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消えた幸せな時間

 無事に南寧市に到着したものの、万姫は表情を硬くしたままだった。

 理由は単純で、空港までの道を塞がれていたためだ。軍人によって。

「ちょっと、アンタたちあたしが誰か分かってて言葉を吐いてるのかしら?」

 目を眇めさせる万姫に、顔の特徴が薄い兵士が淡白な表情で頷いてきた。

「武家の方に限らず、全市民が空港を使えません。そこに例外は認められません」

 まるで録音機の再生ボタンを押したかのように、同じ言葉を吐き続ける。周りには南寧市にいたビジネスマンだろうか? かなり眉間に皺を寄せてスーツ姿の男が怒っている。

 南寧市はこの地区で、一番栄えた経済都市だ。道はしっかりと整備され、それなりに高いビルが立ち並んでいる。勿論、香港に比べれば劣るがそれなりの都市なのだ。

 まったく、何で本土ってこんなに融通が効かないのかしら? これだから本土に行くのは嫌なのよ。礼儀も品もありはしない。

 万姫は徐に辺りを見ながら、辟易とした溜息を吐いた。

 さっさと用事を済ませたいっていうのに。

「万姫様。決して、ここで暴れないようにお願いしますね」

 苛々を募らせる万姫に、何とか自分の後をついてきたパイロットが口を酸っぱくして言ってきた。しかもそれに付け加えるように「ここは本土です」とも。

 どうして、中国で名だたる武力家たちを輩出してきた武家が本土だからといって、窮屈な思いをしなければならないのだろう? おかしい。

 たとえ中港問題があるとはいえ、武家は中国経済に大きな貢献をしてきたはずだ。にも関わらず、この仕打ち。日本の諺にある恩を仇で返すとはまさにこのことだ。

「この道はいつまで封鎖するつもりなのよ?」

 万姫にとって千歩以上譲歩して、できるだけ穏便に聞いたのにも関わらず、目の前の軍人は言葉すら発せず、肩をすくめるだけだ。

 慇懃無礼な態度に思わず、BRVを取り出して天の彼方に吹き飛ばしてやろうか? という考えが頭に浮かぶ。いやきっと、横で自分を抑えるパイロットの男がいなければ吹き飛ばしていたに違いない。

「ああ、もう腹立つ!!」

 南寧市の街の中をぶらつきながら、万姫は道に転がっていた石を思いっきり蹴り飛ばした。しかしちっとも気持ちは落ち着かない。むしゃくしゃする。

 こんな失礼な態度を取られたのは、自分の人生で初めてだ。ああ、香港に戻ったら全面的に軍を潰すために動いていやる。今の自分ならそこに何の躊躇いも生まれないだろう。

「万姫様、気を静めて。せっかく南寧市に来たので広西民族文物苑とか、あっ、少し市内からは出ますけど、青秀山風景区に行きます? あそこは自然豊かで気分が高まってる万姫様の気持ちも少しは落ち着くと思いますよ」

(シャー)―!」

 こんなときに観光なんてする気分じゃない。

 なので後ろからごちゃごちゃ言ってきたパイロットの男を威嚇する。すると男がおずおずと黙ってきた。

 横目で頼りないパイロットを見る。そういえば、この男の名前は何だっただろうか?

 特別気にも止めていなかったため、万姫はこの男の名前を知らなかった。

「ねぇ、アンタの名前は?」

「へ?」

「名前よ! 名前! それともアンタには名前がないの?」

 むしゃくしゃしていたためか、皮肉を込めて男を睨みつける。

「わ、私は(ソウ)浩然(ハオラン)です」

「ふーん、普通ね」

「ええ、まぁ……」

 会話はまったく弾まない。別に期待していたわけではないが、ここまで口下手だと時間を潰すことにも使えない。

 役立たず。万姫は浩然を見ながら溜息を吐いた。

 こんな奴と話してても無駄だわ。それだったら、空腹になってきたお腹を満たした方が良い。しかもうんと豪勢な料理を食べよう。万姫はそう心に決めてビルが立ち並ぶ南寧市の大通りを少しだけ歩く。

 これほど大きい都市だし、少なからず観光客もいる。なら万姫の舌を満足させる料理もあるはずだ。

「ちょっと浩然、ここら辺で一番美味しくて、高い料理屋を調べなさい。あとタクシーも用意して!」

 後ろに付いて来ているはずの浩然に向けて、言葉を発したのだが彼からの返事が返って来ない。

「ちょっと、聞いているの!? 返事しなさいよ!」

 万姫が後ろにいる浩然に怒鳴るが、後ろに付いて来てるはずの浩然がいない。一瞬、突如消えた浩然に驚くが、視界を少し広げると……彼は五〇メートルほど離れた場所で立ちつくしていた。しかも万姫がいる真正面ではなく、横を向いてある一台の車を凝視している。

 あんなところで何をしているのだろう? ややもすれば来るだろうが、気になった万姫は浩然の元へと近寄った。

「アンタこんな所に立ち止まって、何してんのよ?」

「あ、万姫様。もしかしたら、人違いだとは思うのですが……あちらにいるのは、王家の雨生様ではありませんか?」

「えっ?」

 浩然の言葉に万姫がまさかと顔を顰めながら、指差された方を見る。一瞬、そんな堂々と指を差すなと思ったが、万姫は浩然を咎めることを忘れた。

 いたからだ。自分たちの宿敵である王雨生が。しかも悠々と高級車の運転席に座って。

 こちらに気づいていないのだろうか? もしそうだとしたら、雨生に一泡吹かせる機会ではないか? 自然と万姫の口許が綻ぶ。

 だがすぐに行動してはいけない。虎視眈々と絶妙なタイミングを計って襲わなければ。

 なにせ、相手は雨生なのだから。下手に行動すればすぐに気づかれてしまうだろう。

 でも本当にあの男は自分たちに気づいていないのだろうか?

 猜疑心が疼く万姫の身体にストップをかける。

 ああ、なんてじれったいのだろう? 今すぐにでも奇襲をしかけて慌てふためく奴の顔が見たいというのに。

「万姫様。今、すごくイケないことをお考えになっていませんか?」

 隣にいる浩然が初めて万姫に反感する表情を浮かべてきた。彼的にはこんな大都市の中心で、しかも昼下がりの時間に荒々しい事件を起こして欲しくないのだろう。しかも今の南寧市には、ちらほらと中国軍の軍人の姿を見かける。

 きっと南寧市のいたるところに散らばっているため、数として少なく感じるが、実際は結構の人数の軍人がこの市に集まっている様子だ。そんな所で因子持ち同士の揉め事を起こせば、間違いなく軍人がこちらを突く良い肴になってしまう。

「わかったわよ。あの男を襲うのは今はやめとく。けど尾行はするわよ? あの男だって反逆組織の一員。この中国でどんな工作活動してるかもしれないわ」

 浩然にそう言っている時には、すでに万姫の足は動いていた。尾行すら止めようとする浩然の言葉を無視して。

 気配を殺しながら機敏な動きで、広い道路を横断し雨生の車の後ろへと回り込む。

 どんくさそうな浩然は、勿論さっきの場所に置いてきた。あの男がついてきた所為で雨生に気づかれては困るからだ。

 万姫は車後ろにしゃがみ、車体の影から運転席側のサイドミラーを確認する。

「えっ!?」

 驚くべきことに、運転席側のミラーに雨生の姿が見当たらない。一体これはどういうことだろう? この車に近づいている間に車が開かれることはなかったはずだ。

 それなのに、雨生の姿が忽然と消えてしまっている。

 思い切って万姫が立ち上がり、車の中を覗きこむ。しかし車の中には誰もいない。さっきまでいたはずの雨生の姿は影も形もなくなっている。

「嘘でしょう? いつの間に逃げたっていうの?」

 最初から居なかったということは、ありえない。だって自分のこの目でしっかり見たのだから。王雨生は絶対にこの車に乗っていたはずだ。

 信じられない光景にただただ万姫は驚愕する。狐につままれたような気分だ。

「万姫様、どうかなさいましたか?」

 青信号になりやってきた浩然が、呆然としている万姫の元にやってきた。そして、雨生がいたはずの車をキョロキョロと見て、首を傾げさせる。

「雨生様は?」

「いないわ。アンタ向こうからこっちを見てたんでしょ? あの男が車から出たところ見た?」

「はい、見てました。けど……雨生様が出てくる様子はまったく……」

 最後まで言葉を言わず、浩然は困り顔を浮かべてきた。

 つまり、万姫はまんまと雨生に出し抜かれたのだ。そう思うと腹立たしくて仕方ない。

 いったいどんなトリックを使って、自分を出し抜いたというのか?

「……調べて。この都市で一番美味しい料理屋を今すぐ!!」

「え、あ、はいっ!」

 歯ぎしりをしながら万姫が浩然に命令する。すると浩然が慌てた様子で調べ始めた。

 慌てる浩然を余所に、万姫は無性に腹が立って仕方ない。何故、自分があの男に翻弄されなければならないのか?

「悔しい……」

 あの男にはいつも騙される。ずっとあの男を信じていた煌飛兄さんも。そして雪華(シェエファー)姉さんも。皆が騙された。

 煌飛兄さんの許嫁になった雪華姉さんをあの男が殺した。それが四人の関係が崩れたきっかけ。もしあの男が彼女を殺さなければ、きっとあの幸せな時間がずっと続いていたに違いない。

 こんな未練ったらしい考えをする自分に嫌悪感が湧く。

 まったく自分らしくない。ありえないくらい自分らしくない。

 なのに……もし人生をどこかでやり直せるなら自分は、間違いなく雪華が生きていた時に戻るだろう。

「万姫様、もう少し先へ行けば中山路という飲食街があります。そこになら美味しい広東料理を出すお店があります。行きましょう」

 嫌な考えに没頭しそうになった万姫を浩然の呼び掛けが現実に引き戻してきた。

 さっきまでの怒りは、黙考するうちに虚しさへと変わっていた。だから万姫は浩然に対して気の抜けた言葉を返し、先導し始めた浩然の後ろを着いて行く。

 いつもの自分なら、ここら辺でタクシーくらい呼べと叫んでいただろう。けれど、今はそんな気力さえ湧かない。

 きっと自分の思い通りにならない事が立て続けに起きて、無意識の内に疲れが堪っていたのだろう。だから、休めばこんな最悪な気分も晴れるに違いない。

「浩然、お昼の後はもう休むわ。ここで最高級のホテルのスイートルームを予約して」

 普段の自分に戻るために、苦い影を振り払うために……自分は休むのだ。

 そうよ。時化た顔なんて完璧美女の武万姫には似合わないんだから。

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