交渉と決意
休憩に入った狼たちは、先ほど部屋より二周りは大きい部屋に来ていた。
部屋には舞鶴湾から戻ってきた希沙樹たちや、御所から戻った左京と誠、キリウスと戦っていた勝利や出流たちもいて、後から宇治に行っていた真紘、根津、セツナが入ってきた。
「セツナ? どうしてここに?」
いきなり増えていたセツナに狼が首を傾げると、セツナが苦笑混じりの笑みを返してきた。
「自分の目で、今の現状を知りたかったから、元ナンバーズの人に頼んでここまで来ちゃった。これまでの事、簡単にだけどマヒロやミサキから聞いた。ごめんね。私、友達なのに何もできなくて」
「セツナが謝ることなんて、何もないよ。むしろ、僕たちがお礼を言わないといけないくらいだ。セツナが来てくれて本当に助かるよ。ありがとう」
「……私、皆より弱いけど頑張るから。お願い、頑張らせて」
一生懸命な視線で狼に訴えかけてくる。そんなセツナに狼は笑顔で頷いた。
「うん、一緒に頑張ろう。同じ門下生同士さ」
狼の言葉に、セツナがやっと彼女らしい笑顔を浮かべてきた。
僕も負けてられないな。
どんな時でも笑顔を作れるセツナを見ながら、狼は静かにそう思った。
部屋に集まったメンバーで状況が報告される。
報告を聞く限り、自分たちを取り巻く状況としては順調といっても過言じゃない。
「……捕らえた者たちはどうする? 戦力として使えそうか?」
キリウスたちについての報告を聞いていた真紘が視線を出流たちへと向ける。
すると出流が肩をすくめてきた。
「あのシスコン王子とここに来たのは、欧州地区のナンバーズだ。一人は知ってるだろ? Ⅹだ。あともう一人はⅩのバディのオカマだ。今のところ使えるとしたらオカマのⅪくらいだろうな。まっ、あいつもキリウスの出片次第で、また敵対行動するだろうが……戦力的には申し分な……」
「人をオカマ、オカマ言うんじゃないわよっ!!」
叫びながら勢いよく、ナンバーズの格好をした大男から襖を開いてきた。そして気迫の籠った表情で出流の元へとずんずんと進んでいく。
「いや、だっておまえオカマだろ? 本当のこと言われて怒るなよ」
「違うわ! 前にも言ったでしょう? 私の外見はおっちょこちょいの神様が間違えちゃっただけなのよ!」
「いや、そういう問題じゃないだろ。まぁ、いい。おまえに交渉を持ちかける」
オカマのナンバーズ、Ⅺに詰め寄られた出流が、顔を引き攣らせながらそう言った。
「交渉? 言っとくけどあたしはキリウス様の命令以外ではそう簡単に従う気ないわよ。いくら、イレブンスちゃんとか、そこにいる可愛いボーヤたちからの頼みだとしても」
出流へとそう言ったⅪが、真紘と狼を一瞥して片目を瞑ってきた。狼と真紘の背中が異様な危機感に粟立つ。
やばい。あの人とあんまり目を合わせたら駄目だ。
危機感を感じた狼は真紘と共にⅪから顔を逸らした。
「命令じゃない。言っただろ? 交渉だって。正直、おまえからしても最高の交渉内容だ」
出流が再び話をⅪへと話し始めた。
「言ったわね? それでどういう内容かしら?」
「今の所キリウスの奴には、一般的な治療しか施してない。しかもアイツはさっきの戦いで因子をかなり疲労してるから、薬を投与しないかぎり……そう簡単に因子も回復しない。つまりアイツが完全復活するには時間がかかるわけだ」
「ええ、そうね。それで?」
「けど、アイツを下手に病院に入れる事もできない。つまりここで奴の経過を見るってことになる。ただ一般常識的に考えて、面倒な捕虜たちを一ヶ所に纏めない。けどおまえが俺たちに協力するなら、特別にキリウスの横におまえの布団を敷いてやる。どうだ? お前にとっても良い話だろ? 気がれなくキリウスの寝顔を見放題」
「キリウス様の寝顔を……見放題……」
出流の言葉を聞いたⅪが一瞬の内に目を輝かせ始めた。かなり邪な気持ちで。
「どうするんだ? さすがのおまえでもBRVを取られてる状態で、キリウスとⅩを連れてここから出るのキツイと思うけど?」
自分を畳みかける出流の言葉に、Ⅺが咳払いを返す。
「そう、ねぇ……確かにこの状況で強硬手段は取れないし、第一に私たちはヴァレンティーネ様を連れ戻しに来たわけだから、ここにいても別に構わないのよねぇ。……仕方ないから、キリウス様が復活するまで、貴方たちの協力をしてあげるわ。別に向こうに協力する義理もないし」
かなり言い訳がましい言葉でⅪが頷いてきた。しかし、これで一定期間とはいえ戦力が強固になったのは確実だ。
「そちらの方と話が纏まったのは、宜しいですが……豊さんたちの動きを掴まなくてはいけませんね。先ほど、こちらの甥がその機会を棒にふってしまったので」
藤華が狼に厳しい視線を投げてきた。その視線に狼は身を萎縮させる。あの時はふとした勢いで会話をしてしまっただけに、藤華の言葉に反論ができるはずもない。
萎縮する狼を近くにいたセツナが「誰にでも失敗はあるから、落ち込まないで」と言いながら肩を叩いてきた。しかしその優しさが今は身に沁みる。
そして萎縮する狼を気づかうように、真紘も狼へと微笑を浮かべながら口を開いてきた。
「俺の見解だが……焦らずとも宇摩はすぐには次の行動に動かないと踏んでいる」
「えっ、本当に?」
思わぬ真紘の言葉に、狼が目を見開く。
「ああ。宇摩の目的は怪しい動きを見せる国防軍の出鼻を折り、各国の軍の勢いを沈静させることだったからな」
しかしそんな真紘の言葉に、希沙樹が怪訝な表情浮かべて疑問を口にしてきた。
「でも、ならどうして? 理事長はどうして、国防軍の奇襲攻撃を助長するような行動を起こしたのかしら?」
希沙樹の言葉に狼ははっとした。確かに言われてみればそうだ。国防軍が一番の敵なら彼らが計画していることを、必ず阻止しようとするはずだ。
しかし豊がやったのは国防軍を阻止することではなく、それを止めようとする狼たちを邪魔する行為だ。
豊の行動に一貫性を感じず、悶々とし始めた室内。だがその空気を払うように藤華が口を開いてきた。
「そこの貴方」
藤華が出流の隣にいるⅪに視線を向ける。するとⅪが澄まし顔で藤華を見返した。
「なにかしら?」
「貴方方は豊さんたちと手を組んだのでしょう? やはりこちらに来たのも豊さんに言われて来たのですか?」
藤華に訊ねられたⅪが目を細めながら出流を見る。
「随分と情報掴むのが速いじゃない?」
「まぁな。トゥレイターの情報操作士の中にも、どうしても條逢慶吾を出し抜きたくて躍起になってる奴がいるからな」
薄ら笑いを浮かべる出流に、Ⅺが不満げに唇を尖らせる。それからすぐにⅪが藤華へと視線を戻した。
「別に彼の言葉で、ここに来たわけじゃないわ。ここにヴァレンティーネ様がいるっていう情報は彼らによる物だけど、ここに着たのはキリウス様による独断よ」
「なるほど。つまり私たちの深読みということですか。……やはり異邦人の方々に空気を読めということは、難業だったようですね」
「あら、失礼しちゃうわね。例え読めたとしてもアンタのだけは、ぜぇええええったいに、読まないから安心しなさい」
棘のある藤華の言葉にⅪが鼻を鳴らして返す。
けれど藤華はⅪの態度などいささかも気にしていない様子で、真紘の方へと視線を移してしまっている。
藤華のこういう態度を見ていると、大城と衝突する理由も分かる気がした。
短気な大城に遠慮なく皮肉を言う雪村。これでは仲が悪いのは当然だ。
内心でそう思いながら、狼は意識を話合いへと戻す。
「つまり、俺たちを意図的に妨害していたのは、宇摩というよりは條逢慶吾によるものということか」
「では、向こうの関係性は非常に脆いということですね?」
「そういうことになる」
真紘が左京の言葉に頷いていると、そこへ……
「ちょっと、話の途中で悪いんだけど怪我人はどこに運べばいい?」
舞鶴湾から宇治駐屯基地に向かった棗と帯刀がやってきた。帯刀の服は血で汚れている。帯刀は血だらけの操生を右肩に、左手に名莉を抱えているためだろう。隣にいる棗は何故か力尽きたように気絶する瞬を背負っている。
棗たちの後ろには、左右から重蔵を支える鳩子と季凛が立っていた。
季凛たちに支えられている重蔵は意識こそあるが、いつ気絶してもおかしくない状況だ。
「おい、狼ぼさっとすんな」
出流が茫然としていた狼の肩を叩いて立たせる。出流が帯刀から操生を受け取り、狼が名莉を受け取った。手の空いた帯刀が季凛と鳩子に変わって、重蔵を支える。
帯刀から受け取った名莉の怪我はひどかった。身体中の至る所に切傷があり、首の付け根には大きな丸い風穴まで空いている。
血の気の失せた顔、肌にこびり付く血。最後に見た小世美の顔が浮かび上がる。
名莉を抱える手が思わず、震えた。
このまま名莉も動かなくなってしまうのではないか? そんな錯覚に陥りそうになる。
けれど……そのとき微かに名莉の瞼が動き、うっすらと目を開いてきた。
「ろ、う……?」
首元を損傷しているためか、名莉の声は小さく掠れていた。
「メイ……もう少しだけ頑張って。今怪我の手当てをするから」
懸命に言葉が震えそうになるのを抑えながら、狼が名莉に声を掛ける。怪我をしながら頑張ってくれた名莉に、動揺を与えるわけにはいかない。
普通にしないと。そう、普通に。
「狼、大丈夫。私は……死なない」
必死に動揺を消そうとしていた狼に、名莉がそう言い切る。口調は先ほどと変わらず、掠れている。だが言葉には狼の動揺を抑える力があった。
「こっちだ」
勝利の言葉に狼たちが頷き、すぐに齋彬家が用意した医療スタッフがいる部屋へと名莉たちを運び込む。
そして名莉たちを医療スタッフに任せた、狼たちが部屋に戻ると、
「メイっちのおかげで、あの場から立ち去れたけど……正直、鳩子ちゃんからすると疑問だらけなんだよね」
厳しい表情を浮かべた鳩子が、駐屯基地での状況を話していた。鳩子の話によると、首下の傷は、名莉が意図的に撃ち抜いたもので、その後名莉の因子の濃度が急速に膨れ上がったらしい。
話し終えた鳩子は眉間に深い皺を寄せている。どうも煮え切らない様子だ。
きっと名莉の取った行動の意図が読めないためだろう。するとそんな鳩子の気持ちに答える様に、真紘が口を開いた。
「もしかすると、名莉は自分の身体の中にあった認証コードを撃ち抜いたのかもしれないな。断言はできないが。あれは因子の吸収、放出を抑えるものだ。名莉の因子に影響を与えていた可能性もある」
「もしそれがあってるとしたら、メイっちの自棄くそ気味の行動も納得いくけど……」
鳩子が長い髪の毛を掻き上げながら、唸る。
するとそんな鳩子の気持ちを代弁するかのように、剣呑な表情を浮かべる根津が一言、言い放った。
「なんにせよ、名莉は無茶なことしたわ」
まさに的を得た根津の言葉に、狼は心から頷きたい気持ちになった。どんな理由があれ、名莉は命を落としかねない無茶をした。それを責めようとは思わないけれど、悲しくはなる。
もう僕は二度とあんな気持ち……味わいたくない。
狼は強くそう思った。




