながら、パリに建ち並ぶ洗礼された建物の屋根を次から次へと跳躍しながら、移動する。
目的地は、チュリー公園のあたり……自分が部屋を取っているホテルだ。まだまだ、セレーナには聞きたい事もある。それに……
セレーナは自分と接触してしまった。店の中にいた軍人たちもそれを確認している。つまり、今の彼女を一人にすることはできない。
屋根から屋根へ跳躍移動したベルバルトは、河を渡り……部屋を取っているホテルの一室へと入った。
ホテル事態の規模は大きくないものの、お洒落な自分に似合うシックなホテルだ。
部屋に入り、そこでベルバルトはセレーナを腕から降ろした。
するとセレーナがホテルの部屋を一瞥してから、少し怒ったような視線でベルバルを見てきた。
「安心して欲しいな。俺はセレーナに野暮なことするためにここへ連れてきたわけじゃない」
ベルバルトがルームサービスで頼んでおいたワイン一本とグラス二つを用意する。
するとセレーナが深々とした溜息を吐いてきた。
「見縊らないで。……わかってるつもりよ。貴方が私をここに連れてきたのは、私に聞きたい事があったからじゃないの?」
セレーナが腕を組み、ベルバルトに答えを待っている。
ベルバルトはわざとらしく残念そうな表情を浮かべさせた。
「少しは色っぽいことを考えてくれてもいいのにな。俺的には……」
「ごめんなさい。私も仕事のスイッチが入るとどうしてもダメなのよ」
セレーナは真面目な顔で真摯に答えてきた。
「じゃあ、仕事はぱっぱと終わらせないとな。じゃあ、質問するんだけど……君はメリーヌ・ローレンと何らかの繋がりがある、どうだ?」
「面白い憶測ね。どうしてそう思ったの?」
「理由は簡単。警察であるセレーナには悪いけどな……俺は警察がテロリストのアジトの情報を耳に入れるには、すこーしばかり有能すぎると思ってさ」
「こちらにも貴方のような能力を持っている人がいて、その中には情報操作士もいる。だから仲間から得た情報っていうのもあり得なくはないでしょう?」
セレーナがゆっくりとベルバルトの方へと近づいてきた。
そしてベルバルトはゆっくりと首を横に振る。
「いいや。そうは思えないんだな。確かに警察関係者の中に情報操作士がいないわけじゃない。けど、情報操作士は俺たちの中でも数は少ないんだ。国際防衛連盟及び各国のアストライヤー関係者、上部が新着で手に入れた情報を、すぐさまキャッチできるような人材……警察の方に回したりしない。例え、本人が希望してもな」
「ベルにしては……根拠がはっきりしてるわね。警察関係者である私からしたら、屈辱的な内容ではあるけれど」
少し怒りの色を滲ませたセレーナが、少し荒っぽくベルバルトの前にあるソファーに腰を降ろしてきた。
けれどこのセレーナの反応事態は、一般的な感情の範疇だ。
いや、この平素的な感情を発露することによって、一番隠したい気持ちに蓋をしているという可能性も捨てきれなくはない。
女性を疑う行為は、全ての女性の嘘を包み込み愛すと心に決めているベルバルトの主義に反するものだが……これをしなければ、本当のセレーナと関わる事はできないだろう。
ベルバルトは、ワインをグラスに注いで一つをセレーナに進めた。もちろん、セレーナが手を伸ばすことはない。
「つれないね。じゃあ最初の質問に戻るとするか。セレーナ、君はメリーヌ・ローレンと関わっているのか、いないのか、それを答えてくれない?」
上目で睨んでくるセレーナ。けれどベルバルトは動じなかった。そんな視線でさえ正面から受け止めるのも男のマナーだ。そうすれば、大抵……
「いいわ。教えてあげる」
相手が折れる。
ベルバルトは内心でガッツポーズを決めた。勿論、表面上は神妙に片眉を釣り上げただけだ。
「彼女とは一度会った事あるのよ」
「つまりは知り合いだったと?」
「そこまでの関係と言えるかは不明ね。私が会った場所はパリにある国際防衛連盟の支部。たまたま警察と国際防衛連盟からの依頼を受けた関係でね」
「国際防衛連盟からの依頼ね。どんな?」
「通常業務よ。貴方たちトゥレイターの戦闘員を捕縛する際に、市民が巻き込まれないように誘導してくれって。その誘導ルートの確認」
セレーナがやや辟易とした表情を浮かべている。
「セレーナがそんな表情をするってことは、警察とアストライヤーの間にも派閥があるのか?」
ふと疑問に感じたことを口にしてみた。するとセレーナが短く首を振ってきた。
「いいえ。貴方が思っているような物はないわ。正直……いえ、厳密に言うと警察とアストライヤーは似ていない。けどね、平和・安全を守るという大きな枠組みは一緒なの。だから、ちょっとした差別化のために、警察と自分たちの優劣をつけようとしてくるのよ。これはアストライヤーに限らず軍もだけどね」
滲み出た怒りが抑えきれなくなったように、セレーナがテーブルの上に置かれていたグラスを取り、一気にワインを飲み干した。
いきなりワインを飲み干すセレーナを見て、さすがのベルバルトでも目を丸くする。
そしてもし、今のこの現状でなければベルバルトは、セレーナの横へと向かい、彼女の愚痴を取りこぼすことなく、聞いて適切な相槌を打っていたことだろう。
しかし今の状況で、セレーナの愚痴大会を開催することはできない。なにせ彼女は、愚痴ではない他の事をポツリ、ポツリと話始めたからだ。
効いてきちゃったみたいだな。
ワインの中にこっそりと入れた、即効性の強い自白剤。
セレーナはそれを一気に飲み干してくれたのだ。
「だから、あの時もあたしは……国際防衛連盟の奴らに面倒な雑務を押し付けられる雑務係として扱われてた。むかついてた……。けど、そんなとき、あたしに一人の少女が話しかけてきたの。それがメリーヌ・ローレン。あの子は不当に仕事を押し付けられたあたしを気遣ってくれたわ。良い大人が……って思うけど、あたしは自分の立場を理解しようとしてくれる、あの子の言葉に励まされちゃったの。まるでヴェルサイユ宮殿に飾られている絵画に描かれているジャンヌ・ダルクみたいって思った。だから、私もあの子が代表候補生から抜かされたって、知ったときも信じられなかったのよ」
一息ついてセレーナが、頭痛でも起きたかのように額を片手で抑えている。
この自白剤の成分に頭痛を催すものは入っていない。入っているとしたら、酒を飲み過ぎた時に起こりがちな、嘔吐感だろう。
もしかすると、セレーナはメリーヌとの記憶を掘り起こしているのかもしれない。
だからこそ、ベルバルトは誘導するように質問を投げる。
「その話を聞いてると、一ファンって感じがするんだけど……セレーナはメリーヌと何らかの親交があったのか?」
「……ええ、まぁね。年の割にあの子は人の悩みを聞き出して、それを包み込むような、ちょっと不思議な少女だったから」
「なるほど。だからセレーナもよく愚痴零しの相手になってもらってたと」
「そういうこと。あの時の彼女は確か……十九歳くらいだったかしら? 今が二十二歳くらいだから」
つまり、自分より三個下か……。これは良い情報だ。私情的な意味で。
「あの子が代表候補生から抜けたのが……二〇歳の時。だから私が彼女と会って一年くらい経ったときね。メリーヌが代表候補から外された理由は、成績不審って言われてたけど……私にはどうしても信じられなかった。だって彼女は今の代表候補であるホルシア選手と一緒に、しっかり訓練に励んでいたのを知ってるもの。だから……二ヶ月ほど前、偶然街にあるカフェで、軍将校の男と一緒にいたのには、驚いたわ」
トロンとした視線のセレーナが、当時のことを思い出して呆然とした表情を浮かべてきた。
もうそろそろ、睡眠作用が働いてきたのかもしれない。
ベルバルトは質問を畳み掛けに入る。
何回も自白剤を女性に使う事はしたくない。それに、今の状況なら朝起きたときに酒の力で口を滑らせたという口実で済む。
けれどこの機を逃したら、真面目なセレーナが自分の前で酒を煽る機会がなくなる可能性もある。例え、自分に好意的だとしても。
だからこの機会を逃すわけにはいかないのだ。
「じゃあ、セレーナ、寝る前に教えてくれ。君がメリーヌが今回のテロに関与していることを知ったのは、そのときなのか?」
こっくり、とセレーナが首を頷かせてきた。
「きっと彼女は……代表候補生から外されたことで心に傷を負ったのよ。だからテロなんて……馬鹿げた行為を目論んだんだわ。でも、私はその場で彼女たちを捕まえられなかった。証拠を取ってるようなこともしてなかったし。彼女には少なからず恩もある。だから……私はどうにか説得しようと試みたのよ」
セレーナの瞼がゆっくりと閉じられようとしている。
ここまでが限度だな。
ベルバルトは眠りに付こうとしているセレーナの元へと近づき、彼女をベッドまで運ぼうとした。するとそのとき、セレーナの口から衝撃的な言葉が紡がれた。
「あの子がちょっとやそっとの事で人を恨んだりしない。だからきっと、彼女が代表候補から外れた理由は成績不審なんかじゃない。きっと誰かに嵌められたんだわ」




