思想
香港から中国本土に来ていた万姫は、自身のBRVである如意棒を手に携えながら、自身へと銃口を向ける、中華人民解放軍の陸軍に鼻を鳴らした。
ここは中国本土にある広西チワン族自治区だ。周りは風光明媚な棚田が並んでいる農村地域で、人の姿は目の前の兵士と自分だけだ。農民たちは武装する軍人を見てただならぬ空気を感じたのだろう。懸命な判断だ。下手に外をうろちょろされて被害を出すわけにいかないのだから。
自分へと銃口を向けているのは、三〇人程度。万姫にとっては取るに足らない人数だ。
「変ね? 中国政府の要請で本土に来たっていうのに……随分、物騒な出迎えじゃない? それとも、ここに集まったのはただの笨蛋なのかしら?」
片目を眇めた万姫が兵士たちを挑発する。けれど兵士たちは挑発に乗ることなく、無言の牽制を続けてきた。
下卑な軍人の考えは飽く迄……自衛行動という体裁で自分たちとの戦いを始めたいのだろう。
最初に北京に向かおうとしていた自分たちの小型ジェット機を地対空ミサイルで攻撃してきたというのに。
「いいわ。あんた達のお望み通りにしてやろうじゃない。あたしとしてもこんな田舎で時間を潰されるのは気にいらないの」
手に握る如意棒に、燃えるような因子を込める。敵の生死など気にしなければ次の一発で決められる。むしろ身の程を弁えず、武家である自分に敵意を向けてきたのだからそれなりの覚悟をこの兵士たちも持っているはずだ。
万姫は跳び、そして眼下にいる兵士たちへと如意棒を突き出す。
神通技 火槍串
炎の槍が勢いよく兵士たちの頭上に降り注ぐ。結末は他愛も無かった。銃弾には微かな因子が含有されているものの、意味はない。
万姫が放った火槍串の炎が全ての銃弾を溶かし落とす。そしてそのまま兵士たちの頭上に炎の槍串が突き落とされた。
地面に着地した万姫の前には、自身の攻撃に身体を貫かれ息絶える兵士たちだけだ。
いくら己の強さを誇示することが好きな万姫でも、この呆気ない終わりには肩をすくめるしかなかった。
まったく気分は上がらない。むしろ圧倒的な勝利を掴んだというのに、気分は最悪だ。
日本の国防軍が上げた声明と、ほぼ同時に中国軍もアストライヤーに対して敵対するという声を上げ始めた。
万姫としては中国軍との衝突は今回が初めてだ。しかし他のアストライヤー関連の者からはもう既に十数件の衝突があったという話を受けている。その中にはいきなり家に奇襲を掛けられ、負傷した者もいるらしい。
しかも中国政府はそれらの行動を把握していながら、軍に対して何らかの処置を行うことはない。看過してるわけではないだろう。けれど仲裁に立ち軍に規制することもないはずだ。
きっと政府は政府でこの抗争で漁夫の利を狙っているのだろう。だからその機会が見えない現状では、どちらにも手を出さないスタンスを貫いて来るのは目に見えている。
けれどこの現状は中国に限らず、どこの国でも同じだろう。
「まっ、甘い蜜だけ吸わせるなんてしないけど」
万姫がそう呟きながら、ここでの中国軍との衝突を中国も加盟している国際防衛連盟の上海支部へと報告した。
今、武家は軍との対立行動を強めている。現在のトップ、武暘谷がこの方針を定めた為だ。
だがこの方針にも、この混乱状勢の火付け役となった宇摩豊の息が掛かっているに違いない。
宇摩豊は、日本の九卿家と呼ばれる名家の当主であり、明蘭学園の創立者。そして世界初のアストライヤーの内の一人。
この男は世界中のアストライヤー機関と密接にコンタクトし、自分と考えを同じくする同士を集めに集めていたらしい。
そしてその手は武家の内部にも伸びており、思想は充満していた。
驚くべきことに、中国アストライヤーの天下人である武暘谷にまでだ。だからこそ、武家は中国軍による謀反に対しても、瞬時に反発の意思を示した。
敵意に対して強固で偉大な態度を示すことに異論はない。けれど面白くもない。
世界の中心である中国の強さを支える武家の方針を、一人の日本人に決められるのが面白くない。これはプライドの問題だ。
「小国の男の言葉に籠絡されるなんて……お父様もどうかしてるわ」
溜息を吐いて、万姫が撃ち落とされたジェット機の方へと戻った。
ジェット機の前では、万姫と共に機体から脱出したパイロットが香港の空港に連絡を入れ、変わりのジェット機を南寧呉墟国際空港に用意させる手配を進めていた。
けれど最悪なことに、ここは空港がある南寧市からは遠い。つまり、ここから車か列車を使って移動しなければならない。
……いっそのこと、北京に行くのをやめようかしら?
万姫の脳裏にそんな思いが過る。
首都である北京には、中国政府に呼び出されて行くのだが、そこに意味があるとは思えない。名目上では中国全土における混乱を鎮静化させるための話合いがしたい、という事だが……軍がこの話に噛んでいるのは間違いないだろう。
だからきっと自分が北京に行ったところで、大事なところは有耶無耶にするのがオチだ。
「馬鹿げてるわね……」
呟きながら万姫は、ふと日本にいる狼のことを考えた。
自分が旦那にすると決めた男。狼はこの現状の渦中である日本にいる。
考えれば考えるほど、北京に行くより日本に行って、狼の様子を見に行きついでに日本の様子を見に行った方が有意義なのでは? そう思ってしまう。
だがもし本当に、ここで万姫がその行動をしてしまえば……これを上げ足にまた中国軍が煩わしく動く可能性がある。
もしそうなれば、自分だけではなく兄である煌飛の手を煩わせることに繋がってしまう。煌飛は、万姫が心から敬意を払う数少ない人物だ。
出来れば兄の手を煩わせることはしたくない。ただでさえ現アストライヤーである兄は自分以上に忙しなく、中国国内を飛び回っているのだから。
「面倒だけど行くしかないわね。で? 車の用意はできそう?」
肩をすくめ、万姫が飛行機の手配をしていたパイロットに訊ねる。
するとパイロットは、小刻みに首を横に振った。
「残念ですが、近くにバスもタクシーもなくて……道に出て通りすがりの車に乗るのが一番、早いですね」
「ちょっと武家の万姫に適当な車に乗れってこと? ちょっと何とかしなさいよ」
「何とかと言われても、無理なものは無理ですよ」
眉間に皺を寄せる万姫に、パイロットの男が情けない表情を浮かべてきた。その顔を見て心底辟易する。
万姫は使えないパイロットに静かに憤慨しながら、近くの大きな道へと向かった。
幸いにも万姫がいる所から、南寧市から崇左市を繋いでいる南友高速道路までは近い。高速道路まで行けば、走る車に跳び乗ることだって可能だ。
「ちゃんと着いてきなさい。もし少しでも遅れたりしたら置いていくからね」
「は、はい!」
横目で睨む万姫に慌ててパイロットが頷く。
頼りないとはいえ、一応この男も因子持ちだ。たかが十五キロほどの移動で遅れることはないだろう。
万姫は端末で高速道路の位置を確認しながら移動を開始した。
高速道路へと辿り着いた万姫は道路脇の木々の枝に立ち、眼下を通り過ぎる車を見定める。
「あの万姫様……何を見てらっしゃるのですか?」
「何って跳び乗る車に決まってるでしょ?」
「えっ、跳び乗るんだったらどれでも良いんじゃ……」
男の言葉が万姫の一睨みで黙り込む。
まったく、この男は使えないどころか頭も回らないのだろうか?
いくら車の上に跳び乗るとはいえ、自分が乗るのだから安っぽい車なんてあり得ないのだ。
万姫は南寧市方面に行く車を見ながら、外装が綺麗に手入れされている黒塗りの車に目をつけた。
ぱっと見た車の速度は、一二〇キロ以上出ているだろう。タイミングを逃せば跳び乗ることはできない。
「あの、車に乗るわよ。着いてきなさい」
パイロットの男に一言声を掛け、タイミングを見極める。
そして……
「はぁっ」
と気合いの声を上げ、万姫が狙いを定めた車へと跳躍した。跳躍した万姫は軽やかな足取りで車の屋根に跳び乗った。
「上出来ね」
ほくそ笑みながら、万姫は車の屋根に腰を降ろす。まさか運転手も自分の車の屋根に人が乗っているとは思わないだろう。
万姫が後ろを振り返ると、少し離れた車の屋根にパイロットの男も跳び乗っていた。それを確かめた万姫は視線を前へと戻した。
あとはこの車が南寧市に行く事を願うのみだ。
まっ、そのときは乗り換えるだけだけど。
万姫は自分に吹き付ける風に髪を棚引かせながら、ふと先ほどの兵士たちの事を考えた。何故、あの兵士たちはわざわざ、あの田舎で万姫たちを待ち構えていたのだろうか? しかも少人数で。
中国軍の兵士なら、武家がどういう家なのかよく知っているはずだ。むしろ、知らないはずがない。なにせ、中国のアストライヤー関係者のほとんどが武家の門下生で、武家の息がかかっていない者はいないからだ。
つまり、中国の強者を排出しているのが武家であり、その武家の娘である万姫の実力を中国軍が知らないはずないではないか。
それにも関わらず、あんな少人数で万姫に奇襲を仕掛けたとなると……単なる考えなしか他に意図があってかのどちらかだ。
ただの考えなしならいい。
けれど面倒な意図がそこに含まれているとしたら、厄介だ。
「啊呀―、もうちょっと手加減してやれば良かったかしらね?」
けれどそんな事を呟いたところで、もう遅い。
死んだ者を生き返すことはできないのだから。だったら中国軍が何か企んでの行動と仮定して、その企みが何なのかを考えた方が得策だ。
得策なのだが……万姫はそれを考えることを放棄していた。自分の中でこの問題に対する重要度が低いのだ。
自分のやるべきことは決まっているのだし、軍が薄汚い工作をするのであれば、圧倒的な力で黙らせればいい。
「そうよ。あたしたち武家に逆らうってことは、つまりそういう事だもの」
一人納得するように呟く。だがそんな万姫の脳裏に一人の男の言葉が静かに浮かんできた。
『横暴な武家はいずれ衰退するだろうさ。俺はその瞬間を心の底から楽しみにしていよう』
優美な冷笑を浮かべた男の言葉。かつては自分のもう一人の兄のように慕っていた男の言葉。
「最悪。どうして、こんなときにあの人殺しの言葉なんて思い出しちゃったのかしら?」
気分悪いにもほどがある。
これではまるで、自分があの男の言葉を真に受けているようではないか。
「あり得ない! 絶対に!」
車の屋根の上で怒鳴るような声で自分自信を否定する。
王雨生の考えを自分が肯定するなんて絶対にあり得ないわ。否定するならまだしも……そうだ。
万姫ははっとして考えを改めた。もし今の中国軍との抗争を武家の力でねじ伏せられれば、それこそあの男の……王雨生の言葉を完全否定できるはずだ。
「嘻嘻。良いじゃない。それ。最高だわ」
悔しがる雨生の顔を頭に浮かべ、万姫は口許をニンマリと微笑ませた。




